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"岡本太郎"をつくった人々。土曜ドラマ『TAROの塔』

"岡本太郎"をつくった人々。
土曜ドラマ『TAROの塔』

あの、伝説の芸術家・岡本太郎の生涯が史上初のドラマ化! 彼はいかにして"岡本太郎"となったのか・・・。 その知られざる全貌が、衝撃的映像となり、ついにベールを脱ぐ!








2011年2月26日。岡本太郎、生誕100年。
存命ならば、岡本太郎が100歳を迎えるこの日。運命的にも、土曜ドラマ『TAROの塔』がスタートします。岡本太郎の人生を初めてドラマ化する今作は、「日本万国博覧会(大阪万博)」のシンボル"太陽の塔"が完成するまでを基軸に、太郎がその生涯を全うするまでを描きます。

岡本太郎本人の強烈なインパクトはさることながら、彼の生きた時代、ともに過ごした人々も実に色鮮やか。現代に名を残す明治の文壇たちがまだ活躍していた明治末期に生まれ、18歳で二つの戦争の狭間で文化が交錯する1930年代のパリへ留学パブロ・ピカソ、思想家ジョルジュ・バタイユらと出会い、画家として修行を重ねる中、ナチスのパリ侵攻により帰国、太郎本人も戦地行きを余儀なくされます。そして戦後、東京オリンピック、大阪万博が開催され、日本が国際舞台に躍り出た、高度経済成長期(上野動物園にパンダが来たのもこの頃ですね)。世界的建築家・丹下健三、SFの巨匠・小松左京、日本前衛絵画の先駆者・東郷青児ら、そうそうたる人物たちと才能をぶつけ合う中、彼の芸術家人生において欠くことのできない女性、平野敏子に出会います。

立ち止まっている暇もなかったであろう激動の時代に、芸術という武器を携え、先端を走っていた岡本太郎。彼は、いかにして芸術に目覚め、葛藤し、今もなお人々を魅了して止まない作品の数々を、この世に残していったのか。彼の生きた時代、そして、岡本太郎という人間を創り出した人々とは・・・?


"岡本太郎"の原点をつくったもの。
「岡本太郎って、どんな人?」
万博を知っている世代ならもちろん記憶のどこかに留まっていることでしょう。万博より後の世代の人たちには、昔テレビCMで「芸術は爆発だ!」と叫んでいた、ちょっと変わったオジサン?さらに、今の10代の若者なら、映画「20世紀少年」で出てくる、ともだちの塔を創った人?・・・なんて言う人もいるかも知れませんが、やはり、どの世代も共通して持っているのは、"奇妙奇天烈(キテレツ)な芸術家"という印象ではないでしょうか。

でも、彼は、生まれた時から"奇天烈"だったわけではありません。皆が知る"岡本太郎"となる原点をつくったものは何か?それは、他ならぬ「岡本家」とその人々。母は小説家であり歌人の岡本かの子、父は漫画家である岡本一平。文字通り、芸術一家の一人息子として育った太郎。"芸術の聖家族"と称賛された岡本家ですが、実はこの両親こそが、とんでもない、まさに"奇天烈"な人物だったのです・・・。

母・かの子は、300年続く大地主の家に生まれた、いわゆるお嬢様。幼い頃から芸術教育を受け、とにかく"我が子よりも芸術"とばかりに詩作に傾倒していきます。芸術のこと以外一切見えず、童女のままのように純真なかの子。その狂おしいまでの芸術熱は、自分の愛人を同居させていた(あり得ない!)という、あの有名なエピソードにつながっていくのです。



父・一平は洋画家を目指していたものの、生計を立てるために書いていた新聞の4コマ漫画を、なんと、あの夏目漱石に認められ、「総理大臣の名前は知らなくとも、岡本一平の名を知らぬ者はいない」と言われるほどの、国民的漫画家として一世を風靡。洋画家の夢をあきらめきれず放蕩を繰り返す中、自身の生涯をかの子の芸術のために捧げることを決意し、かの子と太郎を芸術の都・パリへと連れて行きます。

あり得ない愛人との同居生活は、父・一平の承諾のもとだったというから、驚きです・・・。そして、幼き日の太郎は、芸術に狂い、もがき苦しみながらも己を貫き続ける母の姿に、「神聖感と共感を感じていた」というから、さらに驚き!まさに、この頃から、太郎の非凡な才能は開花し始めていたというわけです。それを思うと、岡本家にとっては、愛人との同居生活だって、あり得ないことではなかったのでしょう。この感覚、凡人には理解しがたい・・・。

こうして、すべては芸術のもとに、芸術を追い求め、芸術に翻弄されながら生きてきた岡本家。芸術の神に導かれるようにして渡ったパリは、太郎の芸術に決定的な影響を与え、芸術家としての礎となります。 しかし、時は1939年、第二次世界大戦が勃発、太郎はパリから帰国し、戦争に送り出されることに。戦地から戻った太郎が見たものは、辺り一面の焼け野原、焼失して跡形もない自身の作品・・・。
「新しい芸術は、岡本太郎が始まる」
戦後、太郎はこれまでよりも数倍もエネルギッシュに、芸術の戦いへの道を駆け上がっていきます。


万博をともに戦った"盟友"。
戦争を経て、先鋭的な芸術運動に邁進し、時代の先端を突っ走っていた岡本太郎。芸術家としてノリにノっていた彼が挑んだ、とてつもなく大きなもの。それこそが、このドラマの核となる「日本万国博覧会(大阪万博)」。この万博のプロデューサーに就任した太郎は、「人類の進歩なんかくそくらえ!」と、そのテーマに真っ向から異を唱え、戦いを挑んでいきます。ここで忘れてはならないのが、丹下健三小松左京。太郎をこの戦いに巻き込んだ張本人でもあります。

丹下健三とは、第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がけ、「世界のタンゲ」として数々の時代のモニュメントを残した、世界的建築家。この頃すでに、旧東京都庁舎、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京オリンピック国立屋内総合競技場(代々木体育館)を手がけ、世界にその名を轟かせていました。近年では、新東京都庁舎などを手がけた人、と言えば、そのすごさがわかるでしょうか。旧東京都庁舎の「日の壁」「月の壁」や、代々木体育館の「競う」など、丹下の手がけた建築物には、太郎の作品が多く設置されており、万博以前から、ともに作品を生み出してきた二人。万博で総合プロデューサーを努めた丹下は、太郎と互いの芸術性を戦わせながら、万博開催へと突き進んでいきます。

同じく、万博のテーマ館のサブテーマプロデューサーを努めたのが、小松左京 星新一、筒井道隆とともに"日本のSF御三家"と呼ばれ、数々の名作を残しています。「首都消失」「さよならジュピター」、SMAPの草彅くんが主演した「日本沈没」などは、この小松左京の作品。類いまれな想像力と豊富な知識を買われ、万博プロフェクトに参画。胎内空間のような"太陽の塔"の内部展示を考え出すなど、太郎の片腕として、その力をいかんなく発揮していきます。


そして、もう一人・・・
秘書として、女性として、誰よりも近くで太郎を支えた平野敏子。太郎が万博に挑む上で、いや、芸術家として生涯戦う上で、もっとも欠くことのできない存在となっていきます。パートナーであり、実質的には妻のような存在であった彼女ですが、後に太郎の養女となる決意をします。彼女もまた、芸術に翻弄された女性といえるかも知れません。




『なんじゃこりゃ!?』を目撃せよ!
この登場人物を見ただけでも、岡本太郎のまわりには、熱く濃いメンバーが名を連ねていたことが、皆さんにもお分かりになったはず。

07_taro_10225.jpg とんでもない人たちが肩をならべていた、とんでもない時代。その、この有り余る才能たちがぶつかり合って生まれたエネルギーが、"太陽の塔"というベラボーなものを打ち建てた、と言っても過言ではありません。丹下健三が設計したお祭り広場の大屋根をドーンと突き破り、そびえ立つそのパワーは、まさに、「芸術は爆発だ!」なのです。 太郎を演じた松尾スズキさんは会見で、「奇天烈な感じをどこまで真似していいのか悩んだけど、僕の感じる岡本太郎をぶつけてみました」と演じるにあたって、かなりの葛藤があったことを語っていましたが、これがいやはや、すごくハマっていて、違和感なくグイグイと作品に引き込まれていく感じ。

そんな松尾さんをはじめ、出演者たちに「なんじゃこりゃ!?」と言わしめた、土曜ドラマ『TAROの塔』。未曾有の映像は2月26日よる9時解禁!ぜひ、皆さんの目でお確かめください!

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