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インタビュー・地域づくりへの提言

日本をリードする知の巨人たち。社会が大きく転換しつつあるいま、時代を拓くカギは地域にあると指摘します。持続可能な未来へのビジョンを語っていただきます。

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2016年08月30日 (火)

"機能別"タテ割り社会に「ヨコ糸」を通し、縦横無尽の安心ネットを張る①【財政学者・沼尾波子さん】

いまの日本は、世界的に見ても高度な利便性が確保され、“豊かさ”を享受して私たちは暮らしているといえるでしょう。その“豊かさ”を支えてきたのが、高度な専門性を持ち“機能別”に分かれ、それぞれの専門分野を伸ばすことに力を注ぐ「縦割り」のシステムだったと、沼尾さんは分析しています。
しかし、そのシステムはもはや限界を迎えつつある…。沼尾さんは、これからは「縦割り」に「横串」を刺すことで、新しい柔軟な社会のあり方を模索していくべきだと指摘します。では具体的には、どうすればいいのか。様々な実例から、多くのヒントを与えてくれる対談です。


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--いま日本の各地で、これまでのあり方を見直し、それぞれの地域に即したやり方で“暮らし”を取り戻していこうという動きが起きているように感じます。

沼尾氏 いま私たちは、そこそこの利便性が確保された環境の中で暮らせていると思います。ところが、暮らしをトータルに見てみると、必ずしもハッピーな状況とはいえません。国民所得は増えたし、一定の住まいも確保できている。しかし、都市部においては職場と住居の空間が切り離されている。保育所があって、学校があって、塾や習い事教室があって、そういう中に子どもたちが一日を暮らす“ルート”がある。大人は大人で家を出て仕事に行き、稼いで帰ってくるというルートの中で日々を過ごし、社会の中で一定の機能を担っている。空間はそれぞれ“機能別”に管理され、人々の時間も管理され、その中で効率化が目指されている。それぞれの機能は成り立っていますが、全体として見た時に、私たち人間は何を追求しているのかということが非常にわかりづらくなってしまいました。

子どもたちの置かれた状況を見てみましょう。学校では、国語・算数・理科・社会と個々の科目を学んでいきますが、何のために学んでいるのかということが見えなくなっている。学びに対する意欲が持てず、取り残されてしまうと低い評価をされ、ときには居場所がなくなっていくようなこともあります。引きこもりになってしまったり、社会の中でどういう役割を果たせばいいのかが見えなくなってしまうこともあるかもしれません。日々の暮らしのなかで学びの意味が見いだせない。

そうした中、私が注目している事例があります。東京にある和光学園の和光中学校では、2年生の時に秋田県仙北市の農村地域に行き、5泊6日で農業や民舞などを体験する「秋田学習旅行」を、もう40年近く続けています。学習旅行を経験した中学生たちは、なんで今まで社会を勉強しなきゃいけなかったのか、国語を勉強しなきゃいけなかったのか、美術を勉強しなきゃいけなかったか、わからなかったけれども、“農村”でそれに気づいていく。野山や田畑の広がる風景を前に「わあ、きれい」と素直に心を動かされて絵を描きたくなったり、それを歌にしてみると、何かを伝えるには言葉を持つということが大事なんだと気づいたり。あるいはそこに虫がいたときに、この虫はどういう生態系で生きているのか、害虫なのか必要なのかとか。
そういう自然があって、そこに暮らしがあって、それをより豊かにしていったり、その関係性を知るために国語も理科も算数も社会も学んでいくんだ、ということに気づいていくのです。

 

1wako1.jpg 和光中学校の「秋田学習旅行」農業体験の風景

そこには農村の総合的な暮らしがあります。そして、その暮らしを成り立たせるために学びがあって、知恵を得ます。さらに、知識をより専門的に学んでいくためにそれぞれの科目に分化されているんだということに、おそらく直感的に子どもたちは気付くのだと思うのです。この「秋田学習旅行」に行って帰ってくると、子どもたちが変わるそうです。例えば、子どもたちの「歌」が大きく変わる。それまではただ何となく歌っていたのが、人に伝える歌に変わる。「伝える相手を得て、伝える言葉を体得するようになっていく」と、和光中学校の先生方はおっしゃいます。

2wako2.jpg 「秋田学習旅行」での子どもたちの変化は、先生たちも目を見張るほど

本来は、そうした当たり前の総合的な暮らしがあって、それをより豊かにするための文化・文明があったはずです。それなのに、いまはもう機能中心になってしまって“総合性”というもの、暮らしのトータルなものが見失われて、一人一人の仕事が社会の中の部分=パーツになってしまっている。そして人々は、パーツとして社会の中で何らかの機能を担えないとなると、とたんに排除されてしまう。
そうではなくて、関係を取り結び直すということが、特に都市部ではすごく求められてきているのだろうと思うのですね。人や自然との間に多様で豊かな関係があり、その中で自分の存在を確認したり、つながっていることを自覚する。そうしたところに喜びや豊かさの源があるのではないかと思います。「機能から関係へ」転換が求められているといえるでしょう。

ところが行政の施策は、いまだに機能別に効率性を追求するやり方から変わっていません。中央政府では、省庁別にそれぞれ産業振興、道路・河川といた土木、あるいは教育・福祉というように、分野別にそれぞれ様々な計画が策定され、施策が出され、事業化され、地方自治体に「降りて」いく。そうして利便性を高めることが長い間追及され、それが豊かであるとされてきたのですけれども、どうも地域の現場でみると、ある課題だけ解決しようと思って何かをやると、そこでまた別の課題が生じるといったひずみが起こっています。
例えば高齢者の暮らしひとつをとってもそうです。昨年、愛媛県の松前町(まさきちょう)でワークショップをやったときのことです。松前町は、かなり早い時期から、いわゆる「地域包括ケアシステム」を独自に構築していた面白い町なのですが、高齢者を取り巻く課題をみると、もう福祉のセクションだけでは解決に限界があるのですね。そこで、役場の各課の職員に組織を超えて集まっていただき、「あなたが日ごろ仕事をする中で、高齢者に関して何か課題がありますか」という問いかけを行うところからワークショップを始めました。すると、例えば住宅係からは「公営住宅をバリアフリーにしなきゃいけない」とか、道路係からは「高齢者が転ぶからあそこの段差を解消しろと言われる」とか、他にも「買い物できる場所が近くにない」「タクシー代わりにすぐ救急車を呼んでしまう高齢者がいて困る」とか。本当に介護そのものというよりも、暮らしのさまざまな場面に関わる様々な課題がいろいろあることがわかってくる。そして、役場のそれぞれの課がそうした課題を抱えているのだけれども、縦割りになっているから総合的に対応できないし、情報を共有することもできていないという問題が浮かび上がってきたわけです。

 

2masaki.jpeg 愛媛県松前町でのワークショップ風景。セクションを超えた20名ほどの参加者で、様々な地域の課題・情報を共有し、綜合的に対応する

この他にも、税金や公共料金の滞納、ゴミ屋敷の問題など、いろいろな課題が出てきました。本当だったらそれぞれの課がバラバラに受けるのではなく、よろず相談として受けとめ、総合的に対応できればいいのだと思います。松前町では、その仕組みづくりについて検討を進めています。すでに「地域づくりアーカイブス」で取り上げられている大阪府豊中市の勝部麗子さんたちや、秋田県藤里町の菊池まゆみさんたちは、それをトータルでよろず屋的にやっていくことに取り組み始めて、現場レベルで成果を上げているのだと思います。このように行財政のシステムは、もう“機能別”では持たなくなっていて、こうした暮らしをトータルに支えるシステムをどういうふうに取り結び直していけるか。真剣に考え直さなければいけない時期に来ているのではないかと思います。


“機能別”タテ割り社会に「ヨコ糸」を通し、縦横無尽の安心ネットを張る②に続きます

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沼尾波子さん

1967年、千葉県生まれ。日本大学経済学部教授。専攻は財政学・地方財政論。日本地方財政学会理事、総務省過疎問題懇談会委員、東京都税制調査会委員などを歴任。慶應義塾大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。 学生時代に中国河南省に留学。都市と農村との生活水準のあまりのギャップに仰天しつつ、それぞれの地域特性を踏まえ、地域に根ざした人々の暮らしを支えられるような社会経済システムのあり方について考えるようになる。多様な地域があり、多様な人々が共存できる社会経済のあり方について、先駆的な地域づくりに取り組む地域への訪問を続け、地域の社会経済構造と自治体財政のあり方について研究・提言を続ける。主な著書に「交響する都市と農山村 対流型社会が生まれる」(農山漁村文化協会)など。

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