放送史

<放送史への証言>

視聴者とNHKをつなぐ営業現場

~受信料制度を支え続けた40年~

「放送史への証言」は、放送の発展に尽力されてきた方々へのヒアリングにより、放送の歴史をオーラルヒストリーで描き出そうという試みである。今回は、社団法人日本放送協会時代から、約40年にわたって受信料の現場ひと筋で仕事をし、NHKの財政を支えてきた営業の増尾豊さんのお話を紹介する。

増尾豊さんは放送法が公布される前年の昭和24年に「社団法人日本放送協会」に入局した。当時はまだラジオしかなく、「受信料」ではなく「聴取料」、また「営業」ではなく「加入」という名称だった。終戦から間もなく、焼け跡の名残があり、未契約の家が非常に多く、受信章を取り付けるための金づちとくぎを持って、集金に回っていた時代である。現在の受信料は1期2か月単位だが、当時は3か月単位。大みそかが10~12月期の締切日。増尾さん達は紅白歌合戦が終わっても帰れない。明け方まで仕事をして終夜運転の電車に乗って帰宅していた。そうした時代を経て、テレビの登場、カラーテレビの普及と技術の進展に伴い、契約の種別や契約数も飛躍的に増え増尾さん達の仕事はきわめて多忙になっていった。その増尾さんの一番の思い出は東京営業局長の時に、受持ち管内の全局所、全目標達成という未曽有の“完全試合”をしたことである。

約40年の間、受信料の現場で仕事をしてきた増尾さんには「不動心」がある。それは受信料の仕事に携わる以上、受信料制度を守ることが何より大切であるということである。そのためには、裏口でどなられたりして嫌なことがあってもスッと忘れ気持ちを切り替える。そして、お客さんに嫌みを言われてお金を投げつけられるようなことがあっても、しっかりと拾い「ありがとうございました」と言う。そうしたことを継続することが受信料制度を守ることにつながる。これが増尾さんの持論である。

受信料制度を守るために約40年間視聴者とのつなぎ役に徹してきた。そのしたたかな粘り強い生き方には学ぶべきことが多い。

メディア研究部(メディア史) 柴田 隆