八日目の蝉とは〜ドラマのみどころ

NHKドラマ 八日目の蝉

八日目の蝉とは―ドラマのみどころ

「私はもう、今までの私とは違う。私はこの子の母なのだ。」不実な男との実らない愛。男は女が母となることを否定するかたわら、妻との間には子をもうける。絶望の中、女はその子を奪う。母になるとは、女として生きるとは・・・。血のつながりを越えた母子の5年半にわたる逃亡劇。現代的課題に真っ向から向き合うドラマです。

原作者のことば…角田光代

 『八日目の蝉』は私にとってはじめての新聞小説で、毎日締め切りがあることに緊張していたのを覚えています。とにかく毎日読んでもらえるように、必死でした。購読層が多い媒体なので、いろんな世代の方からお手紙を頂き、うれしくて泣いたこともありました。

 けれど小説は私の手を離れた時点でひとり歩きをしていくと私は思っています。そのときから、私のものではなくなるのです。ドラマにしていただく『八日目の蝉』は、だから私の書いた物語ではなく、ドラマの作り手の方々のものです。どんなふうなドラマになるのか、どんな希和子や恵理菜と出会えるのか、原作者としてではなく、いち視聴者として心からたのしみにしています。

脚本家のことば…浅野妙子

 愛とは何かが、このドラマのテーマです。陳腐な言い方になりますが、人は愛がなければ生きていけない。そして、追いつめられた状況においては、愛されることよりも、むしろ愛することによって、生き延びようとするものだと思います。ヒロインの希和子がそうです。恋人に裏切られ、子どもを堕ろし、何もかも失った時、彼女は、血の繋がっていない、一人の赤ん坊を薫と名付け、我が子として愛することによって、生きることを選択しなおしました。必要とあれば、人は生きるために、愛を作り出すのです。

 このような愛を、純粋と見るか、不純と見るかは、人によって意見の別れるところでしょう。でも、薫がいなければ――薫を愛さなければ、希和子は生きていくことが出来ませんでした。その意味で、希和子の薫への愛は、なんの見返りも求めない、ただ、与えることによって成立している純粋な愛だったと言えるのではないでしょうか。愛することを求めて疼いていた希和子の心が、ベビーベッドに寝ている薫を見た瞬間に、スイッチが入ったように薫に向かって愛を放射し始める――そういう心の動きが、私には理解できるような気がしました。

 角田光代さんの原作が高い評価を得ているのも、その愛のありようが、人の心をうつからだと思います。今回、この原作を脚色するチャンスを得られたことは、私にとって、大きな喜びでした。「八日目の蝉」は、母と娘の物語ではありますが、希和子と薫のラブストーリーのつもりで私は書きました。希和子の薫への愛は、それほどに純度が高く、いつか来る終わりを予感して哀しく、片思いにも似た切なさに溢れています。そして、その片恋が、最後にひっそりと、まるで生きてきたご褒美のように彼女の気づかないところで報われる美しい瞬間も、ここには描かれています。

 どんな寂しい人生も、愛すればそこに光が差すと教えてくれているような、この優しい作品が私は大好きです。

制作のことば…黒沢淳(テレパック)

 いっときでも、一瞬でもいい、人を愛した記憶が存在すれば、人は生きていける。たとえすべてを失ってしまっても、その記憶だけで―――それは、我が子を抱き上げた時の重みであったり、愛する人と共に見た風景だったり、遠い昔に母が投げかけた一言だったり・・・。「母性」という永遠のテーマを真摯に問う、敬愛する角田先生の名作。逃亡劇ならではの、出会いと別れのせつなさ。いつか終りがやってくる、愛する我が子との日々。「どうか、一日でも長く、この子と一緒にいさせてください・・・」そんなヒロインの祈りを、視聴者の皆様も共有してくだされば幸いです。スタッフ・キャスト一同も、まさにヒロインと同じ思いで、我が子をいつくしむように制作に励んでおります。

【原作】角田光代「八日目の蝉」
【音楽】渡辺俊幸
【主題歌】城南海(きずきみなみ)「童神 〜私の宝物〜」
【演出】佐々木章光 藤尾隆 
【制作統括】大加章雅 黒沢淳(テレパック)