番組研究

制作者研究<テレビ・ドキュメンタリーを創った人々>

【第4回】森口 豁(日本テレビ)

~沖縄を伝え続けたヤマトンチュ~

東京生まれの森口豁が「沖縄の苦しみを本土に伝えたい」と1959年米軍統治下の沖縄に移り住み、地元の新聞記者となったのは22歳のとき。やがて日本テレビ「特派員」となり、困窮の中で祖国日本への復帰を願う沖縄の人々の姿をニュースやドキュメンタリー番組で本土に伝え続けた。高校生の視点から復帰への願望と不安を描いた『沖縄の18歳』(1966年)はシリーズ化され、復帰後の失望も含め本土復帰の貴重な記録となった。『ひめゆり戦史・いま問う国家と教育』(1979年)では「ひめゆり学徒隊」の生存者が初めて戦場の酷さや日本兵の罪業について証言、さらに自らは生き延びた校長など大人たちの責任を追及、日本人の沖縄戦における「加害責任」に迫った。森口はまた沖縄の有人の離島すべてに足を運び、その風土や厳しい暮らしを描いた。『世乞い・沖縄鳩間島』(1974年)では学校存続のため島外から子どもを呼ぶ過疎の島の悲哀を描き、以後3度にわたって続編が作られ、ドラマ化もされた。森口豁はどのように沖縄と出会い、関係をむすび、描いて来たのか。その情熱は、なぜ現役を終え75歳になった今日まで50年以上も持続されてきたのか。

一過性の報道に留まらず、沖縄を伝え続けた稀有なテレビ制作者の足跡をたどる。

メディア研究部 七沢 潔