ことばウラ・オモテ

日本語としゃれ

日本人はユーモアに乏しいと言われることがありますが、日常的に使う言い回しをみると、結構しゃれを効かせたことばもあります。

それを説明する前に2つほどの話を覚えておいてください。

まず、4月8日は「花祭り」。仏教ではお釈迦様が生まれた日とされ、お寺では小さな仏像に甘茶をかけて祝う風習があります。

NHKの放送文化研究所がある東京・愛宕でも、近くのお寺で賑やかに行事が執り行われます。

2つめは、江戸っ子と言われる人たちの方言です。

「江戸ことば」の大きな特徴に発音があります。「ヒ」と「シ」が逆転することがあります。
「潮干狩り」がうまく言えないのが江戸っ子、「ヒオシガリ」になったり、火鉢で使う火ばしが「シバシ」になったりすることがあります。

さて、ものを作っていて、失敗することがあります。そういうときに「オシャカになった」ということばが古い職人さんの口をついてでることがあるかもしれません。
この「オシャカになる」という言い方は、「花祭り」と関係があります。

「花祭り」の主人公であるお釈迦様から「オシャカ」なのです。

別に、失敗の例としてお釈迦様や仏像が出てきたのではないのです。
「オシャカになる」は、もともと、鋳物職人の間で生まれたことばです。
鋳物作りはドロドロにとけた金属の「湯」を型に流し込み、うまく固まれば成功です。
ところが、火が強すぎて「湯」の温度が高くなりすぎると、型のとおりのかたちにならない失敗作になるそうです。

また、鍋や釜に穴があいたのを直す「鋳掛け」でも火が強すぎると、かえって穴を大きくしてしまい、失敗するということもあります。

いずれにしろ、「あ~あ。うまくいかなかった。火が強かった。」というところを江戸のなまりでは「シが強かった」となり、「四月八日だった」→「花祭り」→「オシャカ」という複雑な語源を考える人がいます。

これには、「お釈迦」単独ででも「4月8日の灌仏会」を表したという例がありますから(※)、信頼性は高くなりそうです。

これとは別に「オシャカになる」の語源は「お地蔵さまの像を作ろうとしてできあがったものはお釈迦様の立ち姿」だったということで、「オシャカになる」になったと唱える人もいます。

語源はよくはわからないことが多いのですが、私としては、前者の説に傾くのですが、「ヒ」と「シ」の混同が起きる地域に鋳物職人や鋳掛け職人が多かったかどうかはよくわかりませんので、もろ手を挙げて賛成とはなりませんが、江戸の職人のしゃれっ気の強さは認めたくなります。

このほか、江戸ことばでは、伝統的にしゃれを使った表現が普通に行われていました。もっとも、江戸だけではなく上方でも同じ状況だったようです。
特に地名に関係したしゃれが多く、たとえば、「おそれ入谷の鬼子母神」などは「おそれいりました」の後半を「入谷」にかけ、入谷で有名なのは鬼子母神と飛んでいくわけです。

縁台将棋では「その手は桑名の焼きハマグリ」「どっこい、そうは左専道のお不動さん」「なんだかんだの千葉道場(あるいは「明神さま」)」などと言うつぶやきが聞かれました。
いずれも地名をかけたことばですが、今となっては説明が必要でしょう。

東海道の桑名の名物は「焼きハマグリ」。「左専道」は大阪城東区の放出(はなてん)の近くにあるお不動さんですからこれはもともと大阪のしゃれだったようです。
「神田」はお玉が池の千葉周作の道場というわけです。

商店の壁に掛かっている色紙に「春夏冬二升五合」とか「一斗二升五合」などという文字が書かれているものを見ることもあります。

これは、来月までの宿題にしましょう。

注※歌舞伎に、「もうお釈迦が近いから、裸もずいぶんしゃれていらあ」というセリフがあります。ですから、「おしゃか」は4月8日という日付を一般的に指していたと考えていいでしょう。

また、「裸一貫」という意味でも「おしゃか」は使われていたようです。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)