| ▼ 携帯電話というメディア |
Webや携帯電話などのメディアに精通する立花ハジメ氏と中村勇吾氏を迎えた今回のクリエイターズ・カフェ。制約の多さでは上を行く携帯コンテンツ制作を手がける立花氏の作品を見せてもらいながら、トークの口火は切られた。
:::TALK:::::
中谷日出NHK解説委員(以下中谷):これ、すごく携帯ならではのコンテンツっていう感じがするんですが、この作品を作るのに、どういうところにいちばん気を配られましたか?
立花ハジメ(以下立花):やっぱりFlashにしろJavaにしろ、制約とか条件がある中で知恵を出すのはそれなりに楽しいことなんだけど、まだちょっと環境が貧弱すぎるところはあるから、デザインもそれに合わせて・・・。これも“フルカラーの絵が使えない、じゃあテキストだチたらかなり自由に動かせるかな”とか、自然に‘ならでは’のものに。
中谷:ハジメさんはクリエイターの中では携帯のコンテンツというものに、かなり初期から携わってらっしゃって、もうノウハウも蓄積されてると思うんですけど、ハジメさんにとってこの携帯電話というメディアはどういう存在なんでしょう。
立花:当初考えてた携帯も、これはたまたま話が出来るコンピュータで、Webの一個なんだっていうとっかかりから。そういう意味では確かに技術的には完全にWebだったりするけれど、Webの一つに変わりないっていうのは、ちょっとなんか、違うような気がしていて、かなり特殊なもんだなあと。
中谷:中村さんにとってこの携帯というメディアはどうなんですか?
中村勇吾(以下中村):こういうシンプルなグラフィックっていうのはすごく好きで、かっこいいなと思うんですけど、グラフィックとデバイスの距離がすごく近い。こういうシンプルなグラフィックに合うようなハード、マシーン、携帯が欲しい。そういうのをセットにして考えたくなりますね。
中谷:なるほど。もう側(がわ)もあって、中と呼応された表現というものをしてみたいと。
立花:パソコン、PA、カーナビ、携帯、いっぱいあるけれど、デザインをまさに一番身近で感じることができる端末。やっぱり一番‘わざわざ度’が低いっていうか。
例えば、仕事場とか家のパソコンを立ち上げるのなんて大した手間でもないのに、携帯に比べると‘わざわざ度’が高い。いわゆるWebと携帯Webのコンテンツがどんどん違うものになっていってるのは、そこの‘わざわざ度’の、人間とデバイス、端末との距離感。やっぱり身近にデザインを感じられるっていうことでは、携帯なんかまさに心身ともに身近にある。
それと、携帯はより刹那的で刺激的な情報で、それが僕なんかにしてみたら‘今何時?’みたいな時計だったりするんだけど、Webはもうちょっと落ち着いて、ゆっくりデータベースを検索するとかだね。
中村:こういうグラフィックとか見てても、やっぱりWebと携帯では、作り方の方向がたぶん全然違ってる。Webとか、映像など、ある面積を持って没入するようなものには、かなり入り込んで見るような目で見るんですが、携帯はやっぱり、常にそのグラフィックを自分のポケットに入れながらとか、インタラクティブなプログラムをちょっと鞄の中に入れながら、みたいな、そういう常に携えていくような感覚と呼応するような、そういうグラフィックの作り方っていうのがやっぱりいいなあ。立花さんの『The End』見てても、そういう感覚はすごく感じるところがありますね。
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| ▼ ファンシーな携帯の世界 |
中谷:ハジメさんにとってはかなり慣れて生活の中でも身近になってますけど、中村さんにとっては携帯でのデザイン表現というのはどうなんですか。
中村:やってみたいし、圧倒的に見てくれる人数が多いというところですごく魅力は感じるんですけど、全体的にハードが、デバイスもソフトも含めて、けっこうファンシーな世界というかね(笑)、子供向けの世界っていうのがわりと支配的で、「やっていいのかなあ」みたいなところはあるんですよね。
中谷:ある意味、敷居が高かったりするんですよね。
中村:せっかく作ってもクマちゃんとかの壁紙とかと並べられると、「あ、どうしよう、俺、居場所ないなあ」みたいな。 立花:それは僕も常に感じるね。最初は普通に‘Webの一個!’っていう感じだったんだけど(笑)、携帯はますます高性能化、多機能化していて、それは無駄な多機能化というか、勇吾クンが言ってるところのファンシーさなんだけど、そのファンシーさがついていけないっていうかね。まあ、振り回される必要は全然ないんだけど、そこが僕とか勇吾クンとかみたいなタイプにすると敷居が高いみたいでね。(笑)
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| ▼ 日本庭園でパソコンを操るユーゴ・ナカムラ!? |
中谷:中村さんのWebのお仕事のお話をお聞かせ願いたいんですけど。Webにもさまざまな制約がある、その制約の中ですごくいい仕事をされてますよね。
中村:4,5年前くらいからWebの仕事してるんですけど、最初はやっぱり、すごく出来ることが限られてまして、その中で、その枠組みの中でできるだけ表現の幅を広げようみたいな、アイデアの幅を広げるみたいなことを、僕の個人サイトにつくってました。で、2,3年前くらいからようやく‘仕事として’ですね。
中谷:ほんとに? もう20年くらいやってるような感じがしてましたけどね、イメージ的に。あのクオリティの高さと認知度は。
立花:勇吾クンね、ジョシュア・デイヴィスとか、TOMATOのジョエルとか、普通に付き合いがあるんだけど、みんな勇吾クンのことをね、ものすごいミステリアスでエキゾチックな存在だと思ってる。だからみんな会うとびっくりするみたい。みんなね、こう日本庭園があって、すごいピンスポみたいなのが当ってる(笑)、そういうシュライン(神社)みたいな仕事の現場で、すごい耽美にパーソナル・コンピュータを操ってる、それがユーゴ・ナカムラ。
中谷:確かに画像イメージからするとそうですよね。
立花:ユーゴ・ナカムラはものすごいね、どっかね、やっぱりエキゾチックでミステリアスみたい。
中村:(笑)まったく、そういうアレではないんですけど……。基本的にはほんとに隅っこの方でチクチクと。
中谷:(笑)でもその3年くらいの間に、あれだけクオリティの高いものを作り続けていらっしゃるという、その背景にはやはりかなり努力というか……
中村:Webブラウザが出来た時からずっと触ってて、常にその技術の進歩というか、どんどんWebの世界が広がってくっていうのを、わりとこう間近で見てたというか……。学生の時に初めてブラウザを見て、“ああ、こういうことができるんだ”っていうような、小さいことを試しながらやってきたっていうのがある。今は仕事としてやってますが、基本的にはそういう趣味でやってることの延長線上にあるっていう感じですよね。
中谷:立花さんは、中村さんのWebの仕事というのは、どういうふうに見られています?
立花:それこそ、「インターネット、インターネット」って言われてた頃に、‘インターネット何が出来る?’っていうと、‘何でも出来ます’‘何でも見れます’‘何でも買えます’っていう、そんな新手の詐欺みたいな話があったんだけども、勇吾クンの仕事を見てると、ほんとにそういう制約とか条件とかがなくて、ほんとに何でも出来るんだなあ、すごいな、何でも見れるんだ、やろうと思えば、っていうふうに見えちゃうよね。
中谷:それってすごいことですよね。
立花:うん、すごい。
中村:やっぱり常に出来ないこととの闘いというか、やっぱりローカルで再生するような環境に比べると、Webで出来ることってすごく限られてるんですよね。でもその中でいろいろ、ここまでしか出来ないけど、こうやったらひょっとしたらちょっとごまかせるかもしれないとか、そういうちょっとした思い付きの積み重ねの中で作ってるというのが、実際のところですよね。 ちょうどWebに対する見方がどんどん広がっていく中で、実はこういうことも出来たりするんだよ、という……。実際はモロに制約との闘いなんですけど、いかにも無いかのように見せている。
中谷:そういうことをちゃんと狙って作ってらっしゃったんですね。
中村:そうですね。
立花:まさにちゃんとそういうふうに見えるからね、ほんとに。
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| ▼ 制約があってこそ生みだされる、新たな発想。 |
中谷:これからその制約の中で、Webや携帯電話でコンテンツっていうのがどういうふうになっていくか、それぞれのお立場から伺いたいなあと思うんですけど。
立花:『Deathclock』でもやったんだけども、いわゆるボーダレスでワールドワイドなWebっていうものと、それから携帯電話やカメラといった入力装置を使った地域限定、時間限定のWeb、ローカルなネットワークメディアとワールドワイドなWebとの組み合わせが、また新しいWebのひとつになっていくんじゃないかな、みたいなのがあるけど。
中村:どんどん制約がなくなっていって、何でも自由に出来る世界っていうのが本当に幸せなのか、っていうのがちょっとありまして(笑)。(中谷:確かに)俳句でも何でもいいんですけど、やっぱり枠があって、その中でこそ新しい発想が生まれるとも思う。どこの世界でもそうで、遠足の時の‘おやつは300円まで’みたいな(笑)。そう言われると、必死に考えるじゃないですか。やっぱりそういう枠があるからこそ、その中でアイデアを延ばそうとか、その枠をもうちょっと広げていこうみたいなところが出てくる。
今Webって昔できなかったことがどんどんできる世界には、なってるんですけど、やっぱりどこかでフレームワークを求めてるというところがありまして、実際それはコミュニティとして広がりつつある、と。
Flashというのももちろんそうですけど、例えばその、今起こりつつあるような、プロセッシングというコミュニティ、Javaベースのプラットフォームといったもの、コンピュータ・アーティストのための新しい言語の枠組みという、アーティスト自身が新しい言語を作るみたいなことは、非常に面白いなあと。つまりその、アーティスト自身が、自分たちのやりたいことが生きるフレームワークっていうのを自分たちで作って、で、その中でコミュニティを育んで、作っていくというところがありますね。
中谷:メディアが成熟する前って、コンピュータ・グラフィックなんかもそうですけど、みんな一時同じ顔になっちゃう。それはWebの世界でもそんな感じがしたんですけど、今はオリジナリティを追究していてムムアーティスト=オリジナル的なところがあるムム表現が広がってくるというか、そこにさまざまなアーティストの個性みたいなものが出始めている感じがするんですね。それも中村さんが今仰ったところに起因するような。そういう意識がアーティストにはあるんでしょうね。
立花:逆にそういう部分、オリジナルのプログラミングやプロセッシングがないと、差が出ないってことだよね。
中村:コンピュータってほんとに何でもアリというか、何でも出来るし、人間の想像力って何だろうと疑問に思っちゃうほどのメディアだと思う。その中で、ある枠組みを自分たちで作っていくということは、ものを作るプロセスの中でも重要なのかなあと。
中谷:制約の中でどう作るかというお話を伺ったんですけど、制約をぶち破るというよりも、制約をいかに味方にして……。
中村:そうですね、そういう作り方もあるということだと思いますね。
中谷:ぜひ、Web、携帯の世界で、またどんどん制約の中で新しいものをおつくりいただきたいと思います。ありがとうございました。■
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