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新島 襄にオダギリジョーさん 大河「八重の桜」新キャスト発表!

女らしく、という母親の願いをよそに、男まさりに育った少女は、
戊辰戦争の落日、会津・鶴ヶ城に500人の女たちと立て篭もり、銃を持って戦った。
その姿は後に讃えられる、
「幕末のジャンヌ・ダルク」と――。
その名は、新島八重 (1845年~1932年)
「ならぬことはならぬのです」
たとえ「悪妻」と呼ばれようが、
“不義には生きない”会津の頑固女!!

維新後、アメリカ帰りの夫・新島襄の妻となった八重は、男尊女卑の世情の中、
時代をリードする“ハンサムウーマン”となっていく。
そして、会津の仲間とともに“日本初の従軍看護婦”として日清戦争、日露戦争に同行!
“戦う女武士”から“日本のナイチンゲール”へ!
2013年大河ドラマは・・・国敗れてもその地で育まれた会津武士道で、
生涯自分の可能性に挑み続け、すべての人の幸福を願った
会津女・新島八重と、その仲間たちの愛と希望の物語!!

 

■ 新しい出演者発表にあたり ・・・ エグゼクティブ・プロデューサー 内藤愼介
「良き仲間は、性格の異なるもの」
「最モ仲ノヨキ夫婦ハ、性質ノ異ナルモノニアル」という文章があります。これは、主人公・八重が、京都に来て出会い夫となる新島襄が、結婚生活六年目に残したものです。
会津の激動を生き抜いた八重、そしてアメリカで教育を受けた襄はまさに正反対の背景を持っていたにもかかわらず、非常に強い絆で結ばれていました。そんな二人の関係と同じように、明治以降、八重は今回紹介する本来出会うはずのなかった人々と不思議な繋がりで結ばれ、その身の回りに様々な「桜」が咲いていきます。
「八重の桜」というタイトルのもとに集まってくださったキャストの皆さんも、まさに個性豊かな、異彩を放つ存在感の方々ばかりです。だからこそ、襄の言うように「最モヨキ」結び付きが生まれると確信しています。桜のように強い絆をもって、「福島を、東北を、そして日本を元気にする」という志の花を咲かせていきます。是非ご期待ください。

 

■ 新島 襄 ・・・オダギリ ジョー
yae_odagiri01.jpg八重の運命の人・新時代のジェントルマン
上州安中藩士の長男として江戸で生まれ育つ。本名、「七五三太(しめた)」。早くから洋書や洋学に興味を抱き、幕府の軍艦教授所(軍艦操練所)に学び、アメリカの新知識や聖書に感銘を受けたことから命がけの海外密航を決意。吉田松陰が密航を試みた10年後の1864年(元治元年)、日本脱出に成功する。船中で「Joe(ジョー)」と呼ばれ、以後「ジョセフ」とも。洗礼を受け、大学で理学士の学位を取得、神学校在学中に駐米公使に正式な留学生として認められ、岩倉使節団に合流する。帰国後、大学設立に奔走。山本覚馬と知り合い、八重と運命の出会いを果たし、結婚。八重はその言動から「悪妻」と陰口を叩かれたが、襄は「ハンサムな生き方だ」と妻をかばう。1890年(明治23年)、看病する八重に「狼狽するなかれ、グッバイ、また逢わん」と言い残し、46歳で死去。
 

■ 主人公 新島八重 ・・・・・綾瀬 はるか
yae_yae02.jpg会津藩の砲術師範役・山本権八、佐久夫妻の子として生まれる。戊辰戦争時には断髪・男装し、会津若松城(鶴ヶ城)籠城戦で最新銃・スペンサー銃を手に奮戦したことから、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。但馬出石藩(現・兵庫県豊岡市)出身で会津藩校・日新館の教授をつとめる川崎尚之助と結婚したが、戦争前後に別れる。戦後、京都顧問として活躍していた兄・覚馬を頼り京都に。そこで同志社大学創立者となる新島襄と運命的な出会いを果たし、結婚。女は男に従うことが当然視された時代、豪放で周囲からは勝手気ままに見える八重の生き方は世間から「天下の悪妻」と言われる。 日清戦争、日露戦争では、篤志看護婦として傷病兵の救護に奔走。そうした社会活動の功績により、昭和天皇の即位大礼の時には銀杯を下賜される。その4年後、86年の生涯を終える。(八重の旧姓は「山本」。時に、「八重子」と署名することもあった)
 

明治になって八重と関わる人々

■ 山川健次郎 ・・・勝地 涼
yae_katsudi01.jpg山川家の青瓢箪・「白虎隊」から「東大総長」へ
幼い頃の健次郎は、「知恵の山川」と言われた兄・大蔵やしっかり者の姉・二葉らとは違い、身体が弱く「青瓢箪(あおびょうたん)」と呼ばれるほどの弱虫だった。伊東悌次郎らとともに八重に鉄砲や砲術を学ぶ。はじめ入隊を断られるも、籠城戦の時に晴れて白虎隊士に。落城後、苦難にあえぐ会津藩の未来を背負って猪苗代の謹慎所を脱出、長州藩の奥平謙輔の助力を得、17歳でアメリカの名門・イェール大学に留学。その後は学者として東京・九州・京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」と呼ばれる。晩年は「京都守護職始末」編纂の途中で息絶えた兄の意志を引き継ぎ、会津の復権に努める。
 

■ 大山捨松(山川咲子) ・・・水原 希子
yae_mizuhara01.jpg山川家の五女・「鹿鳴館の華」
幼名は咲子。わずか8歳で家族とともに会津籠城戦を経験する。美貌と知性に秀で、11歳の時に、のちに女子教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として1871年(明治4年)、岩倉具視の使節団に加わりアメリカに渡る。母・艶は咲子という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という切なる思いを込めて、「捨松」と改名させる。帰国後、薩摩の陸軍軍人・大山巌と結婚。鹿鳴館時代の社交界の中心となり、「鹿鳴館の華」と讃えられる。しかし会津の元家老の娘・捨松と仇敵・薩摩の大山巌との結婚は、地元・会津にとって衝撃的なニュースで、山川家には抗議の手紙が殺到したと伝わっている。
 

■ 小田時栄 ・・・谷村 美月
yae_tanimura01.jpg覚馬の後妻
御所に出仕した丹波郷士・小田勝太郎の妹とも。激動の京都で、親子ほど年の離れた目の不自由な覚馬を献身的に支える。会津戦争後、八重たちが京都に来た1871年(明治4年)、覚馬との間に久栄が誕生。久栄は徳冨蘆花の自伝小説「黒い眼と茶色の目」のヒロインのモデルとなった。会津に残ったうらと離縁した覚馬と入籍し、八重や佐久、先妻・うらの娘・みねとともに山本家の一員として生活しながら、目と足の不自由となった覚馬を支え続ける。のち、不祥事を起こした時栄を覚馬は許そうとしたが、八重によって離縁させられる。
 
   

■桂小五郎(木戸孝允) ・・・及川 光博
yae_oikawa01.jpg覚馬に信頼を寄せる「維新三傑」の一人
長州藩のリーダー。薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新の三傑」の一人に数えられる。藩校・明倫館で兵学教授の吉田松陰に師事。尊王攘夷運動に暴走する長州藩が京都から駆逐されたのち、潜伏。何事も慎重にことを運んだことから「逃げの小五郎」とも呼ばれる。維新後、新政府の要職を歴任。京都の近代化を推進する槇村正直が「小野組転籍事件」を起こした時、覚馬や八重とともに槇村救済に奔走する。以降、覚馬に信頼を寄せる。1877年(明治10年)、西郷隆盛の西南戦争の最中、「西郷モ大抵二センカ」と新時代の行く末を案じながらこの世を去る。
 
   

■槇村正直 ・・・髙嶋 政宏
yae_takashima01.jpg八重・覚馬と対立する京都府知事
長州藩出身。木戸孝允の推挙で京都府に出仕する。明治天皇が東京に居を移し、京都の政治経済が混乱をきたした際、覚馬を抜擢し、産業革命をともに推進する。京都の豪商・小野組が東京へ転籍しようとした時には、府の財政確保のため、それを阻止した「小野組転籍事件」を起こす。覚馬や木戸孝允の尽力で救出されたが、新島襄のキリスト教学校設立計画では覚馬と激しく対立、覚馬は京都府顧問を罷免され、八重も女紅場を免職させられる。槇村にとって八重は煙たい存在だった。1879年(明治12年)、初代府会議長に選出された覚馬に糾弾され、1881年(明治14年)、知事を辞職し京都を去る。
 

■大垣屋清八 ・・・松方弘樹
yae_matsukata01.jpg会津を支えた京都の顔役
京都の大名藩邸の御用達を受けていた人足口入れ業の元締で、資材の調達や土木工事、情報提供などしていた。学問や武術の心得があり、「京の顔役」として君臨する。京都に攘夷の嵐が吹き荒れ、治安が悪化する中、会津藩を陰日向になって助ける。覚馬の新しい考え方や真摯な姿勢に感銘を受け、薩摩藩に覚馬が捕らえられた時には、不自由な身の覚馬の元へ小田時栄を世話する。のちに養子・大澤善助らとともに新島襄から洗礼を受ける。
 
 

     

覚馬、そして八重に影響を与える幕末の偉人

■吉田松陰 ・・・・小栗 旬
yae_oguri01.jpg覚馬と同門・海外渡航を夢見た長州の若き指導者
長州藩藩校・明倫館の兵学教授。通称・寅次郎。江戸遊学の際、山本覚馬も学ぶ佐久間象山塾に入り、のちの長岡藩大参事・小林虎三郎とともに「象山門下の二虎」と呼ばれる。東北を旅した松陰は会津を訪れ、藩校・日新館を見学した。その後、黒船来航に衝撃を受け、海外渡航を企てるが失敗。密航事件に連座し、師・象山も国元蟄居となり、塾は解散することになる。帰国し萩の自宅蟄居中、松下村塾を開いた松陰が育てた若き長州藩士たちが、松陰の処刑後、長州藩政を揺るがし、明治維新の起爆剤となっていく。その後、会津と徹底的に敵対していくのは、皮肉にも松陰の愛弟子たちである。
 

■佐久間象山 ・・・・奥田 瑛二
yae_okuda01.jpg覚馬、吉田松陰、勝海舟の師…すべてはこの男から始まった
松代藩士。幼い頃から神童の誉れ高く、文武の才に秀でていた。お台場を築造した江川太郎左衛門英龍に西洋砲術を学び、電信実験やガラスの製造、地震予知器の開発など、西洋学を極める。象山が開いた塾には、覚馬をはじめ、勝海舟、吉田松陰、河井継之助、橋本左内、坂本龍馬など、その後の日本に影響を与える俊英たちが思想を越えて集まってきた。自著に「20代は藩単位で物事を考え、30歳を過ぎると日本のことを考え、40歳以降は全世界のことを考えるようになってきた」と告白するように、高いレベルから幕末の騒動を一人俯瞰して捉えていた。松陰の密航事件による国元蟄居を赦免された後、幕府の命で上洛、京都守護職勤番を勤めていた弟子の覚馬と密に会合する。
 

 

物 語
 明治元年(1868年9月)。板垣退助率いる新政府軍に対し、最新のスペンサー銃を会津・鶴ヶ城から撃つ女がいる。山本八重、後の新島八重(23)である。――会津藩の砲術指南の山本家に生まれた八重は広い見識をもつ兄・覚馬を師と仰ぎ、裁縫よりも鉄砲に興味を示し、会津の人材育成の指針“什の掟”(子弟教育7カ条)「ならぬことはならぬもの」という理屈ではない強い教えのもと、会津の女として育っていく。
 八重17歳の頃(1862年)、会津藩主・松平容保が京都守護職に任命されたことで会津の悲劇は幕を開ける。兄・覚馬ら会津軍は西郷隆盛率いる薩摩軍と蛤御門の変で長州軍を破る。そして薩摩の寝返り、日和見主義の諸藩の動きの中にあって忠義を貫く会津藩。しかし、鳥羽・伏見の戦で幕府軍は敗れ、会津は新政府軍から「逆賊」として扱われる。新政府軍との力の差は歴然。女や子どもを含め、多くの仲間が次々と死んでいく中、鶴ヶ城籠城戦で男装し、自ら銃を持ち夫・川崎尚之助とともに最後まで奮戦した八重だったが、白虎隊隊員たちの無念の死や、夫との別れを経て、会津戦争の敗北を自らの中で受け入れていく。途方もない喪失感の中、八重はそれまでの生きがいであった鉄砲を捨てる。
 逆賊、時代遅れ・・・。そう世間に罵られる中、八重と会津の仲間たちは新たな生き方を模索。再び兄を頼り京都へ、そこで「知識」という新たな生きがいを得る。鉄砲から知識へ。手にする武器は変われども、女ながらに「ならぬことはならぬもの」と会津のプライドを貫く八重は、京都でも存在感を増し、アメリカで西洋文化に触れた青年・新島襄をも魅了、結婚する。封建的風潮の残る中、男女の平等を望む八重は、西洋帰りの夫を「ジョー」と呼び捨てにし、レディーファーストを取り入れる。その奇妙でおかしくもある夫婦関係を世間が罵っても、八重はまるで気にしない。その生きざまを夫は「ハンサムウーマン」と称した。
 日清、日露戦争が起こると、会津戦争の原風景が残る八重は、仲間とともに篤志看護婦として名乗りをあげる。戦場に女が赴くなど考えられなかった時代、八重たちは果敢に行動していく――。

 

放送開始:2013年1月6日(日) 全50回
制作スケジュール:2012年9月3日クランクイン

これまでの大河ドラマ「八重の桜」関連記事
◆キャスト発表第二弾
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2520/121837.html
◆キャスト発表第一弾
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2520/121837.html
◆番組概要
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/86512.html
◆題字、音楽について
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/116173.html


大河ドラマ「八重の桜」番組ホームページ

 

 


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