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密着!ダイオウイカ取材記

  • 2人乗りの「ディープローバー」。手前に見えているのは今回、NHKが開発した深海用超高感度カメラ(EMCCDカメラ)。
  • 3人乗りの「トライトン」が海へと向かう。
  • ダイオウイカの貴重な標本をミキサーにかけて、そのフェロモンが入っているというイカジュースをつくる。
  • 「トライトン」でイカジュースを放出するスティーブ・オーシェー博士。
  • 潜航開始! 最新鋭の潜水艇「トライトン」の内側から撮影。
  • 球形のアクリルの操縦席からは、ほぼ全方向の海を観察できる。
  • ダイオウイカ撮影に成功し、思わずガッツポーズをする窪寺恒己博士。
  • エディス・ウィダー博士の考案した、生物発光を模してつくられた電子クラゲ。
  • マッコウクジラにカメラを付けるという驚くべき手法でダイオウイカに迫ったランドール・デイビス博士。
  • ダイオウイカvsマッコウクジラ 伝説の闘い(想像図)

不可能といわれてきた深海でのダイオウイカ撮影。10年以上にわたる男たちの苦闘と、その奇跡ともいえる撮影成功の舞台裏に迫る。

奇跡は起きるのではなく、起こすものだという。2012年夏、小笠原の海で、10年にわたってダイオウイカを追い続けてきた男たちが、奇跡を起こした。

「ダイオウイカの生きている映像を初めて見たとき、うまく言葉にすることができなかった。これほどまでにきれいな、神秘的な生きものがいるのだろうかと」

NHK深海プロジェクト・岩崎弘倫チーフ・プロデューサー

「言葉にしちゃうと、やっぱりそれに引きずられちゃうんだよね。私の話を聞いた人たちは、言葉からイメージをつくり上げてしまうから。しゃべらない方がいい、そう思っている」

国立科学博物館標本資料センター コレクションディレクター・窪寺恒己さん

「深海に生息するダイオウイカをこれほどまでに鮮明に撮ることは二度とないんじゃないか。あれほど警戒心の強い生きものが、明るいライトの前で23分間その場にとどまった。本当に奇跡だ」

NHK報道局映像取材部潜水取材班デスク・河野英治カメラマン

「向こうもこっちを、見ていたのではないかな。人間というものを見ている、そんな気がしました」

NHK深海プロジェクト・小山靖弘ディレクター

ダイオウイカの撮影に成功する

実際のところ、撮れるという確証は誰一人として持っていなかった。それでも挑戦し続けるという決意なくしては、撮れなかった。世界で初めての深海でのダイオウイカの撮影は、困難を極めた。しかし挑み続けなければチャンスは来ない。世界が羨望する奇跡の映像撮影にNHKが成功した。

その日の話を、撮影チームのリーダー岩崎の記憶からたどってみる。

いつものように撮影が始まる。朝、潜水艇「トライトン」が海中へと潜航していく。今日、乗っているのは、パイロットのジムと、国立科学博物館の窪寺恒己博士、そしてカメラマンの3人だ。一回の潜水は10時間。もう何度目の潜水だろうか。

しばらくすると、潜水艇から水中無線がかかってきた。水中を伝わる音波を利用した特別な装置だ。パイロットから、常に水深と潜水艇の状況の報告が入る。
「水深500m。潜水艇は順調。ダイオウイカの生息深度に入る」
船上に残る我々には、この通信だけが深海の様子を知る手段だ。突然、聞き取りにくい水中無線から、ノイズに混じって「ダイオウイカの撮影を開始した」と聞こえた。船上の誰もが耳を疑い、顔を見合わせた。

実は撮影には2台の潜水艇を用意していた。もう一隻は「ディープローバー」という2人乗りの潜水艇で、こちらを撮影の中心に考えていた。ディープローバーは、地元の漁師さんや小笠原水産センターの調査船からダイオウイカの情報を受けると、いつでもスクランブル発進する態勢を取っていた。小笠原の漁法に縦縄という方法があり、たまにダイオウイカの腕があがることがあるのだ。ちょうどその日の朝、調査船から縦縄にダイオウイカの腕がかかったという連絡が入った。聞けば、別の縦縄にもダイオウイカがかかっている気配があるという。ロケが始まってからずっと待機状態が続いていたディープローバーのチームは、調査船からの連絡に色めき立って出発していったのだ。ディープローバーこそがダイオウイカ撮影の本命だと誰もが思っていた。

ところが、その期待していたディープローバーからではなく、トライトンが、ダイオウイカの撮影をしているという。驚いて、トライトンに乗船していたイカ類の専門家である窪寺さんに、水中無線を替わってもらった。本当かどうか恐る恐る尋ねる。
「窪寺さん、ダイオウイカが撮れたという報告が入りましたが…?」
「遭遇して、撮影しました」
至って落ち着いた様子で窪寺さんが答える。専門家の窪寺さんが言うのだから、間違いない。

一方、ディープローバーも、通報があった縦縄に到着し、縄に沿って降下を開始していた。そちらの方にも期待が高まる。もしや両方でダイオウイカが撮影できるのか…!? 餌のところまで到達すると、そこはもぬけの殻だった。残念ながらすでに逃げた後だったのだ。

そして、撮影を終えたトライトンが浮上してきた。水中無線での会話を聞き付け、トライトンの帰りを待ちわびた仲間たちが、ぞろぞろと船の甲板に集まってきた。潜水艇が海中から船上に引き上げられる。ハッチが開く…。そこかしこから拍手が起こった。潜水艇から顔を出した窪寺さんが、ガッツポーズで応える。奇跡を成し遂げた。伝説のダイオウイカが撮れたのだ!いったいどんな姿なのか、期待が高まる。

小笠原なら撮れるかもしれない!

NHKがダイオウイカの撮影に最初に関わり始めたのは、1998年に放送されたNHKスペシャル『海・知られざる世界』のロケでのことだった。この番組に、深海プロジェクトの岩崎とともに参加していたのが、潜水カメラマンの河野だ。

河野は、この番組取材でダイオウイカと対面していた。アメリカ・ワシントンDCにあるスミソニアン博物館。ホルマリン漬けにされた巨大なダイオウイカの撮影をした。このとき、博物館のイカ研究者クライド・ローパー博士のインタビューも行った。「これまでダイオウイカの生きた姿を誰も見ることができていない。これは海に残された最後のミステリーだ」と聞かされたという。ダイオウイカに対する興味が高まったが、それは深海に生息する生きもので、潜水カメラマンである自分たちの撮影対象ではないと当時、河野は思っていた。

ところが小笠原でマッコウクジラの撮影をしているとき、その顔に奇妙なキズを持つ個体を撮影した。大きな吸盤の跡のようなものが残されていたのだ。専門家に確認すると、これはダイオウイカの吸盤が吸い付いた跡だという。腕がすでに食べられ、胴体(外套膜で覆われた部分)だけが残ったダイオウイカが、小笠原の青い海にぽかんと浮いていることすらあった。

日本ではそれほど大きな話題にはならないが、海外でのダイオウイカの扱いは特別だ。幻の怪物、伝説の生きもの。世界中のテレビクルーや研究者たちが、ダイオウイカ撮影を狙っていた。ニュージーランドの海、ガラパゴスの海、それこそ世界中の海で。そのどれもが、ことごとく失敗に終わっていたことは、漏れ伝わってきていた。
でも? 小笠原の海なら、撮れるのではないだろうか??? このときのぼんやりとしたアイデアが、その後長きにわたり自分たちが歩むことになる苦難の道の一歩になろうとは、知る由もなかった。

そして2002年。小山ディレクターが、昔からの知り合いである国立科学博物館の窪寺さんに誘われ、ダイオウイカなどの調査の取材に参加。10年にわたる悪戦苦闘、七転八倒のダイオウイカ撮影物語が始まったのだ。

実は2004年、窪寺さんの調査を撮影するためにNHKが本格的に関わり始めると、なんとロケを始めてわずか4日目にはダイオウイカの画像が撮れてしまった。こんなことは、自然番組の撮影ではまずあり得ない。みな何か月も粘って、やっと番組に使えるカットをそろえるのが通常だ。

驚いたのは、海外での反響だった。このときの撮影でつくった番組映像は、海外でとても高い評価を受けた。2005年に窪寺さんがダイオウイカに関する論文を発表すると、たちまち大騒ぎとなり、ダイオウイカ撮影のニュースが世界中を駆け巡った。これほどまでに価値あるものだったのか…。かえってそのことに驚いたほどだった。翌2006年には窪寺さんの縦縄にダイオウイカがかかり、生きたまま海面まであがってきた。この様子は、2007年1月2日の『ダーウィンが来た!生きもの新伝説 もっと見たい!決定的瞬間スペシャル』で紹介した。

小笠原でなら、いけそうだ。ここまでくれば、いやが上にも盛り上がってくるのが人情というもの。これは多少頑張れば、世界初の深海でのダイオウイカ映像が撮れてしまうのではないか。皆がそう思った。しかし…。

一転、苦難の日々の始まり

深海で泳ぐダイオウイカを撮影しようと、2009年から3年間にわたる大プロジェクトが始まった。ディレクターの小山は、伝説の巨大生物を必ず捉えると、野望に胸を膨らませて小笠原を訪れた。

まずこれまで何度もダイオウイカがかかった実績のある縦縄に、映像用のカメラを仕込んで動画撮影に挑んだ。はじめは余裕だった。小笠原という環境の素晴らしさ、これまでの画像撮影の実績。3年間という十分な時間…。

実際、NHKで開発したカメラには、さまざまな生きものたちが映っていた。例えば、深海にすむ珍しいイカであるヒロビレイカは少なくとも12回もの撮影に成功した。生態が記録されたのは世界でも初めてのことで、このときのヒロビレイカの記録は窪寺さんによって『ロイヤル・ソサエティー・ジャーナル』に論文として発表された。ほかにも深海性のサメや、メカジキが近寄ってくる様子など、珍しい生きものの不思議な映像が次々と撮れ、窪寺さんはたいそう喜んでいた。

しかしながら、肝心のダイオウイカは、まったく現れなかった。1年、2年と過ぎていった……。気のせいかもしれないが、NHK内での肩身はどんどん狭くなっていくような…。なにしろ、ダイオウイカを撮影すると宣言してきたのだから。気が付けば、時間も予算も逼迫していた。ここは結果がすべての世界、言い訳は通用しないのだ。

経費節減のために、撮影のスタッフを最小限に絞り込んでいった。1日でも長く現場で過ごすために、とにかく何でも切り詰めた。ディレクターの小山とカメラマンの河野のたった2人で残ることが多くなった。2人は、漁船に乗り込み、朝は日の出前から夕は日が暮れるまで、寸暇を惜しんで撮影をした。船から下りた後は、縦縄に仕掛けられた合計4時間を超える映像をチェックし、次の日の作戦を考え、機材セットをして就寝。あっという間に朝を迎える。そんな日々だった。2人の間では冗談交じりに、こうした日々を、“蟹工船”ならぬ“イカ工船”と呼んでいたという。ダイオウイカはついぞ現れず、精神的にも苦しい日々が続いた。それくらい孤独感の募る、厳しい日々だったのだ。

ただ黙って手をこまねいていたわけでは、もちろんない。機材の改良もどんどん行った。ライトを付けるとダイオウイカは寄ってこないと予測して、カメラが深海に到達したら、5分ライトが点灯し撮影、その後2分間消えて、またライトが点灯するといった改良をした。しかし…ダメだった。

次に超音波を使い、大きなものが前を横切ったら撮影を開始するという機材をつくった。ダメだった。
カメラを極力小型化した。ダメだった。
イカの目では見えない赤い光を使うライトも考え出した。ダメだった。
“イカ化け”という漁師さんが使っているイカ用の仕掛けのすぐ上にカメラを仕込んだ。……撮れたのはヒロビレイカだった…。

とにかく、ダイオウイカだけは現れなかった。縦縄には、ダイオウイカの腕の一部がかかるといった痕跡はあるのだが、映像を撮影するカメラにはダイオウイカは映らなかった。カメラの何かが、ダイオウイカの警戒心を刺激していた。

8年間で520回試した。試せば試すほど、精神的にも予算的にもどんどん追いつめられていった。本当に撮影できるのか…。自分たちだけでなく、周囲もそう思い始めていることがひしひしと感じられることがいたたまれない。その焦燥感を察した漁師さんたちが、悲壮感が漂っているからダイオウイカが寄ってこないのだよ、とからかうほどだった。

河野には忘れられない出来事がある。未曽有の被害をもたらした東日本大震災。その日も、2人はダイオウイカ撮影のために沖に出ていた。小笠原にも1mの津波が到達、港へ帰ることができなかった。深夜にようやく港へ戻ると、車には浸水の跡が残っていた。急きょ、小笠原の状況を東京に伝えた。NHKの仲間が大挙して震災現場に入っているのに、自分は何もできず、ただ申し訳ないと感じた。震災報道という重要な仕事に関われず、報道カメラマンとして使命を果たせなかったことに。
そして放送は1年の延期が決まった。

2012年、プロジェクトは最後の年を迎え、再スタートを切った。春には別の番組で、仲間由紀恵さんを小笠原に迎えての撮影が行われた。美人が来たらダイオウイカが喜んで出てくるか…と幸運の女神に思いっきりすがったが、やはりダイオウイカは現れなかった。
もう後がない…。

残されたアイデアは、潜水艇をチャーターし、実際に自分の目で探して撮影することだけだ。しかし、これは最後の賭けだ。残る予算のすべてを投入することになる。成功しても失敗しても、プロジェクトは、そこで終わる。
リーダーの岩崎の決断が迫られる。小規模でも長く取材を続ける方が成功するかもしれない。いや、最後に残された手段はこれしかない。しかし、もし失敗したら文字通り、NHKに席がなくなるかもしれない…。堂々巡りだ。
チームの誰もが、世界で初めてダイオウイカを撮影するために苦労してきたのだ。やり遂げるために、できることをすべてやる。最後の大勝負が始まった…。

強力な助っ人たちが次々と現れた

小山ディレクターは、10年小笠原に通ううちに、小笠原水産センターの調査船船長や地元の漁師さんたちと仲良くなった。撮影に行ったときには彼らを訪ね、その年、どこでダイオウイカがあがったのか、場所や日付など事細かに聞き込みを行った。そのデータをまとめて、どの場所で、どの時期にダイオウイカが出現しやすいのか、傾向を見いだした。河野カメラマンは、ホエールウオッチングガイドの方々やダイビングガイドの方々に協力を仰いで、情報を集めていった。多くの小笠原の人々に支えられて、ダイオウイカ撮影のポイントは、絞られていった。

NHK内にも強力な助っ人が現れた。それは宇宙からやって来た。国際宇宙ステーションからの美しい映像で2012年評判を呼んだ『宇宙の渚』で使われた超高感度のEMCCDカメラ。この超高感度カメラは、暗闇の深海でも十分な撮影を可能にした。NHKの機材を開発してきた放送技術研究所の仲間が、宇宙仕様から深海仕様へと改良してくれたのだ。

さらには、世界の第一線で活躍するダイオウイカ研究者が撮影のために知恵を絞ってくれた。それぞれがユニークな作戦を考え出し、潜水艇撮影に挑んだ。ダイオウイカをそのフェロモンを使っておびき寄せようとしたのは、ニュージーランドからやって来たスティーブ・オーシェー博士。生物発光を模したライトを考え出したのは、発光生物を専門に研究しているアメリカのエディス・ウィダー博士。われらが窪寺さんは1mもあるソデイカをおとりに使う作戦だ。これまでの研究から、ダイオウイカは深海性のイカを食べていることがわかってきたのだ。そして伝説のマッコウクジラ対ダイオウイカの闘いを撮影しようと、マッコウクジラに水中カメラをぺたりと直接くっつけたのは、アメリカ・テキサス大学のランドール・デイビス博士だ。

幻の生きもの、ダイオウイカ現る!

そして2012年夏。
ついに追い求めていたダイオウイカが降臨した。伝説の怪物、幻の生きもの。世界中の海で撮影できなかったダイオウイカが、小笠原という日本の海で、カメラの前に現れた。

漆黒の闇である水深630m付近で、おとりのソデイカに飛びかかった。窪寺さんの戦略に見事にはまったのだ。超高感度のEMCCDカメラが、その姿を克明に、鮮やかに、ダイオウイカの存在を捉えた。

ダイオウイカが飛び付いた餌のソデイカは、潜水艇とラインで緩やかにつながっている。ダイオウイカと潜水艇は同じ速度でゆっくりと降下していく。鮮明な映像で撮影しようと、意を決して、通常のライトを点灯した。逃げてしまうかもしれないと思われたダイオウイカは、突然のライトに一瞬、目がくらんだのだろうか。それとも獲物を逃したくなかったのだろうか。ソデイカを離すことなく、ずっと同じような姿勢で、潜水艇と一定の距離を保ちながら、共に降下していった。

その姿は今まで見てきたダイオウイカの姿とは、まったく違うものだった。ダイオウイカは虹色素胞という皮膚細胞を持つ。その虹色素胞が、金属にも似た美しい光沢を放っていたのだ。2006年に撮影された姿とはまったく異なっていた。

イカやタコを40年にわたって研究してきた窪寺さんは、その姿を見て、「これがダイオウイカの本来の姿なのか」と、素直に驚いたという。透明感のある生物独特の質感と、虹色素胞がつくり出す硬質な光沢が、言葉にならない美しさを際立たせる。神々しい…と言ったら、笑われるだろうか。生物界最大ともいわれる目がじっとこちらを見つめていた。魔物という呼び名からは程遠い繊細な瞳だ。

ダイオウイカがカメラに記録されたのは23分間。
人類が初めて伝説の怪物と遭遇した23分。
撮影チームの10年の努力が結実した23分。
そして窪寺さんが研究人生をかけて追い求めてきた存在と出会ってしまった23分。

それは小笠原の海が、ほんの少しだけ私たちに、深淵なる世界を見せてくれたのかもしれない。
岩崎も、小山も、河野も、最後に同じ言葉を語った。世界で初めてダイオウイカの撮影という偉業をなし得た理由は…
奇跡だった。でもそれは仲間たちに支えられ、10年以上に及ぶ長い歳月を諦めずに挑戦し続けたからこそなし得た奇跡だったと。

文:坂元志歩 (サイエンスライター)