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東日本大震災の災害報道 発災後2週間のテレビとラジオ

2011年3月11日に起きた東北地方の太平洋沖を震源とするマグニチュード8.8(のちに9.0)の大地震は(最大震度は宮城県で7),地域によっては高さ10メートルを超す大津波をともない,東北地方から関東地方にかけて死者・行方不明者が2万7,000人を超す(3月25日現在)という戦後最大の大災害をもたらした。この地震と津波によって,福島県太平洋岸の東京電力福島第1原子力発電所が損壊し,放射性物質が漏れ出す事態となった。テレビ・ラジオ各局は,東日本大震災の発災直後から特別編成に切り替え,24時間体制で災害報道を行った。3月25日現在,テレビ・ラジオは通常編成に戻りつつあるが,福島第1原発は依然として危険な状態にあり,原発や被災地情報など災害報道も継続されている。ここでは,発災後2週間の3月25日までを区切りとして,NHK,民放在京キー局を中心にテレビ・ラジオの災害報道編成などを記録しておきたい。

 

NHK

NHKは発災直後から,総合,教育,BS1,BS2,BSハイビジョン,ラジオ第1,ラジオ第2,FMのすべてのチャンネルで,定時番組を災害報道に切り替えた。

総合テレビでは地震速報のあと,午後2時48分に国会中継が緊急ニュースに切り替えられた。総合テレビの全面災害報道は3月18日まで続き,連続テレビ小説『てっぱん』や大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』など通常番組が災害報道番組の間に放送され始めたのは3月19日からであった。3月25日現在,災害報道と通常番組が混在する編成となっている。

総合テレビの災害報道の最高視聴率は3月19日の『ニュース7』の29.8%(ビデオリサーチ調べ,関東地区)であった。

教育テレビは,発災直後は総合テレビと同内容だったが,午後6時45分から被災者の安否情報を開始した。

14日からは生活情報が加わる一方,子どもたちに配慮して午前7 時から『シャキーン!』や『アニメはなかっぱ』などの子ども番組が2時間放送された。同日午後4時から6時まで再び子ども番組が放送された。教育テレビでは18日まで,朝と夕方の子ども番組を除いては,ほぼ全時間安否情報と生活情報が放送された。15日から22日まで手話ニュースが1日4回(通常は1日2回)に増えた。19日からは通常番組の放送が再開されたが,新たに避難者名簿放送が開始された。教育テレビは22日以降通常の番組に戻っている。

衛星放送は,BS1,BS2,BSハイビジョンとも,発災と同時に災害報道に切り替えられ,総合テレビと同内容の放送が行われた。

BS1は,13日午前7時50分から災害報道の間に生活情報を入れた。BS1で通常番組の放送が再開されたのは3月19日であった。

BS2は,3月14日以降教育テレビと同内容の放送を継続した。通常番組の放送が再開されたのは3月19日である。

BSハイビジョンは,3月14日から連続テレビ小説『てっぱん』の放送を再開したのをはじめ,他のチャンネルに先駆けて14日朝から通常番組の放送を再開した。

一方,ラジオも,第1,第2,FMとも発災後全面的に災害報道に切り替えられた。

ラジオ第1は,スタートは総合テレビのスルーだったが,11日午後3 時30分から独自放送に切り替え,18日まで24時間災害関連ニュースを放送した。

ラジオ第2は,11日午後2時50分以降,英語,中国語,韓国・朝鮮語,ポルトガル語で大津波警報を繰り返し放送し,警報が解除された13日午前7時30分まで継続した。ラジオ第2は13日午前8時以降通常放送に戻った。

FMは,ラジオ第1が独自放送を開始したのにともない,総合テレビのスルーからラジオ第1に切り替えた。11日午後6時45分から安否情報,16日午後9時からは避難者名簿放送を開始した。安否情報・避難者名簿以外は,ラジオ第1と同内容の放送を行った。

NHKによれば,地震発生から22日までの12日間に総合テレビでは震災関連ニュース・番組を254時間放送した。阪神・淡路大震災のときは1か月で約273時間であったから,12日間でほぼ匹敵する時間量の災害報道が行われたことになる。また,教育テレビなどの安否情報は3月18日午後7時30分にすべて終了し約52時間,避難者名簿は22日の終了までに約27時間,それぞれ放送された。

外国人向けのテレビ国際放送「NHKワールドTV」は発災直後から,ほぼすべての時間で震災関連のニュースや番組を放送した。
国内在住の外国人へ情報を提供するために,希望するCATV局には番組を提供した。外国人向けには,総合テレビの副音声が活用され,朝と昼,夜のニュースに英語放送が入れられ,それ以外の時間は「NHKワールドTV」の英語音声が番組内容とは関係なく放送された。

大震災の影響で東京電力管内では電力不足が懸念される事態となり,NHKは節電のため教育テレビとBS2の放送を15日から5日間午前0時から午前5時まで休止した。

 

民放テレビ・在京キー局

在京テレビキー局各局は,NHKと同様に発災と同時に災害報道特別編成に切り替え,CM抜きで放送した。民放各局がCM抜きで放送したのは,国内の出来事では,昭和天皇崩御,阪神・淡路大震災以来のことである。

日本テレビは,3月11日午後2時57分に緊急特番に切り替え,通常番組の放送を再開したのは14日であった。震災関連の『緊急特番』は,14日の午後11時58分開始の特番を含め18回放送された。CMが復活したのは14日午前4時からであった。ほぼ通常編成に戻ったのは3月19日である。

TBSは,3月11日午後2時51分に災害報道に切り替え,通常番組を本格的に復活させたのは16日の午後8時からであった。発災後初めてのCMが放送されたのは14日午前5時21分である。

フジテレビは,3月11日午後2時50分に災害報道に切り替え,一部通常番組が復活したのは15日午前0時35分であった。CMを復活させたのは14日午前4時からの『めざにゅ~』であった。

テレビ朝日は,3月11日午後2時51分から災害報道に切り替え,103時間にわたって災害報道を行い,通常番組が復活したのは16日からであった。CMは他局より遅く14日午後4時53分の『スーパーJチャンネル』から復活させた。

テレビ東京は,3月11日午後2時54分に災害報道に切り替えたが,他局に比べて1日早く12日の午後11時55分から一部通常番組を放送しCMを復活させた。その後1週間は災害報道と通常番組が混在する編成となった。

在京キー局の系列BSデジタル放送でも,発災直後から親局の災害報道をCM抜きでそのまま放送した。要員が少なく独自対応が困難で,一部災害関連の独自番組を放送した局もあったが,番組の多様性確保の面では存在感を発揮できなかった。テレビ東京系のBSジャパンが12日深夜から通常番組の放送を始め,他局も14日朝4時以降は通常番組に戻った。

ところでCM復活にあたり,スポンサーが被災地に配慮して自社CMの自粛を要請したため,各局は社団法人ACジャパンの公共広告を流さざるをえなかった。公共広告は通常CM枠に空きが生じたときなどに無料で放送されるものだが,種類が少なかったため各局で同じCMが大量に流された。この結果,視聴者から苦情が出るという思わぬ事態となり,ACジャパンは急きょ被災者を応援する新たなCMを制作するなどの対応に追われた。

 

在京AM民放ラジオ

文化放送は発災直後から災害特番に切り替え,CM抜きのナマ放送で生活情報や交通情報などを放送した。14日からは通常番組に戻したが,放送内容は震災関連を継続した。ニッポン放送も発災直後から13日早朝までCM抜きで災害特番を放送した。通常番組の放送に戻ったあとも,福島第1原発で事故が発生するたびに災害報道に切り替え関連情報を放送した。TBSラジオも報道特番を編成し,3月14日午前中まで災害報道を中心に放送した。3月25日現在,各局とも一応通常番組に戻っているが,随時番組を震災関連報道に切り替えている。

エフエム東京などFM局も含めた東京と関西の民放ラジオ局13局のラジオ放送をインターネットで流す「radiko.jp」が13日から通常の1都2府10県のサービスエリアを臨時に拡大し,全国で聴取できるようにした。(中京地区の7局が3月25日から「radiko.jp」に参加。関東は4月11日,関西・中京は3月31日で終了)

 

インターネットへの配信

NHKは総合テレビの災害報道を3月11日午後6時に動画配信サイト「ユーストリーム」に配信したのをはじめ,「ニコニコ動画」と「ヤフー」にも配信した。また,教育テレビの安否・生活情報はヤフーに(18日まで),NHKワールドTVは「ユーストリーム」と「ニコニコ動画」に配信された。ラジオ第1はNHKオンラインで流された。

NHKは3月19日以降,通常番組が多い時間帯は配信を休止した。

民放局もTBSが11日午後5時42分から災害報道を「ユーストリーム」に配信したのをはじめ,「ユーチューブ」「ニコニコ動画」にも配信,3月18日まで継続した。フジテレビは「ユーストリーム」と「ニコニコ動画」,テレビ朝日が「ユーストリーム」にそれぞれ配信し,3月14日まで放送と同時に流された。日本テレビは動画サイトに配信せず,災害情報をまとめて自局のツイッターで発信した。テレビ東京は自局のホームページで配信した。

本格的なインターネットへの配信は初めてであり,放送を受信できなかった地域でインターネットが放送を補完する役割を果たした。

 

被災地での放送

NHKのテレビ放送は全国放送が中心だったが,発災から3月18日までをみると,仙台局は朝6時台と7時台に各5分(定時),昼の12時台に5分(定時),夕方6時台に30分(全国放送をカットして地域放送枠を15分拡大),夜8時台に5分(定時),それぞれ東北管内向けと宮城県域向けの地域放送を実施した。また日中は,政府や東京電力などの記者会見がない時間帯を選び,東北管内向けや県域向けの放送を20分間程度行った。生活情報は3月16日から午前11時台と午後5時台に東北管内向けに放送された。ラジオは,毎時40分から20分間,県域ニュースと生活情報を放送した。

福島局は,毎正時前の5分間,テレビの全国放送を県域放送に切り替え放送した。また,随時全国放送を県域放送に切り替えて,原発情報,県庁記者会見などを放送した。ラジオも同様の措置が取られた。

盛岡局は,午後6時45分からのテレビ県域ニュースを6時30分開始にするなど県域放送枠を拡大した。ラジオは,原則全国放送を県域放送に切り替えて生活情報などを放送した。

青森局は,テレビの午後6時台からの県域放送枠を拡大した。ラジオは毎時40分から20分間,県域ニュースと生活情報を放送した。

3月19日以降,東北ブロックの総合テレビは「連続テレビ小説」と「大河ドラマ」以外の全国向け通常番組を東北地方向けに切り替え,災害関連情報を継続した。

一方,宮城,福島,岩手,青森各県の民放テレビ局は発災以降24 時間体制で災害報道を継続し,在京キー局が通常番組の放送を再開した3月14日以降も系列のネット番組を一部差し替えて,安否情報や生活情報を放送した。各局は3月22日以降,通常番組を段階的に復活させているが,福島原発事故もあり,災害報道対応ができる体制をとっている。

 

コミュニティ放送局の震災対応

被災地では,発災と同時に大規模な停電が起きた。3月11日には東北・関東地方で合わせて約850万世帯が停電している。放送局が自家発電で電力を確保するなど懸命の努力をして放送を継続し,情報を発信しても,どこまで被災者に届いたのか定かではない。インターネット配信も受信端末がなければ,また高齢者で機器の操作に不慣れであれば,情報の受信は困難である。結局は電池式の携帯ラジオが貴重な受信ツールとならざるをえない。

こうした状況のもと,携帯ラジオに向けて細かい地域情報を発信したのが,コミュニティFM放送局であった。

被災地の局は相次いで臨時災害放送局の免許を取得した。臨時災害放送局になると,通常は20ワット程度の出力が,50ワットから100ワットへの増力が認められる。

総務省によると,発災後最初に臨時災害放送局に切り替えたのは,岩手県花巻市のFM放送局(えふえむ花巻)で,発災日の午後4時に免許され,100ワットの出力で花巻市と東和町周辺を対象地域として災害情報,生活情報の放送を開始した。ついで,岩手県奥州市のFM放送局(奥州エフエム)が,12日12時30分に臨時災害放送局の免許を取得している。

日本コミュニティ放送協会によれば,3月28日現在で,臨時災害放送局は岩手県で5局,宮城県で8局,福島県で2局,茨城県で2局,合わせて17局できめ細かい情報を地域に発信し続けている。

奥田良胤