シリーズ 戦争とラジオ〈第4回〉

日本放送協会教養部・インテリたちの蹉跌

~講演放送・学校放送は何を伝えたのか(後編)~

公開:2019年2月1日

前編では、多田不二と西本三十二の自己形成と日本放送協会入局までを見てきた。

欧米列強の後を追うように帝国主義の道をつき進む日本を批判する詩を書いていた多田は、入局後も講演放送の制作に奔走しながら活発に詩作を続けていた。詩人であることと、協会職員であることの間に矛盾はなかった。

アメリカで進歩主義教育を学んだ西本は学究の道を歩み、ラジオ講演で国際平和について語ることもあった。逓信局によってラジオ講演が放送中止に追い込まれるという体験もしたが、関西支部(BK)の真摯な対応もあり、放送局への信頼を失うことはなかった。そして新しい教育を放送によって広めてゆきたいと考えた西本は、日本放送協会に入局し学校放送を立ち上げる。

多田と西本は、講演放送の現場で、また学校放送の現場で自己実現を果たしてゆくはずだった。だが、時代は大きく転換する。満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争と続く戦争の時代、協会は軍・政府の宣伝機関として国民を戦争に動員することがその使命となっていった。その中で、多田と西本は組織人としてどう生きたのか、後編では2人の苦悩や葛藤を見据えながら戦時教養放送の実相を描く。

メディア研究部 大森淳郎

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