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窪寺博士研究史 伝説のダイオウイカへの挑戦Vol. 1 “伝説の魔王”ダイオウイカを追う

  • マッコウクジラと闘うダイオウイカ
  • ダイオウイカ (Giant Squid) 2本の長い触腕が特徴。
  • マッコウクジラの体表についた、ダイオウイカのものと考えられる吸盤の跡。

奇跡の海・小笠原で10年以上にわたり繰り広げられた熱く切ない男たちの闘い、その前半戦を紹介。伝説の怪物・ダイオウイカ、その撮影に挑む。

文:坂元志歩 (サイエンスライター)
監修:国立科学博物館 窪寺恒己(標本資料センター コレクションディレクター)

最大のもので全長18mともいわれる、深海にすむ幻の巨大イカ——ダイオウイカ。ダイオウとはむろん大王のこと。海の大王、いやむしろ畏怖される怪物、魔物、魔王として、世界中で語り継がれてきた。西洋の船乗りが恐れた伝説の魔物、あのクラーケンも、一説にはダイオウイカ がモデルだという。

ダイオウイカは、その生態も暮らしもわからない謎に満ちた存在だ。その巨大な姿にもかかわらず、21世紀になるまで、深海で生きている姿が捉えられた映像はまったく存在しなかった。その魔王が人前にその姿をあらわにしたのは、2004年9月30日のことだった。場所は日本の小笠原。水深900mに吊るした特殊な水中カメラの下に付けたイカ針に、ダイオウイカがかかったのだ。針から逃れようと格闘するダイオウイカの姿が、実に4時間半にわたって500枚以上の静止画像に収められた。この大発見のニュースは世界を駆け巡った。

撮影したのは、国立科学博物館の窪寺恒己博士。40年にわたってイカやタコなどの頭足類の研究に取り組んできたダイオウイカ研究の第一人者だ。「ついにあの“伝説の魔王”が、“科学の目”で捉えられた!」。
その反響はむしろ海外の方が大きかった。世界中が驚愕し、大騒ぎとなり、窪寺さんに惜しみない賞賛が贈られた。そして窪寺さんは2007年、米ニューズウィーク誌が選ぶ「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。
窪寺さんが、ダイオウイカを含む、深海にすむイカたちの研究を始めるきっかけとなったのは、意外なことにマッコウクジラだ。マッコウクジラは最大全長、雄で18m、雌で11mほどにもなる最大級の哺乳類であり、高い潜水能力を持つことで知られる。水深1000mを超える深海にまで潜り、その際に深海の大型イカ類を捕食することが、1960~80年代に行われた食性研究からすでに知られていた。窪寺さんも、2000年から許可された調査捕鯨で捕獲されたマッコウクジラの胃内容物を、徹底的に調べた。

すると、30頭あまり調べたマッコウクジラの胃にあった内容物の97~98%以上がイカ類だった。イカの種類は12科32種に及び、ほとんどが専門家でさえ滅多にお目にかかれないような希少な種類ばかりだったという。しかも、個体数は少ないものの、ヒロビレイカやダイオウイカなど深海の巨大イカの占める割合は、重量組成で高いことを突き止めた。さらに体の表面に、ダイオウイカの吸盤跡とおぼしきものが見つかったマッコウクジラすらいた。マッコウクジラは、ダイオウイカを獲物にし、ダイオウイカも反撃する。両者は、その生存をかけて深海で死闘を繰り広げているようだ。

マッコウクジラの胃袋から垣間見た深海の姿は、驚くほど大量のイカ類の存在を示唆していた。試算すると、西部北太平洋に生息している約20万頭のマッコウクジラは年間3700万トンもの深海性のイカを食べていることになる。マッコウクジラが食べているのは、生息しているイカの一部であると考えるのが自然であることから、深海には1億トン以上のイカがいると推測されるというのだ。イカ・タコ類の世界の漁獲量は年間400万トン程度であることからも、その生物量のすさまじさがわかる。

ところで、マッコウクジラの胃の中身を見て、どうしてそれほどたくさんのイカを発見できるのかと疑問に思わないだろうか。胃の内容物は、ほとんど消化されているはずだと。実は研究の大きな手掛かりは、顎板、私たちが“カラストンビ”と呼ぶ部分だ。イカの口にあるキチン質の硬い組織で、通常茶色っぽい色をしている。このカラストンビが胃の中に未消化のままで残っているのだ。

窪寺さんの研究室にはマッコウクジラの胃から取り出されたカラストンビの写真が大量に保管されている。大きさの違いこそあれ、素人目にはどう見ても同じにしか思われないカラストンビの形状から、イカの種類がわかるという。

しかし、マッコウクジラの胃内容物の研究では、どうしてもかなわないことがある。生物学者なら誰もが願うであろうこと——生きている姿を観察することだ。そもそも深海性のイカはたくさんいるはずだから、方法さえ工夫すれば願いはかなうかもしれない。窪寺さんは、何人もの仲間たちからヒントを得て、深海性イカの生きている姿を捉える調査に挑んだ。