放送現場の疑問・視聴者の疑問

「悲喜こもごも」を使うのは、どんなとき?

選挙や入試の合格発表のニュースや番組で「(当選した人、落選した人)(合格した人、不合格だった人)、悲喜こもごもです」などと伝えることがあります。このような場合には、「悲喜こもごも」という言い方はしないのではないでしょうか。

そのとおりです。「悲喜こもごも」は、1人の人間の心境について用いるのが伝統的語法です。一般的に複数の人たちの感情・心境について同時に言う場合には「悲喜こもごも」は使いません。
 ×(試験に)合格した人、不合格だった人、悲喜こもごもの光景でした。
 ×(選挙に)当選した人、落選した人、悲喜こもごも~。
上記のように、喜ぶ人や悲しむ人が入り交じっている様子を「悲喜こもごも」と表現するのは本来の言い方ではありません。

解説

「悲喜こもごも」は、喜びと悲しみが一度にあるいは交互に訪れた1人の人間の心境について用いるのが伝統的な語法です。複数の人たちの心境・感情や状況を表すときには使いません。

「入試に受かって喜ぶ人がいる一方、落ちて悲しむ人もいる」「選挙に当選して喜ぶ人たちもいれば、落選して悲しむ人々もいる」などというような場合には、一般に「悲喜こもごも」という言い方はしません。このような場合には、「明暗を分ける」「喜ぶ人、悲しむ人、いつもながらの光景(情景)…」などといった言い方があります。

近年この語の誤用が目立つためか国語辞書の中には語釈の後に「補説」として次のように記している辞書もあります。<一人の人間が喜びと悲しみを味わうことであり、「悲喜交々の当落発表」のように「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意で使うのは誤り。>(『大辞泉 第2版』小学館)

私も新人記者時代に、ある地方都市で初めて高校の入学試験の合格発表を取材した際、「発表の掲示板を見て、飛び上がって大喜びする者、ガックリと肩を落として立ち去る者、いつもながらの悲喜こもごもの光景でした。」と原稿を書いたら「この書き方は間違っているぞ」とデスクに叱られたことがあります。

(『ことばのハンドブック 第2版』p.169参照)

(メディア研究部・放送用語 豊島秀雄)