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インタビュー・地域づくりへの提言

日本をリードする知の巨人たち。社会が大きく転換しつつあるいま、時代を拓くカギは地域にあると指摘します。持続可能な未来へのビジョンを語っていただきます。

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2016年04月06日 (水)

いまのシステムは限界を迎えている―地域から変革を!【経済学者・神野直彦さん】②

①では、日本において、家族が持っていたあるいは地域社会が持っていた“セーフティーネット機能”はもう崩壊している、という話がありました。(全6回中2回目)

変わりゆく家族像、人間観とは?

 

-- 貧困を無くした方が、結局あなたも有利に生きられますよという説明だけでは不十分で、仲間として貧困は見過ごせないという意識をみんなで共有していかなくてはならないということですね。

神野氏  ですからいま、先ほどの厚労省の低所得者対策の内容についても、自己利益のためということだけではない説明もしっかりと入れるべきだと言っています。そうしないと、結局、負けてしまうのですよ。自分さえよければいいのだという考え方に。自己利益最大化であなたのためになるのですという説明だけだと、自分さえよければという考え方に人間は陥ってしまいますから、そうならないためにね。

セネガルの大統領でサンゴール(レオポール・セダール・サンゴール、初代セネガル大統領、1960~80年就任)という人がいます。彼は詩人でもあり、ネグリチュード運動(西欧諸国による抑圧・差別に対し黒人固有の文化を高揚しようという運動)の運動家でもあるのですが、彼は、人間は温かい手と手をつなぎ合って生きていると言っています。そして難民の姿を、戦乱や極貧によって温かい手と手をつなぐことすらできないかもしれない、過酷な旅立ちへの苦しみであると捉えました。そもそも人間は、温かい手と手をつなぎ合って社会を形成して生きているのだという価値観を、私は日本においてもどこかで培養していってほしいと思っています。

-- 幸せとは、愛する人の幸せを感じることであると。狩猟採集の時代でもずっと力を合わせて生き続けてきた人間という種の感情、そんな人間の感情に適した財政のあり方、経済のあるべき姿について、神野さんは指摘し続けていますね。

神野氏  人間はもともと、個体維持本能と種族維持本能を持っています。さらに「ネオテニー」といわれる幼態成熟であり、非常に長い期間、家族の中で守られていかないと大人にはなれない。また、それゆえに、生物の中でも人間だけが、母体から出てきてからも脳細胞が増え続けていきます。産まれた後も脳が発達していくのですけれども、そのことで逆に、生きていく中で仲間意識を失った場合には、殺戮し合ったりということにもなってしまうわけです。

私が自身の思想を形成する上でいちばん大きかったのは、高校1年生の時に、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』と『唯心論と唯物論』という本に出会ったことです。これを読むとフォイエルバッハは、伝統的なキリスト教への批判、“神は死んだ”、神はもう死んでしまって存在していないという批判を行い、もともとの人間の働きとして精神・理念をとらえようとした。そのあと出てくる、マルクスは、フォイエルバッハを批判して、神は死んだというのは正しいけれども、それは唯神論(世界を創造したのは神であり神の存在がすべてに先立つとする立場)だから、唯物論(精神・理念などは経済や科学といった物質的な側面によって規定されるとする立場)にしなくてはいけないと言い、「類的本質」あるいは「類的存在」(人間は、労働や生産による共同生活を営む社会的存在であるという考え方)、私たちは類として存在しているのだというアプローチをやったのですね。

そのほか、私が心惹かれる実存主義(哲学の中心に人間の実存をおく思想的な立場)、つまり、サルトルにしても、ニーチェやキェルケゴールにしても、全部フォイエルバッハの影響を受けています。

ところが、もう一方でフォイエルバッハは、実はすごく偉いことも言っているのです。それはどんなことかというと、キリスト教では愛の神によって人間は創造されたと教えているわけですが、いや、そうではないと言っているのです。神が人間を創造したのではなく、人間が神を創造したのだと。神の創造主こそ人間であり、だからこそ人間はすばらしいのだと。しかも、人間が自分を外面化することで描き出した神は、“愛の神”なのです。互いに愛し合うという人間の本能的で本質的な部分が、“愛の神”を創造したのです。だから、サルトルなんかも、実存主義はヒューマニズムであると言っているわけです。人間主義なわけですね。いま、愛とかいうとせせら笑われてしまいますが…。いまの日本の社会観や人間観でこの先も進んでいくとなると、人々は愛のないままの人生を送っていくことになります。

 

-- 動画で紹介している秋田県の藤里町では、ひきこもりの人たちがもう一度社会に出るきっかけづくりに取り組み、就労につながるなどの成果を上げています。ひきこもりの人たちは、多くが競争社会・自己利益最大化の社会に戸惑ったり、ついて行けずに傷ついたりした人たちであり、みんなで温かな手を握り合い、傷ついた人たちに家から出てきてもらって、つながりの中で社会に戻ってもらいましょうという取り組みです。

神野氏  私がいまちょっと気になっているのは、社会という前に、そのベースとなっている家族の現状についてです。もともと家族=ファミリーの語源は、食事を同じくするという意味であり、家族が一緒に食事をすることはローマの奴隷にも認められていました。それが大きく変質してきて、そのことを非常に気にしているのがアメリカです。家族が一緒に食事をしなくなってきていると。アメリカのリポートによると、フランスでは75%が、常時、家族で一緒に食事をしているのですが、アメリカでは30%程度になっている。それの何が問題かというと、実は食事を同じくしているということが、子どもの学力を高める一番の要因になっていると、リポートでは指摘しているのです。一緒に食事をするという行為の他にも、例えば学校での勉強時間がどのくらいかとか、色々なデータから学力との相関について分析しているのですが、とにかく最も大きな影響を与えているのは、家族で一緒に食事をしているかということだった。その背景には、子どもたちは親と一緒に食事を取りたいとすごく願っているという実態があります。

では、日本ではどうかというと、日本の統計はないのです。私の見た限り、存在していない。いろいろな本を見たり、データを探したりしたのですが、見つからないのです。フランスでは、その回数を取ることで家族機能が弱まっているかどうかの把握を行っているのですが。私が聞いたところだと、河合克義教授(明治学院大学社会学部)が、60歳以上のお年寄りが1か月に何回、子どもと一緒に食事をしたかを調査しています。それで調査をしてみたら、全く意味がなかったと。回答が全部「1回もなし」だったのです。1ヶ月ではなく、1年間で何回一緒に食事をしたかで調査すると、数回はあったという回答があったそうですが、1ヶ月でとなるとゼロ。もう全然ないのですね。

 

-- 高度経済成長期を経て、工業化によって多くの人がふるさとを離れ、核家族化も進み、長時間労働、深夜労働の増加など、家族のあり方も一人一人の時間の過ごし方も大きく変わったことが大きいのでしょう。

神野氏  かつて農村は、社会における過剰人口の受け皿の役割を果たしていました。1929年の大恐慌では、都市部で失業した人々が大量に農村へ流れ込み、農村はそれを受け入れました。当時は失業者対策なんてありませんでしたけれども、職を失い居場所をなくした人々も、“ひきこもり”というかたちにはならず、社会の中にちゃんと受け皿があってオープンな形で存在していました。都市部から農村へ移動することで、再び生きていくこともできたわけです。

そもそも人間には「存在欲求=Being欲求」というものがあります。それは愛といいますか、触れ合いたい、触れあって調和したいということです。人間と人間が触れあって調和したい。それで幸福を実感するのです。愛情でね。いままで男性の自殺者が多かったのは、子どもや家族を食べさせていけないということに直面し、愛するものを幸せに出来ないと悩んで自殺していたわけです。それに比べると、自分ひとりだけが食べていけない時の悩みというのは、相対的には苦しくありません。愛し合い、触れ合い、調和したいという存在欲求が満たされないこと。それが、人間の苦しみなのです。お釈迦様はそのことを「四苦八苦」という言葉で表しました。「四苦」は、死の苦しみ、生まれ出ずる苦しみ、病める苦しみ、老いる苦しみ。そして「八苦」の中に、愛する者と別れる苦しみというのが出てきます。それは人間の苦しみの本質であって、愛する者と別れるから死が怖いのであり、もしも愛する人が次々に死んでしまい、自分だけが永久不滅で生き残るという状況を考えたら、例えば300年後は自分ひとりで、生きることを共にする人が誰もいない状態に追い込まれたら、苦しくて生きていけないですよ。


いまのシステムは限界を迎えている―地域から変革を!【経済学者・神野直彦さん】③に続きます

インタビュー・地域づくりへの提言

神野直彦さん

1946年、埼玉県生まれ。1981年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授、東京大学教授、関西学院大学教授などを経て、東京大学名誉教授。前地方財政審議会会長。専攻は財政学。ドイツの財政学を中心に学び、長く欧州を観察する中、日本も欧州のようにもう一度自分たちの良いところを見直し、作り直すべきと提言。 日本にはそれぞれの土地の風土にあった教えが沢山あると提唱し、精力的な執筆活動を続けてきた。

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