番組研究

シリーズ 『日本の素顔』と戦後近代 ―テレビ・ドキュメンタリーの初期設定―

【第2回】 事実と理念の二重らせん

~源流としての録音構成~

『日本の素顔』をはじめとする初期ドキュメンタリー番組の特徴を、「生活世界のシステム化」という戦後近代の大きな流れと関連付けて探っていくシリーズの2回目。本稿では、戦後すぐの1945年から50年代初頭までの時期に成立・展開したラジオ・ドキュメンタリー(録音構成の社会番組)を、日本における最初期の放送ドキュメンタリーと位置付け、その特徴と歩みを記述していく。最初期の放送ドキュメンタリーには「事実」に対して対照的な捉え方をする二つの流れが存在した。一つは作り手ができるだけ自分の作為を排して「ただ事実のみ」を表象しようとした流れであり、もう一つは、作り手が事実以前に「伝えたいこと」(例えば理念)を持っていて、その裏付けのため、ある種限定的に事実を用いようとした流れである。以後のドキュメンタリーに甚大な影響を与えたこの二つの流れの興亡を「生活世界のシステム化」と関連付けながら描いていく。

戦後間もない時期に成立したラジオ・ドキュメンタリーに探る、日本の放送ドキュメンタリーの創世記。題材である「事実」と、作り手の「ねらい=理念」がせめぎ合いながら、より合わさって一本のひもができていくようなその歩みを、これまでほとんど研究の光が当たることのなかった番組資料を用いて初めて明らかにする。

メディア研究部 宮田 章