文研ブログ

おススメの1本 2023年05月01日 (月)

英ハリー王子VSメディア【研究員の視点】#476

メディア研究部(海外メディア研究)税所玲子

2022月9月に即位したイギリスのチャールズ国王の戴冠式が5月6日に行われます 。
イギリス王室の歴史と伝統を象徴する儀式のみどころなどについて、地元のメディアが連日、報じていますが、中でも注目を浴びたのは、王室を離脱しアメリカに渡った国王の次男、ハリー王子が出席するかどうかでした。

newspaper_1_W_edited.jpg ハリー王子の戴冠式出席を伝える新聞

結局、ハリー王子は夫人をアメリカに残し、戴冠式に1人で出席することになりましたが、黒人の母親を持つメーガン夫人が差別的な扱いを受けたなどと批判を繰り返してきた夫妻と、王室の冷え切った関係を象徴する一幕となりました。

spare_2_W_edited.jpg ハリー王子が出版した『スペア』

王子と家族の関係を決定的に壊したのは、2023年1月 にハリー王子が出した自伝『スペア(Spare)』1) です。発売されるやいなやミリオンセラーになったこの本で、ハリー王子は、メーガン妃をめぐって言い争いになった兄のウィリアム王子から暴力を振るわれたとか、父の再婚相手のカミラ王妃が自らのイメージアップをはかるためにハリー王子の情報をメディアに流したなど“王室の内幕”を赤裸々に語ります2) 。19世紀のイギリスのジャーナリスト、ウォルター・バジョットは「魔法に日の光をあててはいけない」と、王室は謎めいた部分を守ってこそ人々を魅了できると語りましたが、ハリー王子の“告白”は、その秘密のベールをはいでみせたかのような衝撃を与えました。

イギリスのメディアは、『スペア』の内容を“二人の王子の骨肉の争い”と描きますが、実はもう一つのテーマが貫かれています。それは、メディアに対するハリー王子の「戦い」です。

『スペア』の第1章の回想は、母親のダイアナ元皇太子妃をパリの交通事故で失った夏から始まります。当時、ハリー王子はまだ12歳。それでも王室の一員として感情を押し殺し、母の死に向きあわざるを得なかったことへの悲しみとともに、その様子を追いかけたメディアへの怒りが、本にはあふれでているのです。

例えば、避暑先のスコットランドで悲報に接したあと、初めての週末に教会に出かけた時のこと。城の門の前で、シャッターの音を絶え間なく浴び、思わず父の手を握った瞬間、カメラの音は 「爆発」。「感情、ドラマ、痛み」というメディアが望む格好の材料を与えてしまった幼い王子を、メディアはひたすら「撃って、撃って、撃ち続けた」と表現しています3)

ハリー王子は、母の交通事故死の主な原因は、運転手の飲酒だとした調査結果を受け入れず、彼女を追跡し続けたパパラッチにも責任の一端があると主張します。『スペア』には、母の死後も、言動を改めず、ハリー王子や交際相手の女性たちを追い続けたメディアへの批判があらゆる場面で展開されています。そして、ハリー王子は、王室からの離脱は、「母と同じ悲劇が妻の身に起きることを危惧した」ためだとし、本の刊行を前に英商業放送ITVのインタビューで、「自らのライフワークは、メディアのあり方を変革することだ」と宣言しました 4)

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harry_4_W_edited.jpgハリー王子の裁判所への出廷を伝えるニュース(BBCのホームページより)

そして、2022年の10月。
ハリー王子は、タブロイド紙を相手どって複数の訴訟を起こします。相手は、Daily Mail とMail on Sundayを発行するAssociated Newspaper(AN社)と”メディア王”と呼ばれるルパート・マードック氏が所有し、Sunを発行するNews Group Newspaper(NGN)です。3月に行われたAN社に対する審理について伝えた現地のメディアによると、弁護人は同社が、1993年から2011年にかけて、携帯電話の留守番メッセージにアクセスしたり、有線の電話を盗聴するなどして、王子をはじめ歌手などの有名人についての情報を得ていたと主張しています5)

イギリスでは、2011年、マードック氏が所有していたタブロイド紙News of  the World(NoW)6) が私立探偵を雇うなどして、政治家や俳優、王室ばかりか、犯罪被害者の携帯などを盗聴していた事件が発覚しました。これを受けて、元判事リバソン氏によるメディアの不正行為を調査する委員会が設けられましたが、当初は2回にわたってまとめられる予定だった調査は1回で終わり、メディア改革は道半ばと受け止められています。

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News of  the World紙の廃刊を伝える記事 (タイムズ紙のホームページより)

訴えについてAN社は、王子の主張は「ばかげた誹謗中傷だ」と否定し、NGNもSunの関わりはないとしています。また、両社とも訴えは法廷に持ち込むには古すぎるとしています。

 

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チャールズ国王とハリー王子(BBCホームページより)

では、ハリー王子が目指すという「メディアの改革」のゆくえはどうなるのでしょうか。

メディアのあり方を大きく変えるには訴訟だけでなく、世論の後押しが必要です。
たしかにNoW社の盗聴事件が発覚した2011年に比べると、プライバシーの保護を求める声は高まっており、例えば、2023年1月、40代の女性が行方不明になり、6週間後に遺体が見つかった事件の際には、女性のメンタルヘルスの情報などを詳しく報道したメディアに、批判の声があがりました。メディアに向けられる市民の視線は厳しくなっています。

一方で、父であるチャールズ国王や妻のカミラ王妃、兄のウィリアム王子のプライバシーを、いわば売り物にしているハリー王子に、プライバシーを語る資格はないという冷ややかな声も少なからず聞かれます。結婚前には80%を超えていたハリー王子への支持も、『スペア』発売後 は24%に落ち込み、本の出版も「金目当てだ」と考える人が41%となっています7)

ハリー王子が、タブロイドの不正な情報の入手について訴えた裁判の審理は、夏にかけて続く見通しです。戴冠式を終えたチャールズ国王にとっては、家族の絆の修復とともに、頭の痛い問題となりそうです。


1)「スペアパーツ」などで使われる「予備」を意味し、ハリー王子は王室内で“Heir and Spare” (跡継ぎとその予備)という呼ばれ方をしたとしている。

2)『スペア』はNew York Times、Los Angeles Times などで記者経験がある作家のモーリンガー氏がゴーストライターを務めたと言われている。ビューリッツアー賞受賞した作家らしく、短く切れのある文章で王子の目から見た半生を綴っているが、王子の「主観」に偏り、その他の関係者への確認に欠け、事実関係の間違いがあるという指摘も出ている。

3)Prince Harry, “Spare”(2023) p20

4)ITV interview, 2023年1月8日
https://www.itv.com/news/2023-01-08/harrys-first-interview-about-controversial-memoir-airs-on-itv

5)“Prince Harry in court for privacy case against Associated Newspapers” Times of London, March 28 2023

6)News of the Worldは盗聴事件後、廃刊に追い込まれている。

7)2023年1月12日 YouGov調査
https://yougov.co.uk/topics/politics/articles-reports/2023/01/12/prince-harrys-popularity-falls-further-spare-hits-

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【税所 玲子】
1994年入局、新潟局、国際部、ロンドン支局、国際放送局などを経て2020年7月から放送文化研究所。

ヨーロッパを中心にメディアやジャーナリズムの調査に従事。

おススメの1本 2023年04月28日 (金)

アナウンサーが探るジェンダーギャップ解消のヒント【研究員の視点】#475

メディア研究部 (メディア動向) 熊谷百合子

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 新年度が始まり、街なかでは新しいリクルートスーツに身を包んだ新社会人の姿を見かける機会も増えました。NHKでは新人研修を受けてから地方局などへ赴任することになります。私が新人ディレクターとして初任地の福岡放送局に赴任したのは17年前の春ですが、新米の私をゼロから育ててくれた先輩たちには今も頭が上がりません。先輩たちがしてくれたことと同じように私自身は若い世代に貢献できているのか。そして先輩たちに恩返しできているのか。自問自答するとかなりあやしいのですが、研究員の立場から放送文化の向上に貢献していきたいという思いを強くし、新たな春を迎えています。
 今回のブログでは、放送現場の中から考えるジェンダーギャップについて取り上げます。ジェンダーギャップとは男女の違いで生じる、社会的・文化的な格差のことです。Z世代を中心に関心が高まっているものの、シニア世代にはまだ浸透していない“新しい社会問題”と捉えることもできるかもしれません。2006年入局の私自身も正直なところジェンダーへの問題意識が高い方ではありませんでした。しかし2020年に出産を経て仕事に戻ってからは職場や社会に根強く残るジェンダー規範に違和感を覚えることが多くなり、ジェンダーギャップについて自然と関心が向くようになりました。文研の研究員となり1年がたちましたが、現在はメディア内のジェンダー問題やダイバーシティをテーマに調査研究をしています。

online_1_W_edited.jpgオンライン勉強会のようす

 その中で関心をもったのが、2月27日、東京・渋谷のNHK放送センターでアナウンス室が開催した勉強会です。「コメント コンテンツ 職場が変わる!ジェンダーギャップ解消のヒント」と題して開かれたこの勉強会は、日常業務で感じた問題意識を共有してジェンダーについて考えようと、若手・中堅アナウンサーが主催しました。NHKの全国のアナウンサーが対象ですが、ディレクターや記者など、他の職種も含めて約40名が参加しました。なぜアナウンサーがこうした勉強会を開いたのでしょうか?

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 「放送局の顔」としてのアナウンサーの仕事は一見華やかですが、画面に映らないところでは華やかさとはかけ離れた業務があふれています。たとえばニュース報道では、正確でわかりやすく伝えるために放送直前まで原稿の下読みが欠かせません。わかりづらい表現や時制の誤りがあれば直ちに制作者に確認し、正確な情報を求めます。また番組のキャスターや司会として、試写や打ち合わせで制作者と議論を重ねることも放送局では日常的な風景です。私はディレクターの立場で報道番組やニュースの制作に関わってきましたが、自分が担当したリポートやニュース原稿の事実関係や表現の誤りを、原稿を読むアナウンサーの指摘を受けて修正することが幾度もありました。試写では初見のキャスターに客観的な指摘をもらい軌道修正することなど日常茶飯事。振り返ってみるとアナウンサーの先輩がたに数えきれないほど支えてもらっていたことに気づかされます。
 ニュースやナレーションの読み手として、はたまたキャスターや司会として広く社会に発信する立場から放送コンテンツの“最終チェッカー”としての役割も求められるアナウンサー。価値観が多様化し、多様なニーズに応える番組が放送されるなか、最終表現者であるアナウンサーのジェンダー意識が放送での言動に出てしまうことで、視聴者を傷つけたり、無意識の偏見を社会に拡散してしまったりすることも懸念されます。アナウンサー自身が無自覚な偏見に気づき、放送でのふるまいを見直していくためには、日常のふるまいの延長線上に放送があると意識して、ふだんのコミュニケーションから見つめ直す必要があるのではないか。今回の勉強会ではこうした問題意識から、職場で実際に聞かれた気になる発言や、“らしさ”の押しつけ、思い込みについてスライドを用いながら意見が交わされました。
 たとえば“女性らしさ”を求められることについて、ジェンダーのイメージを押しつけるアドバイスに違和感を覚えるという声や、スタジオ番組の演出に対して「画面上、男性だけだと華がないから女性も・・・」といった発言もみられ、男女どちらにも失礼だという意見が紹介されました。また見た目や容姿で判断する「ルッキズム」についても、見た目について“助言”を受けることや、容姿の変化についての職場内でのネガティブなつぶやきにモヤモヤするという具体例が共有されました。こうしたルッキズムに基づく発言をする人に対しては「ふだんの相談もしづらくなる」、「結果的に業務にも悪影響になるし、そもそも容姿について言うのがよろしくない」といった意見が交わされました。

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 この勉強会はNHKの局内向けに開かれたものですが、ゲストにはこの春まで毎日新聞の労働組合の委員長を務めた川崎桂吾記者が招かれていました。川崎記者は東京オリンピック・パラリンピックの取材班キャップとして、当時の組織委員会の会長だった森喜朗氏の女性蔑視ととれるいわゆる“森発言”の取材をきっかけにジェンダーに関心をもつようになりました。森氏と同じ石川県出身、母校も同じだという川崎記者は入社以来、社会部の第一線で取材にあたってきました。“森発言”の取材に関わるまではジェンダーはさほど関心のあるテーマではなかったと言います。

(川崎記者)
「ジェンダーに背を向けていた方の人間、もしかしたら(ジェンダーをテーマにした取材の提案を女性記者から受けるときに)過剰な説明を求める側の人間だったかもしれないと正直思います。社会部の警視庁クラブというところに長くいて、男社会でずっと生きてきたものだから、全く興味がなかったというのが正直なところです。森発言をきっかけに(森発言の反対デモに参加する女性たちに)取材をして、そこでちょっと顧みたことがありました。話を聞いているうちに、僕はわきまえることを求めていた側の人間だったのかなぁとその取材を通じて思いまして、日々、マイクロアグレッション(先入観や無意識の偏見から相手を傷つけること)というか、“らしさ”を押しつけることや、もしかするとルッキズムみたいなことも言っていたし、日々、いろんなことを言ってきた側の人間が自分だったのだと気づいたんです」

 その後、組合の委員長として出向することになった川崎記者は、身近なところから見直そうと社内のジェンダーギャップに目を向けるようになりました。男性記者に対しては“男らしさ”の押しつけで長時間労働を強いられる一方で、子育て中の女性記者が現場を外されてマミートラックと呼ばれる閉ざされたキャリアコースに本人が移行させられるケースがあり、“らしさ”の押しつけによるマイナス面が目立ってきていると感じた川崎記者。まず行ったのが2022年2月に実施したジェンダーギャップに関する社内の意識調査でした。このアンケートの結果は翌月、3月8日の国際女性デーに合わせて開催したオンラインの公開シンポジウム(毎日新聞労働組合主催)でも紹介され、ジェンダー問題に詳しいジャーナリストの治部れんげさんやコラムニストの武田砂鉄さんをパネリストに招き、社員の意見を交えながら多角的な議論が繰り広げられました。私はこの公開シンポジウムをオンラインで視聴していましたが、ジェンダーギャップについてオープンな場で議論ができる毎日新聞の取り組みに大きな刺激を受けるとともに、社内の意識を、データをもとに可視化することの意味について考えさせられました。
 勉強会ではこの労組によるアンケートの一部も紹介されました。アンケートは組合員約1400人を対象とし、男性299人、女性181人、性別について無回答とした18人の合計498人から回答を得たものです。

annke-to_3.jpg毎日新聞労働組合によるアンケート①

 「あなたは毎日新聞で働いていてジェンダー間の公平性が保たれていると思いますか?」という問いに対し、「それほど思わない」+「全く思わない」と回答した人は、男性は46.2%に対し、女性は63%という回答結果でした。

(川崎記者)
「実際に社内にジェンダーギャップが存在していて、それを可視化したいと思ってこのアンケートをやりました。やっぱり男性のほうが、うちの会社は平等だと思う声があって、でも女性には全然違う風景が広がっているということが可視化されたのかなと思います。男性からは見えていないいろんな問題だとか、日々の小さな違和感やモヤモヤが女性には積み重なっているというのが言えるのかなと、この数字から思いました」

annke-to_4.jpg毎日新聞労働組合によるアンケート②

 また、「社内のジェンダーギャップは人生にどう影響?」という問いに対しては、男性は「影響はない」と回答した人が60.5%と最も多くなった一方で、女性は「将来を見通せず不安感や焦燥感がある」の回答者が53.6%となり対照的な結果となっています。また「会社を辞めたいと感じる」と回答したのは男性で10%、女性は28・7%にのぼりました。

(川崎記者)
「ジェンダーギャップは人生に影響があるかどうかというところで顕著な差が出ました。ひと言で言えば、毎日新聞社という会社が、男性でしかも専業主婦がいる家庭というものを前提にしたかたちでいろんな仕組みが設計されている結果なのかなと思います。男性は何もしなくても生きやすいということ。逆に女性は非常に生きづらさを抱えているというのがこのアンケートから読み取れます。会社を辞めたいと感じる項目で、約3割の女性がそう感じているというのはすごくショックでした。30代に限って数字をとると、これが4割に跳ね上がります。結婚して、子どもが生まれてという年代が多い30代は会社で生きづらさを感じているということがわかったと思います」

 これらのアンケート結果をもとに、毎日新聞の労働組合は経営層に女性が働きやすくするためのロードマップの策定などを働きかけてきました。ジェンダーに関する問題を社内の優先課題として浮かび上がらせることができたと、川崎記者は手応えを感じています。こうしたデータをとることが職場の意識変化につながる可能性があることに、勉強会に参加したNHKの職員も高い関心を示していました。

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 今回の勉強会では興味深い場面がありました。それは男性としてジェンダーについて語ることに、大きな葛藤があるという胸の内が垣間見えた対話です。Eテレの福祉番組「ハートネットTV」のキャスターをこの春まで務めてきた中野淳アナウンサーと川崎記者のやりとりを一部ご紹介します。

(川崎記者)
「(ジェンダーをテーマに社内でアクションを起こすことに)葛藤みたいなものはありました。ひと言で言うと恥ずかしかったですね。ジェンダーということを言葉にしたり、問題視したり、それをアクションに起こすというのは恥ずかしかったです。」

(中野アナウンサー)
「僕もです。男子高出身だし体育会にいましたし、ホモソーシャルなところにいて、会社に入っても競争意識を刷り込まれていて。家事分担で僕がやらないことにパートナーがショックを受けて口論を繰り返してきて、あとは取材先に、『こういうときに男性が声をあげてくれないと困るんです、女性が言っても聞き入れてもらえないんです』と直接言われて。言われたときはつらかったですが、そういう経験を経て今に至ります。でも優等生ぶっている自分がいるのかな、みたいな居心地の悪さもあって」

(川崎記者)
「わかります!なんか人気とりたいだけだろうとか、やっかみが聞こえてくるんですよね。あとは、それを言ってくるのはおじさん世代なんですけど、おじさんたちは多分、僕のやっていることが、自分たちが履いているガラスの下駄みたいなものを脱がすことだという危機感があるから、それもあってやゆしたり攻撃したりしてくるんですけど、そういうのはちょっと葛藤としてありましたね」

 男性としてジェンダーを語ることにはためらいがあることに互いに共感しながら語り合っていたこの対話は、私がこの勉強会で最も印象に残る場面となりました。私自身もジェンダーに関心を寄せる1人として、職場の中ではジェンダーについて語る男性が圧倒的に少数派であることがずっと引っかかっていました。たとえば育児と仕事の両立ひとつをとっても、翻弄されるのは女性だけではないはずです。しかし共働きで育児中の男性がその大変さを表立って話すことは日常の光景とはなっていません。それは毎日新聞のアンケートの結果が示すように、単に男性がジェンダーギャップの影響を受けていないと感じるケースが多いからなのかもしれません。しかし両立の悩みや長時間労働を強いられることへの違和感をもつ男性が、職場のジェンダー規範やアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)にさらされて声を出せずにいるのだとしたら、本人たちにとっても苦しいことではないでしょうか。川崎記者と中野アナウンサーの対話からは、男性としてジェンダーを語ることが、同じ男性、特に年配の男性から後ろ指を指されることにつながりかねないという残念な現実を突きつけられた気がしました。
 危惧するのは、ジェンダーを語ることが男女間や世代間の対立に陥ってしまうことの危うさです。ジェンダーギャップを解消することが女性だけでなく男性にとっても生きやすい社会につながることに、若い世代の男性たちは気づき始めています。一方で、長時間労働で社会を支えてきた男性たちはそれまでの働き方や価値観をも否定しかねないパラダイムシフトともとれる議論におよび腰であったり、疎外感を抱いたりしているようにも思います。今回の勉強会の案内は管理職にも広く周知されましたが、参加者はごく少数に限られました。
 管理職として参加した男性のベテランアナウンサーに感想を求めると、「自分のいたらなさを感じたのと同時に、生まれ変わらなければならないと感じました。ただ、具体的にどうすればいいのかわからないというのが本音です。個別の現場や日常、そして個人の感じ方は違うので…」と率直な意見を寄せてくれました。

 勉強会の2人の対話をもう少しだけ紹介しましょう。

(川崎記者)
「シンポジウムのアンケートに先立って、ジェンダーギャップについて考える社員の集まりがあって、そこに参加させてもらったら、女性が中心なんですけど、男性の社員も何人かいたときにそれで楽になったところがあるかもしれないです。自分1人じゃないんだと。恥ずかしさなりなんなりというのはそこでひとつ乗り越えられたかなと思いますね」

(中野アナウンサー)
「こういう話をすると特に男性側が責められている気持ちというか、つらい気持ちになるんだけど、それを抱え込んじゃうとけっこうしんどくて、そこも勇気がいるんだけど、葛藤しているんだよねと言うこと自体を言葉にしたりシェアしたりするといいのかもしれないです。だから僕は川崎さんに出会って、仲間が増えたと思ったし、そういうモヤモヤも言語化して、どう向き合えばいいんだろうという感じにもっていけるといいですよね」

(川崎記者)
「こういう場でモヤモヤをはきだし合うことがもしかしたら重要なのかもしれないですね」

 今回の勉強会を主催した中野淳アナウンサーは「問題に気づいた側の“モヤモヤ”も共有して対話につなげていくことが“変わる”ためには必要だと感じます。そのためにもこのテーマに不安や葛藤を抱える人たちの心理的なハードルも下げる工夫をしながら、オープンに学び合っていく場を作っていきたいです」と語っていました。

 勉強会が始まる直前、私はゲストとして招かれた川崎記者とアナウンス室の会場に向かっていました。しかしアナウンス室のフロアにはめったに行く機会がないために、勉強会の会場がどこなのか見当がつきませんでした。どうしたものかと困っているところにばったり遭遇したのが新人時代にお世話になったベテランアナウンサーでした。(先ほどの率直な感想を寄せてくれた人物です。)「どうしたの?」と声をかけてもらえたおかげで、「それが実は…」と説明すると、すぐに機転を利かせて案内してくれた先輩アナ。おかげで迷うことなく勉強会の会場にたどり着くことができました。新人のころから迷惑ばかりをかけていましたが、初任地を離れて15年近くたった今でもこの先輩には頭が上がりません。(先輩、ありがとうございました。)私は、まずはこの先輩と、ジェンダーについて語り合うところから始めてみたいと思います。

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【熊谷 百合子】
2006年NHKに入局。福岡局、報道局、札幌局、首都圏局を経て2021年11月から放送文化研究所。
メディア内部のダイバーシティやジェンダーをテーマに調査研究中。

★こちらの記事もあわせてお読みください
#457北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント
#466テレビのジェンダーバランス~国際女性デーのメディア発信から日常の放送・報道を見直すことを考える~ 

調査あれこれ 2023年04月26日 (水)

世論調査のデータをもっと身近に!研究員が解説する「メディア利用の生活時間調査」#474

世論調査部 (視聴者調査) 築比地真理

文研では、さまざまな世論調査を行っています。
世論調査の結果は、文研が発刊している月刊誌「放送研究と調査」でも公表しているのですが、「メディア利用の生活時間調査」では、世論調査をもっと身近に感じてもらえるように、調査の特設サイトを作っています。

サイトでは、調査結果をオープンデータとして公表しており、誰でもデータを使えるようになっています。しかし、そのデータの量は膨大。データを公表するだけでは、世論調査を身近に感じてもらうには難しい・・・そこで、データを読み解くためのヒントや注目ポイントを、調査に携わる研究員が「データにまつわる話」としてわかりやすくお伝えしています。

この調査は、【テレビ画面】【スマホ・携帯】【PC・タブレット】の3つの機器(デバイス)が、生活の中でどのように使われているかを「時刻別」に捉えるという調査で、「どのような人が」「いつ」「どのデバイスを」「どのように」使っているかなど、バラエティーに富んだ分析ができるのが最大の特徴です。

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【「メディア利用の生活時間調査」特設サイト データにまつわる話】


どのデータに着目して分析していくかは、研究員によって実にさまざま。
今回は、ことし4月に公開された3本のコラムを紹介します。

まずは、20代の「朝の時間」に着目したコラムです。
朝の時間というと、ニュースや朝ドラなど、テレビを見ながら過ごす人もいるかと思いますが、テレビをあまり見ない20代にとっては、どうやら朝の「定番」はテレビではないようです。彼らは、どんなことをして朝の時間を過ごしているのか、もはや若者の生活とは切り離すことのできない「スマホ」との関係に迫りました。
【コラム】20代 朝は何をして過ごしている?(築比地研究員)

2つ目のコラムでは、「夜の時間」のテレビ視聴やスマホ利用に注目し、20代を中心に分析しています。
20代は、夜の時間でもスマホ利用がテレビ視聴を上回り、就寝直前までスマホを見ている人も多いようです。就寝前の時間にスマホでどのようなものを見ているのかが分かります。
【コラム】あなたは寝る前に、テレビを見る?スマホを使う? (舟越研究員)

最後は、1日5時間以上スマホを使う「ヘビーユーザー」の実態に注目したコラムです。
スマホのヘビーユーザーというと、どのような人物像を思い描きますか?私は、若年層に違いないと思っていましたが、決してそうではないことが分かりました。
ヘビーユーザーは、スマホでどのようなことをしているのかにも注目です。
【コラム】スマホのヘビーユーザーは何をしている?(伊藤研究員)

今回は3人の研究員のコラムを紹介しましたが、コラムは今後も順次更新していく予定です。
はじめは膨大なデータの集まりのように感じたものも、コラムを通じてひとつひとつ読み解いていくと、自分の身近なことだと感じていただけるかもしれません。

また、特設サイトでは、データ可視化にも力を入れています。

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【「メディア利用の生活時間調査」特設サイト グラフページ】

サイトにはこのような棒グラフがあり、上部の「年層」「性別」「曜日」のタブや、下部の「時刻」のスライダーで条件を設定すると、3つのデバイスを使っている人の割合や、行動の内訳を色分けして示した棒グラフが瞬時に形成されます。2つの棒グラフ同士を見比べることもできるので、自分のメディア利用行動と比較してみるのも楽しいですね。ぜひ、サイトを訪ねて世論調査のデータに触れてみてくださいね。
メディア利用の生活時間調査|NHK放送文化研究所

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【築比地 真理】
2014年NHK入局。高知放送局・札幌放送局で番組編成などを担当し、2020年より放送文化研究所にて幼児視聴率調査や国民生活時間調査・メディア利用の生活時間調査などに関わる。名前の読み方は「ついひじ」

メディアの動き 2023年04月19日 (水)

【メディアの動き】テレビ朝日『タモリ倶楽部』が最終回,40 年余りの歴史にピリオド

テレビ朝日系列で1982 年10月から放送されてきた『タモリ倶楽部~ FOR THE SOPHISTICATEDPEOPLE ~』が3月31日深夜(4月1日未明)で,41年にわたる放送を終えた。

テレビ朝日は終了について「番組としての役割は十分に果たしたということで,総合的に判断した」としている。

コロナ禍の時期などを除き,番組はほぼ一貫して全編ロケスタイルで制作された。番組内では「低予算でスタジオセットが組めない」と説明し,MCのタモリによる「毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます」という口上が人気だった。

開始当初から深夜特有の独自性の高い企画を放送し,番組内のミニコーナーなどで“サブカルチャー”をいち早く取り上げるなど,世に数々のブームをもたらすきっかけとなった。

タモリ個人の鉄道の趣味に寄り添う「タモリ電車クラブ」や,洋楽歌詞の聞き間違いを募集しVTRを添え楽しむ「空耳アワー」などが特に注目されてきたが,番組は長年にわたり音楽・アート・料理・伝統文化・地形,時には専門性のきわめて高いニッチな工業製品の世界なども,『タモリ倶楽部』ならではの軽快さで伝えた。

もちろん,深夜帯ならではのお色気度の高いものもあったが,マイナーなテーマを数多く取り上げるというスタンスは,多くのテレビ番組制作者にとって憧れ・目標でもあった。

最終回は,ネット上にあふれるタモリ考案の料理レシピの不確実さを,本人がいつもと変わらずゆるい空気で訂正していった。

メディアの動き 2023年04月19日 (水)

【メディアの動き】GYAO!が終了, U-NEXTとParaviが統合など 動画配信サービスの再編進む

ヤフーのグループ会社GYAOの動画配信サービスGYAO! (ギャオ)が,3月31日に終了した。

GYAO!は,Yahoo! 動画とGyao(当時のUSEN)が2009年に統合して発足し,早くからテレビ局の公式動画などの見逃し配信を行ってユーザーを獲得してきた。

しかし,2015 年にコンテンツホルダーである民放テレビ局自体が連合し,TVerを開始した。

また,2019 年にLINEとヤフーが経営統合。2023年2月には,2 社と,その親会社にあたるZホールディングス(以下,ZHD)が合併した。

ZHDが内部の重複・類似する事業の整理を進めていることに加え,2023年1月31日に,TVerとZHDが長期的な業務提携に向け基本合意したことも,GYAO !終了の理由とみられる。

一方,同じ3月31日には,動画配信サービスU-NEXTとParavi(プレミアム・プラットフォーム・ジャパン)が経営統合した。

U- NEXT が存続会社となり,2023年7月からはサービスも統合する予定で,視聴者370万人以上,売上高800億円超の規模となり,国内勢では最大となる見込みだ。

TELASA,FOD,NHKプラスなど, テレビ局が単体で自社の見逃し配信を展開し,さらにNetflixやAmazonプライムビデオなど海外プラットフォーマーに国内のテレビ番組が外販されている。

プラットフォームが乱立し,視聴経路がきわめて複雑になる中,ユーザーはどれを選べばいいのかがわかりづらい状態が続いている。

今後のプラットフォーム再編などさらなる動きを注視したい。

メディアの動き 2023年04月17日 (月)

【メディアの動き】放送法の「政治的公平性」解釈めぐる 総務省内部文書で国会が紛糾

立憲民主党の小西洋之議員は3月3日,参議院予算委員会で,放送法が定める「政治的公平」の解釈をめぐり2014年から翌年にかけて作成されたとされる総務省の内部文書を入手し,安倍政権の圧力で法解釈が変更されたことが示されていると指摘した。

これに対し,当時,総務大臣だった高市経済安全保障担当大臣は「まったくのねつ造文書だ」と述べ,「もしねつ造でなければ大臣や議員を辞職するということでいいのか」との問いに「結構だ」と応じた。

総務省は7日,これら78枚を行政文書と認めたうえで公表した。

このうち4枚に,高市大臣が解釈をめぐって安倍総理大臣と電話で協議したなどと記載されていたが,翌日の参議院本会議でも4枚はねつ造されたもので議員辞職はしないとし,その後も発言を撤回していない。

放送法が定める「政治的公平」については,安倍政権が2016年に,放送局の番組全体を見て判断するとしつつ,1つの番組のみでも不偏不党の立場から明らかに逸脱している場合などは政治的公平を確保しているとは認められないとする統一見解をまとめた。

今回の文書について小西議員は「当時の総理大臣補佐官が特定の民放番組が政治的に偏っているとして法解釈の変更を発案し,安倍元総理大臣がそれを認めたことが示されている。放送に国家権力がいつでも介入できるという恐ろしい解釈が不正なプロセスで作られたことを示す文書だ」と指摘している。

放送局の報道姿勢を萎縮させかねない解釈の変更があったとしたら,いかになされたのか。

高市大臣の関与にとどまらず,国会にはその点を明らかにしてほしい。

メディアの動き 2023年04月17日 (月)

【メディアの動き】英BBC,デジタル化に向けた経営改革, 音楽サービスの合理化には難航も

イギリス公共放送BBCは,財源不足に対応しながら,デジタル関連に経営資源を集中させる改革を進める中,クラシック音楽に関する合理化案を発表したが,音楽家や市民からの反発を招き,計画は一部見直しを余儀なくされた。

BBCは3月7日,クラシック音楽の新しい戦略を発表し,幅広く国内の合唱団に投資して合唱界全体の発展をめざし,オーケストラはより多くの音楽家と柔軟に全国で活動するため,100年近い歴史がある傘下の合唱団BBCSingersを廃止し,BBC交響楽団など3つのオーケストラも人員を20%削減するとした。

これに音楽家はじめ著名な指揮者らが反発した。
特に合唱団の廃止には,ヨーロッパ各国の放送合唱団が反対声明を出し,多数の民間合唱団が「BBC Singersをつぶすな!」と訴える動画をまとめてYouTubeに投稿したりした。

存続を求めるオンライン署名も15万件を超えた。

BBCは3月24日,複数の団体から代替財源について提案があったとして,BBC Singersの廃止をいったん保留した。

また,オーケストラについても極力,強制的な人員削減は避けるとした。

BBCの改革をめぐっては,3月15日,イングランド地方のローカル放送で働く職員およそ1,000人が,地域向けラジオ番組の合理化策に反対してストを行い,テレビやラジオの番組の一部が休止となる影響が出た。

ジャーナリスト組合は,人々は地元に関連したニュースを求めており,ローカルサービスをBBC の中核として守るべきだと訴えている。

組合は,5月の地方選挙の日などにもにストを行う可能性にも言及している。

メディアの動き 2023年04月17日 (月)

【メディアの動き】オーストリア,公共放送の新たな財源 制度として全世帯徴収方式を採用へ

オーストリア政府は3月23日,公共放送ORF(オーストリア放送協会)の財源制度として,受信機の有無にかかわらず,すべての世帯から「ORF 負担金」を徴収する新制度を導入すると発表した。

政府は,徴収額は現行の月額18.59 ユーロ(約2,600円)から15 ユーロ(約2,100円)程度に値下げされるとしている。また企業の事業所も,これまでどおり徴収対象となる。

現行制度の「番組料」は,テレビやラジオの所有世帯を徴収対象としており,インターネットでORFのサービスを利用しているだけの世帯は対象になっていない。

この状況について,オーストリア憲法裁判所は2022 年7月,不公平な負担が生じており,放送の独立を保障した憲法の規定に反すると判断し,2023 年末までに制度を改正するよう求めていた。

新制度の候補としてあがったのが,ドイツとスイスが採用している,受信機の有無にかかわらず全世帯から負担金を徴収する方式だった。

連立与党の1つオーストリア国民党(ÖVP)は,この方式を採用する条件として,ORFの大規模な経費削減をあげた。

これを受け,ヴァイスマンORF会長は2023 年2月,2026 年末までの4 年間で約3億2,500万ユーロ(約452億円)の経費削減計画を提示した。
ÖVPはこれを認め,「ORF 負担金」の導入が決まった。

削減計画には,ORF 所属のウィーン放送交響楽団や,スポーツ専門チャンネルORF Sport+の廃止が含まれていたが,各方面から反対の声が相次いだため,政府は同日,これらの存続を前提とする方針を発表した。 

メディアの動き 2023年04月14日 (金)

【メディアの動き】東日本大震災から12年,「震災アーカイブ」閉鎖相次ぐ

東日本大震災から12年。各放送局とも3月11日午後2時46分の地震発生時刻にあわせて,特別番組を組んだ。

繰り返し強調されたのが「忘れず語り継ぐこと」。

しかし,そのための重要なコンテンツの1つ,「震災アーカイブ」の閉鎖が相次いでいる。

震災アーカイブは,地域ごとの被害や復興の様子を示す資料や情報をデジタル化しネット上で公開するもので,記録を劣化させず残すことができる。

震災後,自治体や大学などの研究機関,民間団体などが多数の震災アーカイブを設立。それを一元的に検索できるポータルサイト「ひなぎく」を国立国会図書館が整備した。

しかし,国立国会図書館の井上佐知子主任司書によると,「ひなぎく」で検索できた50以上の震災アーカイブのうち,これまでに7つが閉鎖・休止した。

原因については「権利処理の負担」や「新規に収集される資料の減少」などがあげられる。例えば資料を収集した時点で ネット上の公開までの許諾をとっていなかったり,追加される資料が時間の経過とともに減ったりすると,新たに公開される資料が少なくなりアクセス数が減少。

その結果,自治体などからの出資金が減るなどして運営が難しくなるという。

井上主任司書は「閉鎖によって地域の防災教育での利用や震災対応の検証,新たな資料の発掘などが進まなくなる。継続する方法を各地域で探るべきだ」と指摘している。

東日本大震災は,地域ごとに被災や復興の状況に違いがあるだけに,各地域で貴重な資料をどのように後世に引き継いでいくか,見つめ直す時期に来ている。

メディアの動き 2023年04月14日 (金)

【メディアの動き】イラク戦争開戦20年,報道の教訓は

アメリカが,存在しない大量破壊兵器を理由にイラク戦争を開始してから,3月20日で20年を迎えた。

Watson Instituteによると戦争による死者(2021年9月集計)はイラク市民を中心に30万人近くに達した。

米メディアの大半は当時のブッシュ政権幹部や亡命イラク人の情報を検証せずに報じて開戦への世論づくりを後押しし,その後,報道の誤りを認めたが,その教訓が十分に生かされているか,疑問もある。

開戦前,大手メディアでは唯一,イラクの大量破壊兵器保有を打ち消す報道を続けたKnight Ridder社のワシントン支局長だったジョン・ ウォルコット氏は『Foreign Affairs』誌への寄稿で,当時のみずからの経験を振り返った。

この中で同氏は,報道を誤らないためには,政治目的に沿った情報を求める権力者ではなく,現実を把握している現場に近い軍関係者や専門家の声を報じることが必要だったと強調。

2022年にアフガニスタンから米軍が撤退した際に,その後の政権崩壊や混乱を予期できていなかったことに当時の教訓が生かされていないことがうかがえると指摘した。

『Columbia Journalism Review』のメディア評論執筆者 ジョン・オルソップ氏も戦争や安全保障に関わる報道が,相変わらず,イラク戦争時に誤った情報を流した国防総省や情報機関の幹部に依存している問題を指摘した。

ロシアのウクライナ侵攻では米メディアの多くが現地取材に基づく独自の報道を続けているが,ロシアやロシアと接近する中国との対決姿勢を強める政権幹部の情報に依存せず,両国の現実を客観的に伝えることができているのかも問われている。