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復興サポート 放射能汚染からのふるさと再生 ~福島・浜通り~

復興サポート 放射能汚染からのふるさと再生 ~福島・浜通り~

2018年8月27日更新

放射能汚染を乗り越えて、暮らしと生業をどう取り戻すか。
住民たちが話し合いました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故から7年余り。避難指示区域は段階的に縮小されてきましたが、今もなお4万5千人が避難生活を送っています。避難指示が解除された町でも、多くの人は戻ってきていません。
こうしたなか、どうやって暮らしと生業(なりわい)を取り戻していくのか。6月下旬、福島県・浜通り地域の人々が集まりました。参加したのは、南相馬市、浪江町、富岡町、飯舘村の住民と避難者、役場、社会福祉協議会、支援者など。それぞれの専門的視点からアドバイスを行う「復興サポーター」も加わり、話し合いが行われました。

復興サポーター

  • 結城登美雄さん 結城登美雄さん民族研究家
  • 河田昌東さん 河田昌東さん分子生物学者
  • 山首尚子さん 山首尚子さん高知県土佐町社会福祉協議会

司会:後藤千恵(NHK解説委員)

結城:若い人や子育て世代には、やっぱり放射能汚染の現実に対する不安や、仕事がないこともあって、戻れないんでいるんだなということを感じます。でも「村」っていうのは人数の多さに価値があるんじゃなくて、そこに「良い暮らし」「楽しい暮らし」があるということが僕は大事じゃないかなあと思ってるんですよ。お手伝いできることがあればというふうな思いで今日参りました。

参加者:放射能のために若い人が戻れない。そして農家の後継者がいないということが一番の問題点だと思います。
参加者:将来的には戻ってきたいなという気持ちではいます。ただ生活できるか、まだはっきりしてない。

生業をつくりだす

放射能汚染を乗り越え「なりわい」を取り戻す

福島原発事故から7年。放射能汚染を乗り越え、「なりわい」である農業を取り戻す試みが被災地で始まっています。南相馬市では、専門家の助言で「菜の花プロジェクト」を始めました。セシウムを吸収しやすい菜の花を栽培、菜種を絞るとセシウムを含まない菜種油がとれます。飯館村では、太陽光発電をしながら、牧草や菜の花を栽培する取り組みが。浪江町でも、特産のエゴマを育ててセシウムを含まない油を絞り、地域再生を目指しています。

明日へ つなげよう 復興サポート
放射能汚染からのふるさと再生 ~福島・浜通り~
(2018年7月22日放送)

河田:南相馬で栽培した菜種の汚染を見ると、種は、事故直後はたいへん汚染が高かった。しかし年々汚染レベルが下がってきているのがわかります。しぼった油は全く汚染がないことがわかっています。そういうわけで植物油は安心して栽培できると思います。

結城:日本って食料自給率が38%で、本当に低いんです。その中でも菜種は1%以下なんですよ。99%以上はカナダやオーストラリアなど海外からの輸入なんです。そういう意味で、福島のこの試みは、日本社会の食生活を考えた上でも大事な試みだと僕は思っています。厳しい環境ではあるけど、がんばって日本の農業を開いていく。その試行錯誤から、たくさんの可能性が生まれてくるというふうに感じています。

暮らしを立て直す

司会:ここからは、地域の人口が大きく減る中で、これからの暮らしをどうやって再建していくのか、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

結城:バラバラに住んでいて、なおかつ一人暮らしというのはちょっと切ない。でもそれは福島だけの問題じゃなくて、日本全体の問題とも通じるなと思ってるんです。日本には全部で5300万世帯があるといわれます。そのうちの4割が高齢者。そういう意味からいえば、過疎、限界集落といわれる日本全体のテーマにつながる問題。それをここでどうしていくか、どういう暮らしを整えていくか。大きなテーマを提起しているなあと思ったんです。

高齢者が生き生きと支えあう地域

人口減少と高齢化が進む高知県土佐町ですが、お年寄りたちは元気いっぱいです。みんなの力を集めて高齢者の居場所を作ろうと考えた社会福祉協議会の山首尚子さんは、住民に「できること」をアンケートで尋ね、ボランティアが運営する「とんからりんの家」をオープン。また、昔の小学校区ごとに住民が集まり、地域の課題を解決する仕組みも作りました。これによって、茶摘みを皆で協力して行ったり、伝統の「背みの」づくりの技術を伝承したりしています。

明日へ つなげよう 復興サポート
放射能汚染からのふるさと再生 ~福島・浜通り~
(2018年7月22日放送)

山首:土佐町は、集落から人がいなくなる。そして、若者がおらんなる。なので、今いる人たちで、いかに元気にしていくか、そういうことを考えていったんです。そこで大事なのが、「本当にそれってみんな、やりたいことなの?」ということです。それを丁寧に聞くことをずっとしてきました。
割とですね、みなさん会話終わってから玄関先でいう言葉が、ボソって呟くことが、当たったりするんですよね。「そんなこと言うたって俺はこれをやりたかった」とか、「それはできんけどこれやったらできるのにね」とか。それで当時70歳代の方が、「じゃあ、これから私たちが老後を迎える時に、こんな所があったらいいよね」って、そういうつぶやきを考えて作っていたのが「とんからりんの家」です。なんと「とんからりんの家」を作るまでに60回話し合いました。
また、お茶の取り組みは、うちの職員が「先祖から受け継いできたこのお茶畑が荒れていくのは本当に忍びない」という嘆きを聞きました。なんと老人クラブのみなさんは自分の家で、少しですがお茶を作っていたりする農家の方が多いですね。なのでお茶の子さいさいでした。
福島の現実、とても比較できるようなものではないにしろ、つぶやきを集めていったり、何か楽しいことをみんなで考えていく、そういう場づくりが大事なんじゃないかなと。
今日、ここに行政の方、社協の方、そしてその真ん中に住民の方がいらっしゃる。そこで、楽しいことが企画できたらいいなと本当に思っています。

ワークショップ

ここからは、4つの市町村ごとに分かれて、地域の課題は何か、自分たちでできることは何か話し合いました。最後に、グループごとに発表します。

        

参加者のみなさんからは次のような感想が聞かれました。
「同じような境遇の中で話し合えて、大変良かったなと思っております」
「すごく励みになりました。私たちにできることはまだまだあるなと、いうことを改めて思わされました」
「仲間がいっぱい居るんだなということに気づけたので、すごい嬉しかった」

高校生の参加者からはこんな感想も。
「4つの市町村の話を聞かせていただいたんですけど、避難指示が解除された地域が、先進的に行動を起こしていくことによって、原発の被害を受けた地域をリードして、引っ張っていくような立場に回っていくのも、とても大事な活動だと感じました。そういった架け橋になっていきたいと思いました」。

結城:今日集まった4つの地域のこの土地の歴史を見れば、遥か昔から、祖父母たちが荒れ地を開拓し、汗を流して切り開いた農地、そこで生きてきた暮らし、その大切な農地。そこにこういう放射能汚染みたいなものがあって、どうしたらいいかが分からなくなってきていました。
でも、皆さんの今日の話を見てですね、地域や町や村や集落を良くするのは、そこに住む人たちの力、「心と力」がやっぱり中心なんだなと。皆さんの活動、これからの積み上げはこの行き暮れた日本の新しい地平を開いていくものだと私は思っています。そういう意味では、この厳しさの中で皆さんは、新しい「希望の開拓者」ではないかなと思っています。一生懸命、僕も応援させていただきますので、ぜひぜひ、いい福島にしていっていただきたいというふうに思います。本当に今日はありがとうございました。