放送史

<放送史への証言>

カメラマンは被写体と対話する

~テレビドキュメンタリーの青春期(前編)~

「放送史への証言」は,放送の発展に尽力されてきた方々へのヒアリングにより,放送の歴史をオーラルヒストリーで描き出そうという試みである。今回は、ニュース映画社のニュースカメラマンを経てNHKに入局、国内、海外を問わず、数々のドキュメンタリー番組にカメラマンとして関わった湯浅正治さん(81歳)に話を聞いた。2月号で国内編、3月号で海外編と2回に分けて掲載する。

湯浅さんは、読売映画社でニュースカメラマンとして業績を積んだ後に、NHKに引き抜かれる形で1960年に入局、NHK初のテレビドキュメンタリー番組『日本の素顔』をはじめ、『現代の記録』『現代の映像』など、数々の番組に携わることとなる。そしてニュースカメラマン時代に培ったフットワーク、編集作業にも多く関わったことにより身についた番組構成力とで、NHKでもその才能を開花させていく。当時、テレビ教養部に属していたディレクター、吉田直哉さん(故人)との幸福な出会いもあった。『現代の記録』シリーズで初めてコンビを組んで以来、抜群のチームワークで、多くの優れたドキュメンタリーを世に出してきた。またこのほか、1966年には、羽田沖の全日空機墜落事故の調査団の活動をたどったドキュメンタリー『謎の一瞬』が、イタリア賞のグランプリを獲得。湯浅さんの実力が自他ともに認められた番組でもあった。また、都市開発に対する住民と官僚との対立を描いた『現代の映像』「新橋駅前 西・東」のこぼれ話についてもユーモラスに語った。撮影課でNHKのキャリアをスタートした湯浅さんだが、3年後、報道局テレビニュース部に異動になり、1964年の新潟地震の際も、精力的に取材を行っている。

後輩へのメッセージとして、撮影で大事なことを3つあげてくれた。光の使い方にもっと工夫をすべきだということ。レンズはズームを多用するのではなく、それぞれのレンズの効果を考えて使うべきだということ。そして、最も大事なのは、被写体の訴える力がそれによって大きく変化する、カメラポジションである。そのためにも、小型軽量で使いやすく、高性能なカメラの開発を、さらにメーカーに要求すべきだと強調する。使いやすいカメラが自分の体になるとき、カメラマンの意思は即座にカメラに伝わる。現役を引退した今も、常にスチールカメラを持ち歩くという、生涯一カメラマンの姿がそこにはあった。

メディア研究部(メディア史) 廣谷鏡子