- Q
- 「貯金を切り崩す」という言い方は、おかしいのでしょうか。
- A
- 以前は、おかしいとされることがよくあり、また今でもそう考える人は決して少なくはありません。しかし近年の調査の結果では、全体的には広く受け入れられているようすが見て取れます。
まず、「切り崩す」という動詞について見てみます。これは、国語辞典でこのように説明されています。
【切り崩す】
- ①削り取って元の形をこわす。「山を切り崩す」
- ②相手の弱点を攻めて、団結や防備を分散させる。「反対勢力を切り崩す」
- ③〔新〕預金や貯金から、少しずつ使う。「貯金を切り崩して生活する」[参考]「取り崩す」との混同から。
(『明鏡国語辞典』(第三版、2021年) 以下同)
「貯金」での使い方に該当する③に〔新〕とあるとおり、この用法は新しく生まれたものだと位置づけられています。
では、「貯金を切り崩す」よりも前から使われていたとされている言い方は何なのでしょうか?
その答えは、「貯金を取り崩す」です。
【取り崩す】
- ①くずして取り去る。とりこわす。「老朽家屋を取り崩す」
- ②まとまっているものから少しずつ取り去る。「貯金を取り崩す」
そうか、「貯金を取り崩す」が伝統的な言い方だとされているのか、ではこれにて一件落着。というような簡単なものではないようなのです、実は。
いろいろな国語辞典を調べてみた結果、「取り崩す」ということばの使い方として「貯金を取り崩す」に該当する記述をきちんと載せている辞典は、どうも昭和40年代以降にならないと出てこないようなのです(太田眞希恵(2010)「「貯金を切り崩して」はダメ?!」『放送研究と調査』60-8)。
ただ、辞典の記述内容というのは、どうしても現実のことばの変化・実態よりも遅れるものです。ある言い方が実際に使われている場合でも、それが辞典に載るのは、ある程度時間がたってからのことになります。
国立国会図書館が提供している「NDL Ngram Viewer」というシステムを使って実例を検索してみたところ、お金に関して「取り崩す」を使った古い例としては、たとえば次のようなものが見られました。1920年代の例です(これより古い例が見つかったら、ぜひ教えてください)。
「例へば前期繰越金又は準備金の内から其の或部分を取り崩し、以て純益金の金額を增加し、」 (p.43)
(上野道輔『会計学 第2部1 貸借対照表論』、有斐閣書房、1923(大正12)年)
一方「切り崩す」も、この「取り崩す」の例と、実はそれほど変わらない時期に使われていることがわかりました。同じく1920年代の例を示します。
「配當準備金として利益金を社内に保留し、その額が今日では六十萬圓に達してゐるから、この積立金を切り崩して配當に振り向け、」 (p.92)
(『実業之日本』23(16) 、実業之日本社、1920(大正9)年8月)
「其他生産的なことによつて積立金を切り崩せばいいのである。」 (p.153)
(野依秀一「日本郵船御家騒動の真相を述べて将来の紛擾根絶策を論ず」『実業之世界』21(1)、実業之世界社、1924(大正13)年1月)
「不合理に銀行の手中に擁せられたる資金運用の切り崩し運動と」 (p.132)
(細矢祐治「銀行と信託会社の関係(二)」『銀行研究 : 理論と実際』6(5)、銀行研究社、1924年5月)
「然るに戦争に依る経済界の大変動は、何時でも極度に小作人の生計予算を切り崩して、」 (p.119)
(中澤辨次郎『小作問題の新展開』、早稻田泰文社、1924年6月)
こうした実例を見ると、こんなことが想像されてきます。
- 「(貯金などを)取り崩す~切り崩す」は、ともに大正期ごろから使われていた。
- この使い方を国語辞典がとらえて記述したのは、昭和期のなかば。
ただし、辞典には「(貯金などを)取り崩す」のみが記され、「(貯金などを)切り崩す」は記されなかった。(もしかすると、実際に使われた例は、数の面で「取り崩す」のほうが多かったのかもしれない) - そのため、「(貯金などを)取り崩す」が正しく「(貯金などを)切り崩す」は誤りであ るとか、「(貯金などを)切り崩す」は新しい言い方であるという見解が生まれた。
この考えがほんとうに正しいかどうか、今後とも資料を集めて考えていきます。
さて、こんどは現代の実態について見ていきます。2022年の調査の結果では、全体として「『(A)取り崩す』はおかしい」という回答が多く、つまり「切り崩す」を支持する人が主流であることが分かりました。(なお、2010年におこなった調査でもこれと同じ傾向が見られました)
年代別には、80歳以上では「『(B)切り崩す』はおかしい」とする回答が多いのですが、これ以下の年代ではいずれも「『(A)取り崩す』はおかしい」という回答が最も多くなっています。
使う必要がある場面なら、使ってかまわない。
「貯金を切り崩す」という言い方も、そして実際のお金も、そういうものだと言えるのではないでしょうか。