2015年 95日(土)よる11時放送
再放送912日 午前0時放送(金曜深夜)

沈黙を破る手紙
~戦後70年目のシベリア抑留~

太平洋戦争終結後、57万以上の人々がソ連の収容所に連行され、少なくとも5万5千人が犠牲になった、「シベリア抑留」。京都府の舞鶴市で、シベリア抑留の知られざる断面を物語る貴重な資料が見つかった。それは、当時公表されていなかった抑留者の安否と帰国の予定を、その家族に伝えた手紙。終戦後、生死もわからず、いつ帰るとも知れない夫や子を待ち続ける家族にとっては、まさに"希望の手紙"だった。
当時シベリアに抑留されていた人々の多くは、氷点下40度を下回る屋外で、森林伐採や鉄道敷設といった肉体労働に従事。みずからの生死を家族に知らせる手段さえなかった人がほとんどだったという。そうした中、なぜ、抑留者の安否を知らせる手紙が届けられたのか?
カギとなったのは、アメリカとの冷戦下にあったソ連が、共産主義のプロパガンダのために放送していたという国営ラジオ放送。そのラジオ番組を通じて、大阪に住んでいたひとりの青年と、抑留されていた元新聞記者とが偶然にもつながれ、700通にも及ぶ希望の手紙に結びついたのだった。 戦後70年。時を経て見つかった手紙の先にあったのは、終戦後も戦争と国家に翻弄された抑留者と家族たちの苦難。さらに、手紙の発見をきっかけに、封印していた記憶を語り出した元抑留者や、教科書の中でしか知らなかった戦争を身近な問題として捉え始めた若者もいる。
今、手紙が私たちに問いかけることとは何か?いまだ癒えることのない抑留者や家族一人一人の声に耳を傾ける。

語り:石澤典夫アナウンサー
(内容59分)

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シベリアに抑留された人々の消息を家族に伝えた700通の手紙
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手紙を書いた青年・坂井仁一郎さん
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手紙をきっかけに封印していた記憶を語る元抑留者
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手紙のことを知り戦争を身近に感じ始めた家族