ことばウラ・オモテ

「~にくい」と「~づらい」

最近、「新聞の文字が読みづらくないですか」という表現を聞きました。

「読みにくくないですか」と「読みづらくないですか」はどう違うのだろうかと考え始めると、「~づらい」という表現が最近多くなってきているのに気づきました。

辞書を見ても、「づらい」は「動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感じる意を表わす。」「心理的に抵抗が大きい意に使う場合もあり、物理的に困難である意を示すこともある。」(小学館・日本国語大辞典)

一方の「にくい」は「形容詞『にくい』から生じた用法で、動詞の連用形に付き、その動作に抵抗を感じるさまを表わす。たやすくない。」(同)とあります。

「困難」か「抵抗」かの違いではないかとも読みとれますが、用例を見ますと、「にくい」方には「…しづらい。…がたい。」ともあります。

もう少し小型の辞書では、「づらい」は「…するのが耐え難い。」「…(し)にくい」の意。(学研・現代新国語辞典)とあります。「にくい」は「…することが難しい」意味とあります。

出現時代は「にくい」が古く、10世紀には用例があります。「づらい」は19世紀になってから登場します。

「にくい」から「づらい」へ移行しているとも言えます。

「にくい」の方が長く使われ、「づらい」がだんだん台頭してきたと考えられます。

また、「づらい」は自分の心理的な抵抗感、「にくい」はやや客観的な困難さと区別する人もいるようです。

借金を頼み込む場合、「頼みにくい人」は誰が頼んでも貸してくれそうにない人、「頼みづらい人」は度重なる借金でこれ以上自分に貸してくれないか、別の個人的事情で自分には貸してくれそうにない人という違いがありそうです。

また、「にくい」を使う場合でも、「見えにくい」と「見にくい」はどのように違うのでしょうか。

「見える」と「見る」の違いだとも言えますが、「見えにくい」はやや客観的、「見にくい」は自分の都合で、あるいは、自分側の何らかの不具合で見ることが難しいという、ニュアンスの違いもありそうです。

ことばの裏にあるこういう心理的な問題を上手に表現しようとするのは、難しいかもしれませんし、現代では、もっと別の表現を考えなければいけないのかもしれません。

ことばをつくせば、より多くの情報を伝えることができる可能性がありますが、「ひとこと」で意味の違いを感じさせる力を失わせていることにつながりはしないでしょうか。

詩や短歌、俳句などの短詩形文学が危うくならないように、一つ一つのことばを大切にしたいものです。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)