放送史

<放送史への証言> 大場吉延さん(元NHK理事)

規格統一で揺れ続けたハイビジョン開発

~MUSE開発からデジタル方式への転換まで~

地上テレビ放送の完全デジタル化が達成されたが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなく、ハイビジョンの開発から、急速に進むデジタル技術への対応、そしてデジタルテレビの普及といったさまざまな局面で困難な課題に対処する必要に迫られた。「放送史への証言」では、その中でもハイビジョン開発に焦点を当て、技術開発の分野に長く携わった元NHK理事の大場吉延氏に歴史を振り返ってもらった。

大場氏は1963年にNHKに入局し、技術局計画部長や技術局長を経て、1996年から1998年までNHK理事を務めた。この間、ハイビジョン規格をめぐる国際的な規格競争や、MUSE方式(アナログ伝送方式)からデジタル方式への転換に立ち会った。

証言では、当初、日本がハイビジョン開発で先頭を走っていたものの、1980年代に規格の国際統一が進まなかった点について、日本の家電製品の輸出攻勢に対する欧州諸国の反発があった点が明らかにされた。さらに、1990年代初頭には、日本で開発されたMUSE方式のハイビジョンをアメリカの地上放送で活用しようとする動きがあったものの、研究現場とそれ以外で温度差が生じる中、米メーカーのデジタルテレビに先行を許す形となったことが証言で示された。

その後、ハイビジョン開発をめぐっては、1994年2月の江川放送行政局長発言(MUSE方式見直し発言)をきっかけとする混乱を経て、デジタル伝送方式に転換していくことになるが、デジタル放送規格の海外普及では苦戦を迫られることになる。これについては、デジタル転換が遅れたことで、結果的に日本のテレビは最新技術を取り入れることができたとする一方、人材育成を含め規格の海外普及に向けた体制が必ずしも万全ではなかったという見方が示された。

こうした証言からは、技術力を生かすためには、技術開発の分野のみに目を向けるのではなく、メディアを取り巻く文化的・社会的な環境を踏まえた上での対応が必要であることがわかる。そして、その必要性は、通信・放送融合が進む中でさらに増していることが証言で浮き彫りになったと考えられる。

メディア研究部(メディア史) 村上聖一