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「ひきこもり」115万人 ― 地域から作る「人を大切にする社会」【第1回】

「ひきこもり」115万人 ― 地域から作る「人を大切にする社会」【第1回】

2020年5月11日更新

「ひきこもり」とは、さまざまな要因から社会的参加(就学・就労・家庭外での交遊)を回避し、6か月以上家庭にとどまり続けている状態を指します(厚生労働省「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」より)。
その数は、15~39歳で54万人、40~64歳の中高年で61万人。合わせて115万人と推定されています。なぜ、これほど多くの人たちが引きこもっているのか。その背景には、日本社会が抱える様々な課題があります。

「誰も取り残さない社会」をどうしたら作れるのか。全国でひきこもり支援に取り組む現場の支援者と厚生労働省の責任者、学識経験者が話し合ったTV シンポジウム(2019年10月19日放送)の内容を、テキストと動画でご紹介します。

登壇者

  • 【司会】国谷裕子 【司会】国谷裕子ジャーナリスト
  • 【パネリスト】菊池まゆみ 【パネリスト】菊池まゆみ秋田藤里町社会福祉協議会会長
  • 【パネリスト】勝部麗子 【パネリスト】勝部麗子豊中市社会福祉協議会福祉推進室長
  • 【パネリスト】谷口仁史 【パネリスト】谷口仁史NPOスチューデント・サポート・フェイス代表理事
  • 【パネリスト】神野直彦 【パネリスト】神野直彦日本社会事業大学学長
  • 【パネリスト】吉田昌司 【パネリスト】吉田昌司厚生労働省生活困窮者自立支援室室長

会場からの発言

市川乙允:ひきこもり家族の会、NPO法人楽の会リーラ事務局長
森下徹:ひきこもり経験者、NPO法人グローバル・シップスこうべ理事長

国谷裕子さん(司会): これまで「ひきこもり」の人たちに対しては、個人の問題、「自己責任」というまなざしが注がれてきました。
しかし日本において115万人もの人々がひきこもっているという現実は、社会が抱えているひずみの深刻さを物語っていると言えます。
国が引きこもり対策に本格的に乗り出したのは10年前のことです。現在では900を超える自治体でひきこもりを含む生活困窮者の相談窓口が設けられていますが、実践的なひきこもり支援が出来ている自治体はまだ一部に限られています。
個人の選択として家にとどまり続けたいという方々もいます。そうした個人の選択を否定するものではありません。しかし、一方で、できれば長らく途切れていた社会とのつながりを取り戻して学びたい、働きたい、そして多様な人々とつながりたいという人々もいます。そうした願いをどうすれば実現できるのでしょうか。
試行錯誤を続けながら先進的に取り組んできた自治体の実践を通して、有効な政策への道筋が見え始めています。ひきこもり支援が届いていない現状をどうすれば解決できるのか、今日は考えてまいります。

市川乙允さん(ひきこもり家族の会): どうしても今の地域では、「甘えだ」とか「怠けてるんじゃないか」という偏見がまだまだはびこっています。そんな中で、今日シンポジウムでお話しされる皆さんは、非常に先駆的なことをやっておられます。実際に取り組んできて、住民のみなさん、地域のみなさんの意識はどんなふうに変わったのか、ここをぜひ聞きたいんです。

森下徹さん(ひきこもり経験者): これからは、支援者、行政、当事者、経験者、家族も一緒に話し合ってやっていけたらと思っています。というのも、「ひきこもり」には、発言や発想が変わっている人が、家や学校や社会で否定されたり排除されてきた結果、人間関係を切って人生を諦めて孤立してきたという面があるのかなと思っています。このままでは大変なことになるのではないか。混乱や問題も起こるかもしれませんが、異質な、人と違うことを言う人を入れて、社会を変えていかないとと考えています。

国谷: ではまず秋田県の藤里町の事例からご覧いただきます。

ひきこもりゼロを実現した町

秋田県藤里町は、白神山地の麓に広がる人口3200の町です。町がひきこもりの問題に気づいたのは13年前の2006年。
きっかけは、高齢者のもとに通っていた介護福祉士が、お年寄りから受けた相談でした。「ひきこもっている若者がたくさんいるから、調べてほしい」というのです。いったい誰が、どこにひきこもっているのか。地域福祉を担う社会福祉協議会が調査に乗り出しました。
調査の先頭に立った菊池まゆみさんは、実態を掴むため、住民に協力を求めました。自治会や民生委員、PTAなどのネットワークを活用して広く情報を集め、一人ひとりのリストを作りました。すると、予想以上に多くの人が家にひきこもっていることがわかりました。その数は113人。働く世代のおよそ10人に1人という、驚くべき結果でした。

菊池:「最初は10~20人レベルを連想していたんですよ。私にとっては精神疾患のある方というイメージが強かったものですから。ああそうか、行き詰っていらっしゃった方々がこんなにいるんだと」。

本人は、どんな悩みを抱えているのか。菊池さんたちは、すべての家を訪ね、カウンセリングから始めようとしました。
しかし会うこともできません。訪問調査が始まった当時、Aさん(40代男性)は、もうすでに自宅に10年近くひきこもっていました。 訪問されても、何のためかが分からず、怪訝に感じたと言います。

Aさんは、地元の高校を卒業後、国立大学に進学。東京のコンピューター会社にプログラマーとして就職しました。
しかし、スピードと高度な技術を要求される競争の世界になじめず、結局4年で退職。地元に戻ることにしました。

Aさん:「逃げたって言えば、逃げたのかもしれないですね。東京ではけっこうハードな感じでバリバリがんばらなきゃみたいな感じの人もいましたし。気を張って生きていかなきゃいけないみたいな」

Aさんはまず地元のハローワークに通い、就職活動を始めます。ところがちょうどこの頃、バブル経済が崩壊。不景気が続き、スキルを活かせる仕事は見つかりませんでした。そこで事務の仕事などにも職種を広げましたが、面接を受けても受けても不採用が続きました。不採用は30社に達しました。Aさんは、しだいに家から出ることができなくなっていきます。

Aさん:「受からない、会社に採用されない、仕事ないという状況は、何かが欠如しているんじゃないかという。自分の中で。転げちゃうと終わりますよね。なかなか這い上がれない」

一方、どうすれば、113人いるひきこもりの人たちを外に連れ出すことができるかを考えていた菊池さん。この時考えたのは、「楽しい居場所」を作ることでした。卓球やカラオケ大会などを企画すれば、外に出てくるかもしれないと考えたのです。しかし、会場に姿を現す人は、ほとんどいませんでした。
ひきこもりが社会問題になってから、すでに10年が経っていた当時でも、まだ国の支援制度はなく、役場には担当部署も相談窓口もありませんでした。菊池さんの活動は、行き詰ってしまいます。
国の制度が進まなかった原因の1つとして、ひきこもりが「制度の狭間」の問題であったことが挙げられています。従来の制度は、高齢福祉、児童福祉、生活保護、障害福祉など、年齢や経済の状態などによって、支援の対象を分けてきました。年齢層も幅広く、経済状態もそれぞれのひきこもりは、どの制度にも当てはまらず、制度の狭間に置き去りになってきたのです。

調査を始めて1年。菊池さんの考えを大きく変えるできごとがありました。社会福祉協議会の採用試験に、21歳のひきこもりの若者が突然現れたのです。学校になじめず高校を中退し、そのままひきこもっていたBさんでした。

Bさん:「やっぱり20歳過ぎてからですよね。まわりは普通に就職して結婚して子どももいましたし、焦りはありました。本当に何も経験してないのは、自分だけだったんです」

菊池さんとの面接で、Bさんは、「自分も働きたい」と話しました。それまでカウンセリングを第一に考えていた菊池さんにとって、予想外の訴えでした。

菊池さん:「ガツンと、頭をゴンとやられた感じでしたね。彼が来たことで、そうだよなって。健康な体を持っていて、働く能力がないわけではなくて。その時初めてわかった気がしました」

菊池さんは、それまでの方針を転換しました。ひきこもっている人たちが働くことのできるきっかけを作ろうとします。当時注目したのは、失業者のための支援事業。月10万円の給付を受けながら、ホームヘルパー2級などの研修を受けられ、資格を取ることができました。菊池さんたちはこのチラシを、ひきこもっている、すべての家に投函しました。研修会場を見て、菊池さんは驚きます。ひきこもっていた人たちが次々に姿を現しました。その中に、10年以上ひきこもっていたAさんもいました。

Aさん:「これで動かないで、いつ動くんだ、みたいな感じだったでしょうね」

2010年、菊池さんたちは、町役場の協力を得て、ひきこもっていた人たちのための就労支援施設「こみっと」を開設します。昼は、食事処として営業。自家製の手打ちそばやうどんを食べることができます。ここで働き始めたのは8人。1時間、110~550円を受け取ります。本格的に働くまでの準備期間にあたる、いわゆる「中間的就労」の働き方です。

あれから9年。今、Aさんは、藤里町の社会福祉協議会のスタッフとして働いています。Aさんが担当するのは、町の特産品として社会福祉協議会が売り出している「白神まいたけキッシュ」の製造です。去年の売り上げは600万円。全国から注文が届く人気商品となっています。藤里町でひきこもっていた113人のうち、これまでに85人が一般就労につき、28人は医療や介護のサービスを受けながら暮らしています。今、藤里町に、社会とのつながりのないひきこもりは1人もいません。

国谷:ひきこもりの人たちは本当は働くきっかけを求めていたんだ、という気づきが、ご自身の中で遅れてしまった背景はどこにあったと思われますか。

菊池まゆみさん:ひきこもりの方々に対して、精神疾患をもった方ではないか、福祉的支援が必要な人ではないかと思いこんでしまっていたんですね。ですから、みなさんが出てきて、いろんな形で社会参加するのを見ていると、なぜそんなふうに思ってしまったのか、逆に今わからないくらいです。
彼らが欲しがっていたのは、社会の中で自分の役割を持てること。たとえば、あたりまえの収入が欲しい、お嫁さんがもらえるくらいの収入が欲しいとか。それをなぜ私たちは勝手に「レクリエーションで1日過ごしてもらえば満足するだろう」と思ってしまったのか。それが、私たち自身がもっていた偏見なのではないかと思っております。

国谷:そこから段階的にアプローチをしていくシステムを構築されたわけですね。相談を待つのでなく、情報提供などを行うためのアウトリーチから、中間的就労の場を作り、外に出てくるチャンスを広げ、次は一般企業で短時間就労を体験しながら、適性を見て就職活動を行っていくという。

菊池:やっぱり昼夜逆転している方が多くて、その間は自信が持てないんですね。何もできないと自分で思い込んでいる。でも昼夜逆転が直ってくると、自分でいろんな可能性に気づいてくださるようです。手打ちそばができるようになると、「俺って意外といけるかもしれない」とか。そういうかたちで、いろんな段階が必要だと思っております。

吉田昌司さん(厚生労働省):当時、国が出しているひきこもり対策のガイドラインの中でも就労支援に触れており、一定程度働くことに着眼はしていたところです。いろんな段階で環境を整えるというようなことは、たぶんその当時はあまり思いが至っていなかったのではないかと思います。現場の実践が先に来ているところかなと思います。

勝部麗子さん(豊中市社会福祉協議会):やっぱり親御さんも「自分の育て方が悪かったんじゃないか」「世間からどう思われるのか」「この子をどうしていくのか」とすごく悩まれているんですね。でも悩んでも、どこに相談に行けるかというと選択肢がない。
当時、ひきこもり相談は保健所が受けていましたが、それは医療に繋ぐための相談です。「働きたかったらハローワークに行けば」と言われても、「いや働けないから悩んでいるんでしょ」と。ご家族としては、こういう状態にいることについて、誰にも相談できなかった状態がとても長かったと思うんですね。
では、本人たちはどうだったか。私たちも当事者と話をすると、主体的にひきこもったというよりは、就職しようとしても内定が全然決まらない。仕事をしてたらリストラされる。学校時代に不登校になる。そうしたかたちで、社会から自分の居場所とか役割がどんどん失われてしまう。「セルフネグレクト」と言われていますが、いやこれは「ソーシャルネグレクト」でしょうと。社会から自分たちが排除されて、居場所や役割がなくなったんじゃないかという話を聞いた時に、私も本当にそうだなと思うようになったんですね。

谷口仁史さん(NPOスチューデント・サポート・フェイス):誰もが陥る状態としての「ひきこもり」という理解が必要だなと思ってるんです。もし共通項を仮に挙げるとすれば、言えるのは真面目ということです。誠実な性格の人の方が多いんですね。たとえば、学校や社会のいじめであるとか、ハラスメントの問題。対人関係に非常に苦手意識を持ったまま、さらに競争社会の中に押し出されるとなると、適応するということがなかなか難しいし、中には、心を病んでしまう人もいる。こういうことが当然起こっていたわけなんです。だからこそ、実は就職するまでの段階には、先ほどのような段階をきちっと踏む必要がある。本人の望みに沿いながら、しっかり本人の状態に寄り添いながら進めていく必要があると思っています。