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2016年07月27日 (水)

施設を"解体"して、地域へ出ていこう!(後編) 【社会福祉法人理事長・中村大蔵さん】

兵庫県尼崎市で特別養護老人ホームを運営する中村大蔵さん。地域に開かれた施設づくりをめざしてきました。ルールは「お年寄りの嫌がることだけはしない」のひとつだけ。住民ボランティアがアイデアを出しあって、つぎつぎとユニークな取り組みを展開してきました。いまやボランティア活動は施設を飛び出し、地域全体で高齢者をささえる仕組みが広がっています。(動画:住民ボランティアを活用し地域ぐるみで介護を支える)なぜそうしたユニークな取り組みを始めたのか。これから何を目指していくのか。改めて中村さんを訪ね、話をうかがいました。


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園田苑のボランティアの原則はひとつだけ“お年寄りの嫌がることだけはしない”

施設を“解体”して、地域へ出ていこう!(前編)はこちらから
一方で、そんなふうな生活をしている施設ですから、生活にはリスクは必ずつきまとうという部分もあります。遠足など楽しいことであればあるほど、リスクと裏腹の関係だと。だからといって、そういうことばかり考えていては何もできない。とはいえ世間一般の常識といいますか、通念というものがありますから、何か事が起こった時には、施設長や理事長が責任取ればいい。私が責任を取りますと言わない限り、何か起こった時のことをボランティアの人たちだって考えてしまいますから。
例えば、ボランティアの方々と入所者とでやっている生け花サークルがあるのですが、ある時、京都の百貨店でやっている生け花展まで、入所者を連れて行きたいとなったんです。どうしても行きたいと。それでその時は、「ほな電車に乗り換えて行くんでしょ」、「で、車椅子でしょ。職員、必要な人数、出せませんよ」ということなんですが、「まあ、もう行ったらいい。何か起こったら、もうそれ私が責任取るから」って。そう言えば、皆さん安心して行けるし、言われた以上、逆に言うたら責任感が増すわけですよ。言われたボランティアの責任感が増すわけですね。自分しっかりしなきゃいかんと、頑張ってくれるんですよね。

だから、集団でやる運動会だとかゲームだとかお花見だとか、特別の行事ですね。そういうときには行事保険みたいなことで、ボランティア保険をかけますが、日々やっとることに、施設としてはいちいちボランティア保険は掛けませんね。ボランティアグループの人たちは、独自で保険をかけています。施設がお金を出すわけじゃなくて、自分たちでボランティア保険をかけています。まあ、金額もそう高くはないんですよね。それに、施設が金を出したとしたら、ひも付きになるでしょ。うちに来てくれる人たちは、「ひも付きのボランティアは嫌だ」っていうんですよ。

--ボランティアが、自らの思うところを、自らの信念に従って行うわけですね。

中村氏 施設からお金をもらうのは、たとえ実費といえども潔しとはしませんというのが、うちのボランティアのええところであるし、誇りです。だから行事の時に、お弁当を作りますよね、春なら花見の時に花見弁当。こちらとしては、ボランティアの方の分も作るのですが、ボランティアの人たちは、後でその弁当の数だけの代金を持ってきますよ。「そこまで施設に面倒みてもらいたくはない」と思っているんですね。そういうことをはっきり言ってきますしね。それこそ、対等、平等、互恵ということでしょう。
どこかで私が講演した時に、司会をやっていたどこかの大学の先生が、まあ笑いを取るために言ったと思うんですけれど、「中村さんのところは、いつか新聞に載るから」って(笑)。「その時はみんなで助けに行こうね」なんて喋りました。「危なっかしいこともやってるよ」と。「で、いつか新聞に載るから、その時はみんなで中村さんを応援に行こうね」っていうふうなことを言ってましたわ。だけどさほどね、私はびっくりするようなことをやった覚えはないんですよね。

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「園田苑」は、地域の中に老人ホームをつくろうと、中村さんと地域の人たちが寄付を集めて1988年に開園させた


-- よそのみなさんから見ると、「園田苑」は危なっかしい?

中村氏 ええ。たとえば構造上のことで言えば、天気のいい時は玄関を開けっ放しにしておくとかね。それでお年寄りが出ていきたくて、もう出ていったらしゃあないですよ。しばらく、もう地域に顔を売ってきてくださいと。そうしたら地域の人も、園田苑に電話をかけてきて、「いま何か道に迷っているお年寄りがいて、園田苑の方と違いますか」って。その時の方は全然違う人でしたけどね。警察が「園田苑の人と、ちゃいますか」って全然関係ない、そのへんのお年寄りを連れて来たこともありますわ。

まあそれは笑い話として、もう施設に閉じ込めない。身体拘束を廃止だとかゼロだとか言うけれどねえ、私はまず施設に入所した時点で、大きな拘束が始まっていると思うんですよ。そのことにもう少し着目すべきです。例えば、玄関のところにある、あのドアですよ。入るのも自由なら出るのも自由。で、自由にしておれば、逆にいつでも出ていくことにあるわけですけれど、それも大事だなあと思います。
よく出ていったあるお年寄りがいまして、その方の72時間っていう外出記録はいまだ破られていませんが、「どうぞ」と、いつでも出られる状況になってからは、お年寄りも穏やかな顔になり、職員も落ち着いて仕事ができるようになった。イライラする必要がない。ストレスが昂ずる必要もない。だから良き人間関係ができるんじゃないかなと思いましたね。

そもそも、外へ出かけること自体、自然で普通なことなんですよ。人間の本能やもん。止められんですわ。高齢者対介護者、高齢者対若者、じゃなくて、やっぱり人対人であると。基本は絶えずその視座に帰らないかん。人対人というね。それはもう、アプリオリ(そもそも先にある)なんですよ。そうなんだけれども、実際、いざ仕事となったら、その仕事の時の顔は、私は介護者、あなたは被介護者ってなっている。
だから、それをもう大きく言えば「生活を作りあげていく、共同の営みを行なう相手方」というように、お年寄りを見なすようにして、お年寄りからも私たちをそう見てもらえるようにしていけばいいんじゃないかと思います。私たちは、お年寄りの生活の一部をお世話させてもらっているだけであって、全人格をお世話しているなんていうふうには、思ったこともありません。そんなことはできっこないわけですから。
それとやっぱりね、お年寄りたちは伊達や酔狂で年は食うてないなあとも思いますわ。敵もさるものや、職員の浅知恵でお年寄りの悪知恵に歯向こうなんて、とんでもないこと。(笑)

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入所者のお年寄り、職員、ボランティア みんなが“人対人”の関係で付き合う

よく「中村さんは何をバックボーンとしてやってるんですか」なんていう質問をされるんですけれどね、私は「人との出会いと、成り行きなんですわ」と言います。それだけではちょっと足らないかなと思う時には、ちょっと大層かもしれないですけれど、1948年度の国連総会で採択された「世界人権宣言」に触れます。それ持ち出すのは、「人は生まれながらにして自由だ」って宣言されているから。自由を獲得せんがために、日々、苦闘・苦悩しているのですが、最終的にやっぱりまだまだ自由を確保できていない。それが例えば高齢者でしたら、身体的に障がいをお持ちだったりするわけですから、もっともっと苦痛なはずであり、条件も悪いと思うんですよね。
「かけがえのない人生」という言葉がありますけれども、私は言うならば、「かけがえのない老後」ですね。「かけがえのない老後」をここで過ごしてもらうんだと。そのためには、施設は地域化せないかんということです。施設は、解体する。“施設解体”を目指す施設運営です。現に私は、ふたつの施設を運営していますが、私の施設の運営とは何やねんっていったら、解体を考えながら施設を運営していくことによって、いつの日か施設が外在的な力によって解体されるだろうということです。その外在的な力に、私はせっせと、エールを送って、けしかけて、扇動しているわけです。

--施設が解体されたとしたら、その後にはどんな地域像が現れるのでしょうか。

中村氏 全く新しい地域像ができるでしょうね。これまでとは全く違う。いろいろな人がいて当たり前という地域。隣近所にいろいろな人がいて、当たり前という。それで、人をある一定の傾向で「隔離」するようなかたちでお世話をするのは、伝染病だけでいいと。それ以外は、そんな隔離などする必要ないんだと。
お年寄りが施設から外へと、地域に出ていくことによって、車の運転手だって変わってくるんですよ。これまでは、あんまりお年寄りを地域に出て行かせないから、車の運転手も平気でスピード出します。ところが、ウロウロ、ウロウロと歩きまわるお年寄りが、地域でウジャウジャおれば、運転手だって変わらざるを得なくなるでしょ。みんながお互いに、協力し合う関係が生まれるだろうと。

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「かけがえのない老後を過ごすために、施設は地域化し、やがては解体されるべき」


私は、「地方分権」という言葉は嫌いなんです。「地方自治」という言葉もね。(笑)こういう言葉は、どうも、お上から付与されるというか、与えられるというような感じが強いものですからね。私はずっと前から言っているんですが、ふさわしい言葉を探すとしたら「地域主権」になりますかね。「地方分権一括法案」というのがあがった時に公聴会があって、私がなぜか5分間、兵庫県庁で喋る時間があったんですよ。その時に、「地方自治じゃなくて地域主権だ」と言いました。
結局は「地域主権」なんですよね、地方自治じゃなくて。「地域主権」を確立することに連なっていくんじゃないかと思うんです。地域のことは地域の者に任せる。「俺らが決める」。お上から言われるのではなくて、「俺らが決めるから口出しするな」ということを、それぞれみんなが持ち始めるんじゃないかと。そうなっていけば、いまは煩わしいと感じることでも、今度はそれを通り越すと普通になると思うんです。たとえば、お年寄りがいて、まとわりついてくる。もう何だかんだとすぐに寄ってくる。煩わしいなと思っていたけれど、それが経年変化で、年数が経てば普通になるんだと。

だから、煩わしいことをいっぺん経過せなあかんのです。迷惑をかけ倒すようなこともやっていって、それがやがては迷惑をかけることが、迷惑をかけていると思われなくなるわけよ。そういうことだと。これが人間が生きていく地域社会やと、思えてくるんやないですか。今はまだ、まあ確かに面倒くさいと感じると思いますよ。それがそのうち「またまた歩いとるやん」みたいなね。それで「そんなんでいい」ってなって、「そのうち俺も歩くぞ」みたいな感じで。お年寄りとか、障がい者もみんながね。私はそれが、本当は大事だと思うんですよ。地域というものは、与えられるものではなくて、自らが作りあげていくものなのですから。

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中村大蔵さん

1945年、徳島県生まれ。大学卒業後、阪神医療生協、小中島診療所の地域相談員として勤務。その後、社会福祉法人阪神協同福祉会の設立に関わる。1988年から尼崎市にある特別養護老人ホーム「園田苑」施設長。阪神淡路大震災後は、ケア付き仮設住宅や「グループハウス尼崎」、宅老所などを運営。この他にも、ハンセン病関係、ホームレス支援、貧困問題、東アジアの高齢者福祉、東日本大震災支援、熊本地震支援など多岐にわたる活動を続ける。

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