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2018年07月06日 (金)
子どもにも大人にも居場所があるコミュニティを育む
お絵かき教室には来ることができるけれど……
ある新年度の秋津小学校でのこと。
昨日まで保育所や幼稚園児だったたくさんの幼い子たちが、ピカピカの1年生として心を弾ませて入学してきた。
この子たちのうちの何人もが、放課後や休日に秋津コミュニティのサークル有志が開催する「秋津・地域であそぼう!」にもやってくるようになった。これは、算数・数学、英語や書き方・民謡・手芸からお絵かきなどのさまざまな催しを、親や地域の人々と楽しむ教室である。
これらの教室への参加・不参加は、子どもであっても自由である。楽しそうで興味があれば参加するだろうし、もっと楽しいことがほかにあればそちらを優先し、教室には参加しないだろう。それでよいのである。子どもの時からの自己決定の養成が大切だと思うからである。
ところが、5月の連休が明けてしばらくした頃、1年生のある女の子のお母さんから私のワイフに電話があった。
「あのう、A子は、このところ、学校に行っていないのです……」と不安げにお母さん。
「え、A子ちゃんは、お絵かき教室には来ていますよ!」とワイフ。
ワイフは、毎週木曜日の放課後に「『色・いろ・いろ』水彩画教室」を主宰している。
〇子ちゃんは、校舎1階のコミュニティルームで開催するこのお絵かき教室には休まずに毎回来ているのである。
「そうなんです、A子はお絵かき教室には『行きたい!』と言って行くんですよ。でも校門はくぐれないようなんです……」とお母さん。
校門とコミュニティルーム入口への門は、10mほどの生け垣を挟んで横に並んでいる。しかし、校門は苦手のようである。
A子ちゃんの行動は、ある種の「小1プロブレム」的な現象なのだろうか。
放課後に秋津小学校コミュニティルームで開催されている「お絵かき教室」
お母さんを孤独にしないこと
「小1プロブレム」についてはさまざまな説があるが、就学前との環境の変化により、規律ある集団生活になじめない子どもの現象といえるようである。小学校1年生に目立つことから、そのようにいわれている。
さて、A子ちゃんのお母さんは「担任とは話し合っていない」とのこと。
そこで、お母さんの了解のもと、ワイフが教頭さんに連絡した。
教頭さんは、すぐにA子ちゃんの担任や教師集団と話し合い、ほどなくしてA子ちゃんは校門をくぐれるようになり学校へ通うようになった。
この間にワイフがしたことは、A子ちゃんのお母さんを孤独にしないように励ましたことである。なにせ、旦那に話さずひとりで悩んでいるからである。もちろん旦那に話していないのは、心配かけまいとの善意からである。子どもや家庭・学校のことは妻のつとめと思い込んでいるからである。
でも、若い母親が「自分の責任ではないか」と孤独に抱え込むと、子どもなりに親の想いを感得して自分が悪いと感じ、ますます解決しにくくなる場合もある。
だって、お母さんもA子ちゃん自身も原因がわからないのだから。
それと、A子ちゃんは、学校の敷地や建物が嫌いなわけではないことも前向きなこととして理解しあった。
なぜかというと、同じ校舎のコミュニティルームには、放課後とはいえやってきていたからである。
そのうえで、「学校って楽しいことがいっぱいあるんだよ!」「A子ちゃんはお絵かきが上手だね!」といった投げかけを、大人たちがさりげなくしたことも良かったんだろうと思う。
中学に進学して不登校ぎみに
もう一例は、「中1プロブレム」的な話。
ずいぶん前のことなので、まだ「中1プロブレム」の用語はなかったのだが。
秋津小学校を卒業したB君は、中学に進学してから不登校ぎみになった。
ここの中学は、秋津小学校のほかに2つの小学校の卒業生も入学してくる。つまり、おおよそ小学校のときの3倍の友達と付き合うことになるのである。
でも、B君は釣りが大好きだ。放課後や休日には、近くの東京湾沿いの茜浜に釣りに行っていた。
そして、なんとか中学を卒業して高校生になったある土曜日の夕方のこと。
私たちおじさんがコミュニティルームで遊んでいるところへ、釣りあげた大きなスズキを持ってB君がやってきた。自宅に寄らずに、である。
なぜやってきたのかはよくわかる。釣果を自慢したいんだよね。
おじさんらは、彼が中学生のときに不登校ぎみであったことはよく知っている。でも、そういう話はしない。
「お、B君、すごいね!」とたたえながら、「何センチあるのか測ってみよう!」となった。すると、いちばん小さなスズキでも52㎝もある。
さあ、何にでもノリまくるノリノリおじさんたちは、ほめちぎり作戦開始である。
「すごいねえ、1匹ならともかく、5匹も釣りあげるんだから。さすがにB君だ!」
そこにすかさず別のノリノリおじさんが、ゆっくりと、しかしハッキリと彼に聞こえるように言った。
「う・ま・そ・う・だ・ね!」と。
すると彼は、「じゃあ、いっしょに食べましょう!」とすぐに乗ってきた。ほめちぎり作戦大成功!
そうして、おじさんが刺身にさばいて、スズキは「アレ(アルコールのこと)」とともに、おいしく楽しくみんなの胃袋に納まったのである。チャンチャン、と。
高校生のB君が釣ってきた大きなスズキを秋津コミュニティのおじさんとさばく
「秋津釣りクラブ」結成!
さて、それ以来「Bく~ん、おじさんたちにも釣りを教えてよ!」とことあるごとに言っていたら、「じゃあ、釣りに行きましょう!」となり、彼のリードで例の茜浜に釣りに行くことになった。
最初は人数があまり多くなってはリードするB君もこまるだろうからと、密やかに参加者を募ったのだが、それでも子どもからおじさんやおばちゃんまで30人くらいになった。
そのとき、参加者全員でひとつだけ約束した。「B君を『先生』と呼ぼう!」とね。
当日は、「先生!」「釣りの大先生!」と、子どもから大人までみんなが彼を呼び、気持ちよ~く彼がリーダーになって、1日釣りを楽しんだ。
そして、その日に、B君に世話役になってもらって「秋津釣りクラブ」というサークルを結成してしまったのである。
励ましつつ、「待つ」ことの大切さ
それから月日がたち、B君は大学を卒業して魚好きのためか水産関係の会社に就職し、今は北海道で元気に働いている。
彼が北海道に転勤になる前は、東北の支店で働いていた。
あるとき私は、東北での講演後に彼を誘い2人で「アレの会」をした。
私は彼のことを、子どもの時から下の名前を呼び捨てにするか「おまえ」と呼んでいる。彼は私を「おじさん」と呼ぶ。
彼女はできたのかとか、仕事は楽しいか、釣りに行ってるか、秋津にいつ帰るのか、とかのたわいのない質問を私は繰り出し、社会人になったB君は楽しそうに答えてくれた。
その席で、「もういいかな」と思い、思い切って彼にきいた。
「おまえさぁ、中学の時、なんで不登校になったの?」と。
「う~ん、今でもよくわかんないんだよね」と、彼は言った。
小1のA子ちゃんもそうだけど、本人は不登校になった原因を明確にはわからないことが多いようなのだ。だから、そんなときは無理強いしないで、励ましつつ「待つ」ことも大切なんだろうと思う。
そんな経験から、秋津に住む中学生も、または不登校ぎみの子でもまちの仲間としてその子の良いところを認めながら、一緒に気長に楽しむおじさんでありたいなあと強く思うのである。
高校生のB君の指導で秋津コミュニティの仲間たちが釣りに行った際のバーベキュー
中学生を取り巻く地域の人々の在り方
秋津に視察にみえた方々から、よく「秋津の中学校はどうですか?」と聞かれる。
私は「秋津の中学『生』にはしっかりと対峙しているつもりです」と応える。
どうも中学「生」問題=中学「校」問題ととらえている感じなのである。だから、チューボー(中学生のこと、とくに男子)に何かがあると「学校の責任」にする風潮があるように思う。
であれば、先生って生真面目なひとが多いので、学校・先生が抱え込んでしまいがちである。そうなると、先生らの本音では違和感があっても、ますます学校の仕事が増え、忙しくなるばかりである。
しかし、チューボーを取り巻く地域の人々の在り方はどうなのであろうか。
私はチューボーにも地域の居場所が必要であり、仮に精神的に不安定になっても、「おい、大丈夫か?」と声がけする大人が多い地域、その子の癒しが得られる地域、そんな居心地のよい場所として地域が機能しているのかどうかがまず問われるのだろうと思うのである。
だって、先生は異動しちゃえばチューボーを見続けることができないが、地域の人々はずーっとその子の成長とともに関わりあえるんだから。
そんな地域は、「なんだか楽しそうな大人たちだなぁ」と、子どもたちから思ってもらえるような大人の元気があふれるコミュニティなんだろうと思うのである。
子どもの元気が大人の元気、と言われるが、その逆の大人の元気が子どもの元気、でもあると思うのである、と。
てなことで、子どもにも大人にも居場所があるコミュニティを育みましょう!
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