放送史

シリーズ 初期“テレビ論”を再読する

【第4回】 ドラマ論

~“お茶の間”をめぐる葛藤~

本シリーズは、「テレビ時代」「テレビ社会」とはどのようなものであったのかを検証・総括し、不透明化しているテレビの今後を考える手掛かりを得るため、テレビ時代「初期」(1953~1960年代半ば)に制作者や評論家、研究者らによって議論されていた「テレビ論」を再読しようというものである。第4回目の本稿では「ドラマ論」を取り上げる。

日本の初期のテレビ・ドラマは、「単発ドラマ」から「連続ドラマ」へと緩やかな移行を辿っていった。当初、ドラマ論は演出のための単なる技術論にすぎなかったが、次第にドラマ制作者や評論家たちによる本格的な議論へと発展し、前衛的な「単発ドラマ」の全盛を支えていった。映画とは異なる表現を追求した「テレビ芸術論」や、制作者と評論家の間で「“お茶の間”芸術論争」が繰り広げられるなど、実作とドラマ論が相互に関係しあいながら議論は展開した。しかし、1960年頃を境として、テレビの急速な普及とともに娯楽的な「連続ドラマ」が隆盛するようになり、ドラマ論は徐々に衰退していくこととなった。

初期ドラマ論の10年は、“お茶の間”という新しい視聴形態をめぐって展開した、新たなドラマ表現の探求であった。これらの議論は、ドラマ制作に影響を及ぼさなくなって久しい現在のドラマ論に豊かな視点を与えるとともに、視聴形態がさらに変化しつつある今後のテレビを考えるうえで、大きな参照先となり得るものである。

東京大学大学院(学際情報学府) 松山秀明