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よるドラ「ここは今から倫理です。」神戸先生に聞いてみよう①~老子の言葉

高柳(山田裕貴)がドラマの中で引用する言葉の数々。かっこいいけど、どんな意味が込められているのでしょう?
高校倫理考証 神戸和佳先生に詳しく解説してもらいました!


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第1話の最後、校庭の隅で高柳が恭一にかけた言葉、聞き取れましたか?
善なる者はなんとやら、早口言葉みたいで難しかったですね。少し詳しく見てみましょう。

高柳が引用したのは、中国の思想家である老子の言葉です。
「善なる者は吾これを善とし、不善なる者も吾これを善とす。徳は善なればなり。」
言い換えると、「私は、善い人のことは善と考え、善くない人のことも善と考えます。人の心はみな善だからです」といった意味になります。

それにしても…。
「いじめられっ子に寄り添える『いい先生』になりたい」と熱く語る恭一に、高柳はどうしてこんな言葉をかけたのでしょう。

恭一には、中学校でひどくいじめられた経験がありました。
そんなつらい経験をしたら、私ならすっかり落ち込んで、何も手につかなくなってしまいそうです。
でも、恭一は立ち上がって、その経験を糧に、将来は立派な先生になろうと努力している。
すごいですよね。なんて強くて、かっこいいんだろう。
高柳も「とても立派です」と声をかけていましたが、これはきっと本心だと思います。

けれどそんな恭一はほかの人にとても厳しいところがあります。
たとえば、教師たちの小さな欠点がどうしても許せない。高柳が喫煙者だというだけですっかり幻滅してしまっていました。
それに、少し危ういことも言っていました。
いち子に「どうせアンタみたいな奴が読んだってわからない」と言葉をぶつけたり、
「あんな連中のことなんて関係ないだろ、恭一…」と逃げ出しそうになったり。

恭一は、いじめられて苦しむ人の味方になって寄り添いたいと思うあまりに、
「いい」人と「ダメ」な人、「いじめられっ子」と「あんな連中」など、
人々をとても厳しい基準でジャッジして二種類に分ける見方に陥ってしまっています。
強く生きようとする恭一はとても立派だけれど、もしもその見方のままで教師になったら・・・?
もしかしたら、マサヤやいち子のような「あんな連中」は関係ないと、見捨ててしまう先生になってしまうかもしれません。
それに、他人や自分自身のダメなところを、日々否定しながら生きていくのは、少し苦しいことのようにも感じます。

高柳は老子を引用することで、そんな恭一に、それとは別の見方もあるよ、と伝えたかったのではないでしょうか。

老子は、善悪や美醜のような区別は人為的・作為的なものと考え、それよりももっと根源にある「道」を重視しました。
老子が理想としたものの一つは「水」です。「上善は水の如し」という有名な言葉もあります。
水は、柔らかく弱くて、いろんなものに自分の姿をあわせながら恵みを与えて、そして低きに流れていきます。
それでいて、いざというときには硬い岩を砕いてしまうような強さもあります。しなやかな強さです。

もうひとつ、老子が理想としたものに、「赤ちゃん」があります。
高柳が引用した箇所(『老子』第49章)も、実は「赤ちゃんのようになる」という一節で終わります。
赤ちゃんは、世界で一番弱いもののように思われますが、実はそんな赤ちゃんが最強なんです。
たしかに、赤ちゃんに善いも悪いもなさそうですよね。「邪悪な赤ちゃん」というのはあまりいそうにありません。
すべての人を赤ちゃんのように見ることができたら、恭一のような苦しい二分法から抜け出せるかもしれません。
それになにより、赤ちゃんが世界を見るとき、何かを区別しているとは思えません。
何も知らない赤ちゃんの目は、人為的な区別に惑わされずに、一番素直に真実の世界を見ているのかもしれません。

善いもの悪いもの、役に立つもの立たないもの、そうした区別なしに、まっさらな目で世界を見て、ひとつひとつに驚いてみる。
善い人悪い人、立派な人ダメな人、そうした区別なしに、まっさらな目で人に接して、信じてみる。
それは、強く立派な人になろうと努力するよりも、もしかしたら難しいことかもしれません。
でも、そんな老子の思想が、恭一のこわばった心をほぐして、厳しい二分法の世界から連れ出してくれるのかもしれません。
みなさんも試しに、高柳に騙されたと思って、赤ちゃんになったつもりで人や世界を眺めてみませんか。


〜老子について〜
高校の倫理の教科書だと、荘子とあわせて、「老荘思想」「道家の思想」として取り上げられています。老子という人物については、あまり詳しいことはわかっていません。残されているのは『老子道徳経』(あるいは単に『老子』)という書物ですが、これも、複数の人の手によるものだと考える人もいますし、時代を経るにつれて書き換えられていって、いろんな読み方や解釈がなされています。けれど、『老子』が長く読み継がれて、孔子の『論語』などと同じように、あるいは西洋でのキリスト教の『聖書』のように、特に東アジアの文化や思想のもとになってきたことは間違いありません。各出版社から入手しやすい形で、『老子』とそのわかりやすい注釈が数多く出版されています。ご関心をもたれた方はぜひお読みになってみてください。

 

高校倫理考証 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
哲学・倫理教師。中学校・高等学校・大学等の非常勤講師として、哲学的な対話の手法を用いた授業を行っている。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。共著書に『子どもの哲学−−考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版、2015年)など。


よるドラ「ここは今から倫理です。」

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ミニ番組「ここはぺこぱと倫理です。」1月22日スタート!

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投稿者:スタッフ | 投稿時間:00:00 | カテゴリ:ここは今から倫理です。

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