「孤独なテレビ視聴」と公共放送の課題
~「日・韓・英 公共放送と人々のコミュニケーションに関する国際比較ウェブ調査」の2次分析から~
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公共放送は、今、両立の難しい二つの命題に同時に向き合わなければならない、というジレンマに直面している。すなわち、公共放送への接触者率をどう拡大するかという命題と、自らの存在意義の前提をなす、テレビ視聴における「共有体験」(多様で多数の人が番組を見ることを通じて得られる体験)をどう担保していくことができるかという命題である。
本稿は、こうした問題を考える手掛かりを得るため、2009年3月に日、韓、英の三か国を対象に実施した国際比較ウェブ調査の結果の再分析を行いながら、放送番組の視聴における「共有体験」の現状の分析と、そこから見えてくる課題についての考察を行うものである。
調査では、「共有体験」の成立に重要な意味を持つと考えられる「時間共有の意識」(以下、「共時感覚」)や、他人とのコミュニケーションが番組視聴のきっかけとなっているかなどについて幾つかの質問をしている。これらの質問の結果を分析した結果、
- ① テレビ視聴には、視聴者に共時感覚をもたらさない種類のテレビ視聴(孤独なテレビ視聴)と、共時感覚をもたらすテレビ視聴とがある
- ② 「孤独なテレビ視聴」は「政治・社会意識」との結びつきが弱く、高い共時感覚をもたらすテレビ視聴は「政治・社会意識」との結びつきが強い
- ③ 日本では「孤独なテレビ視聴」の割合が他国と比べて高い
- ④ 「孤独なテレビ視聴」は公共放送か商業放送か、どのような番組ジャンルか、などによっても異なる
といった結果が得られた。
共時感覚の歴史を辿ると、新聞の登場から存在し、これが「公衆(the Public)」の出現の契機となった。放送はメディアが持つこの共時感覚をより強く発生させるメディア特性を持っている。しかし、その一方で、近年の社会関係資本とテレビめぐる一連の議論(R.パットナム『孤独なボウリング』など)に見られるように、テレビ視聴が「孤独化」することによって、テレビ視聴から共時感覚が失われ、人々の政治・社会への関心を失わせ、結果として社会関係資本を減少させたのではないかという見方もある。
こうした考察を踏まえると、今後に向けての課題としては、
- ① 放送と社会関係資本の関係に関する調査・研究
- ② 「時間意識」を焦点化する新しいテレビ視聴研究
- ③ 「共有体験」の生成を促進する新サービスのデザイン
といった理論的、および実践的な課題が浮かび上がる。
社会に存在する多様な価値観や立場を反映・媒介するという公共放送本来の存在意義に照らすならば、こうした方向性での取り組みは、今後の公共放送のあり方を左右する、大きな試金石になっているように思われる。