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ムハンマド風刺画の新聞掲載イスラム世界に反発と混乱

デンマークの新聞が掲載したイスラム教の予言者ムハンマドの風刺画の波紋は,2月になって,大使館への放火や抗議デモで多くの死者がでるなど深刻な事態となった。風刺画をめぐるイスラム各国の動きや背景を整理する。

風刺画問題の経緯

2005年9月30日,デンマークの有力紙ユランスポステンは,週末版の文化面にムハンマドの風刺画12枚を掲載した。イスラム教徒にとっては,ムハンマドの絵自体が侮辱であり,さらに点火された爆弾をターバンのように頭にのせた風刺画は,イスラム教徒をテロリストに結びつける偏見だと反発がでた。

デンマーク国内のイスラム団体は,1万7,000 人の抗議の署名を集め,新聞社と政府に謝罪を求めたが拒否された。さらにサウジアラビアやイランなど,デンマーク駐在の11 か国の大使が,ラスムセン首相に会見を求めたが,首相は「政府はメディアを規制していない。干渉することは表現の自由を危うくする」として会見に応じなかった。

デンマークのイスラム団体は態度を硬化させ,風刺画に抗議する運動をイスラム世界全体に拡大するため,シリア,レバノンなど各国を訪問した。また国際組織にも働きかけ,OIC(イスラム会議機構)は,アラブ連盟とともに2006年1月,デンマークに対し制裁措置をとるように国連に要請した。一方サウジアラビアは駐デンマーク大使を召還し,デンマーク製品の不買運動を呼びかけた。こうした動きを受けユランスポステンのカルステン・ジャステ編集長は,1月 30日,風刺画がイスラム教徒の感情を傷つけたことを謝罪したが,事態は思わぬ方向に向かった。

2月早々,フランス,ドイツ,イタリアなど欧米の新聞社が,ユランスポステンとの連帯を表明するためとして,相次いで風刺画を転載した。イスラム各国が政治的圧力で,報道や表現の自由を危うくさせていると危機感を強めたためである。しかしこのことが一気にイスラム世界の怒りを爆発させた。2月4日,シリアのデンマーク大使館が,翌5日にはレバノンのデンマーク総領事館が放火された。デモなどの抗議行動は,中東,南アジア,アフリカなど30か国近くに及び,警察との衝突で,アフガニスタンで7人,リビアで9人,パキスタンで2人が死亡した。さらにナイジェリアでは以前から対立していたイスラム教徒とキリスト教徒が襲撃を繰り返し120人以上が死亡する惨事となった。

「国境なき記者団」によれば,ヨルダン,アルジェリアなど 5か国で,風刺画を掲載した新聞や雑誌の編集者11人が逮捕,拘束された。またマレーシア,イエーメンなど 6か国で13の新聞,雑誌が発行禁止などの処分を受けたという。(2月17日現在)

発端となった風刺画記事

問題の風刺画は,ユランスポステン紙が,「ムハンマドの顔」という企画記事のなかで掲載された。この企画についてフレミング・ローズ文化部長は次のように説明する。

「宗教をことさら嘲ちょう笑すべきではないが,民主主義,表現の自由のもとでは,からかいやあざけりなどを受容することが必要だ。しかし一部のイスラム教徒は,近代社会,世俗社会(のこうした考え)を受け入れず,特別扱いを求めている。このため,われわれはイスラムについて自主規制という危険で際限のない坂をのぼることになった。そこで今回,デンマークの風刺画作家組合のメンバーに,彼らが考えるムハンマドを描いてくれるように依頼した…」(1月30日の記事)

「旧ソビエトでの特派員の経験から,私は侮辱という理由を使って検閲が行われることに,敏感になっている。これは全体主義がよく使う手で,サハロフやパステルナークなど人権運動家や作家の身の上にも起こったことである…」(2月19日,ウェブサイト)

25人の風刺画家に作品を依頼したところ12人が作品を寄せたという。イスラム世界では細密宗教画を描く宗派もあるが,基本的に偶像崇拝を厳しく禁止していることから,ムハンマドの画を描くこと自体,イスラム教徒を刺激する行為である。

ユランスポステン紙とは

風刺画を掲載したユランスポステンは,デンマークの3大紙の一角を占める全国紙である。全国紙には珍しく地方のユトランド・オーフス市に拠点をおいている。発行部数は平日版が15万部(日曜版,20万部)で,人口540万のデンマークでは,最大の発行部数を誇る。経済や農業記事に特色があり,内容的には保守的な編集方針といわれるが,表現の自由については,ローズ文化部長の説明からもうかがえるように強い思い入れがある。

デンマークは,1849年に制定された憲法で議会制民主主義が導入され,これとともに表現の自由も確立された。以来,近代社会の基本的ルールとして守られてきたが,第2次世界大戦でナチスドイツに占領され,表現の自由が一時的に踏みにじられたことが,市民の間に,表現の自由の重要さを一段と認識させることになった。パリにある「国境なき記者団」は毎年,各国のプレスの自由度を指数にして比較しているが,2005年の調査ではデンマークは,フィンランド,オランダなど7か国とともに世界で最もプレスの自由が確保された国と評価されている。

ダブルスタンダード

イランの新聞ハムシャハリは,2月7日,ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を題材にした漫画コンテストを実施すると発表した。同紙は「西側のいう言論の自由は,ホロコーストまで拡大できるのか」と挑発する形となった。皮肉にも2月21日,オーストリアのウィーン地裁は,イギリスの歴史家デービット・アービング被告に禁固3年の判決を言い渡した。彼が17年前,オーストリアでの講演でガス室の存在を否定したことが法律違反とされた。ドイツやオーストリアなどヨーロッパ各国では,ホロコーストを否定する発言は法律で禁止されており,これがイスラム教徒からはダブルスタンダードに映る。

イスラム世界は,社会の慣習から個人の生活まで,最高規範であるシャリア法とその解釈によって規制されており,これに疑問を呈することはタブーである。表現の自由があるとしてもこの枠内のことである。しかしカタールの衛星放送アルジャジーラは,この10年,一夫多妻制や女性の社会参加問題などを積極的に取りあげ,このタブーに挑戦してきた。反発は極めて強かったというが,最近はイスラム社会でも,反対意見を許容する意識が芽生えつつあるという。こうした意識の芽生えが,今回の風刺画問題でどう影響を受けるのであろうか。

太田昌宏