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インタビュー・地域づくりへの提言

日本をリードする知の巨人たち。社会が大きく転換しつつあるいま、時代を拓くカギは地域にあると指摘します。持続可能な未来へのビジョンを語っていただきます。

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2016年04月06日 (水)

いまのシステムは限界を迎えている―地域から変革を!【経済学者・神野直彦さん】⑥

「人間が生きていく」ということとは。


-- 工業化社会が終わり、これからの時代にふさわしい新たなモデルを創り出すと。

神野  大切なのは、“地域で回す”ということです。その地域内で人間の生活機能が、包括的に完結していることが重要なのです。人間が生まれ老いていくための生活が完結できる、包括的な完結。どこか他のところに行かなくてはいけないようでは、その地域社会は持続しません。例えば、日本の過疎の進行で深刻な地域のひとつが、実は千代田区です。千代田区は人口が5万しかいない。それはなぜかというと、人間の生活が完結できないからです。お店はないし、生活できないですよね。ちなみに隣の中央区は14万5千人で、いま人口は増えています。中央区では、昔ながらの町並みが残っているところなどがあり、生活機能が成り立ちますからね。子どもが生まれ育つための生活機能が、その地域で完結していくということ。また、世界中が全部行き詰まっている時代なので、産業が構造的に大きく転換し、何が起こるか分からない。そうした中では、人間が生きていくための機能が揃っている所に需要があるわけです。

それから、ソーシャル・キャピタル(人々の協調行動を活発化し、社会の効率性を高めていけるようするために、信頼関係や助け合い、規範、ネットワークを重視する社会の特徴を表す概念)といわれる社会関係資本。パットナム(ロバート・パットナム、アメリカの政治学者、1993年の著書『哲学する民主主義』でソーシャル・キャピタルの概念を再定義した)は、イタリアの北部と南部とを比較し、南イタリアでは産業が北イタリアのように発達しないことを例示し、その原因は、南イタリアには北イタリアのようなソーシャル・キャピタルが蓄積されたコミュニティがないからだと指摘しました。そういう条件は、知識社会になるともっと重要になってきます。つまり、自分たちがお互いに惜しみなく“知恵を与え合う”ことが重要で、工業社会のように閉鎖的に蓄積するということには、意味がないということですね。

 

―― “人に教えない”とかですね。

神野 そう、全く意味がない。そういうことからいえば、地域のほうがいろいろなアイデアが出てきて、そこから何が出てくるかわからないような新しい産業が出てくるということがポイントです。あとは、豊かな自然を見たりしながら、人間がより人間的になっていくということが基本なのですよね。そこで人間が成長しないと、発展はしませんよ。

ハーバード大学の定義によれば、その地域で生じている諸問題を解決する能力のことを「地域力」いうのですけれども、「地域力」は二つの要素から成り立っていて、ひとつは、その地域の人々がそれぞれ個人的に持っている能力。もうひとつは、ソーシャル・キャピタル。つまり、その人々がいかに、凝集力といいますか、団結して、力を合わせるかということが重要です。何かが起きた時に誰かが利己的な行動を取ると、問題解決力は急速に弱まります。それを私たちは、災害で嫌というほど教えられたわけです。非常事態の時に、地域社会ですぐにペットボトル買い占めるような人がいると、問題は解決されません。

お互いに助け合って生きていくことが最も重要なのだということは、危機の状況に陥ると、われわれは学習できるわけです。東日本大震災というあの災害を経て、日本人は学ばなければならないと誰もがわかっています。私たちがこれからの社会をつくっていく時に、最も重視し、最上位の価値観に掲げなければならないのは、人間の命だということです。人間が生きていくということは、人間同士が生きるということを共にし、自然とも生きるということを共にすることなのです。あの過酷な大災害の生と死を分ける現実を前にして、人間と人間、それから人間と自然とが、手を携えて生きていかなくてはならないということを感じたはずですよね。

もう1つ重要な点は「参加」です。いままでは、同じ地域の中に不幸が起きた時にも、他人事のように行動していたけれども、大災害のような共同の不幸が起きて、それを体験すると、自分もそういう共同の困難を解決していくことに、何らかの形で参加しなくてはならないのではないかという意識を持つはずです。だから、同じ地域で命を共にしていること、そのことの意味や、災害で起き上がってくる問題の解決に、解決者として参加していくことの大切さも、日本国民は学んだはずだと思います。

 

-- 最初におっしゃっていましたね。人間とは、もともと助け合う存在であると。

神野氏  もともと集落を作るというのは、人間の歴史を考えたら、自然に出来上がってくるものなのだけれども、いまは逆に、人為的にそれを忘れさせられていることになるわけです。そうした中で、私たちはやっぱり共に生きていかなくてはいけないのだと気がついた時に、ひとりひとりがどうやって行動すればいいのかと思うと、お説教していてもダメなのですよね。ほかの人と手を携える共同作業をやってみて、初めてその重要性を学ぶのです。

例えば、お祭りでも何でもいいのですよ。復興の時、最初にまずやるのはお祭りですよね。お祭りをすることによって、共同作業をするわけです。鎮守の森の祭りというのは、あらゆる職業の相違を越えて準備する過程が重要なので、準備をすることによって人間の団結やコミュニティー意識が高まっていきますし、さらに、そのこと自身が防災活動にも防犯活動にもなっていくわけです。宇沢弘文先生(経済学者、過度な市場競争や効率重視は、格差拡大や社会不安を招くと警鐘を鳴らした)がいつもおっしゃっていたのだけれども、教育というのは実はそこだったのですよ。日本人は全く忘れているのだけれど、義務教育を提唱したジョン・デューイ(哲学者・社会思想家、アメリカの代表的な民主・民衆主義者)は、教育の基本原則を言っています。そのいちばんの基本原則は、統合の原則。生まれも育ちも違う子どもたちが、教室っていう場に集まって一緒に遊ぶこと。そのことによって、私たちは生まれも育ちも、家族関係もいろいろ違うけれども、仲間じゃないかっていうことを培養する。これが教育だったのです。

けれども、日本人が教育で何をやっているかというと、競争原理を教えているのです。基本的に、金もうけをする能力を身につけさせることが教育だと思ってしまっているものだから、例えば、何で貧困に苦しむ人のためにみんなでお金を出さなくてはいけないの、というようなことになってしまうわけです。そうではないのですよね。

自分たちがどうやって生きていったらいいのか。もしも、人間というのは、仲間として、温かい手をつないで、知恵を出し合って生きていくのだということが正しいのであれば、例えば、このアーカイブスで、一つ一つの地域づくりのいいところも悪いところも学びながら、具体的にそこへ向かっていくための道は、必ず見出していけると考えています。(了)


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インタビュー・地域づくりへの提言

神野直彦さん

1946年、埼玉県生まれ。1981年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授、東京大学教授、関西学院大学教授などを経て、東京大学名誉教授。前地方財政審議会会長。専攻は財政学。ドイツの財政学を中心に学び、長く欧州を観察する中、日本も欧州のようにもう一度自分たちの良いところを見直し、作り直すべきと提言。 日本にはそれぞれの土地の風土にあった教えが沢山あると提唱し、精力的な執筆活動を続けてきた。

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