文研ブログ

調査あれこれ 2022年04月06日 (水)

#389 流れを一旦せきとめる~論考「新型コロナ報道は東京オリパラにどのように影響されたか?」について~ 

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎

 私たちの社会が新型コロナウイルスと向き合うことになって2年以上がたちます。3月21日にはまん延防止等重点措置がすべての地域で解除されましたが、26日時点でも1日当たりの感染者数は4万人を超え、毎日100人を超える方が亡くなっています。

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 他方で1月15日にはトンガで大規模噴火が起こり日本にも津波警報が出され、2月24日にはロシア軍がウクライナに侵攻、国内では3月16日に福島県沖を震源地とする最大震度6強の地震が発生するなど、思ってもみないような事態が次々と起こり、テレビが日々報道するトピックもめまぐるしく移り変わっています。新型コロナに関しては上記の通り事態が収束したとは決して言えないものの、より大きな関心を引く出来事が立て続けに起こり、また2年以上に渡って付き合わされ、その対策も複雑化していることも相まって、社会全体の問題としてとらえにくくなりつつある印象さえ受けます。
 さまざまな情報をネット経由で手に入れられるようになったとは言え、テレビにはいまだに大きな影響力があると考えられます。しかし、画面に映像と音声が流れ出した瞬間に消え去っていくテレビ発の情報は、多くの場合忘れられてしまいます。そのため新聞などの文字媒体と比較すると、ある時点でどのような報道がなされていたのか後から検証することが困難です。大きな事件や災害が頻発し、ある意味で“非常時”が“日常化”しつつある今だからこそ、麻痺してしまいがちな感覚を正常化するためにも、一旦流れをせきとめて、ある時点でテレビがどのような報道をしていたのかを記録・検証することが必要ではないかと思います。

 「放送研究と調査」3月号には、およそ1年前にテレビが“新型コロナの感染拡大”と“東京オリパラの開催”をどのように報道したのかを検証する論稿を掲載しています。さらに4月号には“新型コロナ”と“東京オリパラ”をめぐるツイッターの動向について短いレポートを掲載しました。
 研究テーマの軸となったのは「限られた放送時間とリソースという物理的な制約のある中で、テレビは何を優先して伝えたのか」ということです。分析の結果から見えてきたのは「テレビがどれだけ自律的かつ主体的にその判断をできたのか」という疑念、さらに「その判断に疑義が呈されるとき視聴者からの信頼が揺らいでいる可能性がある」という懸念でした。
 これまで経験したことがなく、さらに次々に変異を重ねる新型コロナにどう対応するのかの判断は、状況や時期によっても変わることがあり、また国によって一様ではありません。何が正しいのかがその時点では明確ではなく、事後になって初めて分かることもあります。複雑化・多様化を極める社会において、多くの人に情報を伝えるメディアには「何を、どのように、どの程度伝えるべきか」より難しい判断が求められますが、そういう時だからこそ大きな役割が期待されているとも言えます。テレビ報道が機能不全を起こさないようにするためにもその動向を注視し、どうしたらよいのか考え続ける必要があります。

 自分に向けられた信頼が揺らぐとき、私たちはどのような態度と行動をとるでしょうか。自分に不都合なことから目を背けたり、本質から話を逸らしたり、どこかの誰かが妙案を生み出してくれるのを期待するでしょうか。それとも自分がしたことを認めたうえで、そこから教訓を導き出しこれからに生かそうとするでしょうか。メディアがどのような姿勢を示すことができるのか、その存在の真価が試されているように思えます。