制作後記
~『紅白が生まれた日』 が生まれた日~

放送90年を記念して制作された、「紅白が生まれた日」。
終戦当時の放送局員たちの奮闘を描いたドラマですが、
今回は、その「紅白が生まれた日」の制作過程での奮闘ぶり(?)
を制作統括の三鬼Pがご紹介します。
時代を超えても変わらない制作現場の悲喜こもごもを、
ドラマ本編ともども、お楽しみください。

着想 -今から、1年前ぐらい-

「この企画を初めて目にしたのは、2014年の2月頃。放送90年という節目の年のドラマとして、何かいい題材はないかということで出会った企画です。
当初、もっとも印象に残ったのは、『紅白音楽試合』が終戦の年(昭和20年/70年前)の大みそかにラジオ放送された、という事実。
終戦から4ケ月。まさに生きることに精いっぱいの時代。
そんなときに、今の『紅白歌合戦』とほとんどフォーマットが変わらない放送が流れていたのか、という驚きでした。
これは、まさに『放送90年ドラマ』にふさわしい番組ではないか、と思ったのです。」

取材 -結局、8ケ月くらいかかってしまって-

「企画の着想は得たもの、正直、私たちの先輩のお話です。
放送人の私としては『すごいな』という率直な印象ですが、放送員たちが頑張った話だけになると、手前味噌すぎて気恥ずかしさもあります。
そこで、出来るだけ当時の時代背景や放送局の状況、また『音楽試合』そのものを取材して、物語をつくることにしました。
当時の時代背景については、時代考証の天野隆子さんを中心に、また当時の放送局のことについては、局内の資料庫から書類を引っ張り出したしたり、当時在籍されていたOB・OGの方にお話しを伺ったりして取材が進められたのですが、もっとも困難だったのが、『音楽試合』そのもの、でした。
当時は放送を残すということを余り考えていなかったようで、音源はおろか、台本すら現存していないという状況で、一瞬目の前が暗くなりそうでした。
出演していただいた歌手のお名前も、資料によってまちまちだったので、新聞のラジオ欄を探したり、出演されたであろう歌手の方の手記を探したりして、なんとか『おそらく、こんな感じで放送されたに違いない』というところまで漕ぎつけたのですが、結局、取材に8ケ月もかかってしまいました。」

物語 -尾崎将也さんとともに-

「実際に起こった出来事ですが、それを再現するだけではドラマにはなりません。ですから、ドラマとして皆様に喜んでもらえるためには、物語としての面白さが重要です。そこで、今回、脚本家の尾崎将也さんに執筆をお願いしました。以前、『梅ちゃん先生』でお付き合いをさせていただいた事があり、このドラマを描いていただけるのは尾崎さんしかいないと確信していたからです。
今回のドラマの肝である、決してヒーローではない、一人の人間としての『強さ』を表現していただける、と強く思ったのです。
上述のように、取材に時間がかかってしまい、いろいろとご苦労をおかけしたのですが、結果、素晴らしい人間ドラマを紡いでいただいたと思っています。」

技術 -4Kはつらいよ?!-

「今回の撮影・収録は、4Kで行いました。NHKのドラマでもまだあまり行われていない機材・機器での撮影ですし、私個人としても初めてのものでした。
私としては、『放送90年なんだから、それに相応しい技術で撮影・収録しなくては』という意気込みだったのですが、ふたを開けてみると、従来の撮影・収録スキーム(ハイビジョン)とは異なるスキームを考えなければならない、という大きな壁になりました。
ハイビジョンの4倍の画質をもつ、4K。今までに以上に、色彩の微妙な再現能力を持ちます。ドラマでは、そのことが大きな魅力になると思われる技術です。
しかし、それを撮影現場、編集現場など、さまざまな場面で行うことは4倍以上の努力が必要なものでした。
そこで、NHKの技術セクション、美術セクションはもちろん、外部の方の協力も得ることで、新しい時代のスキームを作ることに何とかこぎつけました。私たちの先輩がそうだったように、この形態が当たり前になってくれると嬉しい、今はそんな気持ちです。」

極寒 -撮影現場は真冬で-

「12月には、主演の松山ケンイチさんはじめ、本田翼さん、星野源さん、高橋克実さんら出演者の方々が決まり、収録に向けてバタバタな日々でした。そんな中、松山さんには現代の紅白(第65回紅白歌合戦)のリハ―サル風景を見学いただきました。私自身も、紅白歌合戦の副調正室に入るのは初めてで、ドラマ制作とは違う、生放送本番前の緊張感を感じることができました。

そして、1月。いよいよ撮影です。
ロケは茨城県の高萩市の廃工場跡に、終戦当時の街並みをオープンセットで建てて撮影しました。
上述したように、慣れない機材での収録で不安もありましたが、その収録のときの最大の敵は、まさに『極寒』ともいうべき、寒さでした。
ドラマの冒頭、終戦直後(1945年9月)から始まるため、松山さんはじめ、エキストラさんまで夏の服装での撮影。
もちろん、収録の合間は防寒着を着るのですが、肌を差すような寒さ。
そこで一計を案じて、寒さ対策用の焚き木に、さつまいもをホイルで巻いて投げ入れ、焼いもを作ったりして、撮影の合間に振る舞いました。
特に子役さんに人気で、笑顔で頬張る姿が、その扮装と相まって、『当時の子どもたちもこんなんだったのかな』と微笑ましく感じました。
また、収録の場所は別ですが、古川ロッパ役の六角精児さんと水の江瀧子役の大空祐飛さんが放送会館を出てくるシーンでは、雪を降らせる必要があり(1945年の大みそか、東京は雪が降ったとのこと)、深夜の極寒の中、降雪シーンの撮影を行いました。
降雪シーンの雪は、いつもは泡や発泡スチロールなどを降らせるのですが、今回、4Kということもあり、美術チームが新しい機材を投入したのです。
それは、固まりの氷を削りながら、その粒を上空に飛ばす機材です。要は、かき氷を作る機械に扇風機をつけたようなものの、大型版です。
真冬の深夜に、氷を扇風機で飛ばす、という、そんな『極寒』の中、感動的なシーンが撮影されていたのです。(笑)」


音楽 -マスターピース-

「このドラマの、もっともキーになるのが、『音楽』。
『紅白音楽試合』が題材のドラマですから、当然と言えば当然です。
今回、遠藤浩二さんに劇伴の依頼しました。
当時の演奏事情に合わせて、音楽録音は相当大きな編成(多人数での演奏)で行いました。
また、遠藤さんとの打合せのとき、『今回はコーラス、人の声を使ったものがいい』とご提案を受け、メインテーマでは美しいコーラスが入っています。
音楽録音のとき、その音を聞いて、『音楽のもつ力』『人の声の力』、そんな言葉を再認識しました。素晴らしい音楽が出来上がったと思っています。
もうひとつ忘れてならない音楽は、『歌』です。とりわけ並木路子さんの『リンゴの唄』は当時を代表する名曲です。
当初は、当時の音源を使用させてもらうことも考えていたのですが、やはり、現代に放送するドラマとして、出演者の方に歌っていただきたい、と強く思いました。
1945年の『リンゴの唄』を、2015年の『リンゴの唄』として響きわたらせたい、そんな思いが湧き起こったのです。
その後は、劇中の新藤と同じように、どなたに演じていただくか、です。
そんな時、miwaさんの歌声を聞き、明るいけど切ない『リンゴの唄』を是非歌って欲しいと直感的に思いました。
普段はシンガーソングライターのmiwaさんですが、早速お話しをしてドラマ初出演をしていただくこととなりました。
まさに2015年のドラマに相応しい、『リンゴの唄』になったのではないか、思っているところです。」

最後に -伝えること-

「前述しましたが、この物語は終戦直後のNHKのお話です。
自分たちの先輩の話をする気恥ずかしさはありましたが、当時は民放もない時代、NHKしか放送局がない時代の中、放送を通じて、人々に笑顔と歌声を伝えることをした先人たちを改めて直視することで、これから皆様に届けなければいけない放送というものを、再認識できたと考えています。
そして、視聴者の皆さまに、『このドラマ、楽しかった、面白かった』と言っていただけるよう精いっぱい作ったつもりです。
70年前(1945年)の『紅白音楽試合』がそうであったように、この『紅白が生まれた日』が、皆様に笑顔と元気を届ける番組なれたらと切に願っています。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。」