文研ブログ

放送ヒストリー 2016年04月15日 (金)

#22 「生態放送」って聞いたことありますか?

メディア研究部(メディア史研究) 小林利行

「え!昭和初期、ラジオ放送の開始からわずか8年後に野生動物の生中継番組が始まっていた!?」
このリポートを書くきっかけになった率直な驚きです。

今でも番組制作の中で「生中継」や「野生動物」という言葉が出ると、制作者は少なからず緊張すると言います。この2つが重なった番組を、放送初期の1933年に成し遂げた人たちがいます。東京ではありません。人も機材も少ない長野局でした。長野局は、野鳥の鳴き声の生中継に全国で初めて成功したのです。当時「生態放送」と呼ばれていました。「生態放送」はその後、名古屋局(野鳥「仏法僧」)・前橋局(かえる)・仙台局(うみねこ)・静岡局(野鳥)などでも行われ、聴取者の評判もよく、地方の放送局の重要なコンテンツに成長します。

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全国で初めて「生態放送」に成功した長野局の面々

史料の中からこの番組の存在を知った時、私の頭には驚きと同時に次々と疑問がわいてきました。▼なぜ、野生動物相手の生中継という「冒険」に踏み切ったのか?▼失敗の可能性もあるこのような企画が、どういった経緯で承認されたのか?▼現在に比べて機材も貧弱な中で、現場ではどう対応したのか?・・・

こうした疑問は、史料を集めていく中で少しずつ明らかになっていきます。詳しいことは月報(「放送研究と調査」4月号)を見ていただきたいのですが、ここではポイントとなる「『冒険』に踏み切った理由」について、ちょっとだけ説明します。ざっくりと言ってしまえば
「地方局の意地」です。
当時の放送は、「地方文化の水準を中央のそれに引き上げること」が主な目的とされていて、基本的な流れは「中央→地方」でした。そこで地方局としてこの状況に一矢報いるために、その地域でしかできない放送を行おうと、重い機材を背負って山奥に分け入り、うまく鳴いてくれるかどうかわからない中で、固唾をのんで放送時間を待っていたのです。

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名古屋局は「秘密兵器」を使用

では、その「意地」を通すために、関係者はどんなハードルをクリアしてきたのでしょうか。今月号では、「クスッ」と笑えるようなことから「プロジェクトX」(覚えていますか?)ばりの話まで数々のエピソードを紹介しています。

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木につり下げられたマイク(これも工夫の一つ)

最後に一つだけ。「失敗の可能性もある企画が承認された経緯」についてなのですが、そこにはある「偶然」が絡んでいました。なんと、火山の噴火が関係していたというのです・・・ 気になる方は月報の本文をお読みください。

『放送研究と調査』4月号 野鳥の鳴き声を生放送で全国へ~戦前のラジオ「生態放送」への取り組み~