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2023年5月 1日

おススメの1本 2023年05月01日 (月)

英ハリー王子VSメディア【研究員の視点】#476

メディア研究部(海外メディア研究)税所玲子

2022月9月に即位したイギリスのチャールズ国王の戴冠式が5月6日に行われます 。
イギリス王室の歴史と伝統を象徴する儀式のみどころなどについて、地元のメディアが連日、報じていますが、中でも注目を浴びたのは、王室を離脱しアメリカに渡った国王の次男、ハリー王子が出席するかどうかでした。

newspaper_1_W_edited.jpg ハリー王子の戴冠式出席を伝える新聞

結局、ハリー王子は夫人をアメリカに残し、戴冠式に1人で出席することになりましたが、黒人の母親を持つメーガン夫人が差別的な扱いを受けたなどと批判を繰り返してきた夫妻と、王室の冷え切った関係を象徴する一幕となりました。

spare_2_W_edited.jpg ハリー王子が出版した『スペア』

王子と家族の関係を決定的に壊したのは、2023年1月 にハリー王子が出した自伝『スペア(Spare)』1) です。発売されるやいなやミリオンセラーになったこの本で、ハリー王子は、メーガン妃をめぐって言い争いになった兄のウィリアム王子から暴力を振るわれたとか、父の再婚相手のカミラ王妃が自らのイメージアップをはかるためにハリー王子の情報をメディアに流したなど“王室の内幕”を赤裸々に語ります2) 。19世紀のイギリスのジャーナリスト、ウォルター・バジョットは「魔法に日の光をあててはいけない」と、王室は謎めいた部分を守ってこそ人々を魅了できると語りましたが、ハリー王子の“告白”は、その秘密のベールをはいでみせたかのような衝撃を与えました。

イギリスのメディアは、『スペア』の内容を“二人の王子の骨肉の争い”と描きますが、実はもう一つのテーマが貫かれています。それは、メディアに対するハリー王子の「戦い」です。

『スペア』の第1章の回想は、母親のダイアナ元皇太子妃をパリの交通事故で失った夏から始まります。当時、ハリー王子はまだ12歳。それでも王室の一員として感情を押し殺し、母の死に向きあわざるを得なかったことへの悲しみとともに、その様子を追いかけたメディアへの怒りが、本にはあふれでているのです。

例えば、避暑先のスコットランドで悲報に接したあと、初めての週末に教会に出かけた時のこと。城の門の前で、シャッターの音を絶え間なく浴び、思わず父の手を握った瞬間、カメラの音は 「爆発」。「感情、ドラマ、痛み」というメディアが望む格好の材料を与えてしまった幼い王子を、メディアはひたすら「撃って、撃って、撃ち続けた」と表現しています3)

ハリー王子は、母の交通事故死の主な原因は、運転手の飲酒だとした調査結果を受け入れず、彼女を追跡し続けたパパラッチにも責任の一端があると主張します。『スペア』には、母の死後も、言動を改めず、ハリー王子や交際相手の女性たちを追い続けたメディアへの批判があらゆる場面で展開されています。そして、ハリー王子は、王室からの離脱は、「母と同じ悲劇が妻の身に起きることを危惧した」ためだとし、本の刊行を前に英商業放送ITVのインタビューで、「自らのライフワークは、メディアのあり方を変革することだ」と宣言しました 4)

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harry_4_W_edited.jpgハリー王子の裁判所への出廷を伝えるニュース(BBCのホームページより)

そして、2022年の10月。
ハリー王子は、タブロイド紙を相手どって複数の訴訟を起こします。相手は、Daily Mail とMail on Sundayを発行するAssociated Newspaper(AN社)と”メディア王”と呼ばれるルパート・マードック氏が所有し、Sunを発行するNews Group Newspaper(NGN)です。3月に行われたAN社に対する審理について伝えた現地のメディアによると、弁護人は同社が、1993年から2011年にかけて、携帯電話の留守番メッセージにアクセスしたり、有線の電話を盗聴するなどして、王子をはじめ歌手などの有名人についての情報を得ていたと主張しています5)

イギリスでは、2011年、マードック氏が所有していたタブロイド紙News of  the World(NoW)6) が私立探偵を雇うなどして、政治家や俳優、王室ばかりか、犯罪被害者の携帯などを盗聴していた事件が発覚しました。これを受けて、元判事リバソン氏によるメディアの不正行為を調査する委員会が設けられましたが、当初は2回にわたってまとめられる予定だった調査は1回で終わり、メディア改革は道半ばと受け止められています。

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News of  the World紙の廃刊を伝える記事 (タイムズ紙のホームページより)

訴えについてAN社は、王子の主張は「ばかげた誹謗中傷だ」と否定し、NGNもSunの関わりはないとしています。また、両社とも訴えは法廷に持ち込むには古すぎるとしています。

 

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チャールズ国王とハリー王子(BBCホームページより)

では、ハリー王子が目指すという「メディアの改革」のゆくえはどうなるのでしょうか。

メディアのあり方を大きく変えるには訴訟だけでなく、世論の後押しが必要です。
たしかにNoW社の盗聴事件が発覚した2011年に比べると、プライバシーの保護を求める声は高まっており、例えば、2023年1月、40代の女性が行方不明になり、6週間後に遺体が見つかった事件の際には、女性のメンタルヘルスの情報などを詳しく報道したメディアに、批判の声があがりました。メディアに向けられる市民の視線は厳しくなっています。

一方で、父であるチャールズ国王や妻のカミラ王妃、兄のウィリアム王子のプライバシーを、いわば売り物にしているハリー王子に、プライバシーを語る資格はないという冷ややかな声も少なからず聞かれます。結婚前には80%を超えていたハリー王子への支持も、『スペア』発売後 は24%に落ち込み、本の出版も「金目当てだ」と考える人が41%となっています7)

ハリー王子が、タブロイドの不正な情報の入手について訴えた裁判の審理は、夏にかけて続く見通しです。戴冠式を終えたチャールズ国王にとっては、家族の絆の修復とともに、頭の痛い問題となりそうです。


1)「スペアパーツ」などで使われる「予備」を意味し、ハリー王子は王室内で“Heir and Spare” (跡継ぎとその予備)という呼ばれ方をしたとしている。

2)『スペア』はNew York Times、Los Angeles Times などで記者経験がある作家のモーリンガー氏がゴーストライターを務めたと言われている。ビューリッツアー賞受賞した作家らしく、短く切れのある文章で王子の目から見た半生を綴っているが、王子の「主観」に偏り、その他の関係者への確認に欠け、事実関係の間違いがあるという指摘も出ている。

3)Prince Harry, “Spare”(2023) p20

4)ITV interview, 2023年1月8日
https://www.itv.com/news/2023-01-08/harrys-first-interview-about-controversial-memoir-airs-on-itv

5)“Prince Harry in court for privacy case against Associated Newspapers” Times of London, March 28 2023

6)News of the Worldは盗聴事件後、廃刊に追い込まれている。

7)2023年1月12日 YouGov調査
https://yougov.co.uk/topics/politics/articles-reports/2023/01/12/prince-harrys-popularity-falls-further-spare-hits-

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【税所 玲子】
1994年入局、新潟局、国際部、ロンドン支局、国際放送局などを経て2020年7月から放送文化研究所。

ヨーロッパを中心にメディアやジャーナリズムの調査に従事。