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BS時代劇「立花登 青春手控え」 水茶屋とは

第七回 はじめに

『立花登青春手控え』第七回放送御覧頂きありがとうございます。

第七回ブログでは、おしん(大後寿々花)の勤め先で、事件の起こった現場でもある『水茶屋』について少しお話します。

 


水茶屋

 街道や寺社にある休憩所で、通りや境内に面し、多くは葦簀(よしず)掛けの小屋で湯茶を提供しました。水茶屋と呼ばれたのは、普通にお茶の葉を売る葉茶屋と区別するためです。行楽客目当てだったので、両国や浅草・上野といった参詣人の多いところに集中していました。そういった繁華な場所に水茶屋が軒を連ねる中、競争を勝ち抜きより繁盛したのは看板娘ともいえる女性が給仕する店でした。

 評判となった女性は絵師の題材となって、浮世絵が世に出回るにつれ人口に膾炙(かいしゃ)し、店は看板娘を一目見たさの客でますます賑わったということです。現在でも「会いにいけるアイドル」「今会えるアイドル」といったキャッチコピーで売り出しているアイドルや、秋葉原のメイド喫茶がありますね。すでに江戸時代からこうした商売が盛んだったということです。吉原で花魁に会おうと思っても庶民には高嶺の花、叶わぬ夢。ところが水茶屋であれば江戸で一二を争う美人に湯茶一杯の料金で会えるのですから流行ったのも分からないではありません。

 掛け蕎麦一杯が十六文の時代に五十文も支払う客もいたそうで、いつの時代も認知を得るためならファンは出費を惜しまなかったということでしょう。

 有名どころでは谷中・笠森稲荷の水茶屋「鍵屋」のおせんで、家業の水茶屋を手伝っていたところ噂となり美人画で名高い鈴木春信が描いたことで一躍時の人になりました。店は彼女見たさの客で連日大賑わい。店の方もしたたかに、浮世絵の他にもおせんグッズを取り揃えて販売していたそうです。おせんはのちに店のあった笠森稲荷一帯を治める旗本の家に嫁ぎました。まさに玉の輿ですね。他にも喜多川歌麿の描いた有名な「寛政三美人」の一人難波屋おきたも浅草の有名な水茶屋の女性でした。

 サービス競争は過熱していき、後期には湯茶の提供に留まらず、酒食も取り扱うようになりました。おしんの勤めた店もその一つだったようです。やがて「酒食」は「酒色」へとエスカレートしていったため、幕府によって規制されて水茶屋文化は衰退していきました。

 


おわりに

 現場写真で撮影の裏側をお見せしておわります。

 

tachibana07-01.jpg

 

こちらは久々のロケ地紹介〜ではなく、ここは東映撮影所の駐車場一画です。

緩やかな坂になっているところへ放水して川を作り出しました。

 

次週はいよいよ最終回です!!

では、来週も「立花登 青春手控え」をよろしくお願いします。

 

BS時代劇「立花登 青春手控え」公式ホームページはこちら

 

 

投稿者:スタッフ | 投稿時間:20:45 | カテゴリ:立花登青春手控え

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