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「大仏開眼」東大寺大仏殿で出演者発表

 来春4月放送予定の、古代史ドラマスペシャル「大仏開眼~一三〇〇年を見つめた瞳~」(脚本・池端俊策)。9月17日、奈良・東大寺で主な出演者が発表されました。

090918daibutsu.jpg 主人公・吉備真備役の吉岡秀隆さん、阿倍内親王役の石原さとみさん、藤原仲麻呂役の高橋克典さんが、会見にのぞまれました。

【主な出演者】

■吉岡秀隆・・・吉備 真備(下道真備)
 695年、警固番人の子として生まれる。22歳のとき第八次遣唐使として唐に渡り、17年間勉学に努めたのち帰国。日本では唐で学んできた学問や知識を教えながら暮らす事を望んでいたが、その類稀な学才を聖武天皇、光明皇后などに認められ、はからずも時の政治の中枢に重用されていく。頭脳明晰ゆえ理に適わないものは信じない真備だが、やがて聖武天皇から大仏を建立したいという相談を受けて…。鋭い先見性と揺るぎない信念で、最後は右大臣まで登りつめた才人。

吉岡秀隆さんから…
 1300年前に吉備真備(きびのまきび)という男がいた、ということに今はただ恐れおののいています。真備が持つ、頭が良くて先を見通せる人の孤独感のようなものを表現できたらと思っています。少しでも美しい国、いい国にしようと孤軍奮闘する姿を通して、現代に伝わる何か、あるいは僕たちが今を生きるヒントを伝えられたらと思います。

■石原さとみ・・阿倍内親王(孝謙天皇)
 718年、聖武天皇と光明皇后の間に生まれる。皇太子でありながら宮中を抜け出し、お忍びで市場見物をするなど、生来活発な性格。真備の教育を受けるようになって世の中の様々な事を知るようになり、やがて真備と固い師弟愛で結ばれるようになる。飢饉の蔓延、大仏の建立、藤原氏による反乱など時代が大きく動いていく中、32歳の若さで天皇に即位する。

石原さとみさんから…
 壮大なテーマなので、今はまだ勉強を始めたばかりなんですけれど、ちゃんと当時の歴史を勉強した上で、懸命に取り組んでいきたいと思います。実は今回、奈良に来ることが初めてで、もちろん大仏さまも拝見したことがありません。今日これからじっくり拝見して、この初めて見る感動をちゃんと覚えておいて、本番の演技にも生かしたいと思います。よろしくお願いします。

■高橋克典・・・藤原仲麻呂
 716年、藤原武智麻呂の第二子として生まれる。祖父・藤原不比等がつくった「律令」こそが国を正しく導くという信念を持っている。737年藤原4氏が疫病で次々と亡くなり、藤原一族が没落する中にあって、藤原の再興を目論みはじめる。真備と一目会うなり、その才能に惚れこみ、律令による国づくりには真備の力がどうしても必要だとして、真備を自分の側に取り込もうとはたらきかけるが、国に対する考え方の違いから、やがて大きく対立していくこととなる。

高橋克典さんから…
 このたび大役を仰せつかり、身の引き締る思いです。主人公の吉備真備という人は、まさに現代にも通じるような人物に描かれていまして、池端さんの素晴らしい脚本のもと、吉岡さんの深い芝居、石原さんの魅力、そういったものがあいまって皆さんに満足していただける作品になるものと思っています。
 大仏さまが造られたのがおよそ1300年前、その間大仏さまは私たち人間を眺めていらしたんですけど、果たしてこの1300年間で少しは人間は賢くなったのだろうかと、そういったことを問いかける脚本になっています。
 ちなみに私は石原さんの倍の年齢なんですが、役の中では年の近い役ということで、そのへんの私の奮闘ぶりもご期待いただければと思います。

【物語】
 唐で類稀な学才を認められた遣唐使・吉備真備(吉岡秀隆)は、天平6年(734年)、東シナ海の荒波を乗り越えて、17年振りに日本に帰国、平城京の片隅で待つ母、妹と涙の再会を果たす。
 まもなく真備は、招かれた宮中の席で、17歳の美しい娘・阿倍内親王(石原さとみ)と出会う。内親王は問う。「唐の学問は人の心を変えることができるのか?」と。やがて真備は東宮学士として内親王の教育係に抜擢される。以来二人は固い師弟愛に結ばれ、未だ若く脆弱なこの国の中で、変転万化の人生を歩むことになるのだった。
 737年、平城京の権力構造を大きく塗り替える出来事が起こる。日本中を襲った天然痘で、それまで政治に大きな影響を及ぼしていた藤原の四兄弟が相次いで死んだのだ。参議だった橘諸兄はたちまち右大臣に昇進、それに伴い真備と僧・玄 はますます重用される。逆に藤原一族は一気に没落、左遷された藤原広嗣は真備と玄 を名指しで批判して大宰府で兵を挙げた(藤原広嗣の乱)。
 藤原氏による反乱を恐れた聖武天皇は東国へ行幸、その途中の寺で見た盧舎那仏に魅せられ、大仏の建立を思い描く。その頃真備は都で兵を挙げる勢いの藤原仲麻呂(高橋克典)と対峙、今は戦をすべきでないと決死の覚悟で説き伏せる。
 まもなく広嗣の乱は政府軍により鎮圧され、都は恭仁京に移された。聖武天皇は世の混乱が増すごとに大仏建立への思いを募らせる。真備は国が疲弊している今、大仏を造るべきではないと主張するが、僧・行基の不思議な魅力に出会い、聖武天皇との間を取り持つ。「国家の名の下にではなく、庶民の手によって大仏を造ってもらいたい」聖武天皇の大仏建立に抱く思いを聞いた行基は大仏造りの先頭に立つ事を受け入れる。その間、藤原による律令国家の復権を目論む藤原仲麻呂は、次の皇太子候補、安積親王の命を狙っていた。その後、光明皇后に取り入って大出世を果たした仲麻呂は、孝謙天皇を傀儡として絶大な権力を握り、遂には真備を唐に追いやる。そうした激動の平城京で、9年の歳月をかけて造られた大仏の開眼法要が盛大に行われる。
 翌年、真備はある決意をもって、唐から奇跡の生還を果たす。
 そして764年、遂に仲麻呂追討の火の手が上がるのだった…。


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