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山岳・水中カメラマン日記

自然をこよなく愛するNHKカメラマンの取材記です。執筆メンバーは、NHKが誇る山岳班・潜水班の面々です。

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2015年07月30日 (木)

その道、その橋、その町は、なぜそこにあるのか?

NHK甲府放送局カメラマン 米山悟

前回書いた「昔の人はなぜ不便な山里に暮らしていたのか」に、たくさんの感想コメントをありがとうございました。実際山間に住んでいる人を含め、こうした場所に深く関わっている方からも感想を頂きうれしく読みました。
今回も、山登りしてたくさん歩いて気がついた話です。

人の歩く道は、車の通る道とは違った

韮崎市神山町北宮地、山から沢沿いに下りて来たら目にする風景 山の道といえば、山頂を目指す登山道を主に思い浮かべるでしょう。けれども、山頂へ行くのは物好きか修行者だけです。山道とは本来、山の向こうの隣の集落へ通じるための道でした。

今は自動車道路が現代工法で山を削り、遠回りしてでも傾斜を抑えてトンネルを通しています。けれども、人の歩く道は多少傾斜があってもかまわないし、道幅も狭くてよいので、現代の車道とは違うラインに道がありました。違うラインにある道ですから、車道ができれば人の道は廃れていきます。手入れをしないと、沢沿いの道は増水時に壊れ、尾根の道は樹木に埋もれてしまいます。

精進湖トンネル、御坂トンネル、笹子トンネル…。私の住む甲府盆地からはたくさんの峠道がありましたが、トンネル開通でその多くは失われました。ですが、往時の峠道を足で辿れば、何千年も人が踏み固めている道ですから、そこに道があったことが足探りでそれとわかります。

道は、なぜそこにあるのか?

沢の中の「道」。滝があっても人が登れるルートは探せば見つかることもある。 では、近所の道でも東海道でも、道というものがなぜそこにできたのか考えたことがありますか? 車社会での移動は自分で苦労しないから考えもしないのですが、江戸から京まで、さて、歩くしか無いぞと思って想像してみてください。

私は山歩きで、登山道ではないルートをよく歩きます。雪山では道は自分で作るものですし、そもそも山のほとんどには整備された登山道がありません。
それでも道と、道ではない所を行き来していると、時代の変化によって道が廃れて無くなった所でも、人の辿るラインは同じであることに気がつきます。

山の中の道なら、薮を避けて尾根から沢へ、滝や崖を避けて沢から尾根へと逃げます。人が自分の足で歩いて一番楽で安全な所だから、そこに道ができるのです。その場所に道があるのは、偶然ではなく必然だといえます。いつの時代でも2本足で歩いている限り、人は同じようなルートを辿るわけです。

橋は、なぜそこにあるのか?

先日、火山噴火の影響取材で箱根山に初めて滞在しました。その間、ここを足で越えた時代の人たちの事をずっと考えていました。今や箱根を歩いて越える人は少ないと思います。古来の東海道は、有名な駅伝のコース(国道1号線)とは別の谷を通っていて、江戸-京都間では一番の山岳地帯でした。ですが、京都に行くには、箱根を越えるしかありません。関所もできよう、歌もできようという難所です。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川(箱根馬子唄)」

東海道で、箱根の山と並び称される難所が、ここで歌われている大井川です。幕府は江戸を守るために、大井川にあえて橋を架けませんでした。川を渡る旅人は、減水を待ってふんどし男の川越人夫の肩車で、という決まりです。

橋なしで川を渡るのは大変なことです。山歩きをしていても、川や沢の徒渉は難関です。徒渉の勘所は、川幅が広がり浅くなり、カーブの内側で流速が緩い所を狙います。また、川が合流すれば水量が増えるので、その手前の二股に分かれているところも狙い目です。
平地の大河川でも、古来そうした徒渉に適した場所に、渡り場が生まれました。道も、その渡り場に向かって伸びていきます。そして時代を追ってそこに橋がかかり、さらにはそこに市が立ち、町が出来たのではないでしょうか。
古くから橋のあるところは、橋がなくてもそこが徒渉しやすい地形だったということです。

日高山脈ニイカップ川で減水待ち日高山脈ニイカップ川で、流木の橋で渡渉する。荷物はロープで引き寄せる。

 

町は、なぜそこにあるのか?

険しい山越えをして平地にたどり着く時、安堵をして、ああ、いいところだなと思う場所があります。湧き水のある扇状地の末端や丘陵地です。海岸沿いなら、少し小高い平地でしょうか。こういう所に古墳は多いし、縄文遺跡も多いようです。山地と平地の境界域です。

山と平地が出会うところは、山からの産物と、平地の産物が出会うところであって、実際暮らすのに居心地が良さそうです。一段高くて平地が見渡せるから、砦にも良さそうです。山越えをして来た視点で「良いところ」に思える場所には、実際に生活する上でも理にかなった点があるわけです。

古代の道は、そんな集落を繋いで出来たのでしょう。山の中なら、地形に応じた必然の道がありました。平地でも、今は建物などで見えにくくなっていますがやはり地形に応じて道ができ、その道の交差点から、また町ができていくのではないかと思います。山から平地への連続した山歩きをしていると、そんなことに気づくわけです。

集落を一望する(山梨県南部町佐野集落)。眼前には茶畑が広がる。山越え後に味わえる、こうした風景が何より好きです。
集落を一望する(山梨県南部町佐野集落)。眼前には茶畑が広がる。山越え後に味わえる、こうした風景が何より好きです。

道を守り、町を守る技術

甲府市郊外、武田信玄が生まれたという要害山と、その下の積翠寺集落。石垣の田も見える。山間の集落では、少ない平地に寄り添って古い家が並び、村中にたくさんの石垣が組んであります。石垣は、傾斜を少しでも平坦にするために、そこがまた傾斜地に戻らないために作るものです。廃れた古い峠道などにも苔むした石垣を見ることがあります。これも道を平らにして崩れないように作られたものです。

昔は、石垣を土建屋さんではなく自分たちで組みました。つい数十年前まではこうした技術を、集村の住民の誰もが持っていたわけです。最近の日本の登山道によくある歩幅と合わない段々とは違って、古くからある山道には小股で一歩一歩無理なく登れる小さな石段が組んであります。

最近『オオカミの護符』(新潮社)という本を読みました。川崎市内で生まれ育った著者が、数十年前まで地域の農家で行われていた御岳山オオカミ信仰を追いかけるうち、多摩と奥秩父の山村集落の習俗と農事の伝統を発見していく本です。その中で、道の普請に関する古老の話が印象的でした。

豊かな時代に育った私にしてみれば「昔は貧しかったから自分達でやるしかなかった」つまり「お金があれば、誰かに任せられるのに・・・・」と思うのだが、 古老たちは「道や川の普請は、人任せにゃしねぇもんだった」と言う。 そこには「自らの暮らしは自らの手で築き、守っていくのだ」という気概が感じられる。人はその「気概」に惹き付けられて集まるものではないだろうか。(p160)

共同体の皆で道や川を直す「普請(ふしん)」とは今や死語に近いことばです。先日、通りがかった山村で、道の修理をしていました。重機とブロックを使い現代工法でピカピカの道にしていました。それは仕方が無い事ですが、私は、あの古くからの石垣を組む技術に憧れます。

激動の21世紀、いつか泣き言を言わないですむよう、車が全く使えなくなった社会のことも想像しておきたいと、いつも思っています。地震、火山、台風、津波、輸入燃料切れ。たとえそんなことがあっても、二本の足で生きて行くしかないですから。

▼米山カメラマンのブログ記事▼
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コメント(2)

初コメント失礼します。滝を登ってる写真、凄いですね!こんな画像でもスクんでしまうw。米山さんのブログは山に入ると思い出すような話ばかりで考えさせられ、共感・発見することが大変多いです。
2011年の大地震のすこしあと(だったと記憶してるのですが・)Eテレで放送された「見狼記」とかいう番組が大変面白く興味深くまたツッコミどころも満載で強く記憶に残りました。ひょっとしたら制作に関係してらしたのかな?などと考えつつ拝読しました。コチラで紹介されている本も面白そうなので山に携行し是非とも読んでみたいと思いました。
ブログ楽しみにしてます。

投稿日時:2015年10月28日 02:36 | ネイチャー降臨

ネイチャさん感想ありがとうございます。
「見狼記」おもしろかったですね。たまたま手元に録画があり、見てみました。残念ながら私の関わっていない番組でしたが、いつかこんな番組を作ってみたいです。飯を炊いてオオカミ様に供える宮司さんが、まろびつつ山に通う姿に感激しました。
私がオオカミのこと気になりだしたのも、大災害あとからです。
放送は2012年2月19日(日)のETV特集でした。

投稿日時:2015年10月29日 14:22 | 米山悟

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