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一人も取りこぼさない社会をめざして

大阪府豊中市のコミュニティソーシャルワーカー・勝部麗子さん。地域や家族から孤立する人々に寄り添い支える日々を綴ります。

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2019年07月01日 (月)

阪神淡路から23年 ふたたびの災害に地域はどう立ち向かったか(後半)

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ワンストップサービスを実現

阪神淡路大震災のときと大きく変わったもう一つの点は、相談窓口のあり方です。24年前は、行政の支援は、被災者本人の困りごとにトータルで対応するというよりも、住宅のことは市営住宅の担当、毛布を届けるのは日赤の担当者、お金のことは福祉事務所、というふうに窓口がバラバラでした。

でも、新しい家を探すべきなのか、それとも今の家を修繕すべきなのか悩んでいるときに、「この住居に入居できますよ」という情報を持ってこられても決められません。そして、悩んでいる間に募集が終わってしまう。お金のことも、自分で工面できるかどうか悩んでいる状態で「貸付の制度がありますよ」と言われても、タイミングがあわないと使えない。必要な人にタイミング良く、制度やサービスの情報が入っていくようにしないと、そのタイミングでは考えられないことがいっぱいあるのです。

また被災者は、住宅や貸し付けの窓口ごとに何度も同じことを話さないといけない。それで相談するのに疲れてしまい「もういいよ」となってしまう、という問題もありました。

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阪神淡路大震災当時の豊中市

 

今回の大阪北部地震では、生活困窮者自立支援事業という制度を使って、被災者が必要な相談を一箇所でできる「ワンストップサービス」を実現することができました。

被災者が相談に来るのを待つのではなく、行政の担当者がまず避難所に行って、何人がどんなことに困っているのかを確認する。そこからどんなサービスが必要なのか、本人と「見立て」をしながら、住宅が必要な人は住宅を探し、保証人がいない場合はその条件で住めるところを探す、といった支援ができました。

見立てとは、課題を本人といっしょに確認しながら、何を優先して対処していくかプランを立てることです。それができたことが、前回の震災とは大きく違ったと思います。

 

「あぐり」の男性たちが大活躍

こんなふうに制度で解決できることもたくさんありますが、それ以外に、災害時には、倒れた棚や壊れた茶碗をかたづけるなどの家財整理が、とても大きな仕事になります。これらには、助けてくれる制度はありません。

しかし地震の翌日から公共交通が動き出すと、仕事や学校も始まり、平日昼間に家財を片付けられる人たちがいなくなってしまいました。そのとき活躍したのが、野菜づくりをしていた「豊中あぐり」のメンバーたちです。地震から2ヶ月間に、たくさんの方々の応援に出向くことができました。

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家具を運ぶあぐりメンバー

 

一般的なゴミ出し支援のほか、メンバーの中で電気の技術がある人が、映らなくなってしまったテレビを直す。左官の技術がある人が、壁から落ちたセメントをつける。

また、今回活躍したのが、ドローンの操作ができる人たち。地震のあと、どの家の屋根をを優先して支援すべきかを判断するために、屋根の上に上って損傷の程度を確認するという作業がありますが、危険なボランティアなので、阪神淡路大震災のときは大変でした。今回はドローンで屋根の上を見て「ここはブルーシートをかけるだけで大丈夫」などの判断ができたので、たいへん助かりました。

普段は野菜作りをしている、あぐりの農園は、今回、ブルーシートの重しなどに使う土嚢(どのう)作りのステーションにもなりました。平日の昼間に、男性だから貢献できることがあることを強く自覚して、力を発揮してくださいました。

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あぐりでの土嚢づくり

 

今回はまた、外国人の方向けに、6ヶ国語で災害ボランティアについての情報を配信しました。外国人だけでなく、災害時に頼れるつながりのない人たちを支えたいと支援を続けました。その意味ではかなり多くの人たちに支援が届いたかなと思います。 

 

便利さと背中合わせの危うさ

さまざまな支援をしながら、あるていど生活は落ち着いたかなと思っていた9月4日に、追い討ちをかけるように起きたのが台風21号の被害でした。

屋根が飛んだり壁が飛んだりということもあったのですが、特にわれわれの町にとって最大の問題は停電でした。長いところでは1週間、電気が止まりました。そうするとまたマンションでは、エレベーターが止まり、水道水を管理するシステムも止まってしまう。水が使えなくなってお風呂にも入れない、充電ができないという状態になったわけです。

わたしたちも携帯電話の充電サービスをしたり、高齢者施設などのお風呂を地域に開放するなど、いろいろ協力の呼びかけをしたのですが、そういう情報を発信しても、電気がないから届かない。最終的には、停電している地区にローラー作戦でポスティングをして情報を届けました。

阪神淡路大震災から24年、地域の見守りや、課題解決を様々な仕組みづくりをしてきました。その総合体のような支援を今回できたことで、少しずつ地域の役に立てる力になってきたかなと思っています。

その一方、今回の災害で、都市の生活の危うさをあらためて考えました。電気やコンビ二、タワーマンションがある便利な街は、災害が起きたとたんに水も食べものもなくなってしまう。自然災害のなかで都市生活の脆弱さを考えました。

今回はこれくらいの規模の災害だったので、みんなの力でギリギリがんばれたけど、もっと大きな災害だったら機能していたのだろうか。発生した時間帯があと1時間早かったら、職員も出てこれなかったんじゃないか。

それを考えると、どうやって地域で支えるか、もっと考えていかないといけない。次の災害に向けて、一歩一歩ですね。

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 ボランティア活動に向かうあぐりのメンバーなど

 

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勝部麗子さん(コミュニティソーシャルワーカー)

10年前、大阪府で初導入された地域福祉の専門職=コミュニティソーシャルワーカーの第一人者。大阪府豊中市社会福祉協議会・福祉推進室長として、様々な地域福祉計画・活動計画に携わる。2006年から始まった「福祉ゴミ処理プロジェクト」では、孤立する高齢者に寄り添い、数多くのゴミ屋敷を解決に導いた。厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員。信条は「道がなければ作ればいい」。

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