風に舞いあがるビニールシート

UNHCR――国連難民高等弁務官事務所。世界中の紛争や迫害によって難民となった人々を保護し、難民問題解決に向けて活動する国連の機関――。

 

NHK土曜ドラマ「風に舞いあがるビニールシート」。
UNHCR東京事務所で働く若き日本人女性を主人公とした同名の短編小説を原作に、
男女の愛をきっかけに、世界で懸命に生きる人々への愛に気づき、新たな一歩を踏み出す女性の姿を描く。

【放 送】 2009年5月30日 放送開始(連続5回)
      毎週土曜  総合 午後9:00〜9:53 / BShi 午後6:00〜6:53

【原 作】 森 絵都

【脚 本】 宮村優子  加藤綾子

【音 楽】 菅野よう子

【演 出】 岡田 健  渡邊良雄(NHKドラマ番組)

【出 演】 吹石一恵 クリス・ペプラー 吉沢悠 佐野史郎 片平なぎさ ほか

【制作統括】遠藤理史(NHKドラマ番組)

スペシャル

もっと知りたい今週のキーワード

第1回 緊急ロスター

第2回 その1 eセンター

第2回 その2 ハゲワシと少女

第3回 パキスタン地震

第4回 美しい昔

第5回 アフガニスタンとパキスタンの現状について

第1回 緊急ロスター

第一回 緊急ロスター

 難民が生じる緊急事態は、人の尊厳、人の命に関わる人道危機であり、これには迅速な対応が急務です。1990年代、度重なる緊急事態に素早く対応するために、UNHCRに緊急対応チーム(ERT)の登録が制度化されました。世界中のUNHCR職員の立候補者は、訓練を受け、要請発令に基づき、72時間以内に緊急現場に出動する態勢が取られます。発令されれば即、通常業務を引継ぎ、飛行機の手配、ビザの入手、健康診断、予防注射などの追加接種、家族への説明、遺書の準備、不在の間の公共料金の精算、電話や新聞宅配の休止などなど、72時間以内に着手しなければならないことが怒涛のように降りかかってきます。そして派遣されれば、2〜3か月は休みぬきでの勤務となります。

 年に2度、登録期間があり、それぞれの緊急事態に必要とされる世界各地の現場事務所の職員40名ほどが9か月間登録されます。常時80名近くがスタンバイしています。

 私も以前にこのERTに属していた時期は、いつお呼びがかかるかドキドキしていました。事前の訓練では現場の命綱となる通信手段、無線、衛星電話やGPSの利用方法、道路条件の悪いガタガタ道やぬかるんだ悪路の運転など技術的なことから、チームワークの構築、暴動や拉致に遭遇した際の対処方法など、さらに感染症予防のための注射は9本接種しました。当時、地理条件の異なる派遣先が2か所予測されていたので、砂漠仕様と寒冷地仕様、2か月分の荷物を整え、万全の準備をしていたくらいです。

 留守を守る事務所の同僚にとっては、私が派遣されれば、仕事を分担して代わりに遂行しなければならないので、大変な負担です。また家族にとっても心配や負担がのしかかります。ここで忘れてはならないことは、現場で活動できるのも、同僚や家族の支えあってこそだということなのです。

 しかし、ある人が言っていた「事務所の負担は大変だろうと思っていました。ところが、この機会は自分の知見を高めるだけではなく、留守を守る同僚にも良い影響があったと実感したんです。それに、自分がいなくても事務所はまわっていましたしね」という言葉を聞き、この態勢の存在意義を強く感じました。

 実際に緊急現場に出向いた際の難しさなど、2006年6月から2か月、東ティモールの緊急事態に出動した事務所の難民支援担当、宮澤哲(みやざわさとる)の経験談を紹介します。

 東京での勤務から、いきなり緊急事態で活動を始めるにあたり、抵抗はなかったか気になるところですが、曰く「東京で取り組む都市型難民と、東ティモールでの迫害を逃れた国内避難民、いずれも保護のニーズがある。現場は違えども、それぞれのニーズに応えるべく努力する点では同じ」とのこと。しかし同時に、難しい現場では「自分が強くなくては、求められるものも提供できない」とプロの仕事を期待されたといいます。特に東ティモールでは、現場の最前線で、保護を必要としている目の前の人たちに「彼らが帰れるように、当事者に代わり、恐怖の根源を取り除く手助けをしていた」と語る宮澤は、難民保護のプロの一人です。

 余談ですが、劇中の坂本さんは、出動要請を家族に伝えたところ、家族が電話口で泣いていましたが、東ティモールでの現場経験のある宮澤の妻は、「私も行きたい!」と悔し涙を流したそうです。家族の理解あっての私たちの仕事です。

守屋由紀:大学卒業後、住友商事、アンダーソン・毛利法律事務所勤務を経て、1996年より国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所勤務。2007年より現職。

第2回 その1 eセンター

第2回 その1 eセンター

 2004年11月、タイの国軍訓練施設で6日間にわたって行われたeセンター主催の人道援助職員のための安全管理訓練に16か国から集まった31人の一人として参加しました。訓練を通して資料を読むのと体感するのとでは全くインパクトが違うことを実感しました。訓練の内容と修了後少しばかり成長した自分を振り返ってみたいと思います。

 「車から出ろ、黙れ、すぐ伏せろ」訓練のひとコマとは理解しながらも、突然現れた武装集団に取り囲まれ、パスポート、貴重品、無線機など取り上げられ、頭にはズダ袋をかぶせられ、手枷、足枷をされ、腕をキツクつかまれて、不安の中、引きずりまわされました。発砲音に恐怖が一気に高まり息が苦しくなりましたが、別に受けた訓練の甲斐あって緊張をまずは深呼吸でほぐして凌ぐことができました。あまりにリアルな展開に、つい挑戦的にはむかった仲間はその場で殺されてしまいました(想定上です)。体の自由を奪われた中、五感を集中させ、ほとんど第六感も駆使して、武装集団に自分たちの立場を説明する。そして相手の言い分を聞き、粛々と自分たちの解放について交渉する。実際の事態でどこまでできるか判らないけれども、パニックに陥らずに、状況判断するのがいかに大事であるかが掴め、この経験は自信につながったように思います。

 別の講義では講師が経験談を語ってくれました。仮に軍の小部隊がたった一つの物で身を守るとしたら何だろうか?それが武器ではなく、小型無線機であると知り、皆感心しました。無線機があれば緊急事態に遭遇した場合、救援を依頼することができ、また不幸にも取り上げられても、連絡がつかないことで基地局は何か異変が起きたかもしれないと対応することができます。また基地から離れた場所で起きている状況を判断するための的確な情報を提供することも出来るのです。 当たり前のようですが、このような便利な道具も扱い方を正しく理解していないと自分だけでなく、仲間を危険に巻き込みかねません。訓練では、無線機の扱い方を参加者に叩き込むため、毎朝、モーニング・コールならぬ無線チェックで眠い頭に各種の難題が課せられました。各自にコールサインが与えられ、情報を相手に確実かつ手短に伝達しなければならず、また地図とGPSを利用して地名を正確に報告するのです。数量を説明するにも40ならば「14(fourteen)」と聞き間違えないために、「forty」ではなく「four-zero(4と0)」などと表現します。実際に困ってみないと解らない細かな注意点も体得しました。

 eセンターが提供しているのは、安全管理の他に緊急事態対応のための入門編・指導者向け編、テーマ別のワークショップ、通信講座があり、すでに延べ2175人の受講生を輩出し、彼らは世界各地の現場で活躍しています。ワークショップの参加者は、実際の活動現場がそうであるように、政府、NGO、国際機関などの職員がほどよいバランスになるよう考慮しており、国籍も所属団体も多様で、個々人の豊かな経験を参加者が共有できることも非常に有益です。 参加者間のネットワーク構築・拡大もeセンターの活動の大事な目的のひとつ。講義中はもちろん食事や自由時間に、皆、熱心に訓練で学んだことと自分の仕事と結び付けようと討論したり、講義項目を追加で要請したり、街中でも無線機で情報交換しました。やたらと無線機での交信の多い私はすぐに電池が切れてしまい、他の参加者に何度も助けてもらいました。その「仲間たち」と帰国後もたびたび電子メールなどで連絡し、「訓練で得た知識を自分たちの仕事に合わせ同僚に教えた」などと嬉しい報告も受けています。いずれどこかの現場で共に仕事をすることもあるでしょう。

第2回 その1 eセンター

 eセンターの訓練の醍醐味は、座って受身の座学よりも実践的な内容が多く、双方向な参加型に徹していること。限られた日程の訓練を修了して、多くの知識と情報を持ち帰り、即活用できるような創意工夫がなされています。また参加者同士のその後の情報共有、ネットワークづくりにも貢献しており、スマトラ沖大地震・インド洋津波被害直後の、情報連携は目を見張るものでした。

 難民の方々の厳しい避難生活のクオリティを少しでも向上させることに寄与できることへのやりがいを感じています。また人道支援に関わる職員にとって、訓練は人材育成の観点からも重要で、「やる気」を維持する大切なステップであり、変わり続ける二−ズへの対応能力を高める効果もあるのです。

第2回 その2 ハゲワシと少女

 南アフリカ共和国の報道写真家、ケビン・カーターがスーダンで撮影した写真。1993年のニューヨークタイムズに掲載されると、「写真を撮る前に少女を救うべきではないか」という論争が巻き起こった。カーターはこの写真で1994年のピュリツァー賞を受賞するが、授賞式の約1ヵ月後に自殺。

第3回 その2 パキスタン地震

 2005年10月8日、日本時間午後0時50分、パキスタン北東部カシミール地方を震源とするマグニチュード7.6の地震が起こった。パキスタンだけでも9万人以上が死亡し、250万人が家を失ったと見られる。
 地震の被害が大きかった北西辺境州には90万人近いアフガン難民が居住しており、UNHCRは緊急援助を決定。近隣の国にあるUNHCRの備蓄庫から、テント、ビニールシート、水用ポリタンク、毛布、ストーブ、台所用品などが陸路・空路で緊急輸送された。
 日本政府も直後にUNHCRを通して100万米ドルの緊急支援を決定している。

第4回 美しい昔

 ベトナムの国民的ソングライター、チン・コン・ソンの作品。「美しい昔(雨に消えたあなた)」は1970年に日本語版が発売され、1978年近藤絋一さん原作のNHKドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌として使われた。
チン・コン・ソンは歌手のカイン・リーと組んで、ベトナム戦争中多くの反戦歌を発表して大変人気を得たが、その後南ベトナム政府により音楽の出版を禁止される。ドイモイ政策の導入に伴い、1986年再び曲が解禁される。2001年死去。

第5回 アフガニスタンとパキスタンの現状について

第5回 アフガニスタンとパキスタンの現状について

 昨今、パキスタン北西部における住民の避難が大きく報道されている。240万人もの人が数週間の間で避難を余儀なくされ、UNHCRが現在直面している人道問題のなかでも最大の課題となっている。

現在、多くの避難民は親戚や知人を頼りに避難している。受け入れる側の人たちは理解を示し、双方が支え合っている。UNHCRは、現場において、パートナー機関と共にテントなどの設置を行っているが、40度を超える非常に過酷な気象条件が、その過酷な状況に追い討ちをかけている。
UNHCRはパキスタン政府やその他の機関と共同で、避難生活に必要なニーズやサービスの提供もしている。

今後数週間、数ヶ月の間に多くの避難民の限られた物資が尽き、さらに多くの人々がテント生活を余儀なくされることが予想される。

この地の人々の苦痛、苦悩、悲しみは、はかり知れない。現在、家を失い、生計手段のあてのない人々の生活の向上が最も課題とされているが、これよりも深刻なのが、愛する家族を亡くした人々、さらには自分の子どもが戦渦に巻き込まれた人々の心のケアである。これを癒すには、まだ多くの努力が必要とされる。

UNHCRパキスタンの職員もまた、6月9日にパール・コンチネンタル・ホテルで起きた爆撃による、同僚アレクサンダー・ヴォルピックの死に衝撃を隠せないでいる。彼は、妻と3人の子ども、さらには支援していた多くの避難民を残したまま、意志半ばで命を落とした。この5ヶ月の間に2人のUNHCR職員がパキスタンにおいて命を落とし、他の1人が誘拐された。この現実が、緊急人道支援に携わる事の危険を物語っている。

このような状況下で、焦点はパキスタン国内に集中しがちだが、同地域にはいまだに180万人ものアフガン難民がいることも忘れないで欲しい。実際、現在国内避難民のキャンプとして使用しているキャンプのなかには、アフガン難民のキャンプだったところもある。

アフガンからの難民は今でも世界で最も多い。最大時で、800万人ものアフガン難民がイランや、パキスタンに逃れていた。ここ数年でUNHCRは、アフガニスタン総人口の20%にもあたる、436万人ものアフガン難民のふるさとへの帰還支援をしてきた。

しかしながら、そのアフガニスタンにも23万5000人も国内避難民が存在する。

UHCRは1988年以来、アフガニスタンでの活動を実施し、現在11の事務所で450人の職員がその活動に従事している。帰還した難民の、地元コミュニティーへの共存、再統合への試み、国内避難民のへの支援は共に、莫大な人的、物的資源を必要とする。

UNHCRは難民や国内避難民の保護と、生活のための最低限のニーズを満たすことは大切であるとしているが、同様に、受け入れる側の地域社会への対応も、緊急・回復期において同様に重要視している。受入れコミュニティーへの配慮が足りない場合、不必要な新たな争いや、わだかまりも生じかねない。

UNHCRは日本政府が国際社会で牽引するアフガニスタン・パキスタンへの人道行動に感謝している。1000万米ドルがアフガニスタン、イラク、パキスタンにいるアフガン難民支援として、この度のパキスタン北西部における危機に対しては計850万米ドルが拠出された。

しかし状況は悪化し、ニーズは増えていくばかりである。UNHCRパキスタンのみでも、今年だけで1億米ドル以上が必要である。避難民の数が増えれば増えるほど、UNHCRの物的、資金的ニーズも増えていく。

UNHCRはアフガニスタン、パキスタンにおける人道的側面での日本の強いリーダーシップに期待は大きい。またUNHCRは、アフガニスタン、パキスタンにおける何百万人もの避難民に対する義務を果たすためにも、日本国民のさらなる支援が必要である。家を追われた彼らは紛争の被害者であり、私たちの支援を受けてしかるべく人々である。

私たちは何があっても、責任を放棄してはならない。そして彼らのことを忘れてはならない。もし私たちがやらなければ、誰が保護し、手を差しのべるであろうか?

ヨハン・セルス
UNHCR駐日代表

このページのトップへ
NHKオンデマンド(有料サイト)がんばれ。ルーキー! NHKで新生活、はじめよう。