台本の準備稿を読んで、大友演出と仕事をしたいというのがあって、まずはね。僕の撮り方は賛否両論で、自分のスタイルで推し進めて行くというイメージが強いんだけども、それに負けないパワーを持った人とやることによって、新しいものが見えてくればいいなと。人に見せるということは、それなりの自我に目覚めるようなことをやっていかないとね、ベルトコンベア作業になっちゃうから。白洲次郎はデータがまるで無い人間だから、新しい人物像を作れるかもしれない、みたいなことがあってかなり早い段階で手を挙げましたね。
とにかく“客観的”な撮り方をしたくなかった。チャンネルを合わせた瞬間に“なんだかすごい世界観が出ている”ことで惹きつけたいと思って。
美術は都築さんという力持った人が、衣装も伊藤さんが入ってきてくれて、そのまま撮っても絵になるんだけどそれでは撮影担当的には負けだと。皮膚が呼吸してるくらいの距離で「そこまでみなさん熱く生きてますか」みたいなところを出したかった。前後のシーンのつながりも忘れてしまうくらいのインパクトで表現していく。今のテレビってものすごくわかりやすく作ってるから、思考させる部分を作り手がちゃんとやらないと簡単にチャンネルまわされちゃう。いいもの、きちんとしたものを出すと見てくれますよ、なんだかんだ言っても。
計算がつかないことだね。カット割が無く、ドライリハーサルで芝居がかたまって現在進行形でどんどん進んでいく、考えて選択して捨てて。その場その場だよね。「どうしますか?」って聞かれてそれを変化球でかわす会話をしてるようじゃもう遅いんですよ(笑)直球で来たら直球で返すしかないっていうね。そのへんが面白かったんだよな〜結局ね。
僕らの仕事で一番大切なのは「マン・ウォッチング」であって、普段電車に乗っていても歩いていても仕事でも趣味でも、人が何を考えているのかとか、その表情もそうだし、そこからこの仕事の引き出しが広がっていくと思うんですよね。最後には「人って何が面白いか」にいきつくと思うんです。
セクション(演出・技術・美術)はお互いの欲求の対決、敵同士だから。それにどこまでこちらが負けないようにいくか。ある意味ではテレビ畑出身と映画畑出身の対決みたいなもんだから(笑)テレビだってやればここまで出来るんだっていう。
伊勢谷くんが1・2を撮ってから3までに時間が空いて撮ったときに、かなり変わっているのを感じて、それは何なんだろうと思ったときに、“いい意味で進化していく”というのが一番の答えじゃないかと。すごく素敵なことですよね。終ってないんだよねきっと、この番組に携わった人は。終らないまま次の目標に向かって走っているというか。そうじゃないとこの番組やってる意義がないし。ただ「すごい」でもいいけど、僕らの若手の後輩たちもそうだし。
オリジナリティはみんな違うから。その中で何を極めていくかというヒントはものすごくあると思うんだけどね。
やっぱり本多のところでしょう、3話の。あの夜の長いシーン、雨の中来て。つまりその、次郎に似ているんじゃなくて、“伊勢谷次郎”だよね。“伊勢谷次郎”が“白洲次郎”を超えた瞬間。もうそれしか言いようが無いんだけど、セリフよりも“なり”だよね、セリフを喋った後の“さま”というのか。
声もそうだし、表情も、目の力も。あと今回有効に使えた「煙草の煙」も、全てがはまったのがあそこだよね。ああここまで来たんだなっていう。伊勢谷君の集大成があそこに来たのかなと個人的には思いました。何をどう撮っても様になったシーンだったからね。
大友はハゲタカでブレイクしたと思うんだけど、大友・井上・堀切園は今のNHKドラマの中でも一番個性的な連中だと思うね。大友は毒、堀切園は刃、井上は人間、と思ったの。彼らの演出を見てね。別に悪いことじゃない、特徴だと思うんだけど、人間が人間であるためにどうであるかという。面白いことにハゲタカのテレビ版は演出で三者三様なんだよね。
ひとことで言えれば楽なんだけど、そうじゃないから面白いのかな。不思議な人だよね。一言で言えちゃう人間はつまんない。もっともっとほじくりたい、真ん中まだ出てくるんじゃないかなという気がするね(笑)ひとつの頂点に向かってスタッフをどう士気を盛り上げていくかが上手いよね。
一言で言えればいいんだけどね・・・「謎の男」だね(笑)
“黒をどう表現しよう”という、薄っぺらいドラマにはしたくなかったんで、“重厚な”とまでは言わないけど、黒を画面の中にどう入れるかのこだわりは、全シーンにありました。役者さん達を見ていると嘘をつけないというか、実在の歴史上の人物なのでなるべくそこはこだわって。ロケでは現代物(=ロケ場所にもともとある、番組の時代設定に合わない現代の建築物等)は見せてはいけないし、戦時中の空気感であったりとか、もろもろ考えて黒の部分を生かして撮るのが一番いいんじゃないかと思いましたね。
GHQの壁の黒と、武相荘の部屋の壁の黒い質感とを、どう違う効果で見せるかはものすごく悩みました。GHQには、光は差し込めるけど、どこか「シャープさ」を作りたい。武相荘は、黒い壁に光を当てることは同じだけど、やわらかくフラットにしたい。それは自分の中ではうまくいったんじゃないかなと感じていますね。
一番うまくいったのは、近衞文麿の家のスタジオセット。都築さんのセットがもう本当に、今まで見たことないようなセットを作ってくるから。収録前に話を聞いて、近衛首相は「死に体」なんだと、そういう雰囲気をこのセットで出せればいいなと言っていて。で、どうしようかなとすごく考えました。
やっぱり坪庭(近衞文麿の家の中庭の部分)には光を当てるけど、それは「死んだ光」なるべく「生き生きとしていない光」を目指そうと思いました。ほんのちょっとした黒の生かし方とか質感、スモーク、微妙な色調整であったりとか、それが全てマッチしたような気がしますね、あのシーンは。
大変な時はありました!ワンシーンを途中で止めずに全て撮るんですが、カメラマンは常に180度くらいどこからでも狙えるような角度で撮っていくなかで、照明が入って行ける範囲はものすごく限られるんです。本当は全体的にスモークを散らしたいんだけれども、ひとつの明かりによってそこだけに集中したり、そのへんは大変でしたね・・・。大変でしたが、全シーンにおいてスモークをやっておいて良かったなと思いましたね。全編を通じたスモークの効果・質感はとても良く出来上がっていると思いました。
うまいこと言うなあ(笑)でもまさにそんな感じでした、毎日全力で駆け抜けてたって感じですね。スタッフが誰ひとりとして手を抜いてる人はいないんですよ。僕にとってはこの現場で真摯に向き合って、常に緊張して全力で照明をするっていうことだったんですが。みんなそれを同じように思っていたという確信があって。こっちが100%出したら向こうも100%返してくれるという。それが現場で気持ちよかったですね。
う〜ん、嬉しいですけど、逆に中谷さんに申し訳ないという気持の方が。普通なら、やわらかい照明にすればもっと綺麗になるのになというシーンも、中谷さんには何も言わず我慢してもらったという・・・。
ものすごい綺麗な方だし、(正子は)若い頃から晩年までを追っていくわけじゃないですか、年を追うごとにだんだん綺麗になって、最後が一番綺麗になっちゃったという。白髪の老けメイクをしたりするので、照明をどう当てていくかを相談しましたね。いかに年老いたふうに見せなければならないか、というジレンマがありました。でも綺麗になっちゃいました(笑)
何も明かさないんですよ細かいことを。大まかなビジョンはあるけれども細かいことはあまり言わないので、逆に期待に応えなきゃという気持はありましたね。現場でも僕がきりきりまいになってるのを横で見て、すごい楽しんでるんですよね、それが逆にけっこう嬉しくて。時間も無い中で、昼間のシーンを夜までかかって撮るってよくあったんです。それを逆に楽しんで、そういう雰囲気をみんなに示してる。“こんなになっちゃってるけど、みんなで頑張っていこうよ!”みたいな雰囲気を作ってくれて。
あのスタイル、台本にカット割もしないし、何度もドライリハーサルをやって、役者さん達に“まず動いてくれ”と。それをスタッフに見させて“みんな見てろよ、僕が欲しいところはあれだけどみんな分ってるよな”と、いう雰囲気を感じるんですよね。その雰囲気を作りあげる大友さんはすごいと思うし、これってドラマの本質なんじゃないかなと。だからやってて面白いんですよね。