日本語は「最後まで聴かないとわからない」か? ことば 最近気になる放送用語 公開:2016年11月1日 Q 日本語は、文を最後まで注意して聴いていないと、意味が正反対になることがあると言われています。本当でしょうか。 A ことばのしくみとしては確かにそうですが、それで誤解や混乱を招くことは、まずありません。 <解説> たとえば、次の文を比較してみましょう。 「私は学校に行きます。」 「私は学校に行きません。」 この場合、「…学校に行きま」までを聴いた段階では、そのあとが「~す」(肯定文)なのか「~せん」(否定文)なのかが、わかりません。一方、英語ではどうでしょうか。 “I go to school.” “Idon't go to school.” 肯定文であれば“I”の直後に“go”が、また否定文であれば“I”の直後に“don't go”が来ています。つまりその時点で、肯定文か否定文かが判断できます。こうした点を取り上げて、「日本語は最後まで聴かないと理解できない言語である」と言われているのです。 ですが、実際に使われている言語として、このようなことによる「混乱」は、よく起こるものなのでしょうか。いえ、実はあまり起こらないのです。 ウェブ上でのアンケートで、「『きょうは、雨が…』『きょうは、雨は…』のあとには、どんなことばが続くと思うか」ということについて、尋ねてみました。すると多数派を占めたのは、「雨が…」のあとでは「降ります」〔=肯定文〕、「雨は…」のあとでは「降りません」〔=否定文〕でした。つまり、日本語を話す人の脳内では、助詞が「は」であるか「が」であるかによって、次にどんなことばが続きそうなのかということを予測しながら、文を理解しているのだと考えられます。それだけに、一文の中でどんな助詞を選択して使うのかは、非常に重要なことです。 「雨」というものは、「降る」のが普通です。このように「普通」のことを言う場合には、「雨が…」となることが多いのです。その反対に、本来「降る」ものである「雨」に関して「降らない」と言う場合には、「雨は…」となる傾向が強いようです。 また、この「予測能力」は、女性のほうが優れているようです。助詞だけに女子のほうが、などと言うつもりはなかったのですが、成り行き上、しかたないですね。 メディア研究部・放送用語 塩田雄大 ※NHKサイトを離れます
たとえば、次の文を比較してみましょう。
「私は学校に行きません。」
この場合、「…学校に行きま」までを聴いた段階では、そのあとが「~す」(肯定文)なのか「~せん」(否定文)なのかが、わかりません。一方、英語ではどうでしょうか。
“Idon't go to school.”
肯定文であれば“I”の直後に“go”が、また否定文であれば“I”の直後に“don't go”が来ています。つまりその時点で、肯定文か否定文かが判断できます。こうした点を取り上げて、「日本語は最後まで聴かないと理解できない言語である」と言われているのです。
ですが、実際に使われている言語として、このようなことによる「混乱」は、よく起こるものなのでしょうか。いえ、実はあまり起こらないのです。
ウェブ上でのアンケートで、「『きょうは、雨が…』『きょうは、雨は…』のあとには、どんなことばが続くと思うか」ということについて、尋ねてみました。すると多数派を占めたのは、「雨が…」のあとでは「降ります」〔=肯定文〕、「雨は…」のあとでは「降りません」〔=否定文〕でした。つまり、日本語を話す人の脳内では、助詞が「は」であるか「が」であるかによって、次にどんなことばが続きそうなのかということを予測しながら、文を理解しているのだと考えられます。それだけに、一文の中でどんな助詞を選択して使うのかは、非常に重要なことです。
「雨」というものは、「降る」のが普通です。このように「普通」のことを言う場合には、「雨が…」となることが多いのです。その反対に、本来「降る」ものである「雨」に関して「降らない」と言う場合には、「雨は…」となる傾向が強いようです。
また、この「予測能力」は、女性のほうが優れているようです。助詞だけに女子のほうが、などと言うつもりはなかったのですが、成り行き上、しかたないですね。