2012年6月3日(日) 夜10時
2012年6月10日(日) 午前0時50分 再放送

「亡命詩人の憂鬱」
~23年目の天安門事件~

2011年、中国からドイツへ、一人の詩人が亡命した。廖亦武(リャオ・イーウ)。1989年6月4日に起きた天安門事件の流血惨事を長編詩「大虐殺」で告発し、4年間投獄された。中国で表現の自由を訴えてきた文化人の一人だ。出獄後、廖は、酒場を渡り歩いて音楽で生計を立てながら、獄中での自らの体験を記した。著書「六四・天安門事件 私の証言」は何度も公安によって没収され発行禁止となる。廖は自由を求め14回も国外脱出を図るが、いずれも国境や空港で強制送還される。しかし15回目にしてついにドイツへの亡命を果たした。著作は英、仏、独、ポーランドなど各国で翻訳され、ヘルマン・ハメット賞など数多くの賞を受賞するなど高い評価を受け、夢見ていた自由を獲得した。しかし海外で脚光を浴びるようになった今、中国の民主化を中国の外から訴える難しさに直面している。

廖は自分の亡命に協力したため投獄されている友人の詩人・李必豊(リ・ビーフォン)の救出を訴えているが、外国からの声は中国政府に直接届かない。天安門事件後、海外に亡命した知識人や学生リーダーは、民主化問題のオピニオンリーダーとして脚光を浴びている。しかし当の中国に彼らの批判の声は影響力を持ちえない。国内の安定を重視する中国政府は国内の異論に対する監視や言論弾圧を強めているが、海外の声は“無視”することでやり過ごそうとしているからだ。「海外という安全地帯から何を発しても中国は変えられない」。亡命した知識人の多くは廖と同じジレンマに陥っている。

廖は今、亡命先のベルリンで「弾丸と阿片」というルポルタージュを執筆している。描いているのは天安門事件に参加した市民たちのその後である。事件当時、学生を支援して運動に加わった多くの一般市民は「反革命動乱罪」を問われ6年から20年の判決を受けた。海外へ亡命したエリート達が脚光を浴びるのとは対照的に、彼ら名も無き一般市民は政府から「暴徒」というレッテルを貼られ、結婚や就職の扉が閉ざされ、今なお誤解と差別の中で生きている。廖は言う。「中国の歴史はエリートたちがつくるのではない。蟻のような民衆の行動が歴史を書きかえるのだ。」

国境を挟んで二分される抵抗者の光と影。その光に目を眩まされることなく、天安門事件に参加した名も無き市民たちの名誉と人権を回復することを、自らの使命と考える廖亦武。「暴徒」として中国辺境で潜伏生活を送っていた2004年から、ドイツ亡命を果たした今日まで、亡命詩人の行動と思索に密着した8年間の記録から23年目を迎えた天安門事件を見つめ直す。

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