文研ブログ

メディアの動き 2019年02月08日 (金)

#168 TBSラジオ、番組制作の指標にradikoの聴取データ

メディア研究部(メディア動向)越智慎司


TBSラジオは、ラジオ番組をインターネットで配信するradikoの聴取データを番組制作に活用する取り組みを始めました。

ラジオでは、番組制作や広告取引の指標として「聴取率」が利用されています。聴取率は多くの場合、調査対象者にどんな番組を聞いたかを記録してもらう方法で調べます。首都圏の民放の場合、ビデオリサーチが2か月に一度、1週間にわたって行っている聴取率調査のデータを利用しています。
TBSラジオは番組制作の指標として、こうした聴取率の代わりに、リスナーの動向をリアルタイムで把握できるradikoのデータを活用することにしました。データをグラフなどで見やすくするツールを開発し、1月末から試験運用を始めました。

今回開発されたツールは「リスナーファインダー」という名前で、radikoからTBSラジオの番組をリアルタイムで聴いている人数が画面の中で1分単位のグラフで表示されます。また、延べの視聴分数や性別・年齢層、各SNSで番組がシェアされた数なども表示され、電通が開発したデータ管理プラットフォームにあるデータと合わせると、リスナーの志向性の分析につなげることもできます。TBSラジオのスタッフルームや副調整室にはこうしたデータを表示するモニターが設置されました。TBSラジオは「リスナーファインダー」のデータは外部に公表せず、広告取引にも使わないとしています。

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TBSラジオの三村孝成社長は「radikoと聴取率調査の数字の関係性をずっと見てきたが、ほとんど等しい動きになっており、リアルタイムの数字で企画や演出を検証するほうがニーズに応えられると考えた。今のラジオにとってのテーマは、ラジオに接触していない人をリスナーにすることで、制作者がリスナー開拓のアイデアを出すことに、新しいツールを使っていきたい」と話しています。

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radikoのデータという聴取率に代わる指標を活用しようとするTBSラジオの取り組みが、今後、ラジオ業界にどのような影響を与えるのか、注目したいと思います。

文研フォーラム 2019年02月04日 (月)

#167 「NHK文研フォーラム2019」 申し込み受付を開始しました!

計画管理部(計画) 大森龍一郎

NHK放送文化研究所(文研)が年に一度、総力を結集してお届けする「NHK文研フォーラム2019」を、3月6日(水) 7日(木) 8日(金)の3日間、東京・紀尾井町の千代田放送会館にて開催します。 今年は、シンポジウムやワークショップ、研究発表など10のプログラムを集中して行います。

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今回のテーマは「いま、改めて問います。『メディアの公共的価値』」 テレビやメディアを巡る環境がめまぐるしく変貌する中、放送局を中心としたメディアに求められる公共的価値とは何か。国内や海外から各界の専門家をお招きし、文研研究員とともに考えます。具体的なプログラムはこちら

激変するメディア界の動向や地域の放送サービスのあり方に関心のある方には、欧米メディア関係者が参加する「英米メディア 新たな地域サービスをめざして」や、地域放送局関係者が参加する「これからの“放送”はどこに向かうのか?」「有料動画配信はどこまで拡大するのか」がおすすめ。
スマホファースト時代の視聴者に関心のある方には「世論調査から探る人々のニュース・情報選択」「WEB式世論調査の可能性」など。ほかにも、朝ドラ100作を目前に朝ドラの意義を検証する「検証〈100パーセント〉朝ドラ!! 視聴者と歩む過去・現在・未来」「東京パラリンピック 共生社会実現と放送の役割」「『日本人の意識』調査にみる45年の変化」「NHKドキュメンタリーから聞こえる声」と、盛りだくさんなプログラムで、みなさまのご来場をお待ちしています。

本日、2月4日(月)から文研ホームページで申し込み受付を開始しています。「このプログラムに参加したいな!」という方は、今すぐこのページを開いて「申し込み」ボタンをクリックしてください。お申し込みは先着順で、定員に達したプログラムから受付を終了しますので、ぜひ早めにお申し込み下さい!

NHK放送文化研究所の研究員一同、みなさまのお越しをお待ちしております。


会場案内:千代田放送会館(東京都千代田区紀尾井町1-1)
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  • 地下鉄赤坂見附駅(銀座線・丸ノ内線)D出口から徒歩約10分
  • 地下鉄永田町駅(半蔵門線・有楽町線・南北線)各出口から徒歩約2~8分
  • 地下鉄麹町駅(有楽町線)1番出口から徒歩6分
  • 来場者向けの駐車場はございません

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メディアの動き 2019年02月01日 (金)

#166 デジタル時代に放送はどう向き合うか ABU総会からの報告

メディア研究部(海外メディア研究) 吉村寿郎


アジア太平洋地域の放送の発展をめざし、お互いに協力し合う放送機関の連合体、それがAsia-Pacific Broadcasting Union(ABU・アジア太平洋放送連合)と呼ばれる組織です。今年で55回目を迎えるABU総会と関連会議が2018年9月30日から10月5日にかけてトルクメニスタンの首都アシガバートで行われ、約50の国と地域から500人近くが参加しました。

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放送局は今、ソーシャルメディアなどの影響力が強まるデジタル時代にいかに適応し、進化していくかが問われています。一連の会議では「デジタル時代に放送はどう向き合うか」をテーマにさまざまな意見が交わされました。「放送局がこんなことまでするの?」といった斬新な取り組みから、時代に流されずラジオ放送の原点を見つめ直すような番組の紹介まで、バラエティに富んだプレゼンや議論を1週間にわたって聞き続け、アジアの放送局の最新動向を探ってきた報告が「ABUアシガバート総会からの報告」『放送研究と調査』2019年1月号です。総会では各国の放送局でデジタル戦略を担う専門家からも直接話を聞くことができ、日本とはひと味もふた味も違う発想に刺激を受けました。これからの放送メディアのありようを考えるひとつの手がかりとして、ご一読いただければ幸いです。

ところで今回の出張では、トルクメニスタンという国のメディア事情などを肌で感じることが出来たのも貴重な経験でした。「国境なき記者団」がまとめている「世界の報道自由度ランキング」によると、トルクメニスタンは世界ワースト3にランキングされ、最下位の北朝鮮などとともに言論が厳しく統制された国として知られています。現地でまず驚いたのは、ガイドと呼ばれる政府関係者が片時も離れずついてくること。ABU総会への参加が目的とはいえ、海外の報道機関の関係者が外に出て勝手な取材をしないよう、行動を見張っているのです。会議日程の合間を縫ってトルクメニスタンの国営放送が企画してくれた小旅行では、野外ミュージアムのような場所に案内され、「庶民の暮らし」をわざわざ再現して見せてくれました。

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出張の最終日には、アシガバート市内を駆け足で見て回りました。実は見どころ満載です。世界最大の星形建造物に屋内観覧車、世界最長のじゅうたんなど、ユニークな「世界一」が並び、天然ガスの輸出に支えられた国の豊かさを象徴しています。

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ここだけはじっくり見ておきたいと思っていたのは、イスラム芸術の粋を集めた荘厳な装飾で知られるキプチャク・モスクです。

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扉の隙間から漏れる光を眺めていると、もう少し、この未知の国の扉を押し開けてみたいという欲求に駆られてしまうのでした。今回のABU総会の取材をきっかけに、今後、国ごとに異なる事情を踏まえながらアジアの放送局の現地調査などを行っていきたいと考えています。

放送ヒストリー 2019年01月25日 (金)

#165 組織ジャーナリズムで働くということ

メディア研究部メディア史研究) 大森淳郎


朝日新聞が2008年に出した『新聞と戦争』という本(1年間にわたる同タイトルの新聞連載をまとめたもの)があります。「時代の軋みと記者たちの身悶え」(「はじめに」より)に光をあてた力作ですが、取材班は満州事変後の日本軍の中国侵攻を追認した事実を踏まえてこう書いています。「ペンを取るか生活を取るかは、ジャーナリズムとしての覚悟の問題に帰する」。あんな新聞を出すぐらいなら、なぜ先輩たちは会社を去るという選択をしなかったのかと言っているわけです。

これに対して、作家・井上ひさしは連載を高く評価したうえで、「だが私は、個々の記者は「生活」を取らざるを得ないと思う」と書いています。軍部が社会の実権を握ってからでは、個々の記者の抵抗も、いわんや新聞社としての抵抗も事実上不可能だったのであり、そういう中で「生活」を取った記者たちを、現在の視点から簡単に批判は出来ないだろうと井上は言っています。

 さてシリーズ 戦争とラジオ〈第4回〉では、戦時中の講演放送、学校放送を牽引した2人の人物に焦点をあてました。2人は、日本放送協会に入局する前は、片や詩人として日本の帝国主義を批判し、片や教育学者として国際平和を訴えていました。しかし、入局後は、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続く戦争の時代、放送によって国民を戦争に動員することこそを自らの使命として語るようになってゆきます。でもそれは、丁寧に見てゆけば、やはり「身悶え」しながらのことだった。彼らにも「生活」があった。組織人として生きてゆくために彼らは、妥協し、信念を曲げ、「身悶え」しながら、流されてゆきました。そういう彼らを批判することは容易です。でも歴史から学ぶために本当に必要なことは、彼らの苦悩や葛藤を知ることのはずです。そして自分だったらどうしていたのか考えてみることだと思います。

 まるごと国家権力に取り込まれてしまった組織ジャーナリズムに身を置きながら、個々の記者が抵抗することなど不可能だった、そう言う井上ひさしは、「そうなってしまう以前、まだ批判を書けた時代にもっと頑張れなかったか、がポイントだろう」と記しています。私たちは今、どこにいるのでしょうか。戦争直前などと言うつもりは毛頭ありませんが、でも、沖縄、原発、そして憲法、大きな課題に直面していることは間違いありません。そして私のような放送現場の第一線から退いた人間の耳にも、そういう課題に取り組もうとしている後輩たちが組織とぶつかり葛藤する声が聞こえてこないわけではありません。組織ジャーナリズム(もちろんそれはなくてはならないものです)で働くとはどういうことなのか、時代を超えた問いです。

放送博物館 2019年01月21日 (月)

#164 愛宕山にちなんだ企画展を開催中! 講談イベント(1/29)も開催します!

メディア研究部(メディア史研究) 東山一郎
放送博物館 堀田伸一

NHK放送博物館の建つ、東京港区の愛宕山。その標高は25.7mで、東京23区内の自然の山としては最高峰です。今でこそ高層ビルに囲まれ、山の上から周囲の眺望を望むことは難しいですが、江戸時代にさかのぼると、愛宕山は江戸の大部分を見渡せる眺望の地として知られ、遠く房総方面まで望むことができたといいます。1925年にはNHKの前身である東京放送局が建設され、俳優や音楽家をはじめ、政治家、作家、力士など、さまざまな人々が放送出演のために愛宕山を訪れました。高くそびえるアンテナの鉄塔は、新たな時代を象徴するランドマークともなりました。

放送博物館では、その愛宕山にちなんだ企画展「江戸の名所愛宕山と山の放送局JOAK」を2月11日まで開催しています。江戸時代から今日に至るまでの愛宕山の移り変わりを、浮世絵や写真、映像などで振り返っています。

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浮世絵には、山上から海を望む様子、神社を訪れる町人の装いなどが描かれ、写真がない時代の愛宕山の様子をうかがい知ることができます。また、およそ90年前に放送局を訪れた数々の著名人の写真や彼らが残した書や絵からは、「山の放送局」と呼ばれた東京放送局での日々の営みを思い浮かべることができると思います。

浮世絵や写真だけでなく、愛宕山は講談や浪曲といった話芸のなかでも取り上げられ、語り継がれてきました。今回の展示では、宝井馬琴(五代目)による講談「愛宕の春駒」、玉川福太郎(二代目)による浪曲「寛永三馬術 愛宕山馬術のほまれ」の上映も行っています。この講談、浪曲はともにいわゆる「出世の階段」をテーマにしたもので、丸亀藩の曲垣平九郎が見事、馬で石段を登り降りした日とされる「ときは寛永11年正月の28日・・・」というくだりで始まっています。

その「正月の28日」の翌日ではありますが、1月29日(火)には、放送博物館に講談師の宝井琴梅さんをお招きし、師匠・宝井馬琴(五代目)の映像から、その思い出を語るとともに、新作「大正の愛宕山石段登り」(佐々木羅々梅作)を披露していただく予定です。

このイベントの観覧は無料ですが、事前のお申し込み(先着順)が必要です。詳細はNHK放送博物館ホームページをご覧ください。


NHK放送博物館

休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1  
TEL  : 03-5400-6900

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(ホームページはこちら)  

 

メディアの動き 2019年01月18日 (金)

#163 「著作権70年時代」にできること、すべきこと

メディア研究部(メディア動向) 大髙 崇


昨年12月30日、TPP協定が発効したことで、日本国内での著作権は「著作者の死後70年」まで保護されることになりました。従来は死後50年までだったので一気に20年延長です。この問題については、放送アーカイブ活用の側面から考えた論文を『放送研究と調査』の2018年8月号9月号に掲載しましたので、お読みいただけるとうれしいです。

三島由紀夫(1970年没)をはじめとした有名作家の作品はもちろん、無名の、例えば私が絵を描いたり曲を作ったりしたものでも、死後70年を経過しないと他の人が無断で使用することはできなくなりました。作者が誰かわからない、とか、連絡先がわからない、といった理由で作品が「お蔵入り」のままになってしまう、「権利者不明問題」は、この先さらに深刻になるでしょう。NHKでいえば、過去に放送し保存している番組(放送アーカイブ)は約100万本に達しますが、番組内で使用した著作物の権利者の連絡先がわからないなどの理由で、再利用できないものが大量にある状況です。

この著作権保護期間延長を受けて、1月10日に急きょ都内で開催されたシンポジウム「著作権延長後の世界で、我われは何をすべきか」を取材してきました。

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(写真・シンポジウム会場)
満席! 関心の高さがうかがえます。

著作権法の研究者や弁護士、漫画家や写真家が所属する団体の方々に加え、著作権の消滅した文芸作品をインターネット上で公開している青空文庫のメンバーなど、多数の関係者が登壇。「これから何ができるか、何をすべきか」について、多くの斬新な提案と熱い議論がなされました。このうち、私が注目した発言をご紹介します。

東洋大学の生貝直人准教授が着目したのはアメリカの著作権法。絶版などの理由で入手できない作品について、保護期間の最後の20年間は、図書館などがデジタル化して利用してもよい、という条項があります。日本の著作権法でも同様の法改正を行い、絶版のものなどは、非営利のアーカイブ機関であればインターネット公開ができるような環境づくりをすすめてはどうかと提案しました。

また、日本漫画家協会理事の赤松健さんは、国会図書館がスキャンデータとして保有する1968年以前(50年以上前)の作品を、利用者には無料配信し、広告収益を作家や出版社へ還元するビジネスモデルを唱えました。

こうした、法制度改革や新しいビジネスモデルのアイデアが続々と登場し、放送アーカイブの利活用にあてはめて応用できそうなものも多く、とても建設的なシンポジウムとなりました。

もともとは「プロの作家」の権利だけを念頭に作られた著作権法。しかし今は、インターネットを通じて誰もが「著作者」になれます。「著作権70年時代」を迎えて、創る人も、使う人も納得できるようなルールを作るために、発想を新しくする必要がいよいよ高まっています。


おススメの1本 2019年01月11日 (金)

#162 今年は教育テレビ(Eテレ)60年

メディア研究部(番組研究) 宇治橋祐之


昨日、1月10日、NHK教育テレビ(Eテレ)放送開始60年、人間でいえば還暦にあたる、一つの節目を迎えました。

現在はEテレという愛称が定着し、子ども番組から、学校放送番組、語学番組や趣味実用番組、福祉番組や教養番組と多種多様な番組を放送していますが、開局当初は文字どおり「教育」のためのチャンネルとして開局しました。

1953年にテレビ放送が始まると、高度経済成長にあわせて、多くの人がテレビを購入するようになり、日本テレビ(1953年)、TBS(1955年)と開局が続きます。その一方で、評論家の大宅壮一による「一億総白痴化」という言葉に代表されるように、テレビに対する批判も生まれてきました。

そこで教育専門チャンネルを作ろうという機運が高まり、1959年にNHK教育テレビ、民放では同じ1959年に日本教育テレビ(現 テレビ朝日)、1964年に日本科学技術振興財団テレビ(現 テレビ東京)と、教育専門局が3つ誕生します。

しかし、民放の教育専門チャンネルは財政の事情などから総合番組局に移行、現在はNHK教育テレビだけになりました。

教育テレビ60年の特に最初の20年は、学校放送番組が中心でした。写真は1950年代の小学校の様子ですが、朝9時から午後3時過ぎまで、理科や社会などの番組が放送されます。

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この頃、「おかあさんといっしょ」をはじめとする子ども向けの番組は、すべて総合テレビで放送されていました。まさに「教育」のためのチャンネルだったのです。

その後の教育テレビは、時代の要請にも応えながら、他のテレビ局とは一味違う、番組編成を続けます。子どもから高齢者まで、それぞれの世代にターゲットを合わせた番組が増え、インターネット展開も積極的に進めています。現在は「みつかるEテレ」として、“こどもからおとなまで。いくつになっても、みつかる。「使える!」から「おもしろい!」まで。どんな「!」も、みつかる。”をキャッチフレーズにしています。

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教育テレビからEテレにいたる60年にどんな歴史があったのか? NHKが毎年策定・公表している「国内放送番組編集の基本計画」という少し硬い文章と、今年もEテレ60として放送される周年記念番組の出演者や内容から、読み解きました。

「教育テレビ60年 生涯学習波への広がりとインターネット展開」『放送研究と調査』2019年1月号


おススメの1本 2018年12月28日 (金)

#161 新しい時代の"学び"とは・・・

メディア研究部(メディア動向) 谷 卓生

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ことしの秋から初冬にかけて、私は、
「教育×テクノロジー」系のイベントやシンポジウムなど1)をいくつか取材した(上の写真はそれらの様子)。そこには、学校関係者や行政、産業界の人などさまざまなひとたちが参加していたが、話されていたことを煎じ詰めれば、次の一言につきると感じる。

 「教育」(Education)から「学び」(Learning)へ

振り返れば、こうした指摘は、ずいぶん前からされてはいた。しかし、「21世紀型スキル」(コミュニケーション能力や課題発見力、創造力など)や「生涯にわたって学び続ける力」を身につける必要があると言われている中で、既存の学校制度や教育制度が、そこに十分に対応できていないことが誰の目にも明らかになり、一方、インターネットやAIなどのテクノロジーの進歩が、そうした能力を身につける“新たな学び”を可能にする上で大いに役立っているということで、具体的な事例をもって、「教育から学びへ」ということが語られるようになっているのだと思う。すでに、学校に行かなくても、教師がいなくても、自由に、主体的に学べる環境はできつつある。ある通信高校の関係者に話を聞いたところ、勉強は嫌いじゃないけど、「学校」という束縛が嫌で、ネットで授業を受けたり、部活や趣味、仕事をできたりするということで通信制を選ぶ生徒も普通にいるという。「選択肢」は増えたほうが、きっといいに違いない。

現在の学校制度の行き詰まりを強く感じたケースは他にもあった。
去年に続いて今年の夏も、NHKでは、新学期を前に憂うつな気持ちや不安を抱える10代の若者たちの声に耳を傾けるキャンペーン「#8月31日の夜に」を行った。2)
私は、2年目を迎えたキャンペーンを検証するため、8月31日の放送を見たり、ネットへの投稿を読んだりしたが、出演者の発言や書き込みの多くに、「嫌なら、学校になんか行かなくていい」「ずっと学校に通うわけではない。いつか卒業する日が来るからがんばって・・・」等々とあった。膨大な数の“学校へのダメ出し”が行われている、というのが率直な感想だった。

じゃあ、どうすればいいのか。学ぶ者の自主性を生かし、能力に応じて、学年や教科の壁などを越えた学びが実現すれば、子どもや生徒の目はもっと輝くのではないか。上記のイベントなどでもそうしたことが指摘されていた。「その一助になりたい」「学びの好奇心に火をつけたい」ということで、当研究所でも「VRやARを使った学びのコンテンツ」3)の開発をめざして、NHK放送技術研究所や外部のクリエイター・研究者といっしょに調査を進めている。VRなどのテクノロジーは、インタラクティブで、自主的に学べるコンテンツ作りに有用で、これまでのように「情報」を伝えるだけでなく、「体験」をも伝えることが可能になると期待されている。「体験を通じた、豊かな学び」の時代が来るのは、そう遠いことではないのだと思う。 

平成最後のお正月”に、新しい時代の学びについて、妄想をたくましくしたい!


1)
Edvation×Summit 2018 (https://www.edvationxsummit.jp/)
  SFC OPEN RESEARCH FORUM 2018(https://orf.sfc.keio.ac.jp/2018/)
  他にも、「超教育展」(http://lot.or.jp/wp/project/545/)や「eラーニングアワード2018フォーラム」(http://www.elearningawards.jp/)などが行われた。

2)キャンペーン「#8月31日の夜に」については、『放送研究と調査』(2018年12月号)「2年目の「#8月31日の夜に。」~“公共メディアによるキャンペーン”の可能性~」をご覧ください。


3)VR=Virtual Reality :仮想現実
  AR=Argumented Reality:拡張現実

放送ヒストリー 2018年12月21日 (金)

#160 「ゼロからの出発」 ~戦後沖縄放送史を生きる~ 

メディア研究部(メディア史研究) 吉田 功                      

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「…珊瑚礁の島、沖縄島 ―1945年3月から6月まで約4ヶ月の間、この島の上皮に吹きまくって鉄の暴風はいかに激しく、いかに荒々しく、50万人住民を飢餓と、恐怖と、死の地獄に叩き込んだことであろう…」

戦後はじまったばかりのラジオ放送で、沖縄戦の様子を克明に記した戦記「鉄の暴風」を朗読した、戦後沖縄初のアナウンサー、川平朝清さん。当時24歳だったこの青年は、その後も一貫して沖縄全土に放送を広げることに奔走しました。現在91歳になられた川平さんの証言を軸に、沖縄の放送の歴史を辿りました。『放送文化と調査』12月号をごらんください。

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戦後史、と一口に言っても、沖縄と日本本土ではまったく違います。日本本土とは異なり、米軍統治下の沖縄には、住民の人権も、法で保障された自由もありませんでした。本土と切り離され、米軍の「軍事要塞」と位置づけられたのです。
放送の形態もまったく異なります。この変遷はかなり複雑です。あまり知られていない事実もあります。
そこで3日間、のべ10時間以上にわたり、広谷鏡子研究員とともに川平朝清さんにお話を伺いました。これと合わせて、できる限り関連資料を集め、戦後沖縄放送史の歩みをときほぐしてみました。

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証言のなかで、私がもっとも印象的だったものの一つは、1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領から脱した日の川平さんの記憶です。
研修のため沖縄を離れ、東京に滞在していた川平さんは「強いショックを受けた」といいます。


「(東京の)新聞を見たら、『日本はいかに幸いなところであるか。ドイツのように東西に分断されず、朝鮮のように南北に分断されず』と言ってるわけですよ。奄美大島や沖縄のことは、全く触れてない。『ドイツのようにならなかった。』…とんでもない。」

日本だって、奄美、沖縄は切り離されてしまったではないか。日本本土の人は、苦しみ続けている沖縄のことなど忘れてしまったのか…。50年以上たった今でも、川平さんはその日のショックと憤りを鮮明に覚えていました。

川平さんの証言は「昔のこと」なのでしょうか。私たちにはそう思えませんでした。それはまさに今、2018年12月に直結している。
はたして、私はいま何ができるのだろう。川平さんのインタビューを終え、本稿を自分で読み返してみて、自分を問い直しています。


ことばのはなし 2018年12月14日 (金)

#159 「完成しだい・完成ししだい」のお話

メディア研究部(放送用語・表現) 塩田雄大


ドタキャンとか、やめてよね。「駅に到着しだい、連絡する」ってLINEしてきたあいつに「それを言うなら“到着ししだい”でしょ(笑)」って返したら、それっきり返信のなかった、土曜の夜。

きのう食べ残したピザを食べて、狭い部屋の掃除をして、1週間分のたまった洗濯をして、冷蔵庫の缶ビールを補充して、やることのなくなった晴れた日曜。テレビのアナウンサーの声。

次です。
「【完成しだい】と言う」という人が、「【完成ししだい】と言う」という人よりも圧倒的に多いことが、NHK放送文化研究所でおこなった全国調査の結果でわかりました。

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この調査は、現代日本語の状況を知るために定期的におこなわれており、ことし3月に、全国の20歳以上の男女4,000人に依頼して、1,200人から回答を得たものです。
調査では、「【完成しだい】、ご連絡します」「【完成ししだい】、ご連絡します」という2つの文を回答者に見せたうえで、どちらの言い方をするかについて尋ねています。その結果、「【完成しだい】と言う(【完成ししだい】とは言わない)」と答えた人がもっとも多く、全体の71%となりました。
一方、現代の国語辞典のなかには、【完成ししだい】などが本来の形で、「し」を抜いた【完成しだい】などは「俗な言い方だ」と説明しているものもあり、関係者に大きな波紋を呼んでいます。
調査を担当した研究員は、「たいへん驚いている。今後の対応も含め、慎重に判断したい」と話しています。


なんだ、じゃ「到着しだい」って言うあいつのほうが普通なのか。辞書の読みすぎだったんだ、わたし。少しひかえなくちゃ。てへっ。謝んないと。
「きのうはごめん、ひとのことばづかいを笑っちゃいけないって、大切なこと、忘れてた。許してくれる? あとさ、駅前のドラッグストアでトイレットペーパーが特売みたいだから、ダブルのやつ、こっち来るときに買ってきて。それと、本屋さんで『放送研究と調査』っていう雑誌の12月号もね☆」


「"すべき"の問題をどうするべきか ~2018年「日本語のゆれに関する調査」から~」『放送研究と調査』2018年12月号