文研ブログ

放送ヒストリー 2017年08月25日 (金)

#91 「仕方がなかった史観」を乗り越えて

メディア研究部(メディア史研究) 大森 淳郎

10年ほど前のことです。私は、あるレコード会社の倉庫に保管されていた金属マスター(レコードの原盤)を借り受け、専門業者に持ち込んで再生してもらいました。中心に穴がないので、ターンテーブルに固定するのに苦労しましたが、なんとかうまくいきました。聞こえてきたのは次のような音声でした。

今こそ、真実のお話ができます。これは、全日本国民に戦争の真相を明かす初めての番組です。これは、皆さんに直接関係のある話であり、皆さんを暗闇の世界から明るい世界に連れ戻すための話です


金属マスターに納められていたのは敗戦の4か月後、1945年12月から放送された10回シリーズのラジオ番組『真相はこうだ』でした。
GHQの手によるこの番組は、日本が敗戦にいたるまでの歴史を対話形式で描くものでした。力作と言っていいのですが、実は当時の評判は散々でした。作家、宮本百合子は、こう述べています。

「日本人は今まで発表なら発表というものを信じさせられてきました。それなのに今度は同じ信じさせたマイクそのものがけろっとして、その声で逆なことを言うということに対する不真実な感じ、事態の真実を知るということよりも同じ放送局がよくもこういうことをまあ平気で放送するというその感じですね。(中略)同じ放送局があんなちゃんぽんなことを言えるという感じがパッとくると非常に浅いところで反発するのです。そして、その反発する感じは真実の感情なのです」(「鼎談 近頃の放送に対する批判と提言」『放送文化』1946年6月号)

戦時中、日本放送協会は国民の戦意昂揚を目的とした放送を出し続けました。その「戦時ラジオ放送」を棚に上げて軍・政府を批判しても、説得力のあろうはずはなかったのです。
日本放送協会は、「戦時ラジオ放送」について自らけじめをつけようとはしませんでした。そして1950年に放送法に基づいて再出発してからも、NHKが戦時下の放送の検証に積極的にとり組んできたとは言えません。なぜなのでしょう。
おそらくその理由は、1925(大正14)年に日本のラジオ放送が、政府管理の下に出発した時まで遡ります。政府の管理下に置かれていたのだから、国が戦争に向かえば、ラジオもその国策に沿って放送するのは仕方がないことだった、というわけです。でも、本当にそうなのでしようか。


『放送研究と調査』8月号から、シリーズ「戦争とラジオ」を始めます。「仕方がなかった史観」を乗り越えて、「戦時ラジオ放送」を検証してゆきたいと思っています。
第1回は、8月(前編)・9月(後編)の2号に渡って戦時下のニュ-ス放送に焦点を当てます。戦時下のニュースは同盟通信の記事を「話し言葉」に書き換えていただけだと思われてきましたが、決してそうとは言い切れない実体が浮かび上がってきました。どうすればより国策に沿ったニュースになるか、報道部員たちは懸命に考え、同盟通信の原稿を書き換えていたのです。

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