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放送ヒストリー 2021年05月28日 (金)

#325 「南方」の占領地で何が放送されたか

メディア研究部(メディア史研究) 村上聖一


 太平洋戦争下、日本軍が「南方」と呼ばれた東南アジアの一帯に30以上の放送局を開設していたことは、「#318 太平洋戦争下、「南方」で行われた放送を振り返る」でお伝えしましたが、今回は、どのような番組が放送されたのかを振り返ってみます。

 日本軍が占領地に多数の放送局を設けた目的としては、対敵宣伝や現地の日本人に向けた情報伝達も挙げられますが、特に重要だったのが、現地の人々に日本の占領政策を宣伝するとともに、番組を通じて日本への親近感を抱いてもらうことでした。

 しかし、そうした目的を達成するのは非常に困難なことでした。現地の多様な言語や民族事情を考慮する必要があったことに加え、そもそも住民のほとんどがラジオを持っていないという問題がありました。

 下記は、ジャワ島(インドネシア)に置かれたジャカルタ放送局の番組表です。深夜まで多くの番組が放送されていますが、放送はさまざまな言語で行われており、一つの言語当たりでみれば、日本の占領政策をストレートに宣伝できる時間はあまり多くなかったと考えられます。

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 そうした中で、現地の放送局が力を入れたのが音楽番組でした。日本軍はラジオを持っていない人々のために、街のあちこちにラジオ塔を立てて、スピーカーで番組を流していましたが、音楽番組がそうした放送の形態に適していた面があります。スピーカーを取り付けた樹木を、現地の人々が「音楽の木」と呼んで親しんでいたといった記録も残されています。

 ジャワ島の場合、クロンチョンやガムラン楽器の演奏といった現地の音楽が多く放送されました(上記の表ではコロンチョン、ガメランと表記)。以下の写真はジャワ島中部のソロ放送局が行った民族音楽の演奏中継のもようです。

210528-22png.png ソロ放送局では、写真のようなパンフレットも作って、現地の人々に放送を聴いてもらおうとしていました。女性が歌を歌っているようすがデザインされています。下部に「SOLO HOSO KYOKU」(ソロ放送局)と記されています。

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 ラジオ塔を利用して行われた放送について、戦後、取りまとめられた資料には、次のような記述が見られます。

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 しかし、これは日本側からの見方であり、現地の人々が本当のところ、どのような思いで番組を聴いていたかはわかりません。日本の軍政に対する不満が高まっていく中で、音楽番組がそれを和らげる効果を持ったかどうかは、現地の資料によって確認する必要があります。そうした点は、今後の研究課題の一つと考えているところです。

 南方で行われた現地住民向け放送については、『放送研究と調査』4月号、「南方放送史」再考② 現地住民向け放送の実態~蘭印を例に」で詳しく検討を行っています。ぜひご一読いただければと思います。