文研ブログ

メディアの動き 2023年03月20日 (月)

#464 「復帰」51年目に沖縄のことを考える ~『放送メディア研究16号』発刊に関連して~

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎

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 研究誌『放送メディア研究』の第16号が今月発刊されました。テーマは「沖縄 『復帰』50年」です。
 沖縄が日本に「復帰」して50年が経過した2022年は、年明け早々3年目となる新型コロナの第6波、2月にはロシアによるウクライナ侵攻、7月には安倍元首相銃撃事件など、その後に尾を引く出来事が次々と起こり、「復帰」報道はその中に埋もれてしまった印象があります。その中で、メディアは沖縄に関して何を伝え、そして何を伝えなかったのでしょうか。本ブログでは、内容の一部と取材・編集を通じて感じたことを交えながら、「復帰」51年目に沖縄について考えることが持つ意味合いを検討します。

沖縄と本土メディアの報道ギャップ

 本書では、テレビや新聞、ネット、出版物やアートなど幅広い領域を対象にし、沖縄と本土それぞれの「復帰」に関わる動向を扱っています。ここではテレビ番組の分析から明らかになった点を簡潔に述べます。
 全国向けのテレビ番組に関して「沖縄」に関する話題は調査対象期間(2022年1月~8月)を通じて、紀行、グルメ、バラエティー番組や、コロナ関連の報道など一定程度伝えられ続けました。その一方、「復帰」に関する報道になると、5月15日の復帰記念式典の当日周辺に集中的になされたものの、それを除くと一部の番組を除いてほとんどなされず、その傾向は特に民放キー局において顕著でした。他方で、沖縄のローカル放送に目を向けると、局によって多少の差はあるものの、NHK、民放を問わず、期間を通じて「復帰」に関するニュースや企画、特集番組が放送され、全国向けと沖縄ローカルの間に「復帰」報道に関する報道量と質において大きな差があることが確認されました。
 さらに日常的に報じられるニュースでも、安全保障に関わる沖縄の米軍基地問題について両者を比較すると、昨年4月の4週間に、4つのローカルニュース番組で報じられた項目が99なのに対し、7つの全国向け夜のニュース番組では4本でした。沖縄ローカルで報じられたものの全国では報じられないニュースには、台湾危機を背景に活発化する米軍の軍事演習の影響として、漁場付近での指定区域外訓練(4月7日・北谷町)や民間地上空でのオスプレイのつり下げ訓練(4月15日・宜野座村)などがありました。(後者については、すべての全国向けニュースの中でNHK『列島ニュース』のみ報じていました。)どのニュースを全国向けにするかという判断は各放送局の個別の番組に委ねられており、明確な共通基準があるわけではありません。しかし、こういったニュースが果たして沖縄ローカルの放送だけにとどまり、全国の人たちに知られないままでよいのか議論の余地があります。

全国に十分伝えられない命に関わる問題

 沖縄のローカル放送では活発に報道されるものの、全国向けニュースではあまり大きく取り上げられていない問題として、有機フッ素化学物PFASによる水汚染もあります。PFASは深刻な健康被害との関連が指摘されている有害物質です。県民の3分の1に当たる45万人の飲み水に長年混入していたことが2016年に県の企業局の記者会見で明らかになり、その後、米軍基地周辺で国の基準値を大きく超える濃度のPFASが次々と検出されました。基地内で使用される泡消火剤との関係が疑われていますが、日米地位協定のために米軍基地内への立ち入り調査ができず汚染源が特定されていません。
 本号では二人のジャーナリストNHK沖縄放送局の記者・解説委員の西銘むつみさんと、OTV沖縄テレビのキャスターの平良いずみさんの対談を掲載しています。沖縄と本土の間に立ちはだかる「壁」の存在や、それをどのようにして乗り越えるかなど、率直な意見が交わされた対談の中でもPFASについて語られました。PFASの水汚染問題を追ったドキュメンタリー『水どぅ宝』(FNSドキュメンタリー大賞、「地方の時代」映像祭の優秀賞など受賞)の制作のきっかけとなったご自身の体験を平良さんが語ってくださったときの言葉です。

平良ちょうど育休をとってて、まもなく1歳になるぐらいのときにPFASの問題が出て、「いやいやいや。産婦人科で赤ちゃんにミルク作るときに水道水で煮沸して飲ませろって言ったよね」って、もう何か震えが止まらなくなっちゃって。この怒りとこの不安をどこに向けたらいいんだろうと。

平良いずみさん(OTV沖縄テレビ) 平良いずみさん(OTV沖縄テレビ)

 大切な我が子にPFASが混入している水を飲ませていたことを知ったときの驚きと悔しさ、怒りはどれほどだったでしょうか。『水どぅ宝』の中には「自分たちが状況を変えていかなければ、子どもを守ることができない」という切迫した思いから市民運動を始める母親たちの姿が描かれますが、その思いは子育ての"当事者"の一人である平良さんご自身のものでもあります。

子どもたちが日常の中で感じていること

 また同じ対談で、2015年にNHKスペシャル『沖縄戦全記録』(日本新聞協会賞、ギャラクシー奨励賞受賞)を制作した西銘むつみさんは普段の生活の中でお子さんが次のようなことを言うのを聞いたといいます。

西銘長男が中学生だったのかな、野球部の練習が終わって着替えるときに「沖縄って基地があるから攻撃されるのかな。」野球ばっかりやっている子どもたちが、普通にそんな話をして、「お母さん、俺たち徴兵されるの?」とか言うんですよ。そういう感覚がわかるのが、記者にとってありがたいというか、子どもを見ることで自分がどんな言葉で報じていけばいいのかっていうことをすごく教えてもらえます。

 

西銘むつみさん(NHK沖縄放送局) 西銘むつみさん(NHK沖縄放送局)

 西銘さんは、ご自身の息子さんが戦争の影を不安に感じながら学校生活を送っていることを知って「自分がどんな言葉で報じていけばいいのか」教えてもらえたといいます。それは、どれだけ沖縄戦の教訓を伝えても、自分の子どもが感じている戦争の不安を払拭させることができない現実を突きつけられた瞬間だったのかもしれません。しかし、無力感や絶望にさいなまれる暇はないというように、西銘さんは「では、次にどう伝えたらいいのか」考える契機としてとらえ、きっかけを与えてくれた子どもの存在をありがたいと感じています。
 お二人の対談から、幼い子どもを健康に育てることや、子どもが安心して暮らすことさえままならない現実が沖縄にあることに思い至ります。それと同時に容易ではないけれど、これからを生きる子どもたちのために現実をよりよいものに変えていかなくてはというジャーナリストとしての気概を強く感じます。それは大上段からもの申すというより、当たり前の生活実感を大切にし、「おかしい」と思うことにちゃんと反応する姿勢から来るように思えました。

呼びかけにちゃんと応える

 私たちはともすると自分から距離のある物事に無関心でいたり、冷淡な態度を示したりしてしまいがちです。沖縄で起きていることをメディアが十分伝えない以上、本土に暮らす人々が「自分には関係ない」と思ってしまうのもある程度やむをえないことなのかもしれません。
 しかし、PFASによる水汚染は青森の三沢や山口の岩国、神奈川の厚木、横須賀、東京の横田周辺など広い地域で確認されています。ロシアによるウクライナ侵攻や台湾危機を受けて、日本の安全保障政策は十分な議論を経ずに大きく方針転換し、日々のニュースに接する私の子どもたちも戦争への不安を感じるようになっています。沖縄の出来事は、時間差をおいてこの国で暮らす人の身に等しく降りかかっていることに気づく必要があります。
 「自分や身近な子どもが沖縄にいたら」と想像し、自分にできる範囲で呼応することが、子どもたちの未来を預かる大人に求められています。本土に暮らす人々が「復帰」51年目に沖縄のことを知り、考え、行動することは、自分自身や自分の大切な人の未来を考えることにもつながっているのだと思います。

(*4月20日に『放送メディア研究16号』の全文が文研HPで公開される予定です。)

おススメの1本 2023年03月17日 (金)

#463 NHKの長寿番組 調べてみると意外なジジツが...

メディア研究部 (メディア史研究) 居駒千穂

 昨秋に刊行した『NHK年鑑2022』(NHK放送文化研究所編)の「第4部 番組解説」では番組ひとつひとつの詳細データをまとめています。今回、そこに記載されている、国内定時番組476番組のデータをもとにいろいろ調べてみました。

NHK年鑑2022

 さっそくですが、簡単なクイズをひとつ。NHKの総合テレビ、Eテレ、BS1、BSプレミアム、BS4K、BS8K、ラジオ第1、ラジオ第2、FMの全9波(国内)で放送する定時番組、476番組の中で、もっとも長く放送を続けている番組は下の3つのうち、どれでしょう。

1.のど自慢
2.ラジオ体操
3.日曜討論

 これは当たったかたも多いのでは? 正解は、2.ラジオ体操です。『ラジオ体操』は1928年11月に放送を開始し、1947年9月1日から3年8か月の間、放送を中断しましたが、1951年5月6日に放送を再開しました。通算89年8か月放送を続けています(『年鑑2022』に合わせ、2022年3月末を基準に放送期間を計算しています)
 『ラジオ体操』に続いて長いのは、1.のど自慢で、放送開始から76年2か月経過しました。ついで長いのは3.日曜討論(前身は『国会討論会』)です。『のど自慢』も『日曜討論』も、ともに終戦直後の1946年にラジオ第1で放送を開始しました。

こんなにもあった。50年以上続く番組

 ここで、もう一問。NHKの国内定時番組476番組のうち、50年以上続く番組はいくつぐらいあるでしょう。次の中から選んでください。

1.約10番組
2.約20番組
3.約30番組

 正解は、3.約30番組です。
 表1を見てください。これは『NHK年鑑2022』「第4部 番組解説」に記載されている初回放送日に基づいて放送期間を割り出し、放送期間の長い番組から順に並べたものです。50年以上続く番組は数えてみると29番組ありました。
(2022年3月末を基準に計算。2021年度内に放送終了した番組も含みます)

表1 放送開始から50年以上のNHK番組(国内) 表1 放送開始から50年以上のNHK番組(国内)

 上位10番組は、テレビ放送開始の1953年より前の、ラジオ時代に始まった番組です。

放送波によって異なる放送期間と傾向

 3月に発行した『放送研究と調査』(NHK放送文化研究所編)では、総合、Eテレ、ラジオ第1、ラジオ第2、FMの波別に、放送期間の長いものから順に並べたグラフを掲載しています。
 波別に興味深い特徴が出てきましたので、ぜひご覧ください。
放送史料 探訪:『NHK年鑑』で振り返る放送の歴史④】 

(注)今回、分析対象にしたのは『NHK年鑑2022』の「第4部 番組解説」に掲載した、NHKの国内向け定時番組、476 番組である。データは2022年3月現在のものである。

調査あれこれ 2023年03月16日 (木)

#462 マスク着用 「個人の判断」に 顔を隠したくて着ける人ってどのくらいいるの?~「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」の結果から~

世論調査部(社会調査) 小林利行

新型コロナウイルスの感染が、国内で初めて確認されてから3年あまり。

この間、マスクは多くの人の必須アイテムとなっていますが、政府は3月13日からマスク着用の方針を大きく変えました。

医療機関を受診するときや混んだ電車やバスに乗るときなどは着用を推奨するものの、それ以外の場所での着用は個人の判断に委ねるとしたのです。

皆さんはどうしているでしょうか?

文研では2022年11月に新型コロナウイルスに関する世論調査を実施しました。

その中には今回のような状況を想定した質問もあります。

図①は、感染拡大が収束して、屋内や人混みでマスクの着用が求められなくなったとしたらどうするかと尋ねた結果です。

図①  着用が求められなくなったときマスクをどうするか?

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1番多いのは「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」で47%、2番目は「できるだけ着けたままにする」で27%でした。

一方、「以前のように外す」は23%にとどまっています。

調査時点と今の感染状況や、この質問の前提と政府のマスク推奨の基準は少し異なりますが、結果をみる限り、すぐさま多くの人が以前のようにマスクを外すことにはならないようです。

考えてみれば、3月12日以前も、会話がなければ基本的に屋外でマスクを着ける必要はないとされていましたが、外でも着けていた人のほうが多かった印象があります。

この調査では、「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」と「できるだけ着けたままにする」と答えた人に対して、その理由も尋ねています(図②)。

図②  求められなくなってもマスクを着け続けるのはなぜか 〈回答者1,671人〉

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ご覧のように、圧倒的多数の人が「感染症対策など衛生上の理由から」と回答しています。

ただ、「素顔をさらしたくないなど見た目の理由から」という人も7%います。

男女年層別に分けてみました(図③)。

図③  求められなくなってもマスクを着け続けるのはなぜか
(男女年層別)
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いずれの年層も「衛生上の理由から」が多数を占めていますが、18歳~39歳の男女では、「素顔をさらしたくないから」と回答している人も16%います。

この人たちを、18歳~39歳全体に占める割合でみても、男性11%、女性13%となります。

若い男女の10人に1人強が、顔を隠すなどの目的でマスクを着け続けたいという意向を示していることがわかります。

今回の調査は、コロナ禍をきっかけにマスクの意外な着用目的を明らかにしたようです。

調査の他の結果についても「コロナ禍3年 社会にもたらした影響-NHK」で公開していますので、ぜひご覧になってみてください。

また、「放送研究と調査 2023年5月号」では、3年にわたるコロナ禍によって、人々の意識や暮らしがどう変わったかなどについて詳しく紹介しますので、ご期待ください。

調査あれこれ 2023年03月14日 (火)

#461 岸田内閣支持率 若干回復の先は ~どうしのぐ統一地方選・統一補選~

放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 新年度予算案の成立に向け国会で答弁に立っている岸田総理大臣が、この日は東京ドームのマウンドにも立ちました。WBC・ワールドベースボールクラシックの1次リーグ、ライバル対決として注目された日本対韓国の一戦での始球式です。

始球式 出典:首相官邸ホームページ 出典:首相官邸ホームページ (https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202303/10wbc.html)

 侍ジャパンの栗山監督がキャッチャーを務め、高校球児だったという岸田総理の投球をワンバウンドで捕球。野党側の厳しい追及や質問を受ける予算委員会では見せることがない岸田総理の笑みがこぼれました。

 この3月10日(金)から翌々日12日(日)にかけて、東日本大震災から12年目の3・11をはさんでNHK月例電話世論調査が行われました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

 支持する  41%(対前月+5ポイント)
 支持しない  40%(対前月-1ポイント)

統計上の誤差もありますから支持と不支持が横並びと見た方が良いのかもしれません。それでも数字の上で支持が不支持を上回ったのは去年の8月以来7か月ぶりです。

「岸田内閣を支持する」と答えた人の割合を与党支持者、野党支持者、無党派の別に比べてみるとこうなります。

 与党支持者  69%(対前月+9ポイント)
 野党支持者  19%(対前月+2ポイント)
 無党派  24%(対前月+6ポイント)

 去年の8月以降の支持率低迷の期間は特に与党支持者(自民党支持者+公明党支持者)の支持率が陰っていたのですが、この1か月は上向きました。予算委員会の審議がストップするような大きな政治的トラブルが浮上せず、岸田総理が物価上昇を超える賃上げを呼び掛けたことに一部の企業が呼応し、一定の評価につながっている面もあるようです。

 さらには3月に入って韓国のユン・ソンニョル政権が、太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、解決に向けた判断を示してきたことも追い風になっているようです。この韓国政府の判断は、裁判で賠償を命じられた日本企業に代わって、韓国政府の傘下にある財団が支払いを行うとするものです。

岸田首相/韓国 ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領

 ユン・ソンニョル大統領はアメリカのバイデン政権の強い働きかけを受け、日本との関係を改善するために、問題の解決を急いだと伝えられています。地域の安全保障環境を不安定化させている北朝鮮に向き合うには、日米韓の連携強化が最重要ということは岸田総理が繰り返し主張してきたことでもあります。「待っていました」といったところでしょう。

 しかしながら、こうした好材料の半面で肝心要の国民との対話が深まっているとは言えません。最も特徴的なのが昨年末に打ち出した5年間の防衛費の大幅増額問題です。

☆あなたは、防衛費の増額についての政府の説明が、十分だと思いますか。不十分だと思いますか。

 十分だ 16% < 不十分だ 66%

3分の2が不十分だと感じているという数字は、岸田総理をはじめとする政府関係者の言葉が国民に届いていないことを端的に示しています。

 国会審議を通じて「巡航ミサイル・トマホークを400発購入する予定」といった断片的な情報は出てきました。しかし、防衛費の水準を5年でGDP(国内総生産)比2%に引き上げるという判断が、どういう積算に基づいたものなのかは依然として不透明です。

巡航ミサイルトマホーク(資料) 巡航ミサイル トマホーク(資料)

 論戦の焦点になっている「反撃能力」つまり敵基地を攻撃できる能力を抑止力として保有することについても不明確です。政府の答弁は「これまでと同様の専守防衛の範囲内だ」と繰り返すだけで、一向に説得力が増しません。新たな攻撃的装備を保有するならば、新たな歯止めの仕組みも備えないことには「専守防衛」は空念仏になってしまいます。

 ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、安全保障に対する国民の関心が高まったとはいえ、勢いで物事を進める姿は好ましいものではありません。平和憲法を掲げる日本にふさわしい国防政策、自衛隊の運用をより多くの国民に納得してもらうことが重要です。そうでなければ信頼は増しません。

☆岸田総理大臣は、将来的な子ども予算の倍増を掲げる一方、「数字ありきではない」として、まず政策を整理し、大枠を示すとしています。あなたは、政府の少子化対策に期待していますか。期待していませんか。

 期待している 39% < 期待していない 56%

このように岸田総理が力を込めて語る少子化対策についても、国民の受け止めは今一つです。特に気になるのは、まさに子育て世代にあたる18歳~39歳の回答が否定的なことです。(⇒期待している39%、期待していない66%)

 この背景には、岸田総理が通常国会冒頭の施政方針演説で総論は高く掲げたものの、中身の各論については「6月の骨太方針までに大枠を提示します」という所でストップしたままになっているという問題があります。

 4月には統一地方選挙、そして合わせて5つの衆参両院補欠選挙が控えています。地域にもよりますが、多くの人が現在の政治を見つめながら投票の機会を待つ中で、「具体的なことは後で」という姿勢には厳しい目が向けられて当然です。ここをどうしのぐかは大きな課題です。

 3月は岸田内閣の支持率が若干上向いたとはいえ、今後も一進一退が続く可能性はあります。5月のG7広島サミットを舞台に「外交・安全保障の岸田」をアピールしたいのだろうと思いますが、そのためには内を固める必要があります。

 国民の信頼を得られてこその外交・安全保障です。防衛費に関する一層の説明、少子化対策の具体的な柱建ての提示といった課題への向き合い方が、政権の今後を左右するように思います。

おススメの1本 2023年03月08日 (水)

#460 東日本大震災12年 「何が変わり、何が変わらないのか」~現地より~

 メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

 東日本大震災の発生後、災害担当記者だった私も現地に入り、さまざまな取材をした。特に力を入れたのが、「消防団員の安全確保」の問題だった。

teikyogazou.jpg活動する消防団員(震災前) 提供:田中和七さん

 あれから12年。「何が変わり、何が変わらないのか」「メディアに何ができるのか」。今回は研究員になった私が現地を再び訪れ、感じたことを書いてゆく。

【始まりは“1本の電話”】
 まもなく新しい年に変わろうとしていた去年(2022年)暮れ。突然、携帯電話が鳴った。「今のままでは、消防団などの地域の守り手が危ない。あのとき(東日本大震災)の課題が今も残っている。『南海トラフ』や、『千島海溝・日本海溝』の巨大地震が切迫している。今課題を解決しないとまた犠牲者が出る。どうだ、また一緒にやらないか?」連絡をくれたのは、東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センターの松尾一郎客員教授(67)。東日本大震災の直後、私は、松尾客員教授と一緒に被災地を駆け回り課題を探った。中でも最も力を入れたのが「消防団員の安全確保」だった。これを再度、検証しようという提案だった。

matsuo1.jpg東大 松尾一郎客員教授

 当時取材し放送したリポートを見返してみた。取材したのは、岩手県宮古市田老地区の男性。ふだんは食料品店を経営し、災害発生時にはすぐに消防団員として出動する。震災が起きたあの日、男性は防潮堤にある門に向かった。防潮堤には「水門」と「陸閘(りくこう)」(=漁港と市街地を車などが行き来するために防潮堤に設けられた門)がある。いずれも、津波が流れ込まないよう、到達前に閉めなければならない。このうち男性が向かったのは「陸閘」だった。

kakudaigazou.jpg男性と陸閘(震災直後)

到着すると、別の団員がすでに門を閉めていた。しかし、男性は近くにいた人から声をかけられる。「港に置いてきた車を取りに行きたいので、門を開けてくれないか」。男性は仕方なく再び門を開けた。すると、逃げ遅れて門の外側に取り残されていた車が次々と通り始めた。「もう早く通ってくれ、早く閉めたい」。最後の車が通過した後、急いで門を閉め、男性も車で急いで避難。そのおよそ5分後に田老地区に津波が襲来。男性は、すぐ後ろに津波が迫る中、ぎりぎりで高台にたどりつくことができた。しかし、男性の所属する分団では、一緒に門を閉めた団員など3人が犠牲になった。当時のインタビューで男性は絞り出すように語っている。「これほど危険な目にあってまで(門を)閉めに来なければならないという部分があるので、変えられるものであれば少しずつでも変えてほしい」。

【再び現地へ】
 このリポートの放送後の2011年11月、総務省消防庁は「東日本大震災を踏まえた大規模災害時における消防団活動のあり方等に関する検討会」を設置。その報告書によると、被災地では、田老地区以外でも消防団員の被災が相次ぎ、犠牲になった団員は254人にのぼった。その多くが水門等の閉鎖や住民の避難誘導、救助などにあたった人たちだった。検討会の委員には松尾客員教授(当時はNPO法人理事)が選出。ワーキングチームの構成員には、リポートで取材した男性の先輩消防団員の田中和七さん(68)が選ばれ、消防団員の安全をいかに確保するか議論を交わし対策案を示した。
 あれから何が変わり、何が変わらないのか。課題は残っているのか。
今年(2023年)2月初旬、松尾客員教授と再び田老地区を訪問。田中さんらと合流し現地をまわった。

matsuo2shot.jpg田中和七さん(左)と松尾客員教授(右)

 岩手県宮古市田老地区。私は初任地が盛岡放送局で、まだ3年目の駆け出しの頃、宮古報道室(現在は支局)の記者として何度も取材で足を運んだ。(当時は合併前で「田老町」だった)
地区中心部にあった高さ10m、総延長2,433mの巨大防潮堤。壊滅的な被害を受けた昭和8年(1933年)の「昭和三陸津波」を教訓に作られ、「万里の長城」と呼ばれた。これに加え、真剣な表情で避難訓練を繰り返す住民たち。まさに「津波防災の先進地」だった。そこを再び巨大津波が襲った。防潮堤は一定時間、津波を食い止めたものの、巨大津波は防潮堤を乗り越え、地区内に一気に流れ込んだ。立ち並んでいた住宅は流され、防潮堤もかなりの部分が破壊された。震災直後に取材に入り目にした、以前とは変わり果てたすさまじい光景は、今も脳裏に焼き付いて離れない。

banrino_edited.jpg津波で破壊され一部が残る「万里の長城」

【何が変わり、何が変わらないのか】
 震災後、新しい防潮堤が、かつての「万里の長城」よりもさらに海側に作られた。以前より高い14.7m。また防潮堤の裏側(陸側)を「災害危険区域」に指定し、住宅の建築を制限した。かつて防潮堤のすぐそばまであった住宅はなくなり、高台に移転。代わりに野球場や道の駅などが作られ、すぐに避難できるよう工夫がなされた。

fukkoupanel_edited.jpg新防潮堤や災害危険区域を示したパネル

 また、防潮堤の水門や陸閘は、津波注意報や津波警報、大津波警報が発表された場合、衛星回線を使って遠隔操作で自動的に閉まるように改善された。陸閘のゲートにはセンサーがついていて、もし車が通過中だった場合には、いったん開き、通過後に閉まるという動作も自動的に行う。リポートで取材した男性が、取り残された車が通過するまで門を開け続け、その後閉めたというような非常に危険な作業はしなくてよいことになった。

rikukou.jpg新しくつくられた陸閘

tsunamichui_edited.jpg陸閘の自動閉鎖を示すパネル

 また、松尾客員教授や田中さんが委員などとして参加した、総務省消防庁の検討会の報告書(2012年8月最終報告)では、市町村に津波発生が予想される場合の消防団の活動・安全管理マニュアルを整備するとともに「退避ルール」を確立するよう求めた。これを受けて宮古市も地域防災計画などに「退避ルール」を明記。「消防団は津波の到達予想時刻の10分前には高台に避難していなければならない(消防団の退避10分ルール)」を定めるとともに、避難を完了するために「20分前には防災行政無線により、消防団の避難を呼びかける(消防団退避指示)」とした。

shobodanshiji.png宮古市資料より

ここまで見てくると、大幅に改善されたと感じる。ただ、松尾客員教授とともに田中さんに聞き取りをしたところ、「まだ不安な点がある」ということだった。


talk2shot_edited.jpg調査する松尾客員教授(手前)と田中さん(奥)

例えば、「もしも門が閉まらなかったとしたら」。遠隔操作で自動閉鎖するとはいえ、機械なので「絶対」はないのではないか。その場合、近くにいる消防団員が閉めに行かざるを得ないのではないか。その不安はあるという。
さらに田中さんは、トンガの海底火山で発生した大規模な噴火により、去年1月16日、岩手県沿岸に津波警報が発表された際の出来事が忘れられないという。警報がまだ発表中だった16日朝、釣り客とみられる人が乗った車が港の方に入っていくのを、高台で警戒監視中の消防団員が発見。危険なのですぐに海から離れ避難するよう伝えに行った。結果的に、津波警報が出ているさなかに危険な海岸近くの低地で消防団員が活動せざるを得ない状況となったのだ。

【地域を守る責任感、使命感】
総務省消防庁の検討会の報告書の冒頭には、次のように書いてある。(一部中略)
「消防団は、自らも被災者であったにもかかわらず、だれよりも真っ先に災害現場へかけつけ、その活動は、住民の生命、安全を守るため、実に様々なものであった。東日本大震災における消防団の活動は地域住民に勇気を与え、改めて地域の絆・コミュニティの大切さ、そのために消防団が果たしている役割の大きさを教えてくれた。一方で、活動中の消防団員の安全をいかに確保するかという大きな課題を我々に突きつけた」
消防団員は、地域住民であり、被災者でもあった。地域住民ならば、本来はすぐに避難して、まずは自分や家族の命を守るはず。でも団員たちはあえて危険な任務を担った。田中さんは言う。


tanaka_edited.jpg田中和七さん

「消防団員は『見捨てられない、無視できない』という責任感や使命感を持っている人たちばかりなんです

「地域を守る」という責任感・使命感から、危険な任務にあたり、震災で多くの消防団員が命を落とした。しかし、今も多くの団員たちがその強い責任感・使命感を持ち続けている。だからこそ、また次の大災害で、消防団員が危険にさらされる可能性は残されていると思う。12年が経過しても変わっていない部分だと強く感じた。

松尾客員教授は、今後、田老地区と宮古市のもう一つの地区をモデル地区として消防団員や民生委員、町内会長など、地域の「守り手」の安全確保などについて調査することにしている。

matsuolast_edited.jpg松尾客員教授

「これ以上、『守り手』が犠牲になるのは防がなければならない。宮古市で調査した結果を、南海トラフや千島海溝・日本海溝沿いで発生する巨大地震で被災する可能性がある地域など、各地に広げていきたい」と話していた。
私も今回、田老地区を訪れ、さまざまな話を聞く中で、国の検討会が作成を求めた「消防団の退避ルール」などが全国各地でどのくらい徹底されているのか、また、防潮堤の門の自動閉鎖などのハード面の安全対策がどれだけ進み、機能しているのかなどを調べたいと思った。そのために、まずは松尾客員教授が行う調査に微力ながらできる限りお手伝いしたいと思っている。その上で、消防団を対象にした避難の呼びかけのあり方など、メディアにできることはないか、考えていきたいと思っている。

【もう一つの「変わっていないこと」】
今回の田老地区の訪問では、うれしい出来事があった。冒頭に紹介したリポートで取材した男性と再会したのだ。男性は経営していた食料品店が津波で流されたが、地区の別の場所に店を再建した。そして今も消防団員を続けているという。このとき思った。
「消防団員の安全は確保されなければならない。震災を生き延びて、その後の復興の担い手として活躍してもらうために」。
これは震災が起きたあのときから変わっていないし、今後も変わらない。
東日本大震災から12年。現地を訪れ、強く感じたことである。


nakamaru2.jpg

【中丸憲一】
1998年NHK入局。盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

★筆者が書いたこちらの記事もあわせてお読みください
 #456「関東大震災100年」 震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

 

調査あれこれ 2023年03月07日 (火)

#459 WBC直前企画② 侍ジャパンと視聴率

計画管理部(計画) 斉藤孝信

 3月9日(木)に日本が「ワールドベースボールクラシック」の初戦を迎えるのに合わせてお届けしている「視聴率からみるプロ野球平成史」の第2弾です!

 前回のブログでは、関東地方での6月調査週のプロ野球中継の視聴率が、セ・パ交流戦の開始や球団再編のあった"平成17年"を境に減少したことをお話ししました。 では、WBCのように、日本代表が世界に挑んだ試合の視聴率はどうだったのでしょうか。 まずは、前回お見せした6月視聴率調査のグラフに、同じ年の11月調査週に行われた国際試合の視聴率(各年で最も高かった試合)を重ねてみます。
※視聴率は他のチャンネルで放送されている番組の影響も受けるので、両調査の結果を単純に比較できるわけではありません。

プロ野球視聴率の平成史

 6月、すなわち国内のレギュラーシーズン中の中継の視聴率が平成17年を境に減少したのに比べ、11月に行われた国際試合は、平成24年にも9.2%、平成27年には10.1%と、よく見られていました。
 ふた桁となった平成27年は、「世界野球プレミア12」のベネズエラ戦。日本は、日本ハムの大谷、巨人の澤村、菅野、坂本、ヤクルトの山田、横浜の筒香、西武の秋山などの豪華メンバー。特にこの試合は、8回の裏から9回裏まで3度の逆転が起きる名勝負となりました。
 この試合の男女年層別の視聴率を、参考として同年6月に最もよく見られた「日本ハム対巨人」のデータと見比べてみます。前提として、ベネズエラ戦がよく見られたのは、日曜日の夜だったという要素もあるかもしれません。
 男女年層別にみると、いずれも男性60歳以上が15%超で全体より高く、女性20代以下が2~3%程度で全体より低いという傾向は同じです。一方で、男性50代以下と女性30~50代では、日米野球のほうが格段によく見られていました。

平成27年 世界野球プレミア12の男女年層別視聴率(関東)

 平成の国際試合で最も高かった平成14年「日米野球第2戦」についてもみてみましょう。
 このシリーズには、前年にMLBでMVPと新人王に輝いたイチロー選手がMLB代表の一員として凱旋。そのほかにもジャイアンツのホームラン王バリー・ボンズや、ヤンキースの看板選手・バーニー・ウイリアムズ、ドジャースの抑えの切り札ガニエなど、スター選手が名を連ね、イチロー選手を通じてMLBを見るようになったファンにとっては「そんな大物が来るの!?」と驚きと喜びの絶頂でした。迎え撃つ日本代表も、のちにアメリカに渡ることになる"W松井(秀喜、稼頭央)、岩隈、上原、福留など、各球団のトップ選手ぞろい。第2戦では日本が8対2で勝ちました。
 この試合の男女年層別の視聴率も、参考として同年6月に最もよく見られた「ヤクルト対巨人」のデータと見比べてみます。
 どちらも全体では10%を超えてよく見られ、男性60歳以上が20%超で全体より高く、女性20代以下が5~6%程度で全体より低いという傾向は同じですが、男性20代以下と女性30~50代では、日米野球のほうがよく見られていました。
 若い男性や、女性が、「日本が世界を相手に挑む国際的な試合をよく見る」というのは、以前、サッカーW杯について考えたブログで紹介しましたが、ここでも共通した傾向が浮かび上がってきます。

平成14年 日米野球第2戦の男女年層別視聴率(関東)

 今回のWBCも、まさに「日本が世界を相手に挑む国際的な試合」です。これまでの大会ではなかなかMLBのトップ選手が参加できなかった各国代表も、今回はそうそうたる顔ぶれがそろい、"本気勝負"のムードが満ち満ちています。そして日本代表は、平成14年のイチロー選手と同じように、いまやMLBの看板選手になった大谷選手の凱旋大会でもあるわけですから、これは、いやが応にも盛り上がるのではないでしょうか!?
 プレーボールが楽しみで仕方ありません!


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#435 視聴率でみる"大河ドラマ平成史"

調査あれこれ 2023年03月06日 (月)

#458 WBC直前企画① 視聴率でみる日本プロ野球平成史

計画管理部(計画) 斉藤孝信

 3月9日(木)、野球の世界大会「ワールドベースボールクラシック」で日本が初戦を迎えます。過去2度優勝の日本は、今回、MLBで活躍中の大谷選手やダルビッシュ選手、去年史上最年少で打撃三冠王に輝いたヤクルトの村上選手も参加し、非常に楽しみですね!

 選手たちへのエールの意味も込めまして、今回は、文研の過去の視聴率調査の結果から、「プロ野球」に注目して、①「国内のプロ野球平成史」、②「国際試合の平成史」の2回シリーズでお届けします。
 まずは、毎年6月第1週に実施している「全国個人視聴率調査」の関東地方のデータから、その週の夜間(18時以降)に地上波テレビで生中継された中で、各年最も視聴率の高かった試合をピックアップしてグラフにしてみます。

【プロ野球平成史】6月第1週に最もよく見られたプロ野球中継(関東)

 ご覧のように、大づかみに言うと、"右肩下がり"。平成16年までは10%を超えていましたが、その後は5%前後となる年が多くなりました。
 最も高かったのは平成2年の「巨人対中日」の16.9%です。
 この年は、前年の日本シリーズで近鉄を相手に3連敗からの4連勝で日本一に輝いた巨人が、開幕ダッシュに成功。5月8日以降は一度も首位の座を明け渡さずに独走し、優勝。つまり6月調査週にはすでに「巨人がぶっちぎりの好調」だったのです。
 ちなみに、この年の巨人の開幕戦オーダーは、1番ショート川相、2番セカンド篠塚、3番センタークロマティー、4番レフト原、5番サード岡崎、6番ライトブラウン、7番ファースト駒田、8番キャッチャー中尾、9番ピッチャー斎藤。当時野球少年だった筆者には、涙がでるほどに懐かしい顔ぶれです...。
 次いで、「阪神対巨人」が16.8%だった平成11年は、中日が開幕11連勝でスタートダッシュ。出遅れた巨人が、ルーキーの上原投手の活躍もあり、夏場に猛追するシーズンでした。すなわち6月は「巨人がここから巻き返すぞ」という時点でした(結果的には、首位中日に1.5ゲーム差まで迫りましたが、あと一歩届かず2位)。
 平成12年は、前年に熾烈な優勝争いを繰り広げた「巨人対中日」の15.6%。そこまで3年連続で優勝を逃していた巨人はシーズンオフに大補強を行い、ダイエーから工藤、広島から江藤を、それぞれFAで獲得。松井、江藤、清原、仁志、清水などの大物選手がずらりと並んだ打線は、西暦2000年にちなんで"ミレニアム打線"とも呼ばれました。6月はこの大補強が功を奏して、「巨人が混戦から頭ひとつ抜け出した」時期でした。
 このように、トップ3はいずれも「巨人が好調な6月」の巨人戦です。
 初めて視聴率が10%を割り込んだ平成17年。巨人は開幕4連敗でつまずき、主力選手の故障も相次いで、4月21日から6月2日までは最下位に低迷し続けました。つまり、前述の3年とは対照的に「巨人が絶不調の6月」だったわけです。
 そもそも地上波では巨人戦の中継が圧倒的に多かったですし、巨人が本拠地を置く関東のデータでは、"平成のプロ野球史"と言っても、どうしても"平成の巨人戦史"をみているようなものなので、「巨人が強ければ高くなるし、弱ければ低くなる」という平成前半の傾向は、ある意味で、当然なのかもしれません。
 しかし、平成17年以降の巨人は、14年間のうち11年はAクラス(3位以上)で、6度も優勝したにもかかわらず、視聴率がふたたび10%を超えることはありませんでした。もちろん、平成の前半に比べて、地上波での中継自体が減ったり、BSやCS、ネット動画サービスなど、視聴手段が多様化したりした影響もあるかもしれませんが、ここまでのデータでは、平成17年をひとつの大きな転換点として、"プロ野球テレビ観戦離れ"が進んだようにみえます。

 ではその"平成17年"、プロ野球にいったい何があったのでしょうか。
 まさにその年、セ・パ交流戦が始まっています。これまで(関東の巨人戦視聴者の目線で言えば)オールスター戦や日本シリーズくらいでしか見ることのできなかった、パ・リーグのチームや選手を目にする機会が一気に増えました。また、球団再編によって、宮城に新球団・楽天が誕生したのもこの年です。
 さらに、時は少し前後しますが、平成4年にはロッテが千葉に、平成5年に当時のダイエー(現ソフトバンク)が福岡に、平成16年には日本ハムが北海道に、それぞれ本拠地を移転。さらに、広島では平成21年に新球場がオープンしました。平成17年に生まれた楽天も含め、これらの球団が地元で多くのファンを獲得し、好成績も相まって、各地で応援熱が高まったことは皆様ご存じの通りです。
 すなわち、セ・パ交流戦開始や球団再編のあった"平成17年"を境に、パ・リーグや地方の球団の試合を見る機会が格段に増え、それによって、プロ野球の視聴や応援も、それまでの「野球といえば巨人」という状況から、大きく多様化を遂げたと言えるのではないでしょうか。
 そうした変化、とくに地方の盛り上がりが感じられるデータを、同じく6月の「全国個人視聴率調査」からご紹介します。まずは総合テレビ木曜日19:30~20:43の地方別視聴率です。平成29年と30年、総合テレビでは、木曜は19:30まで『ニュース7』を放送した後、各地域局のニュース前の20:43まで、北海道と中国地方では、他の地域とは別編成で、地元球団である広島と日本ハムの試合を中継しました。この時間帯の視聴率について、平成最後の5年間と、参考まで平成元年と15年のデータも合わせて表にしました。

総合テレビ 木曜19:30~20:43の地方別視聴率

 北海道では、平成30年は13%、平成29年は11%で、いずれも全体より高く、それまでの3年間よりも上昇しました。中国地方は、もともとこの時間帯の視聴率が比較的高めなので目立った上昇とまでは言えませんが、平成29年の11%は北海道同様に全体よりも高くなりました。

 総合テレビでは同様に、平成28年~30年の金曜も、20:00から、各地域局のニュース前の20:42まで、独自にプロ野球中継を放送していた地域がありますので、その時間帯の地方別視聴率もお示しします。

総合テレビ 金曜20:00~20:42の地方別視聴率

 この枠では、平成30年には北海道と中国地方で「広島対日本ハム」、平成29年には北海道で「日本ハム対巨人」、東北と中国地方で「楽天対広島」、九州地方で「ソフトバンク対阪神」、平成28年にも東北で「楽天対広島」が放送されました。
 平成29年の北海道と中国地方の11%は、とくに目を引きますね。日本ハムと広島はともに前年にリーグ優勝。まさに黄金期にあった広島では若い女性ファンも増え、"カープ女子"という流行語も生まれましたし、日本ハムはこの年が大谷選手の日本でのラストシーズンということにもなり、もともと巨人ファンも多いという土地柄もあって、多くの人が視聴したのではないでしょうか。
 なかなか10%に届かなくなった関東とは対照的に、ここ数年、地方によっては、地元球団の試合中継で視聴率が10%超となるというこの現象は、プロ野球の愛され方が多様化した平成を物語っているようにも思えます。
 そして今度のWBCには、そうした地方の球団からも多くの選手が日本代表に選ばれています。ソフトバンクの甲斐・近藤・周東選手には九州から、日本ハムの伊藤選手や、MLBからの凱旋となる大谷・ダルビッシュ選手には北海道から、広島の栗林選手には中国地方から、楽天の松井選手には東北から......、ひときわ大きな声援が送られるのではないかと、このデータをみていると感じます。
 次回は野球日本代表(侍ジャパン)の平成史を振り返ろうと思います。


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#429 大谷翔平選手、2年連続MVP受賞なるか!?

メディアの動き 2023年02月28日 (火)

#457 北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント

メディア研究部(メディア動向)熊谷百合子

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 2月1日、北欧5か国の政府系プラットホームが主催するパネルディスカッションが東京都内で開かれました。議論のテーマは「ジェンダー平等とメディア~報道と編集室における女性~」。北欧の国々ではジェンダー平等をどのように進めたのか、メディアはどんな役割を果たしてきたのか、北欧と日本の3人の女性ジャーナリストが語り合いました。
 ジェンダー平等とは、国連が定めた2030年までの開発目標「SDGs」の17目標にも盛り込まれている指標です。発展途上国だけでなく先進国も取り組むべき普遍的な国際目標として、日本も積極的に取り組んでいますが、「ジェンダーギャップ指数」に着目すると、世界の中での日本の現在地がわかります。「ジェンダーギャップ指数」は、政財界のリーダーが集まるダボス会議を主催する世界経済フォーラムが、男女の平等の度合いを数値化した指標です。男女格差の解消を目的に2006年から毎年発表していて、「政治参加」、「経済」、「教育」、「健康」の4つの分野について、世界各国の男女の格差を数値化してきました。


世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
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 去年(2022年)7月に公表された報告書では、日本は調査対象の146か国のうち116位でした。「教育」と「健康」は評価が高かったものの、「政治参加」と「経済」の分野での評価が極めて低い結果となりました。

「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
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 一方でジェンダー平等の上位の国を見てみると、北欧の国々が目立ちます。アイスランドは13年連続での1位。2位のフィンランド、3位のノルウェーも毎回、上位に名を連ねる、いわばジェンダー平等の優等生です。例えば「経済」の指標は、日本は121位ですが、アイスランドは11位、フィンランドは18位、ノルウェーは27位です。「政治参加」に至っては、日本は139位ですが、アイスランドは1位、フィンランドは2位、ノルウェーは3位という高い水準でした。
 なぜ、北欧の国々は「ジェンダー平等」がこれほどまでに進んでいるのでしょうか?今回のパネルディスカッションでは、ジェンダーギャップ指数1位のアイスランドと2位のフィンランドから2人の女性ジャーナリストが来日しました。ソーラ・アルノルスドッティルさんはアイスランド国営放送の編集長で、アヌ・ウバウドさんは北欧最大の日刊紙として知られるヘルシンギン・サノマットの元編集長です。日本のメディアからは、NHK解説委員でジェンダーや男女共同参画を担当する、NHK名古屋拠点放送局の山本恵子さんが登壇しました。司会は朝日新聞の元記者で、バズフィードジャパンの初代編集長を務めた古田大輔さんです。都内の会場には大学生や報道関係者など50人が集まり、オンラインでも約200人が参加しました。
 議論は冒頭から、なぜ北欧の国々はジェンダー平等の推進に成功し、メディアはどのような役割を果たしてきたのか、という核心を突いたところから始まりました。ソーラ・アルノルスドッティルさんは、ジェンダー平等に向けた動きは、長い歴史のなかで少しずつ進んできたことを教えてくれました。

アイスランド国営放送 編集長 ソーラ・アルノルスドッティルさん

panel2_1.jpg「ジェンダー平等を推進するための青写真があったわけではありません。アイスランドでは100年以上の時間をかけて、小さな前進を重ねてきました。権利獲得の闘いを始めたとき、アイスランドの女性たちはまず雑誌を創刊するところから始めました。それは、自分たちの考えを社会で共有するためには女性のためのメディアが必要だったからです。女性が投票権を得たのは1915年ですが、女性の国会議員の数はすぐには増えませんでした。女性に与えられたポジションは少なく、その結果、女性同士の激しい競争につながりました。大きな転換点は1980年代です。世界初の女性大統領が選出されたのです。彼女の在任期間は16年間と長期だったこともあり、当時の子どもたちは、男性は大統領になれないと思っていたほどです。男女の賃金格差についても私の祖父の時代から議論が始まり、法制化を進める動きもありましたが、遅々として進みませんでした。それでも議論を前に進めようとする人たちの努力があって、最近では男女同一賃金を実現するための法律ができました。育児休業制度は、父親と母親が最大で6か月ずつの取得が可能で、両方が取得すればさらに6週間を互いに分け合うことのできる仕組みになっていて、ジェンダー平等を進めていくうえで不可欠のものとなっています」

そのうえで、メディアの果たすべき役割は非常に大きいと語ります。

「メディアは単に社会を反映するだけではなく、私たちが何をニュースとして取り上げるのか、誰に取材するのか、どんな視点で伝えるのかによって社会をかたちづくりさえします。私が国営放送で働いてきた25年の中でも、多くのことが変化しました。当時では考えられないことですが、現在では男女の比率を50:50にすることを常に意識しています。多様性はリーダー層だけでなく、マネジメント層にも必要です。白人の中年の男性ばかりでは、同質性が高い人たちによる意思決定が行われてしまうからです。ニュースの制作陣が多様化しても、上の立場の人たちの同質性が高いままでは多様な報道にはつながらないのです。ボトムアップとトップダウンの両輪でジェンダー平等を進めていくことが必要です」

アヌ・ウバウドさんはジェンダー平等を推進する議論を、メディアが積極的に取り上げることの必要性を説きました。

ヘルシンギン・サノマット 元編集長 アヌ・ウバウドさん
panel3_1.jpg 「メディアが重要であることは言うまでもありません。育児休業や子育てに関連する社会的支援はジェンダー平等を達成するうえで重要な施策です。こうしたトピックをメディアで頻繁に取り上げることが、社会の共通課題であるとの意識を共有していくうえで不可欠です。そのためには、メディアはどのように世界を描くのかを考えなければなりません。その意味でもメディアの役割は重要なのです」

 一方でジェンダー平等が大きく遅れる日本のメディアの現状について、NHKの山本恵子解説委員は自身の経験を踏まえながら、女性記者が仕事を続けることの難しさについて語りました。

NHK解説委員 山本恵子さん
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「報道記者は、事件、事故、災害が起きれば、すぐに駆けつけなければなりません。大災害の場合は24時間態勢で報道センターに詰めて、最新ニュースを視聴者に届ける必要があります。緊急時の突発の対応が求められるので、子育て中の母親が報道の現場で働き続けることは容易ではありません。育児休業からの復職後、母親たちは24時間態勢の報道の現場に戻るのか、さもなければ別の部署に移るのかという選択を迫られることになります」

 一児の母である山本さんは、何度も壁にぶつかりながら報道の仕事を続けてきたと言います。北欧メディアで働く子育て中の女性たちには同じ悩みはないのでしょうか?仕事と育児を両立するなかで、ワークライフバランスはどのように保たれているのでしょうか。panel5_1.jpg(ソーラ・アルノルスドッティルさん)
「仕事か家庭かの選択を迫られるのだとしたら、それは仕組みとして機能していないことを意味します。子どもがいると働きにくい慣習が職場にあるならば、変える必要があります。男性は仕事、女性は家事・育児、という性別役割分担の意識が根強いのであれば、その意識も変えなくてはなりません。報道に関わるのは、家庭のことを妻に任せられる男性だけというのも変えるべき風景です。そのような同質性の高い人たちによって制作されるニュースは、さまざまな価値観をもつ人々が暮らす社会に受け入れられなくなりつつあります。つまり、報道の現場も社会と同様に多様であるべきですし、人々にとって何がニュースなのかを再定義する必要があるのです。ニュースの制作現場のダイバーシティーを実現するためには、多様な人が働きたいと思えるような魅力的な職場にすることが求められています」

(アヌ・ウバウドさん)
「北欧の国々では長時間労働は評価されません。残業時間が長いということは、効率的な仕事ができていないことを意味します。フィンランドでは、ジャーナリストであれ会社員であれ、そして管理職であれ、夕方には退社します。5時前には保育園に子どもを迎えに行って自宅に戻ります。もちろん残業しなくてはならない場合もあるので、自宅に持ち帰って夜間の時間帯で仕事をすることもあります。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)以降は、より包括的に幸福とは何かという議論を深めてきました。なぜかと言うと、想像力豊かで効率的に働く人は、私たちの文化では仕事以外の生活も充実している人だと考えるからです。働き方の議論は、ジャーナリズムやメディアにかぎった問題ではなく、文化にまつわる問題なのだと思います」

 北欧はワークライフバランスが整っているイメージはありましたが、緊急報道などの対応もあるメディアは例外なのではないかと想像していました。しかし、フィンランドでは子育て中かどうかを問わず、官公庁も企業も報道機関も学校も、夕方4時を過ぎると退勤するのが一般的だといいます。医師も例外ではなくシフト勤務が徹底しているとのことで、どんな職種でもよほどの理由がないかぎり、残業はしないそうです。
 “他社よりも早く”、そして“特ダネ”を高く評価する日本のメディアでは、“夜討ち朝駆け”という言葉に象徴されるように長時間労働の慣習が長く続いてきました。そうしたなかで仕事と育児を両立する女性記者がキャリアをどのように形成していけばよいのか。悩ましい課題を克服することは容易ではありません。ソーラ・アルノルスドッティルさんが語っていた、“人々にとって何がニュースなのかを再定義する”ことはメディアの価値を問い直す上で、一つの手がかりとなるような気がしました。
 議論では、ソーラ・アルノルスドッティルさんは6人の子どもを、アヌ・ウバウドさんは4人の子どもを育てていることにも触れました。アヌ・ウバウドさんは編集長をしているときに第4子の出産、育休、復職を経験しましたが、上司や同僚たちは、小さな子どもを育てる女性が編集長の仕事を続けることで周囲の意識も変わるとポジティブに捉えて、サポートを惜しまなかったそうです。
 パネルディスカッションの後半では、若い世代へのメッセージがありました。

(山本恵子さん)
「私は3年前に管理職になって、夕方のローカルニュースの編集責任者を交代制で務めています。どのニュースをトップで扱うのかを自分で決めるので、私は女性に関わる問題や子育てにまつわるニュースをトップ項目で放送します。ニュースを見る人たちは、これは重要なテーマなんだと認識するかもしれない。そうすることで少しずつ社会の意識を変えていけると思います。職場の若い世代の女性たちには『大変だけど記者を辞めないで』と言い続けています。報道の現場に女性がもっと増えれば、より多様な報道を発信できるからです。辞めてしまえば女性の数は減ってしまい、何も変わらないことを意味します。仕事を続けていけば職場のルールを変える立場に昇進して、働きづらい要因となっている職場の慣習も自分たちで変えていくこともできるのです」

(アヌ・ウバウドさん)
「北欧ではジェンダー平等を達成するのに150年の年月がかかりましたが、日本でも同じだけの時間がかかるとは思っていません。今は変化を加速できる時代です。メディアの発信力が強化され、さまざまな意見を表明する場が与えられているのですから」

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 このブログでは詳述しませんが、今回の議論では、フィンランドでは雑誌メディアには女性が多くいる一方で、ニュースメディアの男女の比率を見ると女性の数がまだ少ないなど、課題があることも紹介されていました。質疑応答でも大学生を中心に活発な意見が次々と出て、ジェンダー平等への関心の高さがうかがわれました。パネルディスカッションの詳しい内容は、ブログの最後にご紹介するURLからご覧ください。
 司会を務めた古田大輔さんは、今回の議論が日本のメディアの多様性を加速することに役立ってほしいと話していました。

panel7_1.jpg(古田大輔さん)
「日本のジェンダーギャップについてはメディアの現場にも課題があるということはわかっていても、どれぐらい課題が大きいのかを気づくのは難しいことです。今回、北欧メディアの第一線で働く2人の声を直接聞けたことで、メディアが多様性を映し出していくことの重要性と、日本のメディアが抱える課題を確認することができたと思います。報道する側にダイバーシティーがある方が、よりパワフルで魅力的なメディアを作れるんだということに、まずは気づくことですよね。日本の新聞やテレビなど主流メディアの皆さんへの重要なメッセージになるのではないでしょうか」

 北欧のジェンダー平等は長い歴史をかけて一歩ずつ前進した結果、実現したものでした。誰かがお膳立てして用意したものではなく、変化を必要とする人たちがそれぞれの持ち場で変革を担ってきたからこそ、今の姿があるのだと感じました。
 パネリストとして来日した北欧の2人のジャーナリストは、ジェンダー平等の遅れる日本のメディアについて何を感じたのでしょうか。そして北欧メディアの取り組みを知り、日本のメディアで働く人たちは何を思うのでしょうか。このブログでは取り上げきれなかったエピソードについても、今後の調査研究を交えて連載を続けていく予定です。 


↓パネルディスカッションの詳しい内容はこちら↓

▽Nordic Talks Japan「ジェンダー平等とメディア~報道と編集室における女性~」
    https://note.com/nordicinnovation/n/n55dee5e1a3b2
参考資料)
▽世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
 Global Gender Gap Report 2022 | World Economic Forum (weforum.org)

 

調査あれこれ 2023年02月24日 (金)

#456「関東大震災100年」 震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

  1923年(大正12年)9月1日に発生し、10万人以上が犠牲になった関東大震災から、今年(2023年)で100年になる。この震災では、放送にも大きく関わる「情報伝達」が大きな課題になった。また、私はNHKで長年、災害担当記者をしてきたが、今回、関東大震災の記録を改めて探ったところ、初めて知ることも多かった。この関東大震災から学びとるべき「警鐘」について詳しく見ていきたい。

【ラジオ放送誕生を早めた関東大震災の“怪物”】
 まず目を向けたいのが、関東大震災の時の「情報の途絶」だ。まだテレビやラジオ、当然ながらSNSはなかった時代。電信・電話といったほぼすべての通信網が途絶し、新聞社も社屋が焼失するなどして新聞の発行がままならなくなった。生き残った人たちは、被災時に最も必要なものの一つ「情報」が入手できなくなることによって混乱を極めてゆく。 

yoshimurabook300.png  その様子を、吉村昭は「関東大震災」で次のように書いている。(一部中略・原文ママ)

「知る手がかりを失ったかれら(被災者※筆者追記)の間に無気味な混乱が起り始めた。かれらは、正確なことを知りたがったが、それは他人の口にする話のみにかぎられた。根本的に、そうした情報は不確かな性格をもつものであるが、死への恐怖と激しい飢餓におびえた人々にとってはなんの抵抗もなく素直に受け入れられがちであった。そして、人の口から口に伝わる間に、臆測が確実なものであるかのように変形して、しかも突風にあおられた野火のような素早い速さでひろがっていった。流言はどこからともなく果てしなく湧いて、それはまたたく間に巨大な怪物に化し、複雑に重なり合い入り乱れ人々に激しい恐怖を巻き起こさせていった」

  この流言飛語にはさまざまなものがあった。「上野に大津波が襲来した」「富士山が爆発した」「秩父連山が噴火した」などという偽情報がまことしやかに流れ、地方紙に掲載された。さらに混乱に拍車をかけたのが、朝鮮人に関するデマである。再び吉村昭の「関東大震災」から引用する。(一部中略・原文ママ)

「大地震の起った日の夜七時頃、横浜市本牧町附近で、『朝鮮人放火す』という声がいずこからともなく起った。その夜流布された範囲も同地域にかぎられていたが、翌二日の夜明け頃から急激に無気味なものに変形していった。『朝鮮人強盗す』『朝鮮人強姦す』という内容のものとなり、さらには殺人をおかし、井戸その他の飲水に劇薬を投じているという流言にまで発展した。殺伐とした内容を帯びた流言は、人々を恐れさせ、その恐怖が一層流言の拡大をうながした」

  この流言の発生と急速な拡散が、朝鮮人虐殺という悲惨な事件まで引き起こしたことを考えると、まさに「怪物」以外のなにものでもないと思う。そしてこの「怪物に2度と遭遇したくない=迅速で正確な情報が欲しい」という人々の強い願いが、ラジオ放送の誕生を早めるきっかけとなった。
  ラジオ放送は、1920年(大正9年)に正式の免許をうけた初の放送局がピッツバーグで放送開始後、アメリカ全土に急速に広がった。これに刺激されて日本でもラジオ放送開始への機運が高まり、政府は放送を民営で行うとする方針に沿って関係法令の整備など準備を進めた。そのさなかに関東大震災が発生し、作業は中断。しかし、震災直後、横浜港に停泊中の船が船舶無線で被災状況や救援要請をいち早く伝えるなど無線による情報伝達が一部で機能したことなどから、無線の一種であるラジオ放送への要望が急速に高まった。政府も緊急・非常時に備えるために一日も早くラジオ放送を実現すべきだとして関係法令の整備作業を再開。2年後の1925年(大正14年)3月22日の東京・芝浦での放送開始につながった。

housousi400.png20世紀放送史より(放送文化研究所編さん)

  こうして産声を上げた日本のラジオ放送は、その後、テレビやSNSなどのメディアにつながっていく。しかしその原点には、「怪物に遭遇したくない=災害時に迅速で正確な情報が欲しい」という100年前の震災を経験した人々の痛切な思いがあることを忘れてはならない。

【関東大震災から学びとる「今後起きうる災害」への警鐘】
  100年前に首都を襲った大地震。とはいえ今とは状況がかなり違う中で起きた地震だけに、どれだけの教訓があるのか。気象庁が今年1月4日に立ち上げた特設サイトを通じて各防災機関の資料を調べてみた。関東大震災というと有名なのはやはり「火災」。発生時刻が正午前と昼食時間帯だったこともあって次々に出火し延焼。火災による死者は震災の死者の約9割にものぼる。特に4万人余りが犠牲になった東京の陸軍被服廠跡地で起きた「火災旋風」は、非常にまれな現象であることもあり、メディアも頻繁に取り上げる。私自身、社会部の災害担当記者時代に火災旋風を作り出す実験を専門家に行ってもらうなどして火災旋風のおそろしさを伝える番組を作ったことがある。しかし、今回、資料を読み込むことで、関東大震災では火災以外にも多くの災害が起き、それはいずれも「今後起きうる災害」につながっていることを知った。

daisinsai400.png関東大震災の被災地 気象庁ホームページより 

  震災で火災のほかに起きた災害としては、まず津波があげられる。早いところでは地震発生から5分程度で襲来。相模湾沿岸や伊豆半島東岸で大きな被害が出て、死者は200人から300人にものぼるとされた。特に神奈川県小田原市根府川では河口付近で遊泳中の子ども約20人が犠牲になったという。津波で子どもが犠牲になる被害は、1983年の日本海中部地震や2011年の東日本大震災などでも起きている。これを教訓に、今、各地の学校などで子どもたちを津波から守る防災教育が進められているが、関東大震災のこの悲惨な被害も忘れてはならないと思う。
  また、土砂災害も多発。山沿いを中心に、地震発生の前日にかなりの量の雨が降ったことが原因の一つとされている。この「地震前の雨」が要因となったとされる土砂災害も、平成30年(2018年)の「北海道胆振東部地震」などで起きている。
  さらに「海上火災」も起きていた。神奈川県横須賀市では、当時、海軍の基地があり、8万トンの重油を貯蔵する重油タンクがあったが、これが破損。
流出した油が海面を覆って引火し、火の海となった。海上に流れ出した重油に火がつく大火災は、東日本大震災の際、宮城県気仙沼市などでも起きている。私自身、社会部の災害担当記者時代に、東日本大震災関連の番組用に、海上を漂う重油に火がつき燃え広がるメカニズムを取材したことがあるが、それとほぼ同じ現象が100年前に起きていたことを今回初めて知った。さらに思い起こせば、東日本大震災が起きる7年ほど前、仙台放送局の記者時代に、取材で気仙沼市を訪れた際、同行した津波防災の専門家が「もし大津波が来たら、気仙沼湾にある重油タンクが危険だ」と指摘していた。これはその後、東日本大震災で現実のものとなる(震災直後に気仙沼市の被災地を取材した際、津波に流され破損して陸に打ち上げられた巨大なタンクを見て、悔しくて仕方がなかったのを覚えている)のだが、当時はそれほどの危機感を持って原稿を書くことができなかった。このとき、この関東大震災の横須賀市の事例を知っていればもっと違った伝え方ができたのでは、と悔やまれてならない。
  東日本大震災以降、国などは、南海トラフや千島海溝・日本海溝沿いの巨大地震、そして首都直下地震などの新たな被害想定を次々に発表している。100年前に起きた現象・被害が再び起きるおそれのあることを是非知るべきだと自戒を込めて強く思う。
  関東大震災の史実から学びとる「今後起きうる災害」への警鐘をいかに対策に生かすことができるか。そして、ラジオ放送開始のきっかけとなった「迅速で正確な情報が欲しい」と願った人たちの思いを放送に携わる私たちは、しっかりと受け止め災害報道に生かさなければならない。
  関東大震災から100年を迎える今年は、防災対策と災害報道のあり方を問い直す、節目の年となりそうだ。

文研フォーラム 2023年02月16日 (木)

#455 未来を担う中高生の「いま」を探ります! コロナ禍のネット時代を生きる中高生 ~第6回中学生・高校生の生活と意識調査より~

世論調査部(社会調査)村田ひろ子

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  スマホ操作が苦手な私をよそに、中学生の娘は、学校の提出物の確認、遊びの日程調整、“盛れる”プリクラ機の情報収集など、実にスマートにSNSを使いこなしています。その一方で、「体育の授業で倒立ができない!」「流行の“シースルー前髪”が決まらない!」「TikTokのダンスが踊れなくて友だちの輪に入れない!」など、ないないづくしの自信喪失の毎日・・・。大人からみれば、「なんでそんなことを気にするの?」と疑問に感じることも、彼女にとっては一大事のようです。
  こんなイマドキの中高生の生活ぶりや価値観は、文研が昨夏実施した「中学生・高校生の生活と意識調査2022」の結果からかいま見ることができます。調査は、学校生活、SNSの利用、友だちや親との関係、心理状態、世界観などの幅広い領域について、中高生とその父母の双方の視点からみられるユニークな設計になっています。10年ぶりの調査からみえてきたのは、SNSを通じて友だち関係を拡大させ、明るい未来を思い描く一方で、自己肯定感が低かったり、「社会」よりも「自分」を優先させたりする姿です。

  文研フォーラム・プログラムA「コロナ禍のネット時代を生きる中高生」(3/1(水)10:40~)では、調査結果をふまえて、いまどきの中高生の生活や価値観、について考えます。

  パネリストは、
・公立中学校の校長として校則や定期テストの廃止といった学校改革に取り組まれた工藤勇一さん

Aguest1.png工藤勇一さん
(横浜創英中学・高等学校校長)

・文化社会学、ジェンダー論、家族社会学がご専門の水無田気流さん

Aguset2.png水無田気流さん
(國學院大学 経済学部教授)

・情報番組の司会や女性誌のモデルなど幅広く活躍中、2児のママでもあるタレントの優木まおみさんです。

Aguest3.png優木まおみさん
(タレント/モデル)

  進行は世論調査部のリードオフマン・中山準之助研究員、報告は村田ひろ子です。
  令和の時代の中高生たちが何を考え、どのような課題を抱えているのか。コロナ禍のストレスや悩み、ジェンダー意識などにも注目しながら、将来の日本社会を担う彼らの「いま」を知るための手がかりを探ります。多くの皆様のご参加をお待ちしています!

 

【申し込みはNHK放送文化研究所ホームページから】

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