飼い猫の話

公開:2023年10月1日

ことしの冬,宝物のように大切にしていた飼い猫を亡くした。少し時間がたった今でも「うちの猫が亡くなって」とついつい思い出話をしてしまう。このとき,決まって「猫に「亡くなる」と言ってしまいますが」と言い訳をする。私は,自分にとって身近なものの死についてであれば,それが動物であっても「亡くなる」と言ってもいいだろうと思っている。しかし,「亡くなる」は「人の死」と限定する辞書(『大辞林第4版』など)もあるため,猫の死を伝えることばとしてはちょっとしたためらいを感じるのだ。

動物の死をどのようなことばで伝えればよいのか,2015年に調査をした(『放送研究と調査』2016年6月号pp.74-89参照)。その結果,動物に「亡くなる」を使うのはおかしいという人が多かった。この結果も,猫に「亡くなる」を使うことをためらわせる。

この調査は,放送でアナウンサーが使う場合として聞いたものだ。「死ぬ」ははっきりしすぎていて使いにくい。「亡くなる」は,「死」をぼかして伝えるニュアンスがあり,そこに相手を思いやる気持ちがこもっていて,ふだんの会話では使いやすいように感じる。そこが放送には合わないと感じられるのだろう。

動物の死を誰かに伝える必要のある場は多くない。そのため動物の死に「亡くなる」を使った用例が残っておらず,実際は広く使えることばなのに,辞書では,用例の多い人に限定してしまっていると考えることもできる。

夏目漱石は『吾輩は猫である』のモデルになった猫の訃報に,「逝去」ということばを使った。「逝去」は人の死に敬意を込めた言い方とされる。漱石は,猫が死んだことを誰かに伝えるのに,自分よりも有名かもしれない猫に敬意を払って,その死にあたって「逝去」を選んだのだろうか。だとしたら,そこに猫に対する漱石の愛情や,その死を悼む気持ちが表れているように感じる。ペットの死を悼むことばはペットを思う飼い主の気持ちが,話している相手に伝わるかどうかが大切だということだろう。

つい「うちの猫が亡くなって」と言って,猫の思い出話をしてしまうのは,私にとって「亡くなる」が自然に出てくることばで,自分の気持ちがすなおに伝わるように感じるからなのか。

メディア研究部・用語 山下洋子

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