寄せられたご意見
やまゆり園の事件が起きた時、私はお腹の大きい妊婦でした…
やまゆり園の事件が起きた時、私はお腹の大きい妊婦でした。「酷い事件だな」と胸は痛めたがどこか他人事で、テレビに映る非現実的なニュースをただただ観ていたのを覚えています。 その頃お腹にいた娘はもう6才になり、今年の春から小学1年生になりました。娘は、重度知的障害者です。言葉はないけれど、いつもニコニコしていて、魔女の宅急便を流すとキキの真似なのかリビングのキックバイクにまたがったり、プールの水遊びが好きで、よく食べ、良く寝る女の子です。 障害者関係の勉強をしていた時にふと、やまゆり園のことを思い出し、記憶にあった美帆さんの写真をもう一度見たくなりこちらに辿り着きました。事件当時とはまた違う、当事者に近い目線で、お母さんの記述を辿りました。美帆さんの雰囲気もうちの子にどこか似ていて、お母さんの心からの言葉に胸がギュッとなりました。本当に、なぜ19人は殺されなければならなかったのかと、犯人に対する怒りとやるせ無さが込み上げました。美帆さんは、美帆さんのことを知らない私の中で生きています。時に娘と重ね、障害者関係の話を耳にするたびに、お父さんのあぐらの上でニコニコ笑っている美帆さんの写真を思い出します。二度と起きてはいけない事件。 障害を持つ子の親として、住み良い社会にするために何をすればいいのか、模索する日々です。明日から7月になります。 どうぞ、ご自愛ください。被害に遭われたご家族や関係者の方々が、心穏やかに過ごせる日が来ますよう、遠い所から応援しております。
私は障害者で、イギリス出身です…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
私は障害者で、イギリス出身です。 私は脳性麻痺で神戸に住んでいます。 相模原虐殺事件から7年が経った。 もっと被害者の名前が分かれば良かったです。 被害者の名前が分からない場合、殺人者の名前だけを知っていればそれを思い出すことができます。I am disabled and from England. I have cerebral palsy and live in Kobe. Seven years have passed since the Sagamihara massacre. It would have been nice to know the victim's name. If you don't know the victim's name, you can remember it if you just know the killer's name.
◎私の"あすへの一歩"
「相模原事件」をきっかけに「バリアフリージャパン」というニュースブログを始めました。I started a news blog called 'Barrier Free Japan' because of the 'Sagamihara Massacre'.
世間は冷たく感じてしまいます。風化していくからです…
大変失礼な言い方かもしれませんが、お許しください。私も精神障がい者です。事件が起きたあと、何時の世も世間は冷たく感じてしまいます。風化していくからです。また同じような事件が、起きないとは限りません。絶対にそれは許されません。どのような理由があれ、人間が人間を殺したり、傷つけたり、精神的に攻撃することは、私はあってはならないことです。とうしたら良いのか、考える人が薄れていく、そのような世の中には絶対にさせてはならないと感じています。失礼します。
「心失者」という醜い言葉。許せないです…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
痛かったことでしょう。怖かったでしょう。許せない事件です。平和に過ごしていたのに。些細な日常の幸せを壊された事件で。19人の方の尊いいのち。忘れません。かなしいです。安らかに、、。
◎今回の事件についてのご意見
「心失者」という醜い言葉。許せないです。私は知的障害のある方と同じ職場でした。その方は新人の私に、言葉はでませんが態度で仕事を教えてくれました。聞くと見本を見せて頂いたし、指を指してくれたり。それが可愛くてわざと聞いたこともあります。コミュニケーションはできていると思います。知的障害がほんとにあるのかな?という程に仕事がバリバリできて細いのにたくさんごはんを食べる方でした。まだ早い流れ作業が追いつけないときは静かに、ゆっくりコンベアをやってくれました。倒れた発泡スチロールがあれば一緒に直してくれました。普通なら文句を言われそうな感じでも、彼はもくもくと仕事をし、何にも言わず、作業が終わってもなにかしら仕事を探し休もうとせずすごく真面目でした。私はそんな彼が大好きで飲み物を差し入れたりしたことが何度かあります。お礼こそなかったですがお昼のときに飲んでくれすごく心が通じ合った気がして嬉しかったです。私はあの子がいないとまだ仕事がわからないこともあるし、頼りにしている存在でした。そんな経験が私にあり、神奈川のこの事件の本も2冊ほど読みました。かなしいです。寂しい人生だったんですね犯人は。表面だけしかわかりませんが。私は日に日に少しずつ目を合わせてくれたり手伝ってくれたりたまに挨拶をしてくれたり、した方を心失者だなんて思ったことはありません。少しの表情でも心を読み取ろうと思えばいくらでもできます。ありのままで愛されている施設の方々に嫉妬していたのか、両親からもらったのは条件付きの愛だったのでしょう。可哀想ですね。だからって人を殺してはならないと思います。みんなのささやかな日常を返してください。
◎私の"あすへの一歩"
障害のある方でも正直こんなに仕事ができるんだ!と驚いたし、同時にむしろもったいないなとさえ思うときもありました。健常者でもサボったり文句行ったり他人をこき下ろしたりするから。B型作業所など障害がある方が働いているとこを調べたり本を読んだりしました。私は辞めてしまいましたが、また縁があったら一緒に働きたいです。そしてよりいっそう差別をしないことを決意しました。 娘にもそう伝えようと思います。この事件のことを私は忘れません。
理不尽にその人の明日を奪うことは許されません…
亡くなられた皆さんの紹介の言葉に心が温かくなりました。しかしながら、すべて過去形で綴られています。生きていればもっと好きなことが見つかっていたのかもしれない、もっと得意なことが増えていたのかもしれない、もっと好きな食べ物が見つかっていたのかもしれない。どのような人であっても理不尽にその人の明日を奪うことは許されません。生きるはずだった明日を奪った責任はどのような刑であっても償うことはできないと思います。
願うだけでは自分も世界も変わらないことに気付きました…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
19人の被害者とご遺族に対して心よりお悔やみ申し上げます。そして負傷した入居者・職員の方々の傷心をお察しいたします。時が経っても絶対に忘れてはいけないことであると再度認識しました。「お母さんお父さん職員さん痛いよ痛いよ」と激痛と恐怖の中息絶えたかもしれない、その瞬間を想像するたびに涙がにじみます。ご遺族が裁判で仰った内容から、19のいのちが周囲に無垢な心と幸福をもたらす存在であったことを存じました。 特に私と歳が近い美帆ちゃんと26歳女性のエピソードは強く印象に残っております。彼女たちがもし私と友だちになっていたら私は全てが新しくキラキラした世界を体験していたことでしょう。この星は人の世はそれでも美しいとやまゆり園入居者の方々は私たちに教えているような気がします。19のいのちは今この一瞬を、歯を食いしばりながらなんとか生きようとする私たちを永遠に励まし続けているのかもしれません。どうか安らかにお休みください。いつか鎮魂のモニュメントにお花を持って参りますね。
◎今回の事件についてのご意見
植松死刑囚に対しては複雑な思いがあります。いくら苦ばかりで人生に疲弊して救われる方法がこれしかなかったとしても一線を超えてしまえばとてつもない代償と崩壊を招くことを彼は自覚していたのか、むしろその代償すら快感と受け取っているような節もあるように見受けられました。「皆の心にも植松がいるはずだ」この意見を聞くことが最近多く、たしかに普段心のどこかにある狂気の部分がある日突然暴走したらという恐怖は多くの人が抱えているに違いありません。例えば仕事に勉強に家事に人付き合いに介護に育児、あらゆる問題を1人で抱えて「なぜ自分ばかりがこんなに辛い目にあわなきゃいけない」「誰も救ってくれないしみんなが自分を苦しめる」という負の感情がある時暴走して自身もろとも周り全てを破壊してしまう、という事件は現在進行形で度々起こっています。これこそ「完璧・理想・さらに上」を常に求め続ける日本の国民性が生む闇であり、植松死刑囚もその闇の体現者であると考えれば障がい者に対して否定的な思想を持つことも不思議ではありません。 やまゆり園事件はこの国が抱く闇が最悪な形で露呈されたケースでもあると思われます。サイトで傍聴記録や取材記録を拝読するたびに「誰もが暮らしやすい社会」は幻想でしかなく障がい者はやはり周囲に金銭的精神的負担をかけるだけの存在に過ぎないのか、というマイナスな感情が芽生える一方で「障がい者にも生きる権利はあるし、どんなに出来ないことが多くても出来ることをして生きていればいいではないか」など肯定的な意見を持っている方がいるだけで心強くなれます。人は不完全な生き物ゆえ「心のどこかにいる植松」を完全にかき消すことは不可能でも「これ以上できない・抱えられないと思った時点で全てを諦めていいし逃避していいし第三者に託していい、その上自分だけ楽しく過ごすことを考えるのは決して悪いことではない」 という寛容かつ柔軟な思想が全国に広がれば「誰もが暮らしやすい社会」に一歩ずつ近づくはずである、と私は申します。
◎私の"あすへの一歩"
私はASDであり、そのため幼い時分より多種多様な障がい者と接する機会が多く、世の中には色々な人がいることを繰り返し勉強してきました。特に小学生時代は週末にリハビリ専門病院の訓練棟でASD・知的障害児どうしによるグループワークに参加したり、大人になってからは就労移行支援施設に通い様々な病名を持つ訓練生たちと共同作業をしたりと、障がいについての学習と自分自身が持つハンデに向き合う機会その両方を経験しました。私もどちらかというとやまゆり園入居者側な人間であるゆえ、障がい者の視点や立場はもちろん理解しているつもりでいます。ただ大人になり、ふと思うことがありました。「1日だけでも健常者になってみたい!」 「”普通”の基準をまとめた本を私にください!」 色々な書籍を読んでも知らないことばかりで、ついそう願っていました。しかし願うだけでは自分も世界も変わらないことに気付きました。私は今年メンタルヘルスマネジメント検定(セルフケアコース)を取得して、心と身体を守りつつの身近な人や仲間に寄り添い救う方法も習得しました。 健常者になれない、欠点があまりに多い私だからこそ果たせる役目がきっとあると思い立ちどんどん行動をするようにしました。突出して“これだけは誰よりも詳しい”という分野がなくとも証明や形になるものを持つことで誰かを励ますことに繋がったり、誰かに頼られたりして生きる源となります。生きるために明日のために勉強を重ねようと私は明日への1歩を少しずつ踏み出している最中でこざいます。まだまだドジで周囲を振り回してばかりな私には勉強がとにかく必要です。誰かのヒーローになりたい。やまゆり園事件を常に忘れず、その思いを持ち続けることが私に今できること。
自分の意識を変えていくことはできます…
私は大学生です。また、来年度からは、保育士になります(※投稿は2022年度)。事件当時はまだ、中学生であったこともあり、悲惨な報道があったなと感じておりました。高校、大学と勉学に励み、現在は卒業論文を執筆中です。そして、卒業論文執筆に際し、今一度振り返るのも辛いほどのこの事件について、改めて見返し、今に至ります。当時の記事や、国民の反応を見ていても、どこか無意識のうちにも、障害のある人の命を軽視している様子が伺えます。このことを皆が自覚することで、問題の所在を見つめ直す必要があると感じております。また、改めて、命の重みに差はない、そして、自分の思いを語ることができないからといって、決して生きる価値がないなどということはあり得ないと、胸を張って主張していきたいと思います。当時、亡くなった方々の多くは、個人的な情報について一切開示されず、単に「障害者」として扱われたと聞いております。それに比べ、ここでは、具体的なエピソードと共に、一人ひとりの人間性を垣間見ることができました。このホームページをみつけ、一人ひとりのエピソードに目を通していくと、あたかも、皆さんとの繋がりがあったかのように、心温かな気持ちを持つと同時に、法廷での言葉などを見ていくと、怒りと悲しみと、虚無感に襲われます。「障害者」としてカテゴライズするのではなく、ひとりの人間として、その人自身を見つめる必要性に改めて気づきました。今も、私たちの心に深い傷としてこの時間は残り続けています。今後も変わることはありません。どうしたらこんな悲惨な事件を繰り返すことなく、皆が、生きていくことができるのか、どれほど考えても、私の知識では結論が出ません。しかし、自分の意識を変えていくことはできます。私は、この事件ときちんと向き合い、今のこの社会の現状に目を背けることなく、多くの差別や偏見、そして無意識的なものとも、戦っていきたいと思います。決して肯定されてはいけません。私は、多くの観念と戦い続けます。その第一歩として、卒業論文を完成させたいと思います。
病院や施設だけでなく、地域のどこにでも、生きる場所がある、そんな世の中に来てほしい。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
私は、生まれつき、脊髄性筋萎縮症という進行性の筋肉の難病があり、日頃は、電動車いすに乗り、「重度訪問介護」という介助制度に支えられ、24時間、介助さんたちのサポートを受けて 市内に自立生活をしています。私は、学生時代養護学校に在籍しており、重度心身障害をもつクラスメイトとともに過ごしましたために事件を知った時、子供の頃の自分や仲間たち、養護学校の旧友たちのことが思い出され、私自身の存在も、友人たちの存在も、存在そのものを全否定された怒り悲しみで、胸がいっぱいになりました。これだけはあってはならないことだ、という、人生でいまだかつて経験をしたことのない怒りと悲しみで、「私自身が殺されたような気持ちだ」と思いました。私はこれまで、車いすのシンガーソングライターとして全国の学校などで歌を歌ったり、エッセイの本を出版したりと、実家を出て、介助さんたちとの一人暮らしに踏み切ってからずっと、音楽や表現活動をしてきました。その中には「障害を売りに世の中に出てこようとしやがって」というような中傷のような言葉もたまにはありますが、それでもなお、特に重度の障害をもつ当事者が、世の中に、身を晒し、姿を見せて、公にことばを発して、生きる姿を見せ続けることは、やはり意味のあること、止めてはいけないことだ、と決意をあらたにする(せざるを得ない)一番大きなできごとが、やまゆり園殺傷事件でもありました。
ご遺族の方のお心は想像を絶します。お悔やみの言葉では足りません。けれど、このサイトやマスメディアを通じても、思いを残し続けようと動かれているすべての皆様 遠く近く、全国、全世界のどこに住んでいても、事件のことを、わたしたちは、一生忘れないと、心に刻んでいる人たちはいて、事件の直後には、外へ出るのがなんだかこわいような気持がしたり言い知れぬ恐怖にかられたりするようなことも、ご遺族でなくとも、多くの障害当事者にもありましたが それでも生きる。社会から隠されない存在であるために。という、この思いを、未来へ、未来へとつないでゆきたいと願うばかりです。
◎今回の事件についてのご意見
言葉で意思を伝えられなくても、心がない人はない。そのことに気が付けなかった植松被告は、ご自身こそ、心が何か欠けているのではないかと思います。なにかができる/できない、で人の価値を判断してよいような時代は、この令和4年もう終わっています。 植松被告は身勝手で、したことは差別の極みです。でもどうして、人生に何があって、障害者は殺しても良いという考えに至ったのか 考えを改めることはあるのか、そのことは知りたいです。
◎私の"あすへの一歩"
この事件ののち、しばらくのあいだ、このサイトや関連する文献を見るのも辛く、音楽活動の範囲で歌の歌詞などにしようにも、事件への怒りの言葉しかなんにも出てこない日々を過ごしました。けれども、障害者対健常者ということとも全くこれは違うし、植松被告への怒り、事件への怒り悲しみ、そこを越えて(怒り悲しみが消えることはないけれど)今、ここから、未来に向けて、一歩を歩み出すとき、 「わたしたちは、どんな未来を見たいのか」「どのように、地域社会に、人と手をつなぎ、生きていきたいのか」多様性の社会を肯定する言葉「どんな未来に行きたいか」が解る言葉で詩や歌を、そして、特に重い障害をもつ仲間たちと作ろう!と思いました。そして2020年から昨年、事件とは理由が違えども、コロナ禍で、これまでにも「施設内の障害当事者の暮らしの様子は地域社会から見えにくい」ということは何十年も言われてきましたが、今度は在宅の障害当事者の仲間たちも、コロナ感染防止のための強い自粛で、おのおの、自宅の部屋の中だけに、仕事仲間や友達ともつながりを絶たれて、孤立して居続けるような毎日に突入し 「ああ、また、障害者の存在、暮らしが、隠されてしまう」という強い危機感の中「今、わたしたちが、飛び出さなくては!」というひらめきから、コロナ禍ゆえに一同に集まれませんでしたが、オンライン(ZOOMなど)を主に使って、2曲の歌を作りました。
「きかせてよ きみのこと すきなこと すきなひと すきなたべもの すきなうたを きみのなまえを かぞくのことを」という部分の歌詞は、やまゆり園殺傷事件の折、被害者の皆さんのお名前が出ない方も多く、あまりにも凄惨な事件に対しての、ご遺族の方々への配慮であると感じる一方で「ああ、死んでなお、名前まで隠されなければいけないのかな…」と、障害当事者として複雑な思いがした経験が元になっており、このうたのように、そしてイラストの絵のように、障害のある子もない子も、同じ景色の中にいてあたりまえ、すきなことも、すきなうたも、ひとりにひとつの個人の名前も、聞きあえて、一緒に遊び、学び、病院や施設だけでなく、地域のどこにでも、生きる場所がある、そんな世の中に来てほしい。
「人と違ったら排除」ではなく、多様性を是とする社会に来てほしい…と、強く願いをこめて作りました。今も、私たちは、コロナ禍における極端な(今までの人生で経験したことのない)極端な介助者不足や、感染対策としての外出無しなど、おのおのの日常の中で、生きる闘いをしています。
そして、そのあいだにも「去年できたことが今年はできなくなっている」というレベルで、私たちの障害は進行をしていきます。辛く悲しい事件の後にも、私たちは姿を見せ続けて、隠れず、隠されず、支えてくださる介助さんたちや看護師さんたち、友人たち、たくさんの方々と、手をつなぎ、生きていきます。
障がい者を否定する人は、人を否定することであり、人を否定するのであれば、自分をも否定すること
◎亡くなった方たちへのメッセージ
もっともっと長く生きて、楽しく過ごしたかったね。穏やかに、ゆったりと、笑顔で周りのみんなを幸せにしてくれる。その存在がどれほど大きかったか、大事だったか。どんな障害があっても、頑張って一生懸命生きてきたのに。皆さんの魂の安らかなることを心より祈ります。
◎今回の事件についてのご意見
障がい者を否定する人は、人を否定することであり、人を否定するのであれば、自分をも否定することに等しい。自分を否定する手段として、障がい者を利用し、死刑という人生の完結を選んだ。愚かだ。障がい者と暮らしていると、つくづく思うのは、大した違いなんてない、むしろ彼らに教わることが多い。心のやさしさ、清らかさ、その中で共に生きることがどんなに幸せなことか。感謝しかない。 植松死刑囚も家族に重度障がい者がいて、父や母が明るく楽しく頑張っていたら、違っていたと思う。
生きている限り絶対に障害者にはならない、という保障は誰にもない
◎亡くなった方たちへのメッセージ
どんなにか痛くて怖かったことでしょう。想像するだけで、私も痛く悲しくなります。犯人のことは許せません。死刑なんて軽すぎです。理不尽な形で人生を終わらされてしまったけれど、せめてやすらかに眠ってください。
◎今回の事件についてのご意見
まず、犯人の障害者に対する考え方と、刃物で刺し殺す、という残虐の極みの行為とを分けて考えなければならないと思います。本音のところでどういう考え方を持っていようと他者にはどうにもできない事。でもそれを言動にうつす、となると話は別。殺人に正義も使命感もありません。抵抗できない人を刃物で刺し殺すなんて、残虐、卑劣の極み。絶対に許されない事です。この事に対するメディアの切り込みも甘いと思います。そして、犯人を賛美する人も少なからずいる、というのも不気味です。遺族の方々の怒りも弱いように感じます。これも、日本の風潮のせいもあるかもしれません。それから、地球上に生きている限り絶対に障害者にはならない、という保障は誰にもない、ということも認識しなければならないと思います。
これまで「利用者さんたちと出会えてよかった」と何度も感じてきました
謹んでご冥福をお祈りいたします。生活支援員として働いている者です。生活を共にしていると、もちろん大変なこともあります。しかしそれ以上に、職員の側が救われている部分も本当にたくさんあると感じています。これまで「利用者さんたちと出会えてよかった」と何度も感じてきました。もしも一緒にいるのがしんどいと感じるのであれば距離を取るべきで、人の人生を壊すようなことはあってはならないと強く思います。また、犯人の考えに少しでも同調する人を減らすことも私達の使命なのかなと思いました。
偏見が大きな問題であり、この事件を起こした死刑囚だけの問題ではないと思います
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなった19名の方々のことを考えると、どんなことばを言って良いのか分かりません。植松死刑囚に襲われた時、怖かったんじゃないかな、痛かったんじゃないかな、怖くてお父さん・お母さんに会いたかったんじゃないかなと思いました。
◎今回の事件についてのご意見
この事件は、本当に死刑囚だけの問題なのでしょうか。この日本の社会、家族などの小さな社会から、学校社会、地域社会、企業などの社会、国・都道府県などの行政などの社会、病院や施設での社会などさまざまな社会の、障がいのある人たちへの見方、目線、接し方などが生んだ偏見が大きな問題であり、この事件を起こした死刑囚だけの問題ではないと思います。何の障がいもない健常な人は、心の何処かで障がいのある人を「害のある人」と大なり小なり思うと思いました。私自身も自分自身が障がいをもつまでは、障がい者の気持ち、行動、言動など、理解するのが難しかったことは否定できません。 また、障がいを持って初めてわかることも沢山ありました。身体障がい・知的障がい・内部障がいをもつ人を理解することは、何の障がいもない健常な人には難しいかも知れません。しかし、障がいをもつ人が存在することを認めること、どのような背景をもつ人でも生きる意味があるということ、この2つはどのような社会であっても認めてもらいたい、そんな思いが起こりました。
◎私の"あすへの一歩"
この事件だけではないのですが、障がいをもち地域で暮らす人とご家族の支援をするケアについて、開発して行きたいと思います。
障碍者だから?他人に迷惑を掛けなきゃ生きていけないのは、全員共通だ
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなった19名の方全員が、生まれ変わって幸せな人生を歩めますように。 また、どんな形であれまたご家族の側で生きられますように。
◎今回の事件についてのご意見
毎年、この時期になるとこの事件を思い出します。私の彼は重度障碍者支援の施設で働いており、この事件について「俺も仕事でイライラすることがある。だけど、それは相手が障碍者だからじゃないよ。人間だから、他人だから解りあえないことがあってイライラするだけ。あの子ら(自身の施設の方や亡くなった方)が殺されていい存在だと言うなら、俺たちもあいつ(犯人)も、この世の中全員が殺されていい存在になるに決まっているだろう?障碍者だから?他人に迷惑を掛けなきゃ生きていけないのは、全員共通だ」と、言っていました。彼は担当している入居者の方から殴られたり、引っ掻かれたりよく傷をつくって帰ってきます。それでも、事件以降は特に入居者の方も職員の方もかけがえのない存在だと口にすることが多いです。無口で感情の起伏が少ない彼が、心から施設の方々を大切に思っていることが伝わってきました。命に優先順位などない。失われていい命は、自分勝手に他人の人生を奪ってその家族や友人に一生拭えない悲しみを植えつけた奴だけです。 元々、障碍者の方に偏見が一切ない(重度の知的障がい者の友人と普段から普通に接しているので違いがわからない)私ですが、彼の言葉を聞いて改めてそう思いました。
◎私の"あすへの一歩"
理不尽な事件や未解決事件に積極的に署名をするようになりました。
それでも前を向いて進むしかない。この思いのどこか、ご遺族の皆さんとつながりながら
◎亡くなった方たちへのメッセージ
夏は忘れずに巡ってきました。皆さんも見た同じ夏空。皆さんも聞いていた元気なセミの声。そう、同じこの世の中で。悲しい。
◎今回の事件についてのご意見
若くして精神障害を負い、数年前には難病にもかかった私に「あなたの人生にいいことはなにもないじゃない」と言った人がいました。ごくふつうの、たぶん常識的にしか見えない人です。この事件を、植松一個人の特異性のせいにしてはならないと思います。私たちのような存在をかわいそうとするまなざしは、案外、ふつうにあるということ。そこに、もっと多くの人たちに気づいて欲しいと思います。
◎私の"あすへの一歩"
ごく最近、サポート役と信じていた方から信じられない仕打ちを受けました。私の気持ちとしては治まらない。ただ、システム上、訴えるのはほぼ不可能でした。心に深い傷を負い、それでも前を向いて進むしかない。この思いのどこか、ご遺族の皆さんとつながりながら。
「他者をどこかで線引きしている」ということは、誰にでも多少なりともある
◎亡くなった方たちへのメッセージ
改めて、お亡くなりになった皆様に、深くお悔やみを申し上げます。
◎今回の事件についてのご意見
まず、植松の「コミュニケーションの取れない人間はいなくなればいい」という思想及び、大量殺人という行為は決して許されるものではありません。とはいえ障がい者に限らず、「他者をどこかで線引きしている」ということは、誰にでも多少なりともあるものだと思っています。このような思想を生み出したのは、昔からの日本の「優生思想」ではないのでしょうか?そして植松はそれが最も具現化された人間だとも思うのです。優生思想を少しずつ変えていくのはかなりの年月を要すると思います。しかし植松にはせめて、死刑執行前に考えを改めた上で、本当の謝罪をしてほしいと願うばかりです。
◎私の"あすへの一歩"
私は現在、自閉症者のグループホームでの支援員を勤めていて、自閉症や知的障がい等の特性を勉強しています。実は中学時代、同学年に知的障がい者が2人いましたが、当時は彼らの事を「厄介な存在=いない方が助かる」という見方が大きかったのです。正に、植松と同じ考え方でした。今思うとそれは、全くといっていいほど発達障がいについて知らなかったことが一因だと思っています。本当に後悔と申し訳無さがいっぱいです。このように、日本ではまだまだ発達障がいについて正しく理解されていない部分が大きいんだと思います。そのためには、特別支援の学級や学校でなくても、彼らについてしっかり学習する機会を設けるべきではないでしょうか。
この事件が起きたとき、私は中学生でしたが、本当に衝撃でした。
この事件は決して忘れてはいけないと考えています。このような痛ましい事件が二度と起こらないためにもこのようなサイトをつくっていただいたこと、心より感謝いたします。人の命に価値はつけられるものなのでしょうか。この事件が起きたとき、私は中学生でしたが、本当に衝撃でした。何よりも悲しかったのは世間の声です。障害者差別を容認する意見がインターネット上にたくさん寄せられとても心が痛くなったのを覚えています。私はこの事件をきっかけに障害者を擁護する立場の人間になりたいと思いました。そして、今受験をし、社会福祉学科として福祉について大学で学んでいます。私の夢は障害者の就労の安定に力を尽くすことです。障害を理由として排除する世の中は許せません。障害を持っていようが、私達と同じで一人一人が素敵な人間です。彼らのために自分のために勉強を頑張ります。
相模原事件を忘れないでください。私は県民・横浜市民として、決して忘れません。
相模原殺傷事件でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。県民として、この事件で命が奪われたことは本当に悔しいです。大変許しがたい事件です。私はふるさと神奈川県が大好きです。神奈川県民・横浜市民の立場として、決して19人の命を忘れません。相模原事件で亡くなった19人は、命の大切さ、今を生きる大切さを教えてくれました。これからは、神奈川県が共に生きる社会になることを願います。みなさんには、障害があってもなくても生きる権利、働く権利があります。誰でも個性が違うからこその良さがあるのです。私はみなさんの個性を尊重します。私は鉄道ファンです。 新型コロナウイルスが早期収束すること、世界中の皆さんが幸せに生きられることを願っています。植松聖は絶対に許しません。相模原事件を忘れないでください。私は県民・横浜市民として、決して忘れません。世界中のみなさんが幸せに生きられることを願います。
あの痛ましい事件から、5年が経つんですね。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
あの痛ましい事件から、5年が経つんですね。今でも信じられない。19人のみなさん、本当にごめんなさい。何にも力になれなくて本当にごめんなさい。できるものならば、僕の命をわけて、あなた達を天国から、連れ戻して、楽しく過ごさせてあげたい気持ちでいっぱいです。僕は、あなた達が世界一大好きだよ。いつか、天国で友達になってください。たくさん笑顔でいっぱい遊ぼうね。約束だよ。お父様お母様、世界一素敵な笑顔の息子さん、娘さんを産んで育ててくれて本当にありがとうございます。最後になりましたが、心から、謹んでご冥福をお祈りいたします。
◎今回の事件についてのご意見
ただただ酷すぎます。19人の大事な命と、幸せな生活の時間を返せ。植松は、人間じゃないと僕は、強く思います。僕は思うのです。障がい者のみなさんこそが生きる価値が凄くあると、僕は強く思います。みなさんは、どう思いますか?僕の考え方は間違っていると思いますか。
◎私の"あすへの一歩"
僕達は、決して19人のみなさんの大事な命を無駄にしない為にも一生懸命前を向いて少しずつ歩いていきたいし、全国の皆さんそして世界中の皆さんに障がい者の皆さんは、こんなに素敵な笑顔の持ち主なんですよと理解してもらえるように僕達も頑張って伝えていきたいと思います。
事件当時同い年の女性がいると知り、急に実感を持って事件に怒りを感じました。年々彼女と歳の差が拡がっていくことが悲しいです。被害者とは何の関係もない私ですが、墓参りのようにこのサイトを訪れています。是非消さないで欲しいです。
この問題は世界中の課題だと思う。形こそ違いますが差別は日常頻繁に起きています。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
お悔やみ申し上げます。憎い、悲しい、どうしてと言う気持ちです。
◎今回の事件についてのご意見
一言では言えないと思います。恨み節や、誹謗しても何も帰ってきません。この問題は世界中の課題だと思う。形こそ違いますが差別は日常頻繁に起きています。世界中で。政府がもっと福祉にお金を掛けなければいけない。もっとマンパワーを増やし、何かしら障害者に身近に看護的によりそって欲しい。人間は1人では弱く、だから仲間を増やしたがる。そして仲間以外は敵と見なす傾向があると思います。ですからマスコミなんかがもっと福祉に関して話題を投げ掛けてください。日本政府に。お願いします。日本政府は、国立の病院をもっともっと増やすべきです日本の国立施設は遅れています。もっと住みやすい日本になるようにみんなで努力しましょう!
◎私の"あすへの一歩"
人間みんな平等の精神をもって困っている人が近くにいれば助けられるようになります。
いつかまた、みんなと笑える日のためにご家族も今を一生懸命生きていますからね。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
はじめまして。天国のくらしは、どうですか?好きな食べ物を食べて、好きな音楽、アニメ、楽しんでいますか?さみしくないですか?みんなが一緒だといいです。そっちに行く前はとっても怖くて痛かったことと思います。だからもう、楽しいことだけ、好きなことだけしてもいいんですよ。いつかまた、みんなと笑える日のためにご家族も今を一生懸命生きていますからね。
◎今回の事件についてのご意見
この事件がなぜ起きてしまったか…その理由を事件に関する様々な記録から私が読み解いた答え。それは、人間とは『自分の不幸を誰かのせいにしたい』生き物だからです。植松被告の不幸は、「自分のダメなところ・弱いところ」を受け入れてくれる誰かが存在しなかったこと。「自分の良いところ」を見つけられなかったこと、その2点だと思います。自分のダメなところ、自分の醜さや欠点を知ることは「他人への寛容」さに繋がります。自分の良いところを好きになることは、自分の欠点を補うことなんかより、何倍も幸せになれるし、他人と比較する必要が無いので「認め合い」に繋がります。その2つを教えてくれるのが、【障がい】という概念だと私は捉えています。このことに、気づけるか気づけないかで、人生は大きく変わると思います。
私も彼らのことが好きになりました。温かい気持ちになれました。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
このサイトをみてみると19人のかた一人一人の個性、好きなもの、日常、表情などいろいろなことが読み取れました。会ったことのない私も彼らのことが好きになりました。温かい気持ちになれました。確かに周りの人の手助けがなければ生活していけないですが、年齢を重ねても純粋で、周りの人をも温かくすることができることも彼らの素敵なところだと思います。意思の疎通というものは言葉や表情だけではないと思います。家族や関わってきた方々だからこそ読み取れる感情やできるやりとりがあると思います。亡くなった方19名の方々が生きた人生が少しでも幸せで温かいものであったこと、そして安らかに天国でも好きなことをして幸せであることを切に願っています。
◎私の"あすへの一歩"
障害が重いため意思の疎通ができず、不幸であると他人が決めることは非常におこがましいことであると思います。意思の疎通があまりできずとも、彼らにはちゃんと個性があって、好きなものがあって、大好きな会いたい家族がいて、やりたいこともあって、ちゃんと生きていたことが、直接あったことがなく、このサイトを読んだだけの私にも伝わりました。私は以前、障害を持った方達とかかわる機会がありました。彼らは私とあまり年齢が変わらないけれど、とてもとてもとても純粋でした。そのクラスの先生が彼らに「大好きだよ~!」と伝えると、彼らはものすごく嬉しそうに笑い、体を揺らしたり、声を出したりしていました。クリスマスにはチョコレートをサンタさんに頼んでいました。音楽の授業では全身で音楽に乗り、声を出し、心の底から楽しんでいる様子が言葉を介さずとも伝わりました。本来、音楽とはそのようなものであると思います。人は「知らないもの」「自分とは違うもの」を怖がり、避ける節があると思っています。なので、音楽を媒介にして障害を持つ子どもも、持たない子どもも一緒に音楽を楽しめる機会がどんどん増えていけるのではないかと、理想かもしれないけれど思っています。彼らとの関わりは確かに大変な面もありましたが、私まで温かい気持ちになり、笑顔になることができます。私は将来障害を持った子どもたちと関わる仕事に就きたいと考えています。彼ら一人一人のことを見て、何を考えているのか、行動の裏には何があるのか、何を伝えたいのか、どうしたいのかを汲み取れる人になりたいと思います。人の不幸や幸せは他人に決められるものではありません。せめて、少しでも、私の周りの人たちが笑顔になって、温かい気持ちになって、穏やかに過ごしていけることを願っています。
今、事件の風化が進んでいると思います。しかし、風化させてはいけない事件です。
事件を考える場を作ってみようと思います。裁判から一年が過ぎました。裁判が行われた2020年3月は、ちょうど新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時期で、この裁判にそこまで注目が集まらなかったように感じます。裁判が終わり、事件に関する大きな動きが今後見込めない今、事件の風化が進んでいると思います。しかし、風化させてはいけない事件です。この事件は、現代社会の「生きづらさ」が露呈した事件であり、この事件を考えることは大きな意味があるからです。事件以前よりもより良い社会にするために、障害の有無に関わらず権利が守られる社会にするために、相模原事件を考え続けることはこれからを担う私たち若い世代の使命でもあると思います。私たち一学生ができることは僅かかもしれませんが、一つのソーシャルアクションとして、多くの人に相模原事件を考えてもらいたいという願いを込めて、オンラインの講演会を企画するという形で行動を起こしてみようと思いました。こうした行動の積み重ねが気づきの輪を広げて、障害の有無に関わらず誰もが生きやすい社会になると信じています。
今年、教育学部特別支援学科を受験しました。私に何が出来るか考えた時、
この事件が起きた時、私は中学生でした。障がい者は当たり前に生きていて、当たり前に社会に受け入れられているものだと、障がいのある人との交流をしていた私は、余計、この事件や被告の考え方に触れた時、とてもショックでした。しかし当時の私には何も出来ず、ただ悔しい気持ちが浮かぶばかりでした。今年、教育学部特別支援学科を受験しました。私に何が出来るか考えた時、私に障がいのある人との交流機会を与えてくれた母の仕事でもある特別支援教諭になれば、これから将来を担う子供たちに障がいがあろうとなかろうと生きる権利が当たり前にあることや、障がいが1つの障壁ではなく個性でもあること、互いを支え合うことの大切さを自ら教えることができ、配慮がなく、差別の残る社会を少しでも変えられるのではないかと考えました。先は長く挫けることもあるかもしれませんが、頑張りたいです。
そこには確実に意思があります。伝えたいという、彼らの気持ちがあります。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなられた方にはただただ、安らかにお眠りくださいと願うばかりです。ひとりひとりが、ご家族や周囲の方に愛されて生きていたのだということを、おぼえていたいと思います。
◎今回の事件についてのご意見
私は障害児の施設を運営しています。この事件は起きた時から他人事でなく、ずっと追いかけ続けてきて、事件に関する様々な資料も読んできました。障害児と接する立場の人間として被告のあまりにも傲慢で身勝手な主張には憤りを覚えていました。私が仕事で接する子供たちの中には重度の障害のある子もいます。ですが私はその子供達と接していて、彼らと意思疎通がとれていないと思ったことはありません。勿論、彼らの言いたいことを組み取れていないなと思うことは多々ありましたが、それでも、彼らとの関わりを深めていく中で、子供達の伝えたいことが理解できる瞬間は多くありました。伝わらないことなんてないんです。こちらが汲み取ろうとし続ければ、いつかは絶対に分かります。勿論それは明確な言葉ではないかもしれません。意味のある言語ではないかもしれません。でもそこには確実に意思があります。伝えたいという、彼らの気持ちがあります。それを無視して身勝手な行為で人の命を奪った被告には、福祉に携わる人間として全く共感できません。被告が施設の職員だったということもあり、時に福祉に携わる人間はそういうことを思うこともあるというような話をされることもありましたが、そんなことはないと言いたいです。事件のあった1年後、私の年の離れた弟が小児脳腫瘍になり、その後遺症として高次脳機能障害を負いました。弟は普通にコミュニケーションをとることが出来ますが、それでもその障害を感じることがあります。何よりも、小児脳腫瘍というのは治った後の症例が少なく、今後知能低下や、他の様々な後遺症が出るかもしれないと言われています。その時強く実感したのは、どうなったとしても私にとって最も大事な弟であることは変らないということです。当事者家族になって思うことがあります。どんな障害を負おうとも、いらない存在などはないということ。それを他人に決められる筋合いはありません。弟は被告のいうような意思疎通のとれない重度な障害があるわけではありません。では意思疎通のとれる障害児が普通に、なんら苦悩もなく生きているのかと言われるとそんなことはない。私の弟は沢山の困難を抱え、生きづらさを抱え、それを理解されないことに打ちのめされつつも生きています。それでも信頼できる人たちの前では笑顔で、思い切り自分を表現して生きています。もし弟が言葉を話すことが出来なくなっても、私は弟の言いたいことが分かると思います。意思疎通の方法は言葉だけではありません。それはこの仕事をしていても、弟を見ていても感じることです。私としては福祉の仕事をしていたという被告がそんな当たり前のことにも気づくことが出来なかったことがありえないなと思います。私の弟も、私の施設に通う子供達も、重度障碍者と言われる人たちも、世の中にいらない存在ではない。今後どうなるか分からないけれど、それでも彼が生きている。それ以上に意味のあることはありません。
◎私の"あすへの一歩"
これまで自分の仕事も含め、発信することは少なかったですが、外部に発信するべきなのだなと思いました。
この事件はある意味わたし達の生きる社会のせいとも言える。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
こんな悲惨な事件を起こしてしまって本当にごめんなさい。わたし達はこの事件を一生忘れません。
◎今回の事件についてのご意見
人の命の価値を決めつけることは、私たちは出来ないと思う。 誰の命も皆平等で、どの人の命も大切だと思う。障がい者だから、とか障がい者なんて、とか、そう思う人がいる事も仕方がない事だとは思うけど、できるなら、そう思う人が少なくなって、もっと思いやりを持てる人が増えればなと思う。この事件はある意味わたし達の生きる社会のせいとも言える。嘘と偽りと綺麗事にまみれたこの世をもっと変えていく必要があると思う。私たちはこの事件を忘れてはならない。そして、このような事件をもう2度と起こさないために今私たちができることは、 亡くなられた19人の方の分まで私たちが懸命に生きて、この事件を風化させない事だと思う。
◎私の"あすへの一歩"
学校で出された人権についての作文を、相模原障害者施設殺傷事件について書きました。このサイトも拝見させて頂き、 深くまでこの事件について知ることができました。本当にありがとうございました。
子どもは重度障害児です。この事件を見て、生きるのが本当に怖くなりました。
◎亡くなった方たちへのメッセージ
私たちは、命の価値を、一生をかけて探します。どうか、安らかに眠ってください。
◎今回の事件についてのご意見
生産性が無い人も、人に迷惑をかける人も、世の中には他にも沢山いるのに、何故殺されたのは障害者だったのでしょうか。
◎私の"あすへの一歩"
うちは母子家庭で、子どもは重度障害児です。この事件を見て、生きるのが本当に怖くなりました。そして未だに、自分たちが生きる意味を見いだせずにいます。「綺麗事」というのは、「経験をした事の無い人が、理想論を語ること」だと私は思っています。私たちは、綺麗事ではない真実を見つめる使命があると思います。命の価値はどこにあるのか、私は一生をかけて考え続け、表現したいと思います。
関われる機会が小さい頃からあったらこの事件が無かったのか…
私は、障がいを持ってる人と関わる機会が昔からありました。不登校になって現在別室登校していて特別支援学級で特定授業を受けていることと、母親の職場がきっかけです。この事件を受けて、障がいを持った人と健常の人が一緒に関われる機会が小さい頃からあったらこの事件が無かったのかと思い、保育士の免許を取得し、健常の子供と障がい児が一緒になって生活できる幼稚園で働きたいと思いました。障がい児入居施設にボランティアに行ったり、放課後デイサービスに行ってボランティアをしたり、習い事でも障がいを持ってる人と関わって日々彼ら彼女らからたくさんのことを学びます。障がいに限らず全ての人が一緒に楽しく生きていけるような世界を目指して、たくさんボランティアし、色んなことを勉強していきたいです。
時間が経つにつれ、ただ単に「狂った人間が起こした凄惨な事件」と簡単に片づけるべきではないと…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
どんなにか痛かったことでしょう。怖かったことでしょう。辛かったことでしょう。ご冥福をお祈りするとともに、この事件を考え続け、私に出来ることを行動に移していきます。
◎今回の事件についてのご意見
この事件が起こった当初、私の犯人に対する感情は「『正義』を勘違いした狂ったナルシスト」であり憎悪でしかありませんでした。 重度知的障がいを持つ自閉症の我が子は犯人にとって「心失者」であり、「不幸しか生まない」「生産性のない」人間であり殺すべき対象でしょう。そして亡くなった方々の匿名報道に、重度知的障がいを持つ子の親として怒りを覚えました。しかし、時間が経つにつれ、ただ単に「狂った人間が起こした凄惨な事件」と簡単に片づけるべきではないと思うようになりました。障害のある子との生活は大変です。親である私でさえ「この子がいなければ」と思ったことは一度きりではありません。つまりは私の中にも「植松聖」は存在するのです。そして社会の中にも「植松聖」は存在する、ただ行動を起こすか起こさないかの違いで。しかしどんなに重度な障がい者でも当たり前ですが心も感情もあります。一見意味のない行動や、問題行動にも必ず原因があるわけで、それを「困った行動」と簡単に結論づけたり、言葉だけが意思疎通ではないし、それぞれがそれぞれの意思表示をしているはずでですが、ただそれが分かりにくい故に「意思疎通が出来ない、理解できない」と切り捨てる。そして自分が「対応できない・理解できない」事を全て「重度障がい者=悪」と結論付けることで自分を正当化する。理想が高いなら尚更現実とのギャップを自分ではなく相手に責任転嫁したのではないかと。但し分かろうとするには時間も、心の余裕も必要であり、恐らく施設にはその余裕がないのも事実だと思います。 我が子との生活は大変で、悩み苦しみ、辛い事も多いのですが、試行錯誤の末に意思の疎通が出来たとき、子の成長を、笑顔を、心から本当に心から「幸せ」と思えるのです。犯人に言わせれば「家族として情が移っているに過ぎない、感覚がマヒしている」と言われても、私はこの子がいるからこそ、自分が前を向くことが出来る。それは社会の言う「生産性」ではありませんが、私にとっての力であり我が子が存在する意義があると。私たちは不幸ではありません。 しかし苦しんでいる家族が多いのも事実でしょう。 その家族に差し伸べられる多くの手と優しさがあれば、きっと「私たちは不幸でない」と言えると思うのです。
◎私の"あすへの一歩"
「障がい者理解」と社会では言われますが、実際に障がい者に接する機会が無いのも事実です。障がい者のみならず多様な人たちが構えずに楽しみながら触れ合う機会を増やすこと、「卓球バレー」というユニバーサルスポーツを通して多様な人たちが触れ合う場を作るスポーツボランティアを行っています。また社会福祉士を目指して通信教育を受けることに決めました。
病気になる前も、障害をおった後も、自分の命よりも大切な愛する我が子…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
どんなに怖かったか、痛かったか、言葉は話せなくても心はある。亡くなった方へのご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の心の痛みに思いを馳せます。
◎今回の事件についてのご意見
息子は幼児の頃に急性の重い病気で生死をさまよった。命は助かったが、脳に重い障害が残り、一夜にして健常者から重度障害児となった。本人、家族の生活は一変した。身内であっても手を離した人、他人であっても手を差し伸べてくれた人、研究サンプルにしか見ていないような大学病院の医師、自分の身内のように気にかけてくれた医療の方…。息子が障害をおわなければ会わなかった人達、行かなかった場所。障害を通して、人の深い内面が見えるようになった。大変なことは多い。けれども、私にとって息子は、病気になる前も、障害をおった後も、自分の命よりも大切な愛する我が子。あの時、助からずに亡くなったほうが良かったなんて、思ったことは一度もない。
被告は特殊ではなく、過去と現在の日本社会が生み出した結果だと思います…
私は、植松被告は特殊ではなく、過去と現在の日本社会が生み出した結果だと思います。世の中はやっきになって植松被告に改心させようとしていますが、結果を変えても意味がありません。植松被告は障害者の家族が疲弊していると言っており、それは事実だと思います。そして家族を疲弊させているのは障害者と言うよりも日本の社会だと思います。そうした日本社会を変えることがこの問題の根本的な解決であり、ただ植松被告の罪を追及するのはごまかしに思えてなりません。
事件の裁判では被告とともに私たち全員も裁かれるのだと考えるべきです…
◎今回の事件についてのご意見
心からご冥福お祈り申し上げます。差別の意識は誰でも持っています。被告が供述したような差別や偏見の意識は誰でも思ったことがあるはずです。だから裁判で裁かれるのは植松被告だけでなく、私たち全員もです。人間は障害者を差別します。ですから、この事件の裁判では被告とともに私たち全員も裁かれるのだと考えるべきです。他人事と思わないことです。
◎私の"あすへの一歩"
障害を障害ととらえない考え方に発想転換することです。また、その人が困って戸惑っているならば何に困っているのか、何をしてほしいのか、何がわからないのか、に気を配り、気を利かせて手助けするのです。また身近でもそのような人がいたら普段から小さなことでもお手伝いするのです。
世の中の仕組みについても考えなければならないと思いました…
私も福祉に関わっている人間です。この事件を、犯人の考えを、最初に聞いた時、まず思ったことは、私たちが支援している方たちは世の中から見たら幸せそうに見えてないのか!?私たちの支援の仕方が何か間違っているのか!?…ということです。それを踏まえ、いろんな考えを受け入れなければならないと思いました。もちろん、排除してしまうというのは受け入れられませんが、そういう考えを持つ人を生み出している世の中の仕組みについても考えなければならないと思いました。それでも、いろんな考えを持つ人間は出てくるとは思います。お互いに、そんな考えがあるんだね、じゃあどうしたらいいと思う?って、話し合えたり、考えたりできる世の中になればいいなぁと思います。
いのちに線引きしない社会づくりに貢献できるよう、自分なりに励んでいきたい…
心よりお悔やみ申し上げます。私は今、臨床心理士の資格取得を目指して勉強に励んでいます。心理学の勉強をしていると、様々な精神疾患およびパーソナリティ、認知様式などの個人的な要素や、周囲の家族、社会などの環境的な要素を含め、多角的な視点から『人』というものを捉えるようになりました。加害者がパーソナリティ障害であろうと精神障害であろうと、今回の事件は決して許されることではないと憤りを感じつつも、どこか哀しく、やるせない気持ちを強く抱きました。この世に産まれたからには、すべての人間が周りから愛され、あるがままに生きて欲しい、、。これは、身体的な障害を持つ方々はもちろんのこと、精神的な障害を持つ方々に対しても私は強く願っています。加害者を擁護するつもりは微塵もありませんが、このような歪曲された認知に至った経緯、そしてそれを防ぐことはできなかったのか、、、加害者1人を死刑にして終わる問題ではないように思いました。私は今回の事件を絶対に忘れません。『人』とは何なのか、常に自分自身に問いながら、いのちに線引きしない社会づくりに貢献できるよう、自分なりに励んでいきたいと思います。
裁判のニュースを見て、3年半の間とてもお気持ちが辛いことに共感しました…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
裁判のニュースを見て、3年半の間とてもお気持ちが辛いことに共感しました。その気持ちを受け止め、私は考えさせられました。それはご家族の温かい気持ちや、輝いている存在であったことなどです。この思いを忘れずに様々なことに努めたいと思います。ご冥福をお祈りします。
◎今回の事件についてのご意見
何故、障害のある人たちを否定されなければならないのか。この疑問は長年思ってきました。この事件をニュースで見て色々考えさせられました。また、人は人を否定することは許されないと思っています。それは人それぞれ価値観を持ち固有の性格があり、生きているのだと。障害のある人たちの権利を守るために私たちは考えなければならないことだと感じ、それを簡単に排除など否定的な考え方は誤りだと思っています。私たちは社会で生きていく上での営み、人生100年と呼ばれてきている中でどのように暮らしていくべきか考えていくべきことだと思います。社会には広い空間がありますが、現在はどんな社会だと認識し、障害のある人たちの安心や幸せなことは何かを探っていかなければならないと考えています。
◎私の"あすへの一歩"
私は障害のある人たちとふれあって数年以上たち、「障害者差別における基本的人権の尊重」をテーマに、作文を書いたことがありました。実際にふれあってみて心が温まり、私自身勉強になることがありました。そこで私は今、障害者福祉と地域福祉の研究をし、実際に障害のある人たちとふれあいをする機会を得るために自主的にボランティア活動をしたり、アルバイトで福祉事業所で働いたりしてきました。現在、私は障害のある仲間と遊びに行ったり、食事をしたりと余暇活動をしています。この事件では、障害のある人たちの存在を否定しないため、私たちはどうしていくべきか考えさせられました。障害のある人たちの否定は良くないことだと当然のことと感じています。社会でどのように障害のある人たちを支えていくべきか、それは直接関わってみることだと思います。 障害のある人たちは同じ人間だという認識や理解に留まらず、積極的に交流を図ることが重要だと思います。この事件について重く受け止め、考えていけるように研修会やボランティア活動、アルバイト継続、研究、実習などを活かして福祉職を目指したい。
従来のような「生産性」に対する価値観が必要なくなっていくはずです…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
命を落としてしまったことは、悲劇であるとしか言いようがありません。犯人も、匿名を頑なに希望されている一部のご遺族も、また匿名にしないと何らかの不都合が生じてしまう世間も、なぜこうも障害者を「別扱い」せねばならなかったのかと思うと、とても悲しく、悔しく思います。
◎今回の事件についてのご意見
このサイトに寄せられた意見を拝見して、とてもショックを受けました。障害を持つ方々に共感し、肯定しているはずの人々が、その存在意義として挙げているのは『元気づけられる』『生きる希望を与えてくれる』といったようなものばかり。障害者はそんなふうに健常者の「道化」や「ペット」として生きるしかないのでしょうか。感動を売り物にしがちなメディアが必ずしも悪いと言うつもりはありませんが、「障害者の味方」を自称する人々の考え方がこのようでは、差別は形を変えて残っていくだけだろうと思わざるを得ません。
◎私の"あすへの一歩"
労働に関する意識の変化や、IoTやAIの活用なども相まって、従来のような「生産性」に対する価値観が必要なくなっていくはずです。障害のある方々が「本当の意味で」社会に参画し、そして「自らの」人生を手に入れるための転機はきっと訪れるので、応援していきたいと思います。
障害者の中にも差別があるんですね。精神障害者は世間、世の中から益々これから孤立して…
何故、この世の中は知的障害者ばかり優遇するのですか?私は精神障害者になり10年以上経ちました。精神障害者ってだけで白い目で見られ、精神障害者になった理由の病名を言えばあの殺人した人と同じ病気なんだねと言われ、社会復帰したいと思いハローワークの障害者雇用の応募に行けば採用されるのは知的障害者と身体障害者ばかり。精神障害者は厄介者なのですか?障害者って精神障害者は違うんですね。障害者の中にも差別があるんですね。精神障害者は世間、世の中から益々これから孤立して行く事でしょう。
「人は生きているだけでは価値がない」と考えている人は少なからずいる…
「人は生きているだけで価値がある」そんな当たり前のことをあえて言わなくても済むように-。「人は生きているだけでは価値がない」と考えている人は少なからずいる。いや多数派なのかもしれない。昨年一年間でも2万人近い人が自殺している日本で、「生きているだけで価値がある」ということが当たり前だとは言えないだろう。能力主義が「当たり前」になりつつある世の中で「能力の劣った人」や「能力のない人」と評価された人はどう生きていけばいいのだろうか?どこであれ「精神科病院の入院患者と刑務所の受刑者」がもっともその社会から疎外された孤独な存在だ、そのふたつの施設は社会の苦しみがあらわれていると、共同体〈ラルシュ〉の創設者ジャン・バニエは語ったそうだ。障害者に「あなたは正常な人?」と問われれば、答えに窮するのはわたしだけだろうか。「当たり前のこと」を疑うところからさらに深堀して取材を継続してくださるよう期待しています。
被告に共感する投稿が幾つかありますが、彼がやったことは殺人という犯罪です…
私も障害者です。植松被告に共感する投稿が幾つかありますが、彼がやったことは殺人という犯罪です。障害者、健常者関係なく人を殺すことは許されることではありません。それでも植松被告に共感する方の考えが私には分かりません。いろいろな考え、意見があるのは承知してますが私はそう思います。
津久井やまゆり園で起きてしまったことを風化させない1つの手段として…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
罪のない命が、個人の思想のせいで犠牲になってしまった事は、この先風化させてはいけない。
◎今回の事件についてのご意見
私は高校3年生です。当時、事件が起きたときは中学生でした。テレビや新聞で報道される悲惨さは脳裏に焼き付いています。私には自閉症を持つ弟がいます。この事件が起きる前に、学校の友人に『お前の弟は障害者だから、変だよな』と言われた経験があります。近くにいた先生は、その生徒たちに注意もせず同情するような態度をしていました。この時はとてもショックで、弟やその他の障害者の存在が『否定』されたと感じました。障害者は居てはならないという考えを持つ人は、植松被告以外にも居るかと思います。障害者であっても、同じ『人間』。障害者だからといって出来ることがないということは全くありません。生きているだけで素晴らしいのです。日本は健常者も障害者も『共生』できるような社会になってほしいです。その為にはまず学校で、多様な生き方を尊重できるような『道徳的教育』、障害についてきちんとした知識を持てるような授業を展開するべきだと思います。
◎私の"あすへの一歩"
障害者への差別や偏見(家族も含む)は無くさないといけないと思います。津久井やまゆり園で起きてしまった事件は絶対に忘れてはなりません。私は4月から大学生です。自身ができる事として障害について詳しく知り、地域と障害者が互いに協力できるような公共政策を大学で学んでいこうと思っています。障害への偏見は『知らない』からしてしまう場合があると思います。そこで自分自身が学んで、社会に『障害について知ってもらう』、『発信』していけるような存在、健常者や障害者関係なく生きやすい社会をつくっていきたいと思います。時間はたくさんかかりますが、津久井やまゆり園で起きてしまったことを風化させない1つの手段として日々過ごしていきます。
命の価値を決めるのは、植松被告、あなたじゃない。あなたの事は誰も呼んでない…
◎今回の事件についてのご意見
私は就労継続支援施設で生活支援員として働いています。正直、毎日大変です。施設のルールを守らない利用者さんを注意したり、何度も同じ質問をされたり、こちらが困るような事をして反応を窺われたり、職員の気を引くために嘘をつかれたり。本当に様々な事が起こります。内心苛々しているのはしょっちゅうです。でも、私は、利用者さんの事が大好きです。『一緒に地域活動行ってくれてありがとう』『お仕事頑張るから見ててね』などの言葉や、こちらに向けられる笑顔、利用者さん一人一人の小さな成長の数々。目を向けなきゃ、場所を変えなきゃ見えない景色や感情を、利用者さんから毎日のように受け取っています。自分にとっての宝物です。だからこそ、この事件には強く憤りを感じます。命の価値を決めるのは、植松被告、あなたじゃない。あなたの事は誰も呼んでない。あなたはヒーローじゃなく、ただの悪魔です。
◎私の"あすへの一歩"
(前項からの続きになってしまいますが)私は今日も仕事に向かいます。多分今日もいろいろあるでしょう。でも、嫌では無いんです。利用者さんからもらったものを、私も返していけるように。今日も笑顔で頑張って来ます。
意志疎通が出来ない人にも、ちゃんと心はあるよ。ただ、伝えられないだけ…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
かわいいお子さまを亡くされたお父様、お母様、心からお悔やみ申し上げます。純粋な心を持ったお子さまを亡くされて、どれほどお辛いかとお察し申し上げます。ですが、どうか勇気を持って、天国からお子さまが応援していると思って、元気を出してくださいね。
◎今回の事件についてのご意見
植松被告に是非伝えたいことがあります。私たちの子どもは、確かに知恵は足りないけど、心はちゃんとあるんだよ。それは、世の中のいろんなことを見聞きしていない分、きよらかで純粋な心だよ。意志疎通が出来ない人にも、ちゃんと心はあるよ。ただ、伝えられないだけ。こんな悲しいことはないのに、子どもたちは精一杯生きていた。意志疎通が出来ないからって、心がないわけじゃない!どんなに悲しかったか、どんなに恐かったか、父さん、母さんを呼び続けていたかと思うと胸がはりさけそうになる。意志疎通が上手くできなくても、親は子どものほんの少しの動きを見て、ああ今喜んでる、悲しいんだ、好きなんだな、いやだったんだなって分かるんだよ。そして、子どもが喜べばともに喜び、悲しいときは抱きしめてあげたい、それが親の気持ちです。植松被告、あなたは子どもたちを殺したと同時に、親の心もめちゃめちゃに引きちぎったんだ。たとえどんな判決が出ても、自分の正義を訴える植松被告の姿は絶対に許せない。子どもたちの悲しみを、これからも続く親の悲しみを理解してから刑に服してほしい。
僕も知的障害者でとても辛いことが山ほどあります…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなられた方々にこの上ない哀悼の意を示します…安らかにお眠り下さい…僕も知的障害者でとても辛いことが山ほどあります。これをもし知的障害者の方が読んでもらえたら、幸いです!健常者からしたら障害者は役立たずでで、しっかりしないとゆうイメージがありますが障害者の方は自分の出来ること、得意な事を見つけそれを磨いています!この理解が健常者の方々に分かって貰えると僕たちは凄く助かります。
◎私の"あすへの一歩"
僕は、この事件をきっかけにYouTuberになり、少しでも障害者の理解者を増やすため日々頑張って色々な障害のある方の、助けになる様な動画を作って居ます!
今、生かされていることを感謝し、喜ぶ歩みが成されていきますように…
◎今回の事件についてのご意見
こんにちは。私は、このサイトを、そしてNHKの特集記事[さとくんが19人を殺すまで]を読ませて頂きました。本当に悲しい事です。19人の亡くなられた方々を思うと悲しいです。私には何と言えば良いのか言葉がないです。亡くなられた方々を覚え、亡くなられた方々のご家族を覚え、今、必要な全ての慰めと励ましが与えられますように、お祈り致します。[さとくんが…]の特集記事を読み感じた事は、[この方は、可哀想な方だ…]という事です。なぜなら、[殺害]をしてしまったからです。胸が痛みます。[この方が、心の痛み苦しみから、良くない薬から、間違った思考から、精神の病から、救い出され、癒されていたら…こんな事件は起きなかったのに…]と思います。悲しいです。この方とご家族のためにも覚えて、心からお祈り致します。
◎私の"あすへの一歩"
この世界に今、生かされている私たちは、色んなところを通ります。悲しい事、苦しい事、痛んだ事、嬉しい事、楽しい事、喜びに満たされる事…。そのような中にあって、いつも、どんな時にも、私たちが、希望を持つことが出来ますように。私たちが、いつも、いつでも、その時々に必要な慰め、励ましを、受け取る事が出来ますように。そう願います。そして、どんな時にも、感謝する事が出来ますように。今、生かされていることを感謝し、喜ぶ歩みが成されていきますように。心から、願い、お祈りします(*^_^*)最後に、このサイトや記事を手掛けてくださった、NHKのスタッフの方々に、心から、感謝致します。NHKの全てのスタッフと、今、読んでいるあなたに、豊かな祝福がありますように!(*^_^*)シャローム!
人間はだれでもおしっこもすればうんちもする、だからみんなおんなじ…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
19の命のみなさん、亡くなった私の父と、私の夫も、そこにいますか。父は、とても優しく子煩悩なひとでした。夫は、山が好きで自然を愛するひとでした。どうぞ、そこで、仲良くよろしくおねがいします。
◎今回の事件についてのご意見
私の原体験を記します。私は、戦後10年世代です。私がまだ幼い頃、住んでいた田舎まちに、たびと着物姿の大きな風呂敷包みを背負って歩く、おじさんやおばさんたちが近所のお宮さんに住んでいました。私は、その風呂敷包みの中身が気になってしかたありませんでした。私には、おじさんたちがサンタさんに見えたのです。私たち子どもはお宮さんが遊び場でした。その遊び場である日、まちの役員さんというおとなたちが来て、私たち子どもに「コジキに近寄るな!」と怒ったのです。そしてサンタのおじさんたちに「ここに住むな!よそへ行け!駐在が捕まえるぞ」と怒鳴ったのです。幼な心にも理不尽を感じたのをいまでも鮮明に覚えています。それから小学低学年の頃、先生が運動場にいる女の子の腕を握って引きずるように「もう来るな、家におれ」と言って校門の外に追い出しました。その女の子はのちに障がいのあることを知りました。さらに中学生の頃、ともだちのAちゃんがまわりから「臭い臭い」とよくいじめられていました。当時の担任は、同級生たちをいさめましたが、いじめは止みませんでした。私はよくAちゃんの家へ遊びに行きましたが、その度におばさんから赤い白菜のお漬け物をいただきました。おとなになって、Aちゃんの家族のふるさとが韓国であることを知りました。そして中学三年のとき、お寺の住職をしながら国語を教えていた先生が、家の家紋を書いてくるようにと宿題をだしました。そのとき先生は、黒板にある家紋を書き「これは食う物がなくいやしい身分の家紋だ」と言い、さらに「家紋のない家もある」といい放ちました。私は「うちには家紋はない」と白紙を提出しました。学生のとき、趣味の石碑巡りで寺を訪問するなかで、差別戒名の存在を知りました。私は、さまざまな差別、偏見に直面することを体験できたことで、人はなぜ人を差別するのか、その心理的背景や遠因を、いまも手探りで探しています。そして私の中にも実は差別意識があるかもしれないと、常にかえりみたいと思っています。しめくくりに、母のことばを記します。人間はだれでもおしっこもすればうんちもする、だからみんなおんなじ。
「きれいごと」=「少数派の意見」となっていませんか…
相模原の事件だけではなく、元農水事務次官の息子殺人事件も。報道された時だけ、一時的に報道は盛り上がるけど、世間は「他人事」。生きづらさをちょっと検索しても「命の選別」=「きれいごと」「社会に余裕がないから仕方ない」意見が大多数に見えてしまう。「きれいごと」=「少数派の意見」となっていませんか。何年たってもそのまま殺された方がたまたましゃべれない重度障害だったり、暴力のあるひきこもりだったりしただけで、今後「認知症患者を多数抱える老人施設」や「ひきこもりを収容している民間施設」で大量殺人が起こっても私はおかしくないと思っています。一時的に騒ぎになってもやっぱり「迷惑をかける人間を殺す」を英雄視する人はいるでしょうし、強く批判する人は残念ながら「いつも同じ顔触れの少数派」になるのではないでしょうか…。邪魔者を社会から隔離するような「障害者の大量雇用」のために「本業から隔離したような大規模農業型就労施設」が増えているのは、そういう延長線上にあるものではないかと。45歳以降の独身の非正規雇用者に絶望した考えを持っている人は少なくないと思います。私はその一人。ちょっと生きづらさ系の情報を調べようとしても「きれいごと」という言葉が頻繁に表れる。そうでなくても肉体もいろいろ変化が現れる年代なので、ネガティブ思考を打ち消したり、「生き続けるための考え」を日常的に与えてもらえる「金銭目的でない」場所が非常に難しい印象があるのでNHKさんには紹介したりして頂きたいなと。そういう取り組みは「ごく限られた数か所のもの」ではなく、できれば「47都道府県にすべてに存在」して欲しいものです
私はこの事件発生以降「なぜ被害者の名前が報道されないのか」…
このようなサイトを設けてくださり心から感謝申し上げます。というのも、私はこの事件発生以降「なぜ被害者の名前が報道されないのか」「被害者の方々がどのような人生・命をお持ちだったかをつまびらかにしないことは、この事件を生み出した構造を強化することになるのではないのか」と憤りを感じてきたからです。この事件が発生したとき、恐怖に震え、私は1週間ほどうまく眠れることができませんでした。今日このサイトを見つけて、被害者の方々がどのような人生・命をお持ちだったかを少しでも知ることができて、涙がこぼれました。サイトを作成してくださり、ありがとうございました。引き続き宜しくお願い致します。
表情や姿にうそがありません。いのちがキラキラとしてみえます…
私には、重度の知的障害と自閉症をもつ弟がいます。言葉を話すことはできません。嬉しい気持ちのときはにしゃ?っと笑います。嫌なことがあったら険しい顔をします。表情や姿にうそがありません。いのちがキラキラとしてみえます。私は、そんな素直な弟が大好きです。私は、弟は「生まれてくるべくして生まれてきた」と思っています。弟は空気に敏感です。弟が笑っているときは家族円満なとき。弟の機嫌が悪いときは誰かがケンカしているとき。弟の表情をみてハッとさせられます。ケンカしているときは、これじゃあダメだなと思わせてくれます。私たち家族に必要だから生まれてきたんです。弟がいるから家族が幸せなんです。生きる力をもらえるんです。どんないのちも、この世界で輝くんです。共に生き合う力になるんです。どうか、知ってほしい。
障害者の方々に寄り添っていたいし、何か出来る事があれば助け合いたい…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
今回のこのような痛ましい事件は二度と繰り返してはなりません。それは当然、社会全体として何としても防がなければいけないし、それをもし社会が見過ごすならば恐ろしく「私たちも含めた明るい社会」の実現はないのではないかと思います。障害のある方々は心優しく、そしてとても強いと思います。私はいつも、そういう障害者の方々に寄り添っていたいし、何か出来る事があれば助け合いたいと思っています。ですからもし不安に感じていらっしゃることがある様でしたら、差別をする人ばかりではなく、そういう人間もいるという事を知っていて頂きたいと思います。健常者でも、誰でもいつでも、障害者になりうることがあるのだ、私たちは何も変わらないのだ、と考えれば分かることなのですが、差別的な考えになってしまうのは、それに気付けていないのでしょう。子供たちには常に、障害者の方や周りの人たちには思いやりの心を忘れずに、と話しています。そういう意味では教育も大事だと思っています。学校などの集団の中でも気付ける場面はたくさんありますし、大人が関わって行ける所で(PTAや地域など)、意識を持って伝えていきたいと思います。微力ながら、障害者の方との垣根を少しでも減らせる様社会と関わって行きたいと思います。ご家族の方々にはご冥福をお祈り致しますと共に一日も早くお心休まります様お祈り致しております。
◎今回の事件についてのご意見
薬物はいろいろな犯罪につながるし、社会自体も崩壊の道につながるのだと感じた。そして、自分は薬はやらないからという考えでとどまるのではなく、そういう人が周りにいるだけで、事件に巻き込まれたり、被害者になったりする危険性も潜んでいるため、社会全体で撲滅しなければならないのだ。という認識を持たなければいけないのではないか。よく駅で警察の方が麻薬撲滅キャンペーンでティッシュの配布をしているが、社会がそこまでの認識がなく意識も低いのではないかと思います。障害者の方々に対する偏見は、障害に対する知識もないし、弱者に関わる機会も少ないからか。社会にはいじめというものもあり、それとも多少関係があるか。だが社会はそれぞれの複雑な人間関係が重なりあってあるため、簡単にはこれが原因とは言えない。しかし、思いやりの心があれば、どんな環境であれ、弱者に対して配慮することは出来る。それには、道徳の教育や、心身の健全な育成が一番大事なのではないかと、子育てと仕事の両立をしながら常々思っています。全てはゆとりのある社会、生活(心のゆとり、生活のゆとり、安らぎ)が成せることではないのでしょうか。
◎私の"あすへの一歩"
NHKアプリで、子供に事件の事を伝えています。引き続きよろしくお願いします。アスリートの人達は凄いね。感動を与えてくれる。パラリンピックの人達はもっと凄い?と言うと子供が、「パラリンピックってテレビでやらないじゃん」と言ったので、「やってるけどみんな興味が無いんでしょう」と言った。でも「テレビでやらない」そう思われてしまっているメディアも残念。もっと伝えてほしい。障害の方々の事を。視聴者が番組選択しなくても目に入るCMなどで起用していくと良いのでは?私はNHKのパラリンピックのアスリートの人たちのカッコいいCMが良いと思います。人気番組のクイズでも小出しにするとか。バリバラは良く見てます!NHK総合でもやると良いと思いますね。Nスペとか、クローズアップ現代+とか。知的障害者の方の親御さんの高齢化でお子さんの将来を案じていて自立させようとご家族で頑張っていらっしゃるという番組も家族で見させて頂いたときも総合でもやれば良いのにね~皆に知って欲しいよねと話をしていました。この番組で、私も子育てを頑張らねばと力を頂きました。ありがとうございます。他、上記欄ご参照下さい。
私を含む世間が出来ることは思考の蓋を外し、自分達の考えを見つめ直すこと…
今回の事件を担当している取材班の皆様に、励ましの言葉をお伝えしたくご連絡することにいたしました。励まし、という言葉を使ったのは今回の取材にあたり大変な葛藤があったのではないかと考えたからです。被告の考え・言葉を報じることで差別的な考えに同調する人を増やしてしまうのではないか、そっとして欲しいという遺族を更に傷つけるのではないか-。なぜ、こうした葛藤があったと想像したかと言うと、私がこの事件の報道に接した直後、被告の一方的な主張に対し直感的に間違っていると思う一方で、どこかで被告と似たような考え方をごく僅かでもしたことがないと言い切れるか、自身を疑う思いに駆られたからです。身体・精神の障害の他にも、いつもどこかで、ノーマルでありたい・つつがなく生きたいという思いが潜在意識にあることに気づきました。こうした思いは直視するのが躊躇らわれるので、事件の衝撃に反して、特異な犯人が猟奇的な犯行を行った稀なケースだと思考の蓋をして事件をすぐに忘れてしまったように感じます。これは私に限らず世間の一定割合がそうなのではないでしょうか。今回のNHKの取材を見て、忘れてはいけないことを思い出したように感じます。これは取材した方々の葛藤とともに、安易な結論づけを行わず、事実を追い続けようとするスタンスを感じたからかもしれません。私は普段、自身の意見をネットで述べることはしませんが、取材班のスタンスに勇気をもらい、私を含む世間が出来ることは思考の蓋を外し、自分達の考えを見つめ直すことではないかと考えたため、意見を述べさせていただきました。検討違いのことを述べておりましたら、申し訳ありません。以上です。
言葉は不思議で、聞いてくれる人がいないと自分に返ってくる…
初公判が始まり、こうしてニュースでご遺族の言葉、被告人にこれまで関わりのあった方の言葉、色々な立場の言葉が流れる。ご遺族の言葉は、当たり前に会えた大切な人がそこにいない、日常にいなくなってしまった淋しさ、そして亡くなられた方の愛おしい姿や想い、愛に包まれ見守られて『生きていた』ことがよく伝わる。被告人に関わった方の調書での言葉は被告の変貌を心配する言葉など友人、恋人から見守られてきたのだと感じるところがあった。しかし、被告の言葉には愛が一つも感じられない。言葉は不思議で、聞いてくれる人がいないと自分に返ってくると私は感じる。被告の言葉は障害のある方に向けられた言葉なのだろうか。被告は言葉を口にするほど、周りから孤立して、自分の言葉がより自分に響いていたのではないだろうか。だからこそ、自分はそんなことはないんだ、出来るんだって、より強い言葉を口にしていったのではないかと感じる。大切な人と共に生きる喜び、そうでなくても大切な自分が今、ここに生きている喜び、そう感じられる気持ちや環境があったらと思う。
私は、綺麗事は言えません!私なら犯人を残虐に苦しめたい!…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
心よりご冥福をお祈り致します。とても怖かった事でしょう…とても痛かった事でしょう…とても苦しんだ事でしょう…恐怖の一言では言えない惨事で何が起こったかわからないまま命を落とされた方もおられると思います。憤りさえわかずに即、亡くなられた方もおられると思います。
◎今回の事件についてのご意見
一言で言うと被告に対し、やったこと以上の苦しみを味わって欲しいです。全く関係のない無抵抗の人間に対し残虐行為をするなんてあり得ません。この犯人に対し、弁護の余地はないです。弁護する方がいられたら言いたい…自分の愛する家族、身内が同じ事をされても犯人を弁護して無罪、情状酌量を訴えるのかと!私は、綺麗事は言えません!私なら犯人を残虐に苦しめたい!
◎私の"あすへの一歩"
障害者は生まれるべき存在ではないという思想を、世の中、世界中の人間から消し去りたい!障害者もですが、認知症など、弱者と呼ばれる方々を大切に大事にしていく思想の持ち主になり、1人から10人、そして100人、1000人、そして…そんな力のある人間になりたい。声を大にして言える人間になりたい。
どのような人か読んでいると、心が締め付けられる思いで涙が出てきました…
一人ひとりがどのような人か読んでいると、心が締め付けられる思いで涙が出てきました。一人ひとりが素敵な人だったのに、同じひとりの人間の考え方によって亡くなってしまったことに心が痛みます。天国にいることを祈ります。
「生産性」の議論は心に対しても行われるべきではないでしょうか…
◎今回の事件についてのご意見
社会には自分にとって得かどうかで人を受け入れたり排除したりする人が沢山います。そういう人たちは「生産性」という議論がおこっても、働けるか税金を納めているか言葉を発せられるかなど物理的な部分で自分に利になるか不利になるかで判断している場合が多いと思います。しかし人間には動物よりも大きな心があります。その「生産性」の議論は心に対しても行われるべきではないでしょうか。よく働いて、お金をたくさん稼いで、税金をたくさん納めて、会話の上手な人、社会に必要なものはそれだけでしょうか。そういう人たちが周りの人の心にもたらすものは何でしょうか?人間の心を豊かにし社会の精神的発展にどれ程寄与しているでしょうか?もちろん社会にとって物理的に豊かになることは必要だと思います。でも今回NHKさんの記事を読み、亡くなった彼らは一般的に生産性があると言われている人たちがおおよそ与えられないようなものを周りの人々の心に与えていたのだと感じました。それは社会にとって必要な、物理的生産性と両輪をなす心的生産性と言えないでしょうか。私は被告の考えを否定します。
◎私の"あすへの一歩"
すぐに社会は変わらないと思うけれど、それでも周りに飲み込まれないように、そういう議論がおこれば自分の思いを言葉で伝え、また常に行動で伝えていければと思っています。
加害者は、想像力の乏しい悲しい人間なのではないかなと逆に同情します…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
いま天国にいるみなさまへ
今回のこの事件で悲しいこととなってしまったけれど、あなた方が過ごした日々はたくさんの人を笑顔にし、周りを和ませてくれました。ありがとう。そして守ってあげられなくてごめんね。これはあなた方を思うあなた方と関わった人みんながそう思っていると思います。これから先こんな事件が二度とないような社会を作っていくことが私たちの使命だとおもいます。ご冥福をお祈りします。
◎今回の事件についてのご意見
私は三人の娘を持つ母です。今回の事件の加害者と同世代です。幼いときから障がい者のおじと接していた私は障がい者に対して偏見はなく、そんな人もいるのだという考えです。私の家の近所にも障がい者のかたが住んでいるし、よく行く歯医者、スーパーにもおられます。障がい者といえども、1日1日を自分の置かれる状況を不思議や不自由に思わず、ふつうに、できることをして、楽しみもあり、命ある限り一生懸命生きておられます。そんな人たちの命を独断で奪った加害者は、想像力の乏しい悲しい人間なのではないかなと逆に同情します。亡くなった方々は何も悪いことをしてないし、生きているだけできっと幸せだったんじゃないかなと思います。辛いのは周りの人なだけで、本人たちはきっと、きらきらと毎日を過ごしていたんじゃないかと思うと、殺されたことがかわいそうでなりません。障がい者をもっと、普通に社会に存在させてあげ、健常者との隔たりをもっと少なくすることで、偏見などがなくなるのではないかと思います。こういう人もいていいのだ、こういう人も幸せに生きているのだというのをポジティブに知ってもらう機会が今後必要となってくるのではないかと思います。
大きな決意や取り組みはありませんが一日、一日をしっかり過ごして行きたい…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなられた19人の皆さんはそれぞれの色を表しながら生きてこられたと思います。その色が無くなるのは私も大変辛いです。ですが皆さんの色がどこかで輝いていてくれる事をお祈りいたします。
◎今回の事件についてのご意見
前代未聞、そして障害者に対して残虐な行為が行われた今回の事件。一生許すことができません。私はASDという発達障害の一つを抱えながら一般の企業で正社員として仕事をしながら生きています。今の職場に入って3年以上が経ちます。はじめは周りの方も少し敬遠していたようでしたが、すっかり今は協調しながら仕事ができています。これは支援してくださる方や上司、家族のおかげだと思っています。そんな中で障害者を一方的に襲った犯人にはこの上ない罰を与えるべきだと思います。障害者のみなさんは日々頑張っています、それを踏みにじらないでほしい。私からの思いです。
◎私の"あすへの一歩"
特に大きな決意や取り組みはありませんが一日、一日をしっかり過ごして行きたいと思います。そして同じ障害を抱える方との関わりを大事にしたいです。
恐怖感や不公平感といったものが、差別の根源に繋がるのではないだろうか…
障害者を否定する考えについて、無論賛同するつもりはない。その上で、被告に限らず、社会に根ざしてしまった差別感情については少々思うところがある。 私は学生時代、地下鉄で母親連れの障害者の男性が、健常者の女性に触れたり、大声を出したりする場面に遭遇しました。意を決して私が注意すると、男性からは大声で威嚇され、その母親からも激しく罵られた。「障害者を目の敵にして!」と。これはあくまでたった一つのケースであり、これが障害にまつわる全体を論ずるには根拠が乏しいことを承知の上で言うと、障害者差別の根絶に必要な改革は障害者家族の考え方と、障害者自身に課される法的罰則の軽さにあるのではないかと感じる。精神鑑定により『責任能力の欠如』と判断されると、それを理由に罰が軽くなること。私はひたすらにこれが恐ろしい。私が注意した先のケースで、いやがらせを受けていた女性や私が怪我をしたり命を落としたりしたときに、加害者は正しく罰されるのだろうか。そして障害者自身やその家族は、それを認識した上で横柄に振舞ってはいないだろうか。こういった恐怖感や不公平感といったものが、差別の根源に繋がるのではないだろうか。ニワトリとタマゴの話になってしまうが、先に障害者やその家族がその身に差別や迫害を受け、愛する我が子を守ろうという愛情だったものが、我が子以外への攻撃性に転じることも想像に難くない。そうした攻撃性が、自らの家族を守らんとする健常者による新たな差別や迫害を生む。まさに負の連鎖である。どちらも、事の起こりは愛情であるのかもしれない。誰かを守ろうとする愛情は何をおいても最優先とされるのが美徳であり、そして強い攻撃性を生み出す。ならばせめて、この『責任能力』の問題だけでもどうにかしてクリーンにし、両者の軋轢をなくす努力はできないものだろうか。同列に扱われるのは極めて不満も大きかろうと思うが、加害者が酒や薬物による酩酊状態や心神喪失状態であったり、障害を持っていたりしたところで、被害者にしてみればそんなものは全く関係がない。受けた被害が全てなのである。この事件に限らず、障害者やその家族と健常者とが本当の意味で心を通わせるには、こうした問題も横たわっているのではないかと思う。
わたしは生きたい。生きていたら、楽しいよ。生きてこそ…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなった方がどんな方だったのか。しっかり覚えていようと思います。私が、絶対に忘れません。安らかにお眠りください。
◎今回の事件についてのご意見
被告に、伝えたいことがあります。兄弟が精神疾患を患い、障害者手帳を持っています。長年入院もしています。症状に波があり、ひどいときは目が合わず、会話もできません。元気なときは、兄弟誰よりも賢くするどい意見を言います。5年ほど前、ふと「ずっと病院にいて、生きる楽しみがないんじゃないか」と泣けてきました。かわいそうという感情があったんだと思います。涙が止まらず、1人で泣きました。しかしある日、兄弟が好きだったアーティスト(自死した方)について話していたとき、「何で死んだのかはわからない、わたしは生きたい。生きていたら、楽しいよ。生きてこそ」と言ったのです。私の兄弟は、かわいそうな、なんの楽しみもない人じゃありませんでした。私は兄弟がいるおかげで、様々なことに気がつけるようになり、豊かな世界を持てるようになりました。障害者は、かわいそうじゃない。障害者家族は、大変なことはあるけど、家族が生きることを望んでいます。被告にその事実を伝えたい。そんな家族がいると知っていたら、障害者が無駄であると感じていなかったら、この事件は起きなかったのではないか。もっと早くに知ってもらうことはできなかったか。第二の被告が現れぬよう、どうにか発信していきたいのです。
◎私の"あすへの一歩"
まずは、知ること/知ってもらうことから。少しずつ、語り始めています。
この国でまずは、教育現場、自治体から変わって欲しいです…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
事件の瞬間の恐怖や痛みを思うと、張り裂けそうな感情が込み上げてきます。それまで懸命に生きてきたあなたたちの軌跡を、どれだけの人がわかっているか。私たちに、優しさと、考える力をください。
◎今回の事件についてのご意見
息子も中度の知的障害、自閉症を抱えています。地域の学校の支援級に小学校、中学校と通い今年卒業です。地域の理解もまだあまりないのも知ってましたが、自治体、支援センター、学校の先生方「よく通わせるね」などと意見され、次第に孤立していきました。それでも本人は元気に学校に通い続けました。障害者本人や家族はただ懸命に生きています。この国でまずは、教育現場、自治体から変わって欲しいです。すべての人が平等に平和に生きていけますように。もう一度正しい教育を。
悲しくてやり場のない事件はもう2度とおきてほしくない…
言葉の暴力や差別をする者がいる世の中がとても恐ろしく感じました。この事件をニュースで見た時胸がえぐられた気持ちになりました。悲しくてやり場のない事件はもう2度とおきてほしくないです。
自分1人では生きていけない彼らにとって介護福祉士とは一番信頼出来る人…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
この事件で傷つき、苦しんだ全ての方にご冥福をお祈りします。
◎私の"あすへの一歩"
私には重度の知的障害のある弟がいます。言葉も話せず、意思疎通が出来ているのかも分からない、しかし、中身はとても無邪気で、成長し背丈を越された今でも、そしてこれからもずっと可愛い弟です。将来はきっと施設に入所し、介護福祉士のお世話になりながら、生きていくのです。誰かの手を借りなければ、自分1人では生きていけない彼らにとって介護福祉士とは一番信頼出来る人なのです。全幅の信頼を預けられる人が起こしたこの事件は当時中学生の私にとってとてもショックな事件でした。何がこの加害者をそうさせたのか私には分かりませんが、このような悲しい事件が二度と怒らないことを願っています。
私のように障害のある側からの発信によって、理解が深まればいいな、と…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
あなた方がこの日本で生きていたことを、誰かの心に足跡を遺したことを、忘れません。
◎今回の事件についてのご意見
私自身、ASDを持っており、また歳の近い方も亡くなられているので、他人事ではないと感じました。確かに否定する考え方はあり、その空気に晒されたこともあります。それは人間というものが全て同じひとつの存在では無い以上、考え方の差異だ、で済ませることが出来なくはありません。が、このような形でそれを表すなどという馬鹿げたことをしたのはどうしようもなく愚かだとしかいいようがありません。
◎私の"あすへの一歩"
私のように障害のある側からの発信によって、理解が深まればいいな、とは思ってます
多くの人が傷ついたこの事件は、今の現代社会に対する「強い警告」にも…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
格差社会の犠牲者として、黙とう致します。また、障がい者も含め、人が個々にきちんと尊重され生きていける社会を祈念いたします。
◎今回の事件についてのご意見
この件の障がい者や事件についてどう思うか、と問われたときに、まず言えるのは…日本において、障がい者と健常者の垣根ってなんだろう、ということです。今、健常者と障がい者の垣根は変わってきています。今回の事件は、就労者である健常者(?)兼加害者の、生活・就労環境から始まった気がします。福祉のプロであるはずの施設側で、入れ墨がばれた就業者についてどう接したのか、また、その就労者について、ぼかしが入っている気がしております。世の中の多くは、殺害者が悪い、で終わる話で幕引きなのでしょうが、そこには、明らかに採用を含む雇用の問題が潜んでいます。生活や仕事に対する不安を抱えた人間が、意識の混濁した障がい者が死ねば国庫のお金が増えて生活が楽になる、という思考に走り、議長への陳情(犯行予告)後、結果として19人を殺害した、という風に聞いていますがどうでしょうか?ただ、治る見込みがあると思われるものは、犯人は「選別した」ようです。この中に、国民・住民が、経済で切り捨てられ否定される我が国の暗部、つまり、「現代社会の闇」を見てしまったのは私だけでしょうか?透析問題において、透析しても見込みのない者に積極的に透析中止を進める医師がいるようです。おそらく、犯人はそれと同じ発想を取ったのではないかと思います。単に犯罪者だけが悪い、で終わらない日本社会の暗部を見ている気がしております。ただそれであっても、殺害を肯定されるべきではありません。少なくとも彼には、まだ就職の選択の余地はあったようにも見えます。(見えるというだけですが)それはどうなのでしょうか?多くの命が消え、多くの人が傷ついたこの事件は、今の現代社会に対する「強い警告」にも思えます。
◎私の"あすへの一歩"
発せられる行動や言葉を大切にしてください。今回は、議長あてへの「陳情」が「カギ」でした。なお、大切にする、とは、「受取拒否」ではなく、「受け取った後の内容に対する対応」であるわけです。「殺害予告」は「殺人予備罪」にあたるはずであり、「著しく重大な犯罪」で、少なくとも「刑法第201条違反」です。「通報」や、状況によっては「逮捕」「送検」を怠るべきではありません。「国や社会が人の殺害を認めない」とするだけで変わったのではないでしょうか?警察へ通報しても対応してもらえるはずがない、と勝手に放置等されるべきではありません。(放置を延々した結果、殺害予告の者を殺害した大人もいましたが…)あと支援を受けられない中での孤独死がない社会を目指すべきだ、とも思います。
被告は、自分の親、親戚、知人が障害者になったイメージも持てなかったのだろうか…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
19歳という若さで亡くなった方もいて、正直、ショックでした。また、ご高齢で亡くなられた方も多く、余生を楽しく生きてられた方も多かったと思われます。喋れるか、喋れないか等で測られ、何を考えているか分からない行動で奪われた命は、亡くなった方達も何が起きたか分からずショックだったと思います。ご冥福をお祈りします。
◎今回の事件についてのご意見
この事件については、新聞記事を読み直しても、被告の考え方や行動に理解しがたい部分が多く何度も読み返しました。被害者の方の中には、高齢の方も多い様で、被告は、自分の親、親戚、知人が障害者になったイメージも持てなかったのだろうかと疑問でした。障害になる病気や状況は違えども、いい年齢をして、考えたこともなかったのだろうか?被告本人にお前が「障害者」ではないのか?!と何度か言いたくなる自分がいた。
◎私の"あすへの一歩"
取り組みはない。認知症の父の介護をしているから。父を虐待しない様にするだけ。というか私の方が父に、赤ちゃんの時から色々、助けられたので恩返し。
知らないから曲解する。正しく理解すること、それが共生への一歩…
◎今回の事件についてのご意見
はじめてこの事件を知った時、一瞬でも「わかるな」と思う気持ちがありました。徐々に被告の考えなどを見ていくと、それは違うと思えるようになったのですが、生産性がないとか、ムダだとか、そういう考えに偏ってしまうことは誰にでも可能性はあったのではないかと思うと少し怖いです。私は、幼少期~思春期まで知的障害の人が、怖くて仕方なかったのです。何をするかわからない、何を考えているのかわからない。得体の知れない人たちという印象がずっとありました。今では様々な障害について学び、生きることに何らかの困難を持つ人を支える仕事をしていますが、あの時の私の気持ちはある意味で忘れてはいけないと思っています。知らないから怖い、知らないから誤解する、知らないから曲解する。正しく理解すること、それが共生への一歩だと思います。
◎私の"あすへの一歩"
事件をうけて、というと都合がよすぎると思いますが、「正しい理解」をしてもらえるような仕事をしたいと常に思っています。
被告は、このサイトを読んでもなおあの事件を起こそうと思ったのだろうか…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
言葉がうまく出ませんが、ただ亡くなられた方が安らかに眠られることを祈ってやみません。
◎今回の事件についてのご意見
被告は、このサイトを読んでもなおあの事件を起こそうと思ったのだろうか、と考え込んでしまいました。しかし、被告のことを許せないと言っている私自身も、被害に遭われたお一人お一人のお人柄や人生があるという当たり前のことを、理解できていなかったのではないかと申し訳なく、恥ずかしく思いました。
◎私の"あすへの一歩"
障害のある人やそのご家族の手記などを読み、人生を知ること。
娘はこのような世をはかなんで、遺書を残し服毒自殺をいたしました…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
同じ障害者の子を持つ親として、やはりこのような考えの人達がいるのだと実感し犠牲になられた方々、その親族の方々にお悔やみ申し上げます。我が娘はこのような世をはかなんで、遺書を残し服毒自殺をいたしました。遺書「この障害を負いながら生きてゆくことに疲れてしまいました。これからの人生に絶望しています。今の社会は、私が生きていかれるようにはできていないのです。とても生きづらさを感じています。両親には頼り切って、無為に過ごしながらでも生きづらいのに、社会に一人で出ていったら人にはどれほど迷惑をかけ、また自分も苦労するかと考えると、自死を選ぶこと以外には無いように思えるのです。両親とも、私の面倒を見てくれる最高の理解者です。そんな両親より先に死ぬことは親不孝ですが、お許しください。今までありがとうございました。私は精神障害者なので、自殺の際の医療費は保険適用になります。もし脳死や植物状態になったら尊厳死を希望します。葬式・通夜はいりません」。
◎今回の事件についてのご意見
この事件の被告・植松聖は、反社会的人格障害者・サイコパス等々の特殊な人間ではなく、ごく当たり前の人間だったのではと受け止めております。出産前に異常胎児と判明した場合、自由にそれを堕胎・殺すことを承認しております。精神障害者には、同様な法律で、かつては、座敷牢が認められておりました。つい最近までは「優生保護法」という法律で、断種が公然と行われてきました。あのヒトラーの思想に通じるものです。明治時代頃までは、産婆・助産婦による出生時における「間引き」も行われてきたともいう。植松聖の「犯罪」は、支持するわけではないけれど、今までに政府や国民が密かに行ってきた人間の闇の部分を、白日のもとに晒す行為だったのではないのか?
◎私の"あすへの一歩"
植松聖という人間を、「特殊な人種」として裁判するんではなく、彼が提起している人間社会の深刻な問題「働けなくなった人間」「障害を抱えて生まれてきた人間」このような人々、誰でもいつかは同様の仲間になるのだという現実を、社会全体でどう取り組んでゆかねばならないのか、彼はこの問題を「この世から抹殺してしまう」という方法を選んだこと、そういう面から裁判を行ってほしい。反社会的人格障害者、彼自身もまた同様の精神障害者で、特殊な精神障害者が引き起こした特殊な犯罪、という視点で処理してはならないということです。異常胎児であれば、自由に殺しても良いという法律を作る政治家が「正常」なのですか?
障害だからと言って、社会に迷惑をかけていいと言う事にはならない…
私は、1年以上に渡って隣人の精神障害者から昼夜問わず、激しく壁を叩き付ける迷惑行為を受けております。どれだけ注意しても迷惑行為を止めてくれません。どこに相談してもらちが開かないのです。最近は、障害者の社会参加・共生などと盛んに言われますが、社会参加は馴染まないと思います。このような強い書き方をすると、「差別」「偏見」は良くない!と言われる方が多いのですが、ご自身が同じ目に遭っても同じ事が言えますか?実害が出ても同じ事が言えるのですか?障害だからと言って、社会に迷惑をかけていいと言う事にはならない。
共生する事により、安心安全な社会のヒントを教えてくれるような事がある…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
お悔やみ申しあげます。上手に話せませんが他界では人間らしく生きていると思います。家族の記憶に生きていると思います。
◎今回の事件についてのご意見
お悔やみ申しあげます。言葉が過ぎたらすみません。初めに話します。障害者は自分の疾患と向き合い、健常者よりも多く悩み、周りの助けから自分の心と向き合います。だからほかの人よりも人らしく生きていたと思います。また家族は人生の一部で大変な事もあるかと思いますが、共に人生があって良いと思います。共生する事により、安心安全な社会のヒントを教えてくれるような事があるのではないでしょうか。命は命です。ですから、気落ちしないで頑張って下さい。
事件を起こした方は大麻の精神障害であろうが人を傷める事は許されない…
大変悲しい出来事です。事件を起こした方は大麻の精神障害であろうが人を傷める事は許されない。障害者に対しての犯罪は、弱者に対しての学校教育が不足している。精神神経、を診るドクターが大変不足している。私は小児がん家族会をしてます。私の子どもは後遺症で障害者です。国の障害者の支援に対する予算は他国に比べて少ない。障害者対策の大臣でも作らないと良くならない。マスコミの対応も核心を突いてない。皆さんで声をあげて行きましょう。
今回のような事件が二度と起こらぬよう、障がいのある人たちに『普通に』接してほしい…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
美帆さんのお母様(美帆さんしか実名がわからないので)、亡くなられたもしくはお怪我をされた被害者の関係者の皆様へ。たくさんの方々が望むのは『もう二度と今回のような残忍な事件のない社会づくり』だと思います。亡くなられた方々の関係者の皆様は大きな悲しみに襲われているとは思いますが、ぜひ、亡くなられた尊い『命たち』のことを忘れずにいてください。一番悲しいのは『今回のような悲しい事件が何もなく忘れられてしまうこと、また同じような事件が起きてしまうこと』です。ぜひ、大切な『命たち』は生きているだけで意味があったこと。その事はずっと忘れないでいてほしいと思います。
◎今回の事件についてのご意見
僕も精神科のお薬を服用し、やまゆり園とは内容は違いますが施設入所経験者です。事件が起きたときはただただ驚きで、当時僕は県内の病院に入院していたのですが、今回の事件はやまゆり園だけにとどまらず、世界の全施設や一般社会に問いかける事例であると思います。未だ障がい者(“害”という字は使いません)に対する社会からの偏見は雇用やその他の場面でなくなっておりません。障がいを明かさずに働いている人や苦しい思いをしている方もたくさんいます。しかも、今回の事件は起こしたのが『元職員』で、何より腹立たしいのは、その該当者たちを見る立場の人間が『障がい者は世の中に必要ない』という考えを持ちながら働いて給料をもらっていたということです。そんな人間は一番その仕事をする資格がないと思います。これからを担う若い人たち、また今現在そのような現場で働いている人たちには、今回の事件をただ『悲惨だ』とか『かわいそう』だとかで済ませるのではなく、『どうすれば障がいのある方もそうでない方も何一つ偏りなく安心してともに幸せに暮らせるか?』ということを考えながら生きてほしいと思います。そして、今回改めて障がいのある人たちのことをどう見ているのかという問題・難題を投げ掛けられているんだという現実を受け止めてほしいです。僕たちは普通の人間です。そして国の提供するサービスを利用しながら、お薬を服用しながらでも普通の人と何ら変わらないと思いながら僕は過ごしています。そして、ぜひ今回のような事件が二度と起こらぬよう、障がいのある人たちに『普通に』接してほしいと思います。
◎私の"あすへの一歩"
僕は年一度県庁で行われる『県庁バザー』(障がいのある人たちが一生懸命心を込めて作ったものを売るバザー)に毎年積極的に参加しようと思います。それは皆さんの『生きた証』のような気がして、自分もある障がいがあるから他人事に思えず、病院も施設も出て一般社会に復帰した者として、お金という形だけではなく、僕自身含め障がいのある方々に力や自信を与えられるかもしれないと思うからです。
彼が政治家の一族や大企業の役員の一族として生を受けていたならこのような事件は…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
ご冥福をお祈りします。
◎今回の事件についてのご意見
もし彼が政治家の一族や大企業の役員の一族として生を受けていたならこのような事件は起こらなかったはずです。何故なら障がい者との接点がないからです。彼が社会的な弱者だったが故に、あえて言いますが、更に弱者と接点を持ちああいう考え方を持ったのだと思います。なのでこの事件は社会全体で考えなければならない問題だと思います。その一助としてこのサイトは非常に有用だと感じました。
障害のある方の中には、事件にショックを受けられて今でも苦しんでいる方も…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
突然の事でびっくりしたと思います。事件が繰り返されないように天国でみていて欲しいです。
◎今回の事件についてのご意見
私自身うつがひどく障害年金をもらって、自立支援センターに通った事がありました。そこでセンターの所長にケアホームへの入所を勧められました。ただ医師がやめたほうがいいと言ったのと、ペットを飼っていたので連れていけないという理由でお断りしました。すると「親にオートロックのマンションでも買ってもらえば」と嫌味を言われました。その後センターはやめ、良くなってきましたが、福祉の現場で障害者を見下したり、言う通りに支配したりしたいような人にずいぶん出会ったので、そういう人たちのメンタルケアを行って欲しいと思います。
◎私の"あすへの一歩"
障害のある方の中には、事件にショックを受けられて今でも苦しんでいる方もいらっしゃると思います。うまく口に出せない障害の方にも会ったことがあります。そういった方に治療を受けてほしいと思います。私は通っていた高校で自殺があり、死体を目撃してしまった同級生から話を聞いただけで学校にしばらく行けなくなりました。同級生は進学をやめてしまいました。今思えばPTSDだったのかもしれません。ただ、当時私は起きられなくなっただけでそんなに自分がショックだったとは分かりませんでした。うつでカウンセリングを受けた時にはじめて治療法を知りました。トラウマの大きさや病状は人によって違います。一般に治療法があるとはあまり知られていないようですが、具合が悪いけどすぐに治ると周囲の人も勝手に決めつけず、心理検査やカウンセリングを受けて、必要なら治療を受けて欲しいです。
人の痛みを己の痛みとしない者は、人と呼ぶに値しない…
新聞に古代ペルシャの格言が記載されており胸に深く刻まれておりますので紹介します。“人の痛みを己の痛みとしない者は、人と呼ぶに値しない”。以上。
差別・隔離し過ぎじゃないでしょうか?障害者=弱者と決めつけてませんか?…
犯人が逮捕された時の笑みの表情が、何とも不気味で強烈に残っています。3年半前ですが忘れないです。亡くなられた方の遺族もお辛いでしょう。私の母は看護師で、私が幼少の頃から、近所に精神障害者の方が沢山いました。母はいつも、皆同じ人間で平等で仲良くする様にと言ってました。なので、差別する意識も持たないです。同級生にも精神障害者がいましたが、先生が皆と同じと言ってました。今から40年前です。現代社会は差別・隔離し過ぎじゃないでしょうか?障害者=弱者と決めつけてませんか?私達、健常者は強者ですか?私は違うと思います。犯人の笑みの意味は理解出来ませんが、彼の中では自分は強者で弱者は要らないと考えたのでしょう。彼も教職に就こうとしていたのに…。心の闇があるのでは。
日本は障害者を取り巻く環境は、超発展途上国ですから…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
私も同じ障害者です。私もずっと日本で差別に苦しみました。正直、被告のように行動に移さないまでも、同じような考えを持った日本人は、とても多いのではないでしょうか?!私は日本の「障害者イコール劣る」という考え方の根強さに苦しみ続けています。イギリスにいた時期は、自分が障害者だと周りから意識されることもなく、もっと自信持って暮らしていました。日本の福祉関係者自体が、障害者イコール劣るという考えを基に行動している方が過半数に感じました。この問題、簡単には解決しないと思います。日本の昔からの差別意識の問題だと思うからです。しかし、微力ながら、障害者でも出来るんだ!というところを見せたくて、イギリスに帰るか日本にとどまるか模索しながら、頑張っています。日本は障害者を取り巻く環境は、超発展途上国ですから。
◎私の"あすへの一歩"
イギリスに帰りたい!日本は、障害者が暮らすには、劣悪です!福祉関係者に色々あったけど、彼ら自体が、差別意識を無自覚に持っている。もう日本人のDNAには、健常者偉い、障害者劣ると刻みこまれています。日本には、障害者がまともに扱われる場所などない。早くイギリスに帰りたい!頑張って、帰れるといいなぁ!
私は亡くなった方々と同じような人の日常を直視することはありませんでした…
◎今回の事件についてのご意見
亡くなった方々にご冥福をお祈り申し上げます。しかし私は亡くなった方々と同じような人の日常を直視することはありませんでした。いまも知らない。だから亡くなった方々側の気持ちを想像できにくい。犯人の気持ちのほうが想像しやすい。想像なので事実と違うだろうけど犯人の気持ちはいくらでも想像はできる。しかし亡くなった方々の日常の気持ちを想像することのほうが困難である。想像できない。以下は想像だけど犯人は介護職員として意思の疎通ができない入所者を直視していた。介護もしていた。そしてまじめに考えて心を痛めた。よい考えの結果が出なかった。少しは精神を病んでいただろうと思う。介護もせず、障害のある人を直視せず、そのこころや気持ちも想像できない私が犯人より立派だと言えないんじゃないかと思う。殺人は強い動機が必要である。犯人はその考えを今も変えていない。犯人には強い信念がある。犯人には自分の利益や享楽のために犯罪を起こしたという気持ちがない。社会の利益のために正義の犯罪を起こしたと考えている。このようなことが起こらないために今回の犯人と同じような気持ちを持った介護者を排除する方策を講じる必要がある。そのような犯人と同じ気持ちや信念を持つのを異常と捉えず、病気と捉えて介護職や看護師などからはずす。そして彼らの適正に応じた職場がみつかるまで教育し彼らの収入を保証するような仕組みが必要だと考える。だから今回の犯人は死刑にしてはいけないと思う。
◎私の"あすへの一歩"
ほんとうに意思の疎通ができないのか?本人も家族も苦しんでいるのか?そういう点が気になる。そうでないということを皆に知らせることができたらいいなと思う。
ヘルプマークのことで時々悲しい思いをします…
私は2級の精神障害者手帳を持っています。ヘルプマークのことで時々悲しい思いをします。それは小さなお子さんを連れたお母さんです。子供さんがぐずっているようだったので親切心のつもりで声をかけると最初は感謝されるのですが、私が障害者と知ると子供を抱き抱えて去ってしまいます。とても悲しいのです。
全学年が支援学校へ定期的に交流する全国規模のシステム作りの徹底…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
お亡くなりになられた19名の尊い命とご家族の皆様へ謹んでお悔やみ申し上げます。
◎今回の事件についてのご意見
被告の考え方については、憶測でしか見解が述べられないので控えさせて頂きます。このサイトの内容に関しては、まだ熟読しておりませんが、現時点で思うことはメディアとして素晴らしい取り組みと感じております。ぜひ担当の皆様へは引き続き風化させることなく、日本全国へ広めて頂けるよう切に願います。居住している海外でもこの事件においては、多くの方が心を痛めております。
◎私の"あすへの一歩"
今後同様な事件が起こらないためにも、インクルーシブ教育を文部科学省推薦で必須科目と認定し、全学年が支援学校へ定期的に交流する全国規模のシステム作りの徹底。また、教員同士、学校同士も交流を保ち、情報交換と理解を深める。また現職の教員は研修とし、教員課程の大学生に関しては教育実習とし小児科病棟、支援学校、聾唖学校全てを必修単位と認定。2020パラリンピックでの障害者に向けての行政の取り組みを短期で打ち切ることなく継続し、交通、メディア、公共事業、コミュニティーへの啓発活動、企業への関与など、社会全体で皆がより良い生活を目指し取り組む。メディアで障害者だけ出演のCMを作成、例えば、”忘れない19のいのち”と題し、行政の取り組みを全国民へ告知・認知させ浸透させる。教育こそが人間の美徳に思う。
今回の事件や匿名での裁判に関するニュースを目にして…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
ご冥福をお祈りします。生きていてほしかったです。
◎私の"あすへの一歩"
私は命の重さに差などあるはずがないと思っています。大抵の人も表面的にはそう思うでしょう。しかし、今回の事件によって改めて社会の根底にある差別意識に気づかされました。そして、こういう人が社会を構成しているのか、とがっかりした出来事を思い出しました。私は小学校の頃、特別支援学級の友達と仲が良く、よく一緒に遊んでいました。その頃はそれが私にとって当たり前だったのですが、後になって周りからその事について優しいね、と言われることがありました。ただ友達と遊ぶのになぜ私が親切心でやった事になるのでしょう。最近まで忘れかけていた出来事だったのですが、今回の事件や匿名での裁判に関するニュースを目にして、私の周りだけでもこんな考えの人がいて差別意識が社会に蔓延していないはずがないと思いました。ただ、声を上げるのも周りの反応が怖くてなかなか勇気が出ず、自分の中にもやはり障害を持つ方に対して特別な意識を持ってしまっているのかと恥ずかしくなります。誰もが本当に平等である社会にしたいという思いはあるのですが、何をしたらいいか分からずにいます。
他人のせいにしているだけの人に、人生を奪われたなんて理不尽極まりない…
私にもダウン症で重度知的障害の娘がいます。障害者はいなくなれば良いという植松。私は植松を殺したいくらい憎いし、植松のような人間がたくさんいるこの日本のほうが腐っていておかしいと思います。みんな子供の頃、義務教育では助け合って生きていくことを教わっているはずです。しかしなぜ大人になると、自分だけが居心地良く生きたい!と思うようになるのでしょうか?障害者は世の中の役に立たない?私はニートのほうが役に立たないと思いますよ。京アニ事件の青葉といい、自分がうまくいかないことを他人のせいにしているだけの人に、人生を奪われたなんて理不尽極まりないですね。それなりの制裁を与えないと模倣犯が増えます。日本の司法はゴーンの言う通り腐ってますよ、この犠牲者を無にしないためにも改正すべきだと思います。
同じ地域社会に生きる彼らに支えられていると感じたことが何度もあります…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
亡くなられた方やそのご遺族の方の痛みや悲しさ、辛さを思うと、自分のことのように心が痛いです。 近所にある施設にいる方々は、いつも楽しそうで生き生きしています。私は、同じ地域社会に生きる彼らに支えられていると感じたことが何度もあります。この世に無駄な命や殺されてもいい命なんて存在しません。障がい者でも健常者でも命の重さは同じです。たったひとつの、かけがえのない、とてもとても大切な命です。声を出せない人、働くことができない人は必要ない?絶対にそんなことありません。私たちは社会的なサポートが必要な方たちが安心して豊かに暮らしていけるように頑張って働いて税金を納め、社会を良くしようとしています。声を出せない人のために、声を大にして言いたいです。個人の能力や障害の有無による差別は絶対に許されません。障害と生きる人たちが自分らしく生きていけるように、私たちが全力でサポートします。だから、どんな障害があろうとも、誇りと自信をもって生きていってください。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、二度とこのような事件が起きないように、そしてこの事件が風化しないように、社会全体で考えていくべきだと思いました。
◎今回の事件についてのご意見
ご遺族の方もなかなか声をあげられない状況の中で、このようなサイト等の開設によってこの事件を風化させないようにする、という取り組みに深い感銘を受けました。陰ながら応援しております。
施設環境の見直しも、どんな命にも意味がある事の理解と同じくらい大事…
何が原因であの事件が起きたのか、施設環境の見直しも、どんな命にも意味がある事の理解と同じくらい大事だと思う。自分は福祉施設で働いているが、公益施設は民営化させず社員の待遇(数?給与?手当?保証)をもう少し良くする事も大事かもしれない、とは思う。私も発達だが何かが違えばあの思想が生まれたかもしれない。スタッフさん達の話からたまにそれを感じる事がある。うちの施設の外出レポートを見ると自分のお金でご飯食べたりカラオケしたりを見守っている事が窺える、それは利用者さんにも感情以前に人権がある事をスタッフさん達も理解している証拠。なのに現場ではたまに感情が無い空間に思える事がある。幸せを願っているのは皆同じなのに、それが出来ない状況になることほど“不幸”な案件は無い。
ハンディを背負った方はお腹の中でも強く生き、この世に生まれた…
昨年、妊娠初期の流産を経験しました。それまでの出産のエコー記録と今回のエコーの受精卵の大きさを比較したところ明らかに小さい受精卵でした。産科医に『受精した時点で染色体異常があれば運命は決まっている』と言われ、流産となりました。ハンディを背負った方はお腹の中でも強く生き、この世に生まれたのです。私のお腹の子はその生きる力を使い果たし、この世の光を見ることが出来なかったのに、お腹の中にいる時から試練を乗り越え生まれてきたんです。私は今回の経験からこの世に生まれた私たちに障がいがある、ないなんて関係ないと思いました。被告が命にものさしなんてないことを学ぶことが出来なかったことを可哀想に思うと共に、そんな社会を教育を変えていくべきだと思いました。
事件と向き合うためにも、私自身の障害と向き合っていこうと思います…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
尊い生命が身勝手な動機で奪われてしまったことに憤りと悲しみが止みません。どんなに怖かったことか、どんなに痛かったことか、想像してもしきれないほどです。
◎今回の事件についてのご意見
このホームページを見つけてご遺族の言葉や関係者の方の言葉を読み進めるうちに、19人ひとりひとりとお会いしたかったと思えるほど、それぞれの方の魅力を感じています。被告の「障害者の命」に対しての偏った考えで、このような残忍な事件が起きたことに、言葉にならないほど許せない気持ちと恐怖があります。
◎私の"あすへの一歩"
生命に優劣をつけることのない社会を願って、この事件に関する報道をしっかり知っていきたいと考えています。あまりに残忍で知ることも辛い時もありますが、これからしっかりこの事件を見つめていこうと思います。また事件と向き合うためにも、私自身の障害と向き合っていこうと思います。私は統合失調症を患っている精神障害者ですが、これまで家族、友人、医師に助けていただいてなんとか生きてこられた。その分胸を張って生きていこうと思いました。
メッセージを寄せてくださったご遺族、関係者の方々に心の平安が訪れますように…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
どうぞ、明るい天国の庭で安らかな日々を送られますようにお祈り申し上げます。
◎今回の事件についてのご意見
事件被害者の報道は匿名か実名かで揺れるこの頃ですが、ご遺族が匿名を望まれる理由の一つには加熱しがちな報道関係のためであることをNHKもよく考えて欲しいと思います。その上で、このサイトはご遺族の様々な理由から匿名を望みながらも被害に遭われた方の生を語りたい気持ちに応える場の提供になっているようでホッとしました。自分自身を含めどの人にも誰かからの思い、誰かに向ける思いがあり、それは理不尽に奪われてはならないかけがえのないものだと改めて感じ、犯罪への怒りを新たにしました。メッセージを寄せてくださったご遺族、関係者の方々に心の平安が訪れますように。
身内なのか他人なのかの線引きが色濃くなってきたように思います…
◎今回の事件についてのご意見
ひとつの決まった正解がないのはこの事件に限ったことではないですが、それぞれの立場でしっかりと考えていくことは必要なのだと思います。障害をもっている方だから、もっていない方だからといったことが相手を傷つけていい理由にはなりません。お互いに、です。誰しもが自分の家族がいちばん大切なのは変わらないのだと思います。勝手な解釈で障害をもった家族を傷つけられたら犯人を許せる訳はありません。一方でもしも障害をもった方が私の家族を傷つけたとして、その責任は障害があるから仕方ないお咎めなしとなったら納得はできないことでしょう。そもそも障害者、健常者といった明確な線引きそのものが難しいことなのだと思います。一般的に健常者と呼ばれる人の中にも困難を抱えながら社会に揉まれもがいている人が多くいます。時代の流れとともに人間関係が希薄になってきたことで、助け合うという意識が薄れ見て見ぬ振りをしてやり過ごすことが増えました。その中で身内なのか他人なのかの線引きが色濃くなってきたように思います。感情移入する人の置かれている立場によって様々な意見が出てくるのはそのためではないでしょうか。しかし頭をまっさらにして考えたとき、丸腰の相手を不意打ちに刺し殺し許される理由などあってはならないと思います。
想像力を失うことがこんな事件を生んでしまったのではないか…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
メッセージ、思いの丈を考えては消し、考えては消してしまいます。どんな気持ちを綴っても、亡くされたご家族や周囲の方達の気持ちには及ばないのではないのかと思ってしまいます。けれど、そうやって想像力を失うことがこんな事件を生んでしまったのではないかと思います。ひたすらに哀しい。
◎私の"あすへの一歩"
生きているとしんどいことが多くて、余裕がないと人に優しくできない自分がもどかしいです。でも人生は一度きりです。自分がこの世からいなくなるとき、人を憎む気持ちより、人を好きになって、明るくて優しい気持ちが多い方がいいと思いました。被害に遭われた方たちのご冥福を心よりお祈り致します。
疲弊した時に見る老老介護の果ての事件は他人事ではありません…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
ご冥福をお祈り申し上げます。
◎今回の事件についてのご意見
私の愛した人は、いわゆる障害者となり生涯を終えました。最期まで自宅で看取りました。彼はギリギリまで自分で自立した生活を送り、全力で良き伴侶でした。それは間違いありません。しかしその裏で支え続ける休みなしの介助者である私は、生活の全てを彼に捧げて生活していました(それについて私自身は後悔していません)。考えてください。生涯の伴侶として愛した人でこれです。睡眠は削られ精神は投薬なしでは持たず、援助は24時間ではありません。疲弊した時に見る老老介護の果ての事件は他人事ではありません。人間限界もあります。では、今回の事件は本当に綺麗事で済ませてよいのでしょうか。ヘルパーに転職した方は、重度障害者施設を標本室のようだと例えました。正直肩の荷が下りた方は少なくないのではと感じる私は罪深いでしょうか。勿論犯人を擁護はしませんが、本人や家族が選択して安楽死を選ぶ道を新たに作ることが救いになることは想像できませんか。あまりに支える側を軽視する意見にはうんざりします。
◎私の"あすへの一歩"
私は自分の選択を後悔していません。でも身近にいないあなた方は?と問いかけ続けます。見つめ続けます。
この事件のことは、ずっと自分の中に持っていようという決心だけがあります…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
突然のことで、辛く苦しかったことと思います。この事件のことについて目にする度、どうしてあなた方があんな理不尽な目に遭わなければならなかったのか、胸が裂かれる様な想いがします。あなた方にもう一度だけでも会いたいと思っている人がたくさんいます。
◎今回の事件についてのご意見
ご家族をはじめとする、亡くなった方の周りの方々の想いが、このサイトを通して、痛いほどに伝わってきます。この事件について語られるときには、しばしば、被害者、障害者、入所者、といった大きな主語が使われます。それは事件を客観的に語る時、必要な言葉かもしれません。しかし、犠牲になってしまった方一人一人が、誰かのことを大切に思い、また、誰かから大切に思われたかけがえのない個人だったのだ、ということを忘れてはいけません。人は存在するだけで価値がある、というのは容易いことです。時々、そんなのは綺麗事だ、という人もいます。私自身も、綺麗事に過ぎないのだろうか、と落ち込むこともあります。ですが、このサイトに記された言葉に触れることで、亡くなった方を想う言葉に触れることで、一人一人が"生産性"などというものさしではとうてい測ることのできない、かけがえのない存在だった事を確信できるのです。この事件の被告人、被告人の考えを素直に否定出来ないすべての方に伝えたい。亡くなってしまった方々にただ生きていて欲しかった人がたくさんいて、あなた方が思いも及ばぬ小さな幸せが、あなた方の勝手な考えに壊されてしまった。その事は確かなことであって、その事だけをもって、あなた方は間違っている。あなた方が持っている考えは、あなた方自身が思っているよりもずっと恐ろしいものです。
◎私の"あすへの一歩"
自分は法曹を目指す身であり、この事件との関係では、亡くなった方の何人かと同じ障害を持った家族がいます。事件については、裁判がはじまったことで非常に複雑な感情を抱いています。この先、法曹になって、自分のような人間に何が出来、何が出来ないのかは正直、まだわかりません。この事件のことは、ずっと自分の中に持っていようという決心だけがあります。
一生刑務所にいてください。そして、一生かけて罪を償ってください…
◎亡くなった方たちへのメッセージ
はじめまして。私は軽度の知的障がいがあります。この悲惨で冷酷な事件を知った時は正直、心が張り裂けそうでした。事件から年月が過ぎた現在もこのニュースを見る度に苛立ち、悲しみ、怒りが込み上げてきます。何も罪もない方がなぜ、殺されなければならないのか?ある日突然、命を奪われたご遺族の方を思うと、本当に無念でなりません。犯人を絶対に許すことなんてできませんし、許す価値もありません。警察から送検されたときの犯人は笑っているように見えました。自分が「正しいことをしたんだ、間違っていないんだ」という、自分が犯した罪を正当化しようとしており、非常に腹が立ちます。裁判では、「死刑」以外の処罰は認めません。犯人に「人間の心」なんて微塵もありません。どういう環境で育てば、こんな人間になるんでしょう?親の責任でもあります。人の人生を壊し、幸せを奪い、尊い命を奪ったんですから、一生刑務所にいてください。そして、一生かけて罪を償ってください。
◎私の"あすへの一歩"
障がいがあるなしに関係なく、一人の人間です。それを否定すること自体が間違っています。一人一人が自分や周りの人を大切にすることで「平和」が生まれます。人間だから「群れ」で生きている生き物だから、多少の「争い」はあります。しかし、どんな理由があろうと、人の命を奪うことは、絶対にしてはならない行為です。私は信仰を持っており、普段から人との「つながり」や「絆」を大切にして生きています。お互い助け合って生きていくのが人間です。
ご意見をお寄せください
相模原障害者殺傷事件についてのご意見や、
亡くなられた方へのメッセージを募集しています