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BS時代劇「立花登 青春手控え」 囚人の待遇

第四回 はじめに

『立花登青春手控え』第四回放送御覧頂きありがとうございます。

第四回は揚り屋(あがりや)に差入れられた毒入りの饅頭が事件のきっかけとなりました。江戸時代の獄舎にあのような差し入れの制度はあったのでしょうか。


揚り屋(あがりや) 

 登和(マイコ)の夫小沼庄五郎(伊庭剛)が入った揚り屋とは、主に下級武士・僧侶の入る牢部屋で、大牢とは待遇に違いがありました。嘉永七(1854)年、渡米を企てた吉田松陰は失敗して自首すると、小伝馬町牢屋敷の揚り屋へ投獄されました。結果蟄居となって国元へ返されるのですが、その間の牢内の様子を『江戸獄記』に著しています。それによると、揚り屋は大牢より人口密集度が低く多少は過ごしやすかったらしいです。食事どきに茶や粥を頼むことが出来ました。大牢では許されない蚊帳や枕などが使えましたし、風呂の回数もより多く入れました。刑が確定するまで暇を持て余した囚人にとって風呂は唯一の慰安でしたから、これは大きな差でしょう。

登のような牢医者については「急病あれば、朝暮夜間を云わず、順次第来り診す」と仕事熱心だった様子が記されています。また揚り屋の牢内には疾病に関することが多く書かれた法度書が掲げられていたようです。これら牢内医療について、のちに討幕を主張した松陰ですが「下獄後初めて幕府人を愛するの政を存じ、感服仕り候」と述べています。 

 


 差し入れ

 「届物」といって、囚人の家族が差し入れをすることは許されていました。届物は飯類、菓子類、干物など魚類、さらに餅や蕎麦までもが認められました。ただの飯だと「毎日給しているという理由で」不許可で、菜飯や茶飯だとOK、おにぎりだと割って中を改められました。このように食べ物に関してはかなり自由に届けられました。つまり劇中の饅頭なんかも持ち込めたようなのです。日用品だと髪油や元結、手拭いやちり紙などです。こうした牢内への届物の需要は結構な物だったらしく、牢屋敷門前には手拭い、ちり紙、食物などの差し入れ屋が軒を連ねていたそうです。

また「届銭」といって一ヶ月六百文までは金銭を差し入れすることが出来ました。ただ直接囚人に渡されることはなく、鍵役が預っていて、毎朝四ツ時に来る平当番と張番(下男)に頼んで入用の品を買ってきてもらうのです。うまくすれば、第三回で女牢名主・おたつの武勇伝として語られたように、御法度の酒や煙草も手に入れることが出来たようですが、そこは地獄の沙汰も金次第で、危険を冒して禁制の品を持ち込むためには張番(下男)たちに相当手間賃を弾まねばならなかったようです。 

 


おわりに

 今回もふんだんにロケが活かされた本作。井崎勝之進(比留間由哲)と登和の再会シーンは清涼寺。新谷が不謹慎にもお供えの饅頭を食べてしまうシーンは竹中稲荷で撮影。食いしん坊な新谷役の高畑さんはテストでも必ず饅頭を食べて皆を笑わせてくれました。登和が入っていく船宿の表は八幡堀。梨本謙次郎さんが貫録たっぷりに演じてくれた松波の屋敷は妙心寺、その松波と登との一騎打ちのシーンは走田神社。ベテラン梨本さんの殺陣はお見事。そして溝端さんのアクションセンスも素晴らしいと殺陣師の清家さんが称賛してました。最後のシーンは随心院で撮影されました。井崎を失った登和の複雑な女心、マイコさんはそれをどう表現するか、監督との初顔合わせからずっと考えて迷っていたのですが、結果はいかがだったでしょうか。

 

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BS時代劇「立花登 青春手控え」公式ホームページはこちら

 

 

投稿者:スタッフ | 投稿時間:20:45 | カテゴリ:立花登青春手控え

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