スタッフブログ

倫理の先生からのメッセージ②~彼女たちの現実~

倫理・哲学の専門家・先生たちから「ここ倫」へメッセージを寄せて頂きました。
今回はフェミニズム、ジェンダー論の専門家・稲原美苗先生が女子生徒たちの物語を読み解きます。
“豊かな知識への架け橋”となるお勧め本もご紹介!


 セクシュアル・コンセント(性的同意)〜逢沢いち子〜

rinri_210216_01.jpgのサムネイル画像第1回で高柳は、「合意ですか?」と言って、いち子とマサヤとの情事の現場へ入ってきました。この「合意」は、「セクシュアル・コンセント(性的同意)」のことを指します。

たとえば、恋人同士がデートに行き、キスやハグなどを含む性的行為をする前に、両者がお互いにその行為を「やりたい」と確認することをセクシュアル・コンセントと言います。たとえ自分がキスしたい、セックスをしたいと望んでいたとしても、相手が必ずしも同じ気持ちだとは限らないのです。そのため、性的行為は必ず、お互いの意思を尊重し、「合意」の上で行わねばなりません。つまり、「合意」がない場合の性的行為は、強姦(レイプ)やセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)だと捉えられてしまいます。

性的行為を望まない場合、明確に意思表示をすることは重要です。しかし、マサヤといち子の関係もそうでしたが、「相手が言葉で断らなかった」というだけでは、必ずしも「合意している」ことにはなりません。まして、日本には昔から「嫌よ嫌よも好きのうち」という、女性を軽視するような表現があります。この表現は、男性から性的な誘いを掛けられた女性は、うわべでは嫌がっていても好意がないわけではないという意味として使われることが多いようです。つまり、男性が無理やり性的行為をしやすいように、女性の気持ちを歪められているようにさえ感じます。

私は、オーストラリアで留学を始めて間もなく、学生寮の世話役をしていた上級生に「セクシュアル・コンセント」について教えてもらいました。その際にアドバイスされたことを今でも思い出します。「NoはNoだけど、YesでもNoの時がある」と。「自分だけ良ければではなく、相手も自分も楽しんでする行為であれば、とても素晴らしいことなんだ」と。その時、日本のあの表現とは逆だと気づきました。自分のことも相手のこともお互いに尊重すること、そこから真の「合意」が生まれるのではないでしょうか。

 

承認欲求とコンプレックス〜深川時代〜rinri_210216_02.jpg

「承認欲求」は、アメリカの心理学者マズローが人間の欲求を5段階階層として理論化した中に出てくる用語です。承認欲求とは、簡単に言えば、自分を他者に認めて欲しいという気持ちのことです。この気持ちは、私たち誰もが持っている当然の気持ちであり、必ずしも悪いものではありません。しかし、この気持ちにはネガティブな側面もあり、そのコントロールに失敗すると、自分にも周囲にいる他人にも牙を剥く魔物となりえます。

第3回に登場した深川時代は、この承認欲求が非常に強かったとも考えられます。ドラマの中で、時代の妹である杏奈の存在が明らかになりました。杏奈が同じ高校にいて、文化祭のミスコンに出場するというシーンでした。皆から認められている妹に羨望し、時代自身は何らかのコンプレックスに悩んでいるという印象を、視聴者としての私は持ちました。時代は自分自身を性的なアイコンとして松田に近づき、彼の心を鷲掴みにしてしまいますが、それは松田が好きだからではなく、ぽっかり空いてしまった気持ちを埋めようとしたからです。

時代がコンプレックスで悩んでいるのは、実は、彼女の容姿が原因ではありません。私自身、身体障害と共に生きており、20代の頃に時代と同じようなコンプレックスを持っていました。とても残念なことなのですが、当時の私は、健常者の妹に対して嫉妬していたと思います。でもそれは、妹と自分を比べてしまうきっかけがあったからです。周囲の人々に「障害がなかったら、モテモテだったのに!」「障害者は結婚できない」「障害者でかわいそう」のようなことを言われ続けていました。つまり、容姿に対するコンプレックスのほとんどは、周囲から言われたことが心の奥深くに残っていることによって、もたらされています。時代のコンプレックスの真の原因は、彼女の容姿ではなく、妹と比べて「周囲の人々から承認されず愛されなかった」という心の叫びだと思います。大勢から承認されるよりも、少数であっても親しい人々に承認される方が、自分らしく生きていけるのではないでしょうか。

 

自分の身体を生きる〜高崎由梨〜

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第5回の最初、高柳はデカルトの心身二元論を紹介していました。これは心と身体を二分し、身体を物体(心より劣った存在)とする捉え方です。この心身二元論を克服するために、メルロ=ポンティというフランスの哲学者は、現象学的な身体論を唱えました。彼は人間の「両義性」について考え、身体は一方では物体、他方では精神だと解釈しました。つまり、彼は心が身体の外にあるというのではなく、身体の内にあるのだと捉えたのです。人間は身体を「持っている」のではなく、身体を「生きている」のです。

高崎由梨は自傷行為を続けていました。彼女は、自らの痛みを自分のものだと認識し、自傷することによって、母親の呪縛から解放されるような感覚を持ちます。由梨は保健室登校の都幾川幸人とひょんなことから仲良くなりますが、倫理の授業中、由梨が自傷行為をしているところを幸人が目撃してしまいます。パニックを起こした幸人は由梨に近づき、その行為を止めようとします。

後半の保健室でのシーンが印象的でした。幸人が由梨を抱きしめて、「大切にして、高崎さんの大切な身体だから」と言います。幸人に抱きしめられた由梨は「私の身体?」と呟きながら、彼女の「生きている」身体を感じたのではないでしょうか。高柳は身体的な触れ合いを求める幸人を受け入れられずに、自らの倫理観に葛藤していましたが、彼も自分の善なるものを問い直し、自問自答しています。葛藤から出てくる問いに対する答えは、一つではありません、相対的に変容します。

私自身、脳性麻痺という障害と共に生きていますが、私の身体を含めるありのままの自分を受け入れることがなかなかできませんでした(現在も障害受容できていません)。他者からの眼差しを気にしていた思春期は葛藤の連続でした。「生きる」ということは本質的に身体があることから始まります。自分の身体を「生きられていない」とは、どういう状態だと思われますか。

 

<お勧め本>
稲原美苗・川崎唯史・中澤瞳・宮原優 編『フェミニスト現象学入門―経験から「普通」を問い直す』
この本は、マジョリティ中心の哲学がこれまで無視し続けてきたマイノリティ側の経験を言語化し、それまで哲学に存在していなかった人々(マイノリティ側にいる人々)と共に生活の中で生じてくる問題について丁寧に考えるきっかけをつかめるように工夫されています。身振り、月経、妊娠、出産といった女性特有のテーマから、人種、障害、男性、トランスジェンダー、カミングアウト、老いなどの経験まで読者の皆さんに幅広く考えてもらえる入門書です。当事者たちの経験を記述し、マイノリティ側から私たちが内面化している社会(マジョリティ)の「普通」「当たり前」「規範」を問い直しています。この番組をご覧いただいている視聴者の方々に「この世界に生きるということはどのような経験なのか?」ということをさらに考えて頂けると思います。ぜひお読みください。


稲原美苗
神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。2007年英国ハル大学大学院哲学研究科博士課程修了。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)上廣特任研究員、大阪大学大学院文学研究科助教などを経て、2016年4月より現職。専門は、ジェンダー論、フェミニスト現象学、障害の哲学、臨床哲学。著書に『Abject Love: Undoing the Boundaries of Physical Disability』(VDM Verlag, 2009年)など。


よるドラ「ここは今から倫理です。」

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ミニ番組「ここはぺこぱと倫理です。」

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投稿者:スタッフ | 投稿時間:16:30 | カテゴリ:ここは今から倫理です。

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